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Photo bycham_writer

壊れた食洗機がもたらしたサトウキビ畑の思い出

    うちのアパートには作り付けの大きな食洗機がありますが、先日壊れてしまい、メンテナンスを呼びました。
    原因はホースの劣化。食洗機の排水はホースを通って隣のシンクの排水と一緒になり下水へ流れるのですが、このホースが劣化して折れ曲がってしまい、排水ができなくなって水が溢れ出てきてしまったんです。

    修理に来てくれたのは60代くらいのアメリカ人のおじちゃんでした。中肉中背でこんがり焼けた肌に、ニッカリ笑った笑顔が可愛い人でした。彼は汗を流しながら狭いシンク下で一生懸命ホース交換を行ってくれました。

    作業が終わり、玄関へお見送りした時のことです。
    「君は日本人かい ?」って聞かれたので「そうですよ」とお答えしたら、昔を思い出すように目を細めて仰いました。

    「俺は昔、沖縄にいたんだよ。親父が石垣島でサトウキビ栽培をやっててね、俺も7~8歳くらいの時は一緒に畑に行って働いたさ。」

    玄関先だったのでそれ以上詳しいことは聞けず、お礼を伝えてお別れしました。
    でも後になってふと気になりました。おじちゃんが60代くらいということは、そのお父さんの時代の沖縄はまだ占領下か返還直後、激動の時代のはずです。
    AIを使ってちょっと調べてみると、返還前の沖縄では農業指導・土木工事のために派遣されたアメリカ人の専門家や技術者が多くいたそうです。おじちゃんのお父さんもサトウキビ産業の指導や管理をしていたのかもしれません。あるいは、当時はアメリカ人が土地を借りたり事業をしたりするハードルが低かったそうなので、サトウキビ農園経営などのビジネスをしていたのかもしれません。

    沖縄県公文書館の映像や写真をインターネットで閲覧してみましたが、アメリカ人が実際にサトウキビ農作業に従事しているものは見つかりませんでした。見つかったのは、戦時中の酷い写真や、戦後の食糧難の時代、そして背丈よりも高いサトウキビをたくましく収穫する沖縄の人々や、台風で倒れたサトウキビ畑の視察を行うUSCAR(琉球列島米国民政府)の高官の姿でした。
    「公務用」の写真ばかりで、泥にまみれた民間人の姿はなかなか残っていないのかもしれません。でもその姿を、おじちゃんはしっかり記憶しているはずです。

    ふとした出会いでしたが、もっともっといろんな話が聞きたくなってしまいました。またあの小麦色の顔でニッカリ笑うおじちゃんに会うことがあったら、ぜひ聞いてみたいと思います。
    「子どもだったおじちゃんからはさ、石垣島のサトウキビ畑はどんなふうに見えていたの?」と。

    私には計り知れないほど壮絶な歴史があった土地です。けれども昔を偲んで優しく微笑むおじちゃんの目には、とても美しいサトウキビ畑と、父親と過ごした温かな時間が映っていたのだと思います。

     
     
    日本では医師として働いていました。夫に帯同してカリフォルニアで生活をしています。キラキラしたことだけではなく、泥臭くがむしゃらに生きている様を綴っていきます。随時更新と回想録とが混在しています。

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