
大特集🌟「祈り」の力について考える①
🌷この記事は共育LIBRARYりょーやんさんとの、勝手にコラボ記事です🌷
先日、共育LIBRARYりょーやんさんが、「祈り」の力について、科学的にも興味深いテーマの記事を書かれていました。
私も、「祈りの力」に関する記事は何度かご紹介しています。
そこで数回にわたって、「祈り」の力について、りょーやんさんの記事や私の全記事も参考にしながら、改めて自分なりの記事を書いていこうと思います。
🌟まず、りょーやんさん記事からの抜粋。🌟
私たちは「祈る」と聞くと、
つい特定の宗教のことかと思い
身構えてしまう部分がある。
しかし、実は、
祈るという行為は
宗教が生まれる前から
ずっと人類が繰り返してきたものであり、
日常的に「祈る」という行為を
私たちは当たり前にやっている部分があります。
例えば、筆者の場合は、
祖父母や叔父などの遺影の前で手を合わせ
毎日頭を下げます。
この方々のお陰で今の自分があることに
感謝をするためです。
これも「祈り」の1つです。
毎朝、ご仏壇にてご先祖や亡きご両親にお祈りしてから、一日を始めるとい
う方もいらっしゃると思います。
日本にはそのような慣習が残っていますが、これは決して形式的なものではなく、真剣にお祈りをした場合、相手に想いが届くことを、昔の人々は十分に知っていたと考えられます。
大川隆法先生によると、他界した人や、今はもう逢えなくなってしまった人であったとしても、
心の中で相手に「ありがとう」「ごめんなさい」「大好きだよ」などの想いを向けてあげると、その想いは必ず届く、と伺っています。
なぜなら、念いの力、祈りの力というものは現実に存在するため。
一生懸命に愛の念いを相手に向けると、一定のエネルギーとなって、確実に届くのだそうです。
「祈りの力は現在ただいまの世界にも届くし、あるいは 霊界にも届くし、霊界を貫いて 併行宇宙やマルチバースにまで祈りは届く可能性がある」
(大川隆法著「小説 揺らぎ」より)
「祈りの語源」

りょーやん先生によると、「祈り」の日本語的語源は、「生宣る(いのる)」ではないか、とのこと。
「い」という音は、
生命力を表します。
「いのち」「いぶき」「いき」「いかづち」
などなど、
生命力溢れる言葉が
「い」で始まる大和言葉には多いです。
「のり」は、
祝詞や詔の「のり」と同じで、
宣言することを意味しています。
つまり、
「いのり」とは、
「生命の宣言」と考えることができる。
つまり、
「生きるために生命力を燃やし想うこと」自体が
祈るという行為であるとも言える。
「のる」が負のエネルギーの方に派生すると、
「ののしる」「のろう」といった
ネガティブなイメージの言葉にもなり得る。
祈りとは、生命力を燃やし想うこと、と言えるのかもしれません。
「のろい」という言葉もありますが、これは祈りの効果が逆に働いた時。
つまり、相手の不幸を想う、願う気持ちがエネルギーとなって、相手に伝わってしまうことを「のろい」というのだと思います。
「祈り」とは何か?

大川隆法先生は「奇跡との出会い。」の歌詞の中で、「祈り」について次のように説かれています。
祈り、それがすべて。
祈り、それが答え。
祈り、 それがあなたと神とを結びつける、 一本の白い絆。
つまり、祈りとは、神様とダイレクトに繋がることのできる、私たちの最後にして最強の武器だと教えていただいています。
この考え方は、キリスト教圏などの「Pray for God」の考え方に近いと思います。
日本人がご先祖や五穀豊穣を願うような、日本的「祈り」とは少し勝手が異なるかもしれないですね。
何に対して「祈る」のか?

「祈り」には様々な種類があり、国や地域によっても異なるものだと思います。
前述したような「先祖供養」への祈り、「五穀豊穣」の祈り、などは長らく日本の歴史のなかでは一般的であったのではないかとも思います。
これに対して、キリスト教圏では「Pray(祈る)」といえば、「父と子と精霊」が対象。
つまり、「イエス・キリスト」および「イエスをこの世に遣わした天なる父」が主な「祈り」の対象だと思います。
そのため、キリスト教圏の方々からしたら、日本人というのは一体何に対して「祈っている」のかが分かりにくいといいます。
「祈る」とは、「祈る対象」があって初めて成立するものだからです。
「日本にはどうやら祈るべき対象がいないらしい」「特定の宗教がないらしい」ということは、歴史的にも、特に文明開化後の明治期などに、欧米人の疑問の1つであったようです。
その不信感を覆すために、新渡戸稲造が「武士道」という著書を表して、「日本には西欧のような特定の宗教ではないけれど、武士道という誇り高き精神がある」と紹介したりしています。
大川隆法先生からは、「『祈り』の対象はハッキリと定めた方が、届きやすい」と教えていただいています。
もしかすると、日本人の「祈り」は、欧米圏の方々にくらべたら、祈りの対象が不透明なため、まだまだ弱いものかもしれません。
この問題を解決するためには、寺社参拝の際などに、本仏やご祭神が何かをしっかりと理解した上で、お祈りを捧げるのが良いと思われます。
「大特集🌟「祈り」の力について考える」第一回はこのあたりまで。
次回もお楽しみに♪
最後までご覧下さり、ありがとうございました🌷
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真理花@大川隆法著作愛好家(@Marika777hs)さん / X (twitter.com)
生き別れや死別など、どうしようもない理由で逢えなくなってしまった、大切な存在がいる方へ。
大川隆法先生によると、今はもう逢えなくなってしまった人であったとしても、
心の中で相手に「ありがとう」「ごめんなさい」「大好きだよ」などの想いを向けてあげると、その想いは必ず届く、と伺っています。
なぜなら、念いの力、祈りの力というものは現実に存在するため。
一生懸命に愛の念いを相手に向けると、一定のエネルギーとなって、確実に届くのだそうです。
「以心伝心」という言葉もあります。
私たちが生きている日常でも、どこかでふと相手のことを思い出したり、そういえばどうしてるかな?と思い出すことってありますよね。
これはもしかしたら、相手からの「想い」が向いている時かもしれませんよ。
もし、けんか別れしてしまって、ずっと「謝りたい」とわだかまりが残っている人がいるなら、相手への感謝の気持ちを書き出してみることもオススメです。
自分自身の気持ちの整理にもなりますし、知らず知らずのうちに、「ごめんなさい」の想いが、相手に届いているかもしれません。
そして、「想いの力」について、さらに一歩踏み込んでみます。
他界してしまった方に対しても「想い」が届くのは同じだそうです。
霊界こそ、「想い」がすべての世界であり、私たちの強い想い・祈りは相手に必ず届くと教えていただいています。
もうこの世で逢えなくなってしまった大切な人にも、ぜひ、「ありがとう」「愛しているよ」と伝えてあげてください。
きっとその思いは相手に届き、あなたを守ってくれる力にもなると思います。