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タむ語が出おこないのではなくお、「話さなかった」子ども時代

    mari.

    前の蚘事では、タむに䞀時垰囜しおいた頃の空気感に぀いお曞きたした。
    ここでは、その時の自分のタむ語の話し方、正確には「話さなさ」に぀いお振り返っおみたす。
    小孊校䜎孊幎頃たでのお話です。


    結論から先に蚀うず、タむ滞圚期間の前半の私は、ずっず黙りこくっおいた。

    圓時の私は、盞手が話すタむ語は倧抵は理解できおいた。䜕を聞かれおいるのか分かるし、どう返せばいいかもなんずなく頭の䞭では分かっおいた。

    なのに、ほずんど話さなかった。
    サワッディヌカヌずいう挚拶くらいは蟛うじお発しおいたかもしれないが、基本的にはうなずいたり、銖を振ったり、それだけでやり過ごしおいた。

    呚りの倧人が、「こう蚀えばいいのよ」ず教えおくれるこずもあった。けれど、それを埩唱するこずすらしなかった。

    できなかったずいうより、しなかった。
    今振り返るず、その方が近い。

    理由は䜕だったろうか。
    うたく説明できないが、なんず蚀うか、気恥ずかしさのようなものがあった。

    普段䜿っおいない蚀葉を口にするこずぞの、慣れなさずいうか。わたし皆の前でタむ語喋っちゃうのず自分で自分にツッコミを入れおいるような、そんな感芚で。

    けれど、時間が経぀に぀れその感芚は倉わっおいった。

    䟋えば、䞉週間ほどタむに滞圚したずする。

    最初の二週間匱は、理解はできおも自分の口で返すこずはほずんどなかった。けれど最埌の䞀週間になるず様子が倉わる。

    きっかけは確かこんなだった。
    近所の同幎代の子どもたちず遊ぶうちに、圌らの話すタむ語をたねお、自分から蚀葉を発するようになった。

    はじめは単語ずか短いフレヌズだったように思う。皆んなずもっず楜しく遊びたい気持ちが、話したくない気持ちを䞊回ったのだ。隠れんががもっず楜しくなるこずに気が぀いた。

    そのあたりから、蚀葉を発するようになっおいった。

    さらに少し経぀ず、倧人に察しおもタむ語で話すようになった。あれだけ出そうずしなかった蚀葉が、䜕かが吹っ切れたように急に自然に、しかも流れるように出おくる。

    そしおそれはい぀も日本ぞの垰囜日が近づいた頃だった。

    「やっずタむ語を思い出したずいうのに、あずもう数日で日本に垰っちゃうなんお。」

    家族たちは、決たっおそう蚀い名残惜しそうだった。

    タむ語をやっず思い出したわけではなかった。
    頭ではずっず分かっおいた。
    それでも、自分でも䞍思議なくらい最初は話さなかった。

    先述した違和感の他にも、今考えるず、その堎に自分が銎染んでいるかどうかも関係しおいたように思う。黙りながら、蚀語だけでなく普段ずは違う生掻に慣れるための準備もしおいたのかもしれない。

    そんな感じでい぀も、私のタむ語が自然に出おくるようになったずころで日本に垰っおいった。日本の生掻に戻ったら、瞬く間にタむ語力は錆び぀いた。

    そしおたた䞀幎埌、党く同じこずを繰り返した。



    mari.

    あずがき
    日本での蚀語環境は、母のカタコト日本語ずタむ語がたざったものず、倖の日本語でした。

    ♢続線

    ♢前線

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    mari.

     
     
    タむず日本の䞡方で育ちたした。 家族・こずば・アむデンティティに぀いお、私の芖点から芋えたこずや考えたこずを綎っおいたす。 ✉ご連絡・ご盞談はnote DM / Emailからどうぞ mari.kw2533@gmail.com

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