
60《最終話》【デキナイ男と病気の女―そして家族になるまで―】 60 • 帰る場所
弥生は、その後二日間、葵の家に滞在し、与論島を満喫した
与論空港
「じゃあね、葵」
「ひとみお姉ちゃん、ありがとう!」
「うん、二人とも元気でね」
少しだけ間を置いて、葵が笑った
「もういいの。あの人のことは」
爽やかな風が、ふっと吹いた
三人は手を振り合い別れる
東京·吉祥寺
「橘」 表札
和茂の書斎·二階
和茂がパソコンの前に座っている
「ただいま~!」
輪心の元気な声が聞こえる
和茂、パソコンから手を離して大きな伸びと共に
「お帰り!」
と大声で返事する
輪心が駆け込んで来る
「かずしげ!」
「輪心!」
和茂が輪心を抱き上げグルグル回る
「元気にしてたか?」
「うん! かずしげ、会いたかった」
「俺もだよ」
弥生が、荷物を持って入って来る
出て行った時の感情を思いだし、何となく気まずい雰囲気
「弥生ちゃん、お帰り」
「た、ただいま」
弥生が、和茂の顔を見ずに返事する
「葵ちゃん、ボブ君の事で落ち込んでなかった?」
「う、うん。まーね」
弥生、ぎこち無い返事
「まだ、怒ってるの?」
「だったら、帰ってこないわよ」
「良かった」
「まったく、憎めない性格なんだから」
「ありがとう!」
キッチン
ゴミ箱いっぱいにカップ麺の空き容器
「弥生ちゃん、いなくて大変だったよ」
「ちょっとは、反省してよね」
「へぃ、へぃ」
「仕事中だったの? 久しぶりじゃない」
「あぁ、最近、出版社からの依頼が減っちゃって。めっきり、仕事も無くなったな」
「私も、働こうかしら」
「また、占い?」
「ううん。こないだ、中学の同級生にバッタリ会って…保険の外交やってるんだって。時間もある程度自由になるし、頑張ればお給料も良いみたいだから、紹介してもらおうかしら」
「営業できるの? 弥生ちゃん」
「やった事ないけど」
「良く考えてね」
「うん」
ー1ヶ月後ー
「橘」 表札
リビング
テーブルの上には、ラフテー、ゴーヤチャンプルー、もずくそうめんが並んでいる
テーブルの周りには、和茂、弥生、輪心、神野智之、神野律子が、座っている
「輪心が、与論ですっかり沖縄料理好きになったから、私のレパートリーも増えたわ。輪心が、新学期から学校行ける様になって、本当に良かった。智之は何飲む? リっちゃんはワインで良いわよね?」
「俺は、車だから、姉ちゃんと一緒のウーロン茶」
「はい、はい」
「私、ワインで」
「そう、こなくっちゃ」
和茂が喜ぶ
「それにしても、弥生姉さんはお料理上手ですね」
律子が言う
「あら、りっちゃん、褒め上手!」
「姉ちゃん、若い頃は、遊び歩いてて、ウチになんか、寄りつかなかったぜ」
智之が笑いながら言う
「コラッ」
弥生も笑いながら、智之の頭を叩くマネをする
それを、ヒョイと避ける智之
「ともゆきお兄ちゃん、ママの若いころのこと教えて」
輪心が、智之にせっつく
「いいよ~」
「智之、ほどほどにしてよ」
「はい、はい」
弥生が部屋のキャビネットの引き出しから書類をおもむろに持って来る
「智之、それより、こっちのお願い事なのに、わざわざ来てもらっちゃってごめんね。これなんだけどね」
弥生が、持っていた書類を智之に渡す
智之が食事をする手を止めて、それをパラパラとめくる
「姉ちゃんの、頼みだから来たけど、俺ら医療費は限度額認定制度で何とかなるし、生命保険は掛け金が高いから、入らない主義なんだぜ」
弥生が少しだけ視線を落とす
「うん……知ってる」
少し経ってから
「でもね」
弥生が、顔を上げる
「仕事だからじゃなくて…家族だから言ってるのよ…」
場の空気が、少し変わる
「もし、何かあったとき…残された人が、困らない様に」
弥生が、律子の方をチラッと見る
智之の手が止まる
「姉ちゃんらしくねぇな」
「そうだよね」
弥生、少しだけ笑う
「でも、そう思ったの」
沈黙
「わかったよ」
智之が、ため息をつく
「食事終わったら、サインするから」
律子も、そっと書類に手を伸ばす
「二人共、ありがとう」
少し間があり
「それにしても、和茂さんと呑むの久しぶりですね。輪心ちゃん産まれる前だから、かれこれ、10年振りくらいですかね」
律子が言う
「そんなに経つかー。もっと頻繁に輪心に、会いにおいでよ」
「そうですね」
陽気に答える、律子
「りっちゃん、わこが産まれる前に、かずしげと呑んだの?」
「そう。与論の葵さんも、呑んだことあるよ。輪心ちゃんは、私の病院で産まれたの。私が輪心ちゃん、取り上げたんだから。産まれた時から、チョー美人だったよ」
「そうなのぉ! そんなの始めて聞いた」
輪心は少し驚いた様子で、照れ臭そうに笑った
「ところで、智之くん、何で保険入ってくれる気になったんだ?」
和茂が聞く
「はい。姉ちゃんの言葉もあったけど、俺ら、ラスベガスに行くのが趣味なんで。向こうで何か合った時の為に、と思いまして」
「成る程な。ラスベガスって、何が魅力なの?」
和茂が聞く
「煌びやかさです。テンションが、爆上がりのキラキラな世界観。24時間眠らない、眠らせない、眠りたくない賑やかでワクワクさせる、カジノやショップがあるところです。まるで、街全体が、ディズニーランドみたいなんです!」
「そうか…」
和茂が、頷く
「ディズニーランド!? すごーい! わこも行ってみたい」
「輪心ちゃん、今度一緒にベガスに行こうか!」
律子が言う
「ワーイ!」
食事が終わり、リビングに笑い声が残る
キッチン
水の音だけが静かに響いている
「りっちゃん」
弥生が、皿を洗いながら口を開く
「さっきの……保険の話、ありがとう」
律子は、手を止めずに答える
「いいえ」
少し経ってから
「ねえ、弥生姉さん」
「ん?」
「私達、本当に“守られてる”んですかね?」
弥生の手が、一瞬止まる
「どういう意味?」
律子は、少しだけ笑う
「だってさ、なんか……“入った方がいい気がして入った”だけだから」
弥生の胸が、わずかにざわついた
(違う……ちゃんと説明した)
そう思いながらも、言葉が出てこない
「でもね」
律子が続ける
「弥生姉さんが言うなら、きっと大丈夫って思ってますから」
その一言が弥生の中に、重くのしかかる
(私、本当に、この子達のこと、守れてるのかな?)
水の音だけが、やけに大きく聞こえた
リビング
「それでね、和茂さん」
弥生が言う
「なんだ?」
「私、毎週木曜日に営業会議なの。その後先輩に同行して反省会があるから遅くなるのよ。だから、この前駅の近くにできた『子供食堂』に、輪心と一緒に和茂さんも、行ってもらえないかしら」
「おっ、良いな。
『子供食堂』。でも、大人も行って良いのか」
「うん、あそこは大丈夫って、前を通った時、確認したわ」
「よし! 輪心、今度、見学行こう!」
「うん! かずしげと一緒なら、行く~」
「良かった」
弥生が胸を撫で下ろす
【おかえり食堂】看板
吉祥寺駅の近く
毎週、木曜日だけやっている
カフェを借りて、営業する子供食堂
中で、スタッフが3人程働いている
ドアを開けて、和茂と輪心が入って来る
「いらっしゃいま…」
言いかけたスタッフの動きが止まる
和茂と目が合う
「橘さん!」
「隆史君っ!」
「あー! ふくろうのオジチャン!」
輪心が言う
「オジチャンじゃなくて、お兄さんね」
隆史が言う
「橘さん、あの時は、ありがとうございました」
「そうか、そうか、この為の30万だったか」
「僕も、もう40になるので、まともに生きる事に決めました」
「良かったな」
「はい、お借りしてたお金は、必ず返します!」
「よろしくな! 利息も付けてなっ」
「はい! ところで今日は?」
「輪心と僕ちゃん」
和茂が輪心の肩に手を置く
「毎週、お世話になりたいの」
隆史は一瞬だけ目を見開き、すぐに力強く頷いた
「よろこんでっ!」
その声は、どこか懐かしくて、新しい始まりの音にも聞こえた
それぞれの“居場所”が少しずつ形になっていく
ふと、与論の風が頬を撫でた気がした
遠く離れていても、繋がっているものが確かにある
デキナイ男と病気の女
それでも、二人は
今日も生きている…
それでも、守りきれないものがあるとしても……