
自分が好きすぎて推しができない|帝王学思考の歪んだ承認欲求
お世話になっております。プロ道楽師のまるこフランキーです。
「推し」という文化、ありますよね。
僕の妻にも推しがいて、毎日とても楽しそうにしています。
そんな姿や、推しにワクワクしている人たちを見ていると、正直なところ、羨ましいなと思うのです。
なぜなら、僕には推しがいないから。
正確に言うと、僕の推しは僕自身です。キモいでしょ。
いや、僕だって推しが欲しいんですよ。
動画コンテンツもたくさん観るし、ゲームも触るし、感度高くいろんな作品に触れている自負はあります。
でも、いわゆる「推し」が生まれない。
これ、僕と同じように「推しがいない人」って、実は結構悩んでいるんじゃないかな、と思っています。
自分を言語化しすぎた結果、何も刺さらなくなった。
補足すると、僕は内省と言語化を繰り返すタイプの人間です。
時間が許せば、1日ノート3ページくらい、自分の心の動きを書き続けています。
駄菓子菓子、その副産物として、自分がどういう人間なのか、だいたい分かってしまった。
占い師さんに占ってもらっても
「はい、そうですね。知ってます。」
認知系の診断テストを受けても
「はい、そうですね。知ってます。」
占いも診断も楽しめない。
誰かがくれる「クリティカルな一言」が、自分の言語化を超えてこない。
「え、そんな一面もあるの?」
「そっちの趣味、やってみようかな」
そういう発見が、もう起きない。
自己分析を続ける中で、自分の弱点というか、あまりポジティブじゃない特性にも気づきました。
それは、「青天井に成長できて、世界制覇ができることしかやりたくない」という性質です。
極論を言うと、勝ち筋が見えないものに興味を持てない。
ここまで読んで、「それ、ちょっと分かるかも」と思った人がいたら、たぶん仲間です。
帝王思考は危険ですぞい。知らんけど
他人に興味がないとか、応援する暇がないとか、お金がないとか。
そういう理由の人もいると思います。
でも、僕の場合は違う。
推しの子がセンターを取ったら最高。でも、取れないかもしれない。表舞台に立たないまま、辞めてしまうかもしれない。
だから、応援する。
──その感情が、湧いてこない。
なぜなら、応援したところで、その人が青天井に成長する保証はないから。
例えばドラクエ。
勇者は最終的に魔王を倒すじゃん。世界を救うじゃん。
でも、推せない。
なぜなら、ストーリーは最初から決まっているから。
例えば大谷翔平さん。
ナンバーワンでも、推せない。引退のタイミングを、僕が決められないから。
彼の打率や年俸のハンドルを握っているのは僕じゃない。
株主でもない僕が、彼の不確定な未来に自分の感情という資産を投資するリスクが取れない。
だから、青天井じゃない。
いや、書いてて思いましたけど、僕はヤバいやつですね。
そりゃ誰も僕の思い通りにならないですよね。
他人ですから。
でも僕は、思い通りにならないことが、大嫌いなんです。
このレベルの承認欲求を持つ人間って、うっすら危険なオーラを放っていると思います。
そういう、僕らみたいなダークサイドの人間には、共通点があるのではないか。
それは、青天井に努力ができてしまう。ということ。
たいてい努力の背景には、過去のコンプレックスがある。
そして、どこかで「ワンチャン世界制覇できる」と思っている。世界の定義は、自分で切り取ればいいから。
誤解しないでほしいのですが、コンテンツをただ消費することが悪いとは思っていません。音楽も、アニメも、映画も、大好きです。
ただ、「好き」と「推し」は、別の世界線なんじゃないか。もっと高貴なものなのではないかと。
好きなキャラクターは、ベジータ、飛影、三井寿です。
要は、まだ厨二病を引きずっています。
彼らを推す唯一の方法は、僕自身が彼ら並みの限界突破を見せ、彼らを「僕の背中を追う戦友」にすることです。
世界を制覇した後の、完全なる統治者はポムポムプリンのみ。なぜなら、彼は世界を完全にコントロールしているから。
まるこフランキーでした。ではまた。