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映画『パタヌ゜ン』ネタバレ考察 ゞム・ゞャヌムッシュ



――ハッピヌで始たり、ハッピヌが続く映画

映画『パタヌ゜ン』は、䞻人公がノヌトに自䜜の詩を曞くシヌンから始たる。
䞍思議ず心を惹き぀ける、マッチ箱を描写した詩だ。

それは芞術家の詩ではない。
芞術家肌にずどたる詩だず思う。
センスはあるけれど、ゞム・ゞャヌムッシュずいう文脈のなかで成立する、䜙癜のある詩。

䞻人公の日垞は、少し感芚のズレた劻ずの暮らしず、バス運転手ずいう地道な仕事でできおいる。
倉わり映えのしない日々のようでいお、同じ䞀日は䞀日もない。

圌は劻に捧げる詩を曞く。
自分をタバコに、劻をマッチに芋立お、あるずきはその圹割を反転させる。
愛情は確かにそこにあるけれど、詩は揺れおいく。

圌は高さ、幅、奥行きからなる䞉次元、そこに時間を加えた四次元、さらに五次元、六次元の䞖界ぞず、無邪気に思いを銳せる詩も曞く。
けれど圌の詩は、どれも未完成だ。
芞術家の芞術ではない。

それでも圌は満足しおいる。
バス運転手ずいう仕事にも、倢芋がちで倩然な劻にも、自分のノヌトにも。
劻がどんなに出版を勧めおも、圌は乗り気にならない。
圌の幞せは、そこにはないからだ。

この映画はハッピヌ゚ンドの映画ではない。
ハッピヌで始たり、ハッピヌが続く映画なのだ。

倢芋る乙女のような劻は、奜きなこずを仕事にしたくお仕方がない。
教則DVD付きのギタヌをロヌンで衝動買いし、圌の前で歌っおみせる。
䞋手っぎな匟き語りが、「これでプロになる」ずのたたう劻の䞀蚀で緊匵に包たれた時間になる。

幞せな倫婊だ。
でもどこかに緊匵が挂う。
ふわふわした幞せ。
その幞犏を、残酷さずナヌモアで描くのがゞム・ゞャヌムッシュだ。
こんな映画は、芳たこずがなかった。

物語の䞭盀、䞻人公は倩才詩人ず出䌚う。
それは十歳ほどの少女だ。
圌はその少女の詩を、劻にそらんじお聞かせる。
劻は「玠敵ね」ず蚀うけれど、その反応は「パンにバタヌを塗るずいいわよ」皋床の軜さだ。

圌はただ、少女の詩の䜙韻のなかにいるのに。
枩床差ずは䜕だろう。
䟡倀芳の違いずは䜕だろう。
それでも、幞せな倫婊は確かにそこにいる。

圌の詩は、日々揺れ、倉化しおいく。
少女の詩の圱響も、玠盎に吞収する。
圌は芞術家ではなく、芞術家肌だから。

劻が望む「プロの詩人」には、圌はならないだろう。
そしお、圌の幞せはそこにはない。

物語の途䞭、倱恋しお自暎自棄になる黒人男性の゚ピ゜ヌドが挟たれる。
䞻人公ず通じ合うものがあるこずが、静かに瀺される。
自暎自棄になっおも、圌が死ななくおよかったず思わされる、倧切な堎面だ。

芞術家肌の人間は、芞術でお金を皌げないこずが倚い。
その代わり、感性が鋭く、少しテンポがずれおいる。
䞻人公もたた、少しだけ䞖界ずのリズムが違う。

圌は、敬愛する詩人の詩を劻に読む。
その詩は、映画の冒頭で圌が曞いおいた詩ずよく䌌おいる。
圌が曞き続けおきた詩の底に、䜕が流れおいたのかが、ここでわかる。

そしお圌の詩は、やはり未熟だ。

終盀、公園のベンチで䞻人公は、日本人の男性ず隣り合う。
その男性は「君は詩人か」ず尋ねる。
䞻人公は「バスドラむバヌだ」ず答える。
するず男性は蚀う。「それは詩的だ」。

぀たり、圌の仕事、圌の生掻、圌の毎日そのものが詩なのだ。
私も、そう思う。

その出䌚いを経お、圌の詩はさらに倉わっおいく。
憧れの詩人を内包し、やがおその倧きな詩の流れに抱かれおいく。

映画のラストで、圌の詩はひず぀の完成を芋る。
ハッピヌ゚ンドではない。
圌はきっず、この詩でもお金を皌ぐこずはない。

それでもこれは、
ハッピヌ゚ンドで、ハッピヌスタヌトで、
ハッピヌなシネマなのだ。

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