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「曖昧さの先にある可能性」を信じる

    3歳で診断を受けてから、私は本格的に本を購入し、「自閉スペクトラム症」について調べ始めました。

    仕事をしているため、読めるのはお昼休みや寝る前のわずかな時間。それでも少しずつ、ページをめくっていきました。

    「自閉症」という言葉は以前から知っていましたが、「自閉スペクトラム症」という名称はぽよの発達を疑った時に初めて知りました。

    調べていくうちに、ぽよが生まれる数年前から、自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー症候群などの名称がまとめられ、「自閉スペクトラム症」と総称されるようになったことを知りました。

    調べ始めてから、私の中にずっと残っている感覚があります。

    それは――
    「分かったようで、分からない」という違和感でした。

    「スペクトラム」とは「連続体」という意味で、症状の現れ方や程度が人によってさまざまであることを示しているそうです。

    つまり、「幅のある特性」を持つ状態。

    明確な線引きがあるわけでもなく、はっきりとした原因が完全に解明されているわけでもない。
    どこか曖昧さを含んだ概念のように、私には感じられました。

    調べれば調べるほど、
    言い切れない部分の多さに気づいていきました。

    曖昧さがあるからこそ、今の段階では確立された“治療法”が多いわけではありません。

    けれど私は、その曖昧な分だけ未来の可能性もあるのではないかと思っています。

    「脳機能障害だから一生治らない」
    それが今の世の中(特に日本)のスタンダードな考え方だと感じます。

    でも研究は今も進み続けていますし、支援や関わり方、環境によって現れ方が変わることも少なくないと知りました。

    インターネットで発達障害やASD関連の本を検索すると、驚くほど多くの書籍が出版されています。

    教科書のように体系立てられたものもあれば、
    これまで信じていたことが揺らぐような衝撃的な内容のものもありました。

    診断が出るまでは、どこか意地になって本に手を出しませんでした。
    けれど、「もっと早く読んでいれば…」と後悔した本にも出会いました。

    ただ、私にはそれが本当に正しいのかどうかを証明することはできません。
    エビデンスを示すこともできません。

    最近、ASDやADHDなど、発達障害と呼ばれる人が増えているように感じます。

    その中には、当事者や家族の不安や希望につけ込むような情報や商材も、きっとあるのだと思います。

    世の中には
    希望を煽る情報もあれば、
    絶望だけを強調する情報も溢れています。

    どちらか一方に極端に振れるのではなく。

    さまざまな情報や考え方を知ったうえで、
    わが子に合うものを自分で選び取り、試し、関わり続けていく。


    それが、今の私にできることなのだと感じています。



    私は、曖昧さの先にある“可能性”を信じて、今日もぽよと向き合っています。


    ※この記事は医学的な診断や治療を否定するものではなく、
    一人の親としての考えや感じたことを綴ったものです。

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