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救急搬送8回 ケガ、心臓、脳、そして胃 俺の傷病日記

    救急車が家の前に止まる。近所の人が心配そうに見ている。
    ・・・また、俺だ。
    そんな俺の「救急車人生」の幕開けは、36歳の冬のことだった。

    まずは数字から見てみよう。

    これまでに救急車に乗った回数は10回。

    そのうち、自分が救急車で搬送されたのはなんと8回である。
    さらに内訳を見てみると

    ・怪我による搬送が3回
    ・病気による搬送が5回

    という結果になっている。

    この数字だけ見ると、

    この人は体が弱くて不注意な人なのだろう

    と思われるかもしれない。

    しかし、意外に思われるかもしれないが、俺は若い頃、体力には自信があり、運動神経も良い方だった。

    救急搬送された俺はこんなヤツ

    ここで俺の過去を振り返ってみる。

    幼少期

    テレビゲームのない時代、
    外で虫やザリガニを取ったり
    ゴム飛び、かけっこ、野球、活発に遊んでいた。

    小学校

    運動会ではリレー選手に選ばれ、
    走り高跳びでは常に学年トップだった。
    これは中学3年生まで続いた。
    6年生の時には、市町村のサッカー大会で
    学校代表に選出された。
    少年野球チームにも所属していた。

    竹馬も得意で、落ちずにどこまで歩けるか試したが1Kmくらいの所で100円玉が落ちていたので、拾うために降りてしまった。

    中学校〜高校

    中学入学時には身長が170cm近くあり、
    バレーボール部に入部した。
    1年生から試合に出場し、
    2年生時にはエースアタッカーとして活躍。
    その実力が認められ、
    バレーボールの強豪高校からスカウトを受け進学することとなった。

    高校時代は強豪校ということもあり、
    すぐにレギュラーにはなれなかった。
    しかし、3年生時にはレギュラーとして県代表で全国大会に出場した。

    中学から高校まで、体育の成績は常に満点。
    マット運動等、模範演技をすることも多かった。
    倒立歩行ではバレーボールコートの外周を軽く1周は歩けた。

    大学〜社会人

    大学では選手としてではなく、
    女子高のバレーボール部でコーチを卒業まで続けた。

    また、バレーボール以外にもスキーを始め、
    友人から「上達が早い」と褒められるほどだった。

    しかし、社会人になってからは運動する機会がほとんどなくなった。

    それでも若いうちはスキーに行ったり、
    会社の球技大会に参加したりしていたが、
    30代になるとほとんど体を動かさなくなった。

    このように、若い頃はスポーツに打ち込み、
    体力には自信があった俺だが、
    なぜこんなにも救急車にお世話になることになったのだろうか。

    救急搬送1回目
    ~消えた記憶と血まみれの歩道~

    今回は、その最初の救急搬送、36歳の冬の日のことを話す。

    忘れもしない、12月30日のことだった。

    会社の納会があり、その後二次会、三次会と続いたが、終電の時間になったため、俺は一人で帰路についた。

    そこまでは覚えているのだが・・・。

    次に気づいた時には、歩道の端に腰掛けていて、
    「大丈夫ですか?」と声をかけられていた。

    どうやら額から出血していたようだった。

    通りすがりの親切な人から大量のティッシュをもらい、
    止血しながら駅へ向かった。

    しかし、出血はなかなか止まらず、
    ハンカチで押さえても地面に血が滴り落ち
    道路を血まみれにしてしまった。

    「これはまずい」と思い、近くの交番に助けを求めた。
    警察官に止血してもらっているうちに、
    いつの間にか救急車が到着し、

    そのまま病院へ搬送された。

    レントゲンを撮った結果、骨に異常はなく、
    額を1、2針縫うだけで済んだのだが・・・

    記憶喪失

    大事には至らなかったものの、
    一体どのように怪我をしたのか全く記憶にない。
    転んだのだろうか?

    酒には強い方で、
    飲み過ぎて気分が悪くなったり、
    頭が痛くなったりすることはあっても、
    記憶をなくすような経験はなかった。
    ひどく酔った時でも、意識は保たれていたはずなのだが・・・

    この出来事をきっかけに、
    俺の「救急車人生」が幕を開けることになった。

    今度はその数年後、40代に入ってからの話。

    続く体調不良
    ~原因は何だ?~

    ある日を境に、朝起きるのが辛くなり、
    仕事にも支障をきたすようになってきた。

    始業ギリギリに出社する日が続き、
    数か月後には遅刻や午後からの出社が増えてきた。

    会議中に人の話が理解できない。
    提出する書類にミスがある・・・

    周囲から心配され、上司の勧めで心療内科を受診すると

    「うつ病」

    と診断され、投薬治療を始めた。

    しかし改善の兆しはなく、
    むしろ新たな症状が現れはじめた。

    ・夜中に大量の寝汗をかく
    ・顔や手足のむくみが取れない

    そのような中、定期健康診断で肺に影が見つかった。
    そして再検査の結果で、肺に水が溜まっており、原因は

    「心臓の異常」

    である可能性が指摘された。

    その後、紹介された大きな病院で詳細な検査を受けることになった。

    飲酒が原因で救急搬送された時と同じく12月末の出来事。
    その紹介された病院は、
    前回紹介した流血事件の時に救急搬送された所と同じであった。
    何かの因縁か。

    年明けの入院

    年が明けて紹介された病院で色々な検査等を受けた結果、

     ・心臓の肥大(通常の1.5倍位)
     ・異常に高い脈拍(毎分140回)
     ・重度の体のむくみ

    これらが確認され、医師から
    即時入院を勧められた

    最初は翌日に再来院するつもりであったが、
    医師から

    「この状態で帰すわけにはいかない」

    と言われ、その場で入院することに。

    入院中は安静を保ちながら、
    さらなる検査を受けた。

    体のむくみや肺の水分は心臓の機能低下によるものと判明し、
    利尿剤の投与が開始された。

    早速、利尿剤の効果が出たのか、2,3時間のうちに
    500ccの計量カップで測れないほどの量が数回採取された。
    これにより体重が数キロ減り、むくみも改善した。

    見えてきた原因

    さらに詳しい検査で、血液の逆流が発生していることが分かった。

    弁が正常に開閉していないとの事。

    このため、心臓は通常の30~40%程度しか血液を送り出せておらず、
    それを補うために脈拍が速くなり、
    心臓が肥大していたとのこと。

    「常にマラソンしているような状態」

    と看護師に例えられた。

    「朝起きられない」
    「仕事に集中できない」
    のはそういう事だったのか。

    この状況を改善するため、
    弁の補強手術を受けることになり、
    心臓専門の病院へ転院することになった。

    救急車での転院

    転院は救急車を利用した。

    2度目の救急車だ。

    緊急走行はせず、交通ルール通りの走り方だった。

    緊急性がない場合でも

    安全を考慮して医師が同乗し、
    医療装備があり、
    いざと言う時には緊急走行できるように

    救急車が使用されるとのこと。

    このような形で救急車が使用されることを初めて知った。

    病名は「僧帽弁閉鎖不全」。

    転院先の病院では心臓の弁の補強手術を受け、
    脈拍は100回以下に落ち着き、心臓の肥大も解消した。

    退院後は約2か月の自宅療養を経て、無事に職場復帰できた。

    ところで「うつ病」って、何だったのだろうか?

    今回は救急車に乗る経緯と、
    このような救急車の使いかたの話を伝えたが、
    当時はこれがさらなる救急車との縁の始まりになるとは思ってもいなかった。

    40代後半に経験した3回目の救急搬送
    ~立てない~

    今回のこの出来事が、
    後に俺の人生に大きな影響を及ぼすことになったのである。

    予兆

    ある朝、目を覚ますと体調がすぐれなかった。
    体が重く、立ち上がるのもつらい状態。
    仕方なく少し休んでから出社することにした。

    1~2時間ほど休んだ後、
    「そろそろ行かなければ」と思い、
    ベッドから立ち上がろうとしたが、
    足がまったく言うことをきかない。

    ベッドに腰かけた状態から立とうと試みても、
    結局床にへたり込んでしまう始末。
    何度挑戦しても結果は同じ。

    不安になり家族を呼び、状況を説明すると、
    すぐに救急車を呼ぶことになった。

    救急搬送と診断

    搬送先の病院では、足が動かない原因として
    脳梗塞などの脳のトラブルが疑われ
    CT検査が行われた。

    その日はそのまま入院となった。

    しかし、検査の結果は「特に異常なし」であった。
    不思議なことに、自分自身も次第に普通に立てるようになり、
    再度の検査でも異常は見つからなかった。
    担当医からは
    「全く問題なし。一過性のものだろう」
    との診断を受け、退院した。

    退院後は特に問題もなく、普通に出勤した。

    ピンチの始まり

    しかし、この救急搬送は、後に俺の人生に大きな影響を与えることになった。

    実は、このとき脳に問題があったのである。

    後になって分かったことだが、

    この時の検査では見落としがあったらしい。
    この見落としが引き金となり、
    俺の仕事や日常生活に様々な支障をもたらした。

    会社ではこれまで通りのパフォーマンスを発揮できなくなり、
    周囲に迷惑をかけることも増えていった。
    精神的にも肉体的にもつらい日々が続き、
    この経験は俺にとって大きな試練となった。

    転倒虫
    ~繰り返す転倒~

    あれから半年。
    前回の救急搬送から、ようやく落ち着いた生活を送れると思っていた矢先だった。

    2、3ヶ月の間に、まるで何かに取り憑かれたかのように、
    俺は何度も転倒を繰り返した。

    転倒その1

    最初は、寝室で何の前触れもなく転んだ。
    「あっ、こけちゃった」
    そう軽く受け止めていた。

    転倒その2

    次の転倒は、自宅付近の歩道だった。
    急に足がもつれ、植え込みに倒れ込んでしまい
    脱出できなくなってしまった。

    脱出しようともがいていると、
    近くの商店の店員さんが助け起こしてくれた。

    「なんだったんだ?」
    と、寝室での転倒が頭をよぎり、胸騒ぎがした。

    転倒その3

    会社帰りの駅で、エレベーターを待っていると、
    突然足がガクガクと震え出した。

    なんとか改札までたどり着いたものの、
    ホームへの下り階段で力尽き、
    10段ほど転げ落ちてしまった。

    左の鎖骨を強打し、夜も眠れないほどの痛みに襲われた。
    整形外科では打撲と診断されたが、体の異変は明らかだった。

    転倒その4

    やはり会社からの帰り道、
    コンビニに寄ろうと歩いていると、
    また足がガクガクと震え始めた。

    今度は目の前がクラクラし、景色が回り出した。
    消火栓の鉄柱に掴まろうとしたが、
    そのまま植え込みに倒れ込んでしまった。

    動けずに途方に暮れていると、
    通りがかりの人が救急車を呼んでくれた。

    4度目の救急搬送

    運ばれたのは、奇しくも以前心臓の病気で入院した病院だった。
    診察の結果、告げられた病名は

    「ミトコンドリア脳症の疑い」

    良く分からない病名だ。
    なんでも、ミトコンドリアってヤツの機能低下が低下し、
    けいれん、脱力、意識障害など多様な症状が現れるらしい。

    3度目の救急搬送時の資料から、その兆候が見られたという。
    「もっと早く分かっていれば…」
    前回は誤診だったのか見落とされたのか、悔しさがこみ上げた。

    しかし、疑いの段階であり、有効な治療法もないという。
    「疲れないように」
    医師の言葉が、重く響いた。

    いつまた発症するのか分からない不安。
    それでも、この時から1年ほどは落ち着いた日々を送ることができていた。

    悪夢再び

    平穏な日々は長くは続かなかった。

    不安な日々が続いていた。
    仕事も生活も、すべてがうまくいかない。

    これまで仕事で大きな失敗をしたことなどなかった。
    システム開発の第一線でプロジェクトをリードしてきたという自負もあった。

    ところがその頃の俺は、

    期日を守れない。
    間違ったものをそのまま顧客に引き渡す。

    こんな、信じられないようなミスを繰り返していた。

    プライドはボロボロだった。

    自己嫌悪ばかりが積み重なり、
    次第に自信も失われていく。

    酒の量も増えていった。

    一日中、頭がもうろうとしている。

    何をしても面白くない。
    というより、何もする気が起きない。

    そんな日々が続いていた。

    金曜日の深酒

    ある金曜日の夜、俺はかなり深酒をしてから寝た。

    夢を見たのだが、
    どんな夢を見たのかも覚えていないが、
    どこかおかしな夢だったように思う。

    翌朝目を覚ましたとき、
    自分が自分ではないような、妙な感覚を感じた。

    眼鏡が合わなくなっている気がして、作り直すことにした。
    妻に付き添ってもらい、出かけることにした。

    ただ、前日飲みすぎたこともあり、少し寝てから行くことにした。

    後から振り返るとこれがポイント① だった。

    記憶の空白

    「病院いくよ」
    妻に起こされた。

    ここがポイント②

    俺は、眼鏡を作り直すのだから眼科に行くのだろうと思い、
    妻に確認した。
    妻は「そう」と答えた。

    マンションのエントランスまで行くと、救急車が止まっていた。
    救急隊員が俺に乗るよう促してくる。

    「眼科に行くのに、なぜ救急車?」

    そう思った俺は、必死に抵抗した。
    しかし、救急隊員の体力には到底かなわない。
    俺はストレッチャーに縛り付けられてしまった。
    そこで観念した。

    ・・・そこまでは覚えている。

    気づいたら病院のベッド

    次に気がついたとき、俺は病院のベッドの上にいた。
    妻と娘、そして看護師がそばにいた。

    話を聞くと、俺は 2日ほど眠っていたらしい。

    正確には、暴れるため睡眠薬で眠らされ、
    ベッドに縛られていたという。

    どうやら、

    ポイント①と②の間に

    俺は家の中を叫びながら走り回っていたらしい。
    訳の分からないことを叫び、
    暴れ、そのまま眠り込んだという。
    心配した妻が救急車を呼んだのだった。

    俺はそのまましばらく入院することになった。

    よみがえる奇妙な記憶

    入院しているうちに、
    ポイント①と②の間の記憶が、少しずつよみがえってきた。

    しかし、その内容はどれも奇妙なものばかりだった。

    • 自分が生まれる瞬間を、自分の目線で見ている
    • 梅干しの種で特許を取った
    • 定年退職してのんびり暮らしている

    どれも現実ではあり得ない、まるで夢の断片のような光景だった。
    この時、夢ではなくて、
    現実としてそんなことを叫んで暴れたのかもしれない。

    診断は、やはりミトコンドリア脳症が原因だった。

    だが、俺自身はこう思っている。

    それまで積み重なっていた
    強いストレスが引き金だったのではないか、と。

    プライドは傷つき、
    自己嫌悪と自信喪失が積み重なっていた。

    現場を離れる

    退院後、会社へ行くと、すでに事情は伝わっていた。
    俺は システム開発の現場から外されることになった。

    配属されたのは管理部門だった。

    数億円規模のプロジェクトを率いてきた俺にとって正直、悔しさもあった。
    だが同時に、心は少しずつ落ち着いていった。
    ここで気持ちを切り替え、与えられた仕事に取り組むことにした。

    転職活動、そしてコロナ

    しかし、やはり俺はシステム開発の現場に戻りたかった。
    転職サイトに登録し、転職活動を始めた。

    職務経歴や保有スキルだけ見れば、
    システムエンジニアとしての経歴はそれなりに立派だった。

    そのため、面接のオファーはよく来た。
    だが、現実は厳しかった。

    年齢と高額報酬。

    この二つがネックとなり、結果はことごとく不採用だった。

    世の中では コロナで騒がしくなってきた。

    転職活動どころではなくなった。

    俺は諦めて、今の仕事に集中することにした。

    やがてコロナが拡大し、会社でもテレワーク が始まった。

    テレワーク中の悲劇

    そして・・・
    またやってしまう
    ようやく落ち着き始めたと思っていた日常。
    数年経過したが、ミトコンドリア脳症の症状も現れない。

    しかし、テレワークの始まりとともに、
    俺は再び思いもよらない出来事を引き起こしてしまう。

    初めてのテレワーク

    コロナの影響で、会社でもテレワークが始まった。

    新卒で入社して以来、仕事は「会社でするもの」だった。
    だから、家で仕事をするというのは正直少し不安だった。
    不安の内容は意外と単純だ。

    出社しないなら朝寝坊してしまうのではないか。
    誰にも見られていないとサボってしまうのではないか。
    途中でテレビを見たりして、自己管理ができなくなるのではないか。

    そんなことを考えていた。

    思いのほか快適だった在宅勤務

    しかし、実際に始まってみると、その心配はまったくの杞憂だった。

    テレワークの勤務形態は、
    週5日のうち 3日は終日テレワーク、2日は出社。
    しかもそのうち 1日は午後出社だった。

    まず、通勤がないことで時間的余裕が生まれた。
    朝の起床もまったく問題ない。

    一人での仕事は、周囲からのちょっとした声掛けや割り込みがなく、作業に集中できた。

    終業後も「帰宅する時間」が不要になる。
    そのぶん自分の時間を有意義に使えるようになった。

    テレワークという働き方は、思っていたよりずっと快適だった。

    そして、やらかす

    そんな日々の中、淡々と仕事をしていたのだが・・・

    俺はまた やらかしてしまった。

    9月の、まだ暑い日のことだった。

    テレワークの昼休み、リビングでくつろいでいると、エアコンが少し冷えすぎてきた。

    温度を調整しようとリモコンを操作したが、反応しない。
    電池切れだろうと思い交換したが、それでも動かない。
    仕方がないので、エアコン本体の電源を一度切ることにした。

    脚立に上がり、前面フィルターのカバーを開けてスイッチを探していたときだった。

    ふっとバランスを崩した。

    飛び降りようとしたが、
    下を見ると昼食で使った食器が置いてあるテーブルがある。

    直撃するわけにはいかない。

    とっさに体をひねった。
    柔道の受け身のような格好で落下し、

    かかとを強打した。

    その瞬間、すさまじい激痛が走った。
    しばらく動けない。

    10分ほどだろうか、床に固まったままだった。
    それでも何とか起き上がり、
    とりあえずエアコンのスイッチだけは切った。

    痛みに耐えながら仕事続行

    気がつけば、昼休みはとっくに終わっている。
    痛みをこらえながら、俺はパソコンに向かった。
    足を床につけることができない。
    向かいの椅子に足を乗せ、なんとか仕事を続けた。

    そのうちトイレに行きたくなった。
    しかし、立ち上がれない。

    仕方なく、尻を床につけたまま腕の力で進むという、なんとも情けない移動方法でトイレへ向かった。

    救急搬送6回目

    その後、パートから妻が帰宅した。
    事情を説明し、病院へ行くことにしたのだが、問題があった。
    俺は自力で外に出られない。
    そして、体格差がありすぎて妻が俺を抱えて運ぶこともできない。

    正直、これくらいで呼ぶのは気が引けたが結局、
    救急車をお願いすることにした。

    これが
    6回目の救急搬送
    である。

    診察の結果、
    かかとの骨にヒビ が入っていた。
    こうして俺の 松葉杖生活 が始まった。

    テレワーク生活の延長

    松葉杖での通勤は難しい。
    結果として、毎日テレワークになってしまった。
    ちょうどテレワークの良さを感じ始めていた頃だったので、
    これはこれで少しラッキーだったのかもしれない。

    結局、出社できるようになるまで 1か月以上 かかった。

    ちなみに余談だが、
    脚立から落ちたときに エアコンのフィルターカバーを破壊 してしまい、
    エアコンそのものもお釈迦になり、買い替えるハメになった。
    痛い出費だ。
    踏んだり蹴ったりである。

    ~がんとの闘い~

    その後、俺はガンに侵されてしまう。

    手術、抗がん剤治療、放射線治療

    を行うが、回復しない。
    その間は休職することになってしまった。

    訪問診療、訪問看護を続けたが、
    残念ながら出社することはできなかった。

    とうとう休職期間が満了し、
    退職することになった。

    退職の日、退職書類の提出がてら片付けや挨拶をするために、久々に出社することにした。

    車で送ってもらおうと地下の駐車場に向かって階段を降りる際、
    足を踏み外して転倒

    そのまま10段ほど転げ落ちてしまった。

    背中を強打し頭部から出血、救急車で病院へ搬送されてしまった。
    背骨の軽い骨折と、頭部3針、腕8針の裂傷、脚打撲および擦り傷で、
    一週間ほど入院となった。

    結局出社できなかった。
    これで救急車に乗ったのは7回目だ。

    ここでガンの話を少々。

    まずは時系列で確認する。
    2022年9月
    ガンの手術を行う。

    2022年11月
    転移が確認されたので、抗がん剤の投与を受けた。
    緩和ケアの名のもとに、退院した。

    その間、訪問診療と訪問看護も続けながら、抗がん剤治療を行った。
    放射線治療も行った。

    2025年3月
    治療の効果を確認するため、PET検査を受けた。

    結果は・・・

    がんの気配は一切なし。
    医師と相談し、抗がん剤は中止することになった。

    病室でみた奇妙な光景

    突然の激痛

    その翌月、2025年4月
    胃のあたりに、少しだけ痛みを感じた。
    「何となく気になるな」という程度だった。

    しかし、2~3日後。
    その痛みは激痛へと変わった。

    俺は妻に頼み、訪問看護師を呼んでもらった。

    看護師の指示で痛み止めを飲んだが、まったく効かない。
    訪問診療の医師に連絡し、より強い痛み止めを使うことになった。

    薬剤師が薬を届けてくれた。
    しかし、それでも痛みは治まらない。

    俺のあまりの苦しみ方を見て、看護師はこう言った。

    「胃に穴が開いているかもしれません」
    医師と電話で相談した結果、救急搬送となった。

    これが、8回目の救急搬送だった。

    激痛の原因は・・・
    病院で検査をした結果、原因はすぐに分かった。

    胃に穴が開き、内容物が外に漏れていた。

    これが、あの激痛の正体だった。

    緊急手術が行われ、

    ・胃の穴を塞ぐ
    ・漏れ出た内容物を洗浄する

    という処置が行われた。

    担当医によると、かなり危ない状態だったらしい。

    漏れ出した内容物が感染を起こし、
    危険な状態になる寸前だったとのことだった。

    それ以上詳しい話は聞かなかったが、
    とりあえず俺は助かった。

    それにしても訪問看護師の判断は、本当にナイス判断だった。

    その後、約3週間入院した。

    入院中の「せん妄」

    せん妄の洗礼を浴びた。
    せん妄とは、身体的な負担によって一時的に脳の機能が乱れ、
    「意識のぼやけ」「急激な混乱」「幻覚」「興奮」などが現れる状態。
    (ネットの情報のより)
    例えば、こんなことが起きた。

    会社関係の幻覚
    「すでに退職しているのに、会社の夢を見る」
    例えば
    社員が病院まで押しかけてきて、ベッドの俺を無理やり会議に参加させる。

    病室の隣で社員たちが会議をしている。ウルさい。

    いつの間にかトランプ大統領が社長になっていて、社員に無茶な要求をしてくる。

    その他
    「病室でこっそり酒を飲んだ」
    夜中になると、ベッドの下からボトルを出してチビチビと飲む。

    実はガンの時にもせん妄に苦しめられた。

    ・不審者が病室に潜入してきた。
     看護師を呼び出して訴えたが、笑われた。

    ・病室の横でライブが行われている。
     ロックのような音楽が流れていた。

    ・スマホや電子機器が乗っ取られた。
     身に覚えのないアプリが勝手に起動される。

    ・同僚の女性社員に治療されている。
     素人に治療されるのが、非常に不安であった。

    ・絡まった釣り糸を必死にほどいている。
     釣りなんて、ほとんどしたことないのに。

    せん妄から解放された後、
    同室の人もせん妄になっていたらしい。
    「火事だぁ~」
    と叫んでいた。

    そういえば、オヤジが胃ガンの手術後に
    「木の箱に紙を入れてあるから取ってこい」
    など訳の分からないことを言っていたのを思い出した。

    せん妄になる人って、結構いるのかもしれない。

    今となっては笑い話だが、
    当時はかなりリアルだった。

    胃に穴が開いた原因


    では、なぜ胃に穴が開いたのか。

    原因は、抗がん剤の影響だった。

    俺が使っていた抗がん剤は、胃を荒らす副作用がある。
    そのため、胃の粘膜を守る

    胃薬(薬A)

    を飲んでいた。

    しかしその後、抗がん剤の影響で副腎機能が低下してしまった。
    そのため、回復させる

    薬(薬B)

    を飲むことになった。
    この副腎機能低下は、
    抗がん剤の影響の場合
    回復が困難とのこと。

    したがって、
    薬Bは一生飲み続ける必要がある
    と言われた。

    そしてここでミスが起きた。

    抗がん剤を中止したため、

    胃薬(薬A)をやめた。

    しかし薬Bも、
    実は胃に強い負担をかける薬だった。

    結果として、

    胃を守る薬をやめた
    ↓
    胃が弱る
    ↓
    胃に穴が開く

    ということになったらしい。

    抗がん剤をやめて喜んだのも束の間、
    まさか別の薬で胃に穴が開くとは。

    結局、ガンになったことが起因となって、
    救急搬送されてしまった。

    ここまで救急搬送8回を話してきたが、
    随分と公費を使ったものだ。
    申し訳ない。
    申し訳ないし、病気やけがはもう嫌だ。
    9回目の救急車はカンベンして欲しい。

    これ以上、救急搬送の記事を書き続けるのはゴメンだ。

    だから、このブログの続きが書かれなかったら、
    それは救急搬送されていない、
    すなわち無事で過ごしている証しだと思ってほしい。

    それが、俺にとって一番いい結末だ

     
     
    会社を退職しました。 銀行システムエンジニアで色々経験しました。 人生の中でも変な人を見たし、大きな病気もしました。 私が経験した事を書いていきます。 最近はテレビやSNSで「?」なこともコメントします。 面白いかもしれないし、役に立つかもしれません。 お気軽にご覧ください。

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