
あったぁ♡──人生最大の傷は、人生最大のギフトだった
それが“普通”だった。
休んでいるはずなのに、
思考だけがずっと走り続けている気がしていた。
いや、正確には──気づいていなかった。
それが普通だと思っていた。
むしろそれが、
“ちゃんと生きている証拠”だと思っていた。
止まっているほうが怖かった。
何もしない自分が怖かった。
価値がなくなる気がしていた。
何もなくなることが、
自分が消えることと同じに思えていた。
だから私はずっと動いていた。
いや、正確には──
動いている“つもり”ですらなかったのかもしれない。
それが私の普通だったから。
安心したかった。
元気になりたかった。
不安をなくしたかった。
ちゃんとした自分になりたかった。
だから私は、学び、働き、人と関わり、
“できている自分”を積み重ねていった。
でも気づくと、
安心に近づくほど、なぜか落ち着かなかった。
少し楽になると、また次を探した。
止まると、怖くなった。
また動いた。
また頑張った。
また自分を置いていった。
安心したいのに、安心に近づくと不安になる。
元気になりたいのに、元気になるほど落ち着かない。
止まったら終わる。
何もしなかったら終わる。
役に立たなかったら終わる。
そんな感覚が、ずっとどこかにあった。
だから私はずっと、
止まることよりも前に、“生きること”を選び続けていた。
でもその生き方には、ひとつだけ置き去りにされていたものがあった。
それが、今ここにいる私だった。
泣きたい私。
休みたい私。
怖がっている私。
動けない私。
その全部を、私は少しずつ後ろに置いていった。
でも本当は違った。
置いていこうとしていたのは、
“できない私”ではなく、
不安のある自分そのものだった。
静けさの中でだけ聞こえる声があった。
「もう十分だよ」
「少し休もうよ」
「ここにいるよ」
その声を聞かないために、私は動き続けていた。
学ぶこと。
働くこと。
誰かと関わること。
それをしている間だけ、自分でいられる気がした。
でも止まったとき、
すべてが静かになったとき、
胸の奥からいろんなものが浮かび上がってきた。
不安。
寂しさ。
空虚感。
ぽっかりとした穴。
それを感じるのが怖かった。
身体の痛みも。
疲れも。
不安も。
罪悪感も。
それは“問題”ではなかった。
止めるためのものではなく、
知らせるためのものだった。
「ここにいる」と。
私はそれをずっと誤解していた。
不安も同じだった。
消すものではなかった。
不安の奥には、
「生きたい」という願いがあった。
安心したい。
愛されたい。
ここにいていいと思いたい。
その願いが、
不安という形をとっていただけだった。
私はずっと思っていた。
安心できないのは、
自分が弱いからだと。
でも違った。
安心したら終わると、
無意識に信じていただけだった。
安心したら止まる。
止まったら価値がなくなる。
だから私は、
安心に近づいては離れていった。
でも今は少し違う。
安心は終わりではなかった。
安心は、
ようやく始まる場所だった。
頑張るためではなく、
生きるために。
証明するためではなく、
味わうために。
私はまだ完全に変わったわけじゃない。
また頑張る日がある。
また置いていく日がある。
でもそのたびに気づく。
「あ、まただった」
そして少し戻ってくる。
その繰り返しの中で、
ひとつだけ確かなことがある。
どれだけ離れても、
私は私を待っているということを。
気づいたときに戻ればいい。
何度でも。
「待っててくれてありがとう♡」
そう言いながら、
また手をつなげばいい。
それでもある時から、
身体がついてこなくなった。
朝だった。
カーテンの隙間から光は入っているのに、
身体だけが静かに布団へ沈んでいた。
「起きなきゃ。」
そう思うほど、
身体は動かなくなっていった。
疲れ。
痛み。
だるさ。
動けなさ。
それは壊れたのではなく、
「もうひとりで頑張らなくていい」
そう伝えてくれていたのかもしれない。
止まることは終わりではなかった。
むしろそこから、
自分に戻っていく時間が始まっていた。
人生最大の傷は、
人生最大のギフトだった。
失ったと思っていたものの中に、
ずっと“ここにいる私”がいた。
そしてある日気づく。
探していたものは、
最初からここにあった。
安心も。
愛も。
答えも。
本当の私も。
全部ここに。
あったぁ♡
その瞬間、
探す人生は終わるのではなく、
気づく人生に変わる。
人生は美味しい宝箱♡
泣いた私も。
迷った私も。
頑張りすぎた私も。
止まれなかった私も。
全部ここにいた。
だから今日も私は生きていく。
そして何度でも思い出す。
あったぁ♡
窓の外を見た。
いつもと同じ景色だった。
でも
私だけが少し違っていた。