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夜桜と

    すうぷ

    「夜桜とか、どう?」
    さりげなく誘ったつもりだが
    気を重くさせたかもしれない。

    断るのが億劫、そう思わせる緩慢な動作で
    スウェットをジーンズに履き替え
    私についてきた。

    久しぶりに外に出てくれた。私の機嫌が急によくなったことに勘づかれないよう、真顔を作る。
    この子が何もしないのを見ているのが苦しくて、思いつきで声をかけた。身勝手な動機を見破られているかもしれない。ビクビクしながら様子を伺う。
    少し気まずい空気が流れている‥
    それは今やデフォルトだ。気にしすぎても良くない。

    黙って並んで淡々と歩き出した。
    まだ3月だというのに上着がいらない程の暖かい夜だった。
    楽しそうには見えないけれど、苦しそうでもなくて、夜桜見物に誘ってよかったと思った。

    夜はほっとする。以前の私なら感じたことも考えたこともなかったこと。
    暗くて見えにくいから安心なのか、一般的な社会活動の時間が終わっている気楽さのせいなのか、気持ちの緊張が緩む。
    昼間、身を潜めるように家でじっとしている子も、夜になれば口数が増えて笑い声を立てながら動画を見ている。
    学校に行くことができなくなってから、日中に外に出ることはほぼない。病院などの用事がある時は玄関脇でさっと車に乗り込み、そのまま目的地まで車で送迎するか、知り合いに会うことのない乗り換え駅まで連れて行く。娘は歩くこともほとんどしなくなって、体重が増えてしまい、それ自体も悩みになっている。自分を嫌いになるスパイラルが止まらないらしいが、親が直接手出しして上手くいくことなど思いつかない。

    目指すのは歩いて20分ほどの用水路沿いの桜並木。住宅街の中にあって地元の人しか集まらない。毎年家族で散歩がてら花見に行って写真を撮ってきた。
    赤ん坊だった娘をを抱っこしている写真、幼稚園の制服を着せて前撮りした写真、ランドセルを背負わせて幼馴染みと撮った写真、兄妹そろってスマイル度低めの写真・・・
    懐かしがって花を見ているのは私だけで、娘はただ歩を合わせてついて来る。闇を照らすような桜の道に、この子の気持ちが少しでも上向いてくれたらと都合のいいことを望んでしまう。

    満開の一本が街灯の下にあった。ぽっと際立つ白さが浮かび上がり、妖艶なたたずまいを見せている。
    「一枚だけ写真撮ろうよ」
    ダメもとで声をかけたら、ピースサインを作ってくれた。小さなことがやけに嬉しい。顔には出さないように、はしゃいだりしないようにスマホの画像を確認する。わずかな笑みを浮かべている娘。無理させちゃったかな。
    今日、桜と撮ったこの写真も思い出のコレクションになって、いつか懐かしいと笑えるのだろうか。

    ようやく見物客が少なくなった夜の桜は、ゆるやかな風に小刻みに震えている。花も疲れて溜め息をついていそうだ。美しく咲いている時だけが桜なわけじゃないのにさ、と。

    歳を重ねるごとに傷を増やしながら桜の下に帰って来る私は、来年も再来年も思い出を振り返っては、切なくて泣きそうになるんだろう。
    人生のエンドロールにも満開の桜の映像が流れているといい。今際の時に西行法師を気取った私は心置きなく旅立ってゆけるだろうか。

    桜はただ優しく静かに時を重ねて行く。


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    昨日の夜桜の様子
    くだんの場所で。
    古いスマホの限界
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    用水路沿いに数キロ続く。

    桜に引き込まれ昔のことを思い出した。



    小牧幸助 さま
    よろしくお願いいたします。

     
     
     
    「煮込むほどに味わい」を目指す60’s。不登校を経験したわが子2人と過ごして、世間体にも人の顔色にも振り回されない自己選択を意識するようになりました。 藤井風さん推し。俳句・ピアノ・瞑想好き。

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