
20年暮らした憧れの街を離れて実家へ戻る。39歳人生リスタート。
地方出身、39歳独身、女。
18歳で大学進学を機に憧れだった大阪にやってきて20年。
ずっとこの街に住み続けるのだと当たり前のように思っていました。
でもこの夏、わたしは大好きな大阪を離れ、苦手意識の強い実家へ戻ることに決めました。
不本意で、情けなくて、悔しくて、とても悲しい。
なんでわたしはこんなにダメなんだろう、と自分に絶望もしました。
それでも、いくつかある選択肢の中から、今のわたしにとって、そして未来のわたしにとって、これがベターな選択だろうと自分で決めたこと。
これから、わたしの人生の第3章が始まります。
ずっと大阪に住み続けるはずだったのに
大学進学を機に大阪に住み始め、あっという間に20年が経ちました。
あっという間だったと思っているのは決して嘘ではないけれど、本当に本当にいろんなことがあった20年でした。
縁もゆかりもなく、知り合いもおらず、ただ「住んでみたい!」という気持ちだけでやってきた街だからこそ、楽しいことは数え切れないくらいありました。
でも、それと同じくらい、辛いこともしんどいこともたくさんあったのは事実。
新卒で入った会社は、ストレスでうつ病になり3年経たずに辞めることになりました。
そこから転職を繰り返し、3社目でも同じように仕事のストレスでうつ病になって辞めました。30歳のときのこと。
1回目のうつ病から復活したあと、本を読んだり、セミナーに参加したりして、自分なりに自分を変えたつもりでした。
でも、再発してしまった。
もっと根本から、真剣に自分と向き合って、自己肯定感の低さや物事の捉え方を改善していかなければ、きっとわたしは同じことを繰り返してしまう。
そう思って、数年かけて必死で自分を育て直しました。
ずっと自分のことが大嫌いだったし、こんな人生さっさと自分の手で終わらせたいと思ったことは何度もあります。
そんなわたしでも、30代半ばでようやく「わたしを幸せにしてあげるために生きてみよう」と思えるようになりました。
今はようやく人並みになれたのでは…?と思ってはいるけれど、果たしてどうだろう。
会社員という働き方が自分に向いていない気がして、いつか独立したいと夢見てあれこれ行動してきたけれど、それもなかなかうまくいかなくて。
いろいろな副業にチャレンジしたり、正社員を辞めて派遣社員に働き方を変えたり、心身ともに健やかでいられる自分に合った働き方を模索し続けてきました。
昨年10月からは、月12日は派遣社員として働き、残りは副業を…という働き方にも挑戦。
ただ、、、結果的にそうやって試行錯誤したことが、家計状況がどんどん悪くなる一因となり、今回の実家へ戻る選択へと繋がるのだけど。
こんなにいろいろあった20年だったけれど、実家や地元に帰ろうと思ったことも、両親に金銭的に助けてもらおうと思ったことも一度もありませんでした。
うつ病で働けなかったときも、傷病手当金と少ない貯金を切り崩しながら、なんとか乗り越えてきました。
絶対に実家にも地元にも帰りたくなかった。
なんとしても、大好きで快適で居心地のよい大阪に居続けたかったから。
大人になって親に頼るなんて恥ずかしいこと、情けないことだと思っていたし、自立した自分でいたい、という思いがとても強かった。
というのは、、、嘘ではないけれど、建前かもしれない。
本音を言えば、田舎が嫌で都会に出てきたこと、実家が決して居心地のいい場所ではなかったこと、両親とあまり価値観が合わないことも、「大阪で一人暮らしを継続する以外の選択はない!」と決めていた理由だったのだろうと思います。
過去に年に数回は帰省していた時期も、5日以上実家に滞在するとしんどくてたまらなくなるから「必ず5日以内に」などと対策をしていたくらい実家は苦手な場所で。
物理的に距離ができたからこそ、なんとか関係性を保てている感覚もありました。
ただ、4年程前、とある出来事をきっかけに、あまりにも価値観が合わず、「この人たちと関わっているとわたしは自分を幸せにしてあげられない」と強く感じ、すべての連絡先をブロックし、帰省することも辞めました。
育ててもらったことも、わたしの希望通り大阪の大学に通わせてもらったことも、本当に感謝しているけれど「もう無理だ」と。
つまり、この4年ちょっとは両親と一切の関係を絶っていて、二度と実家に帰ることも、地元に帰ることもないと思っていました。
だって、この4年がとても快適で穏やかな日々だったから。
ちゃんと「わたしを幸せにする選択ができた」と思っていたから。
憧れの街が自分に合うとは限らないのだろうけれど、わたしは実際に大阪に住んで、どんどん大阪が好きになりました。
このままずっと大阪に住み続けたいな、このままずっと大阪に住み続けるのだろうな、と当たり前のように考えていました。
一方的にではあるけれど、両親との縁を切ったことで、より一層その想いが強くなったのかもしれません。
今回、一旦実家に帰ると伝えた友人や知人からも「ずっと大阪にいると思ってたからびっくりした!」と複数人から言われたので、それが周りにも伝わっていたのだろうと思います。
20年変わらずずっと大好きで、むしろどんどん好きになっているくらいで、こんなにも居心地がよい大阪を離れる選択肢なんて、わたしには1ミリもありませんでした。
この街を離れる日がくるなんて、想像もしていなかったのに。
長年避けてきた実家に帰る決断をした日
今回実家に帰る決断をしたもっとも大きな理由は、金銭面の不安に限界を感じたことにあります。
「大人になって親に頼るなんて恥ずかしいこと、情けないことだと思っていたし、自立した自分でいたい、という思いがとても強かった」なんて言っていたくせに。
それも、勝手に連絡を絶って縁を切ったつもりだった両親に頼るなんて。
そんな自分が許せなくて、情けなくて、恥ずかしくて。
でも、自業自得とはいえ、そんなプライドも全部捨てて、頼らざるを得ないほど不安で押しつぶされてしまいそうな状況になってしまったのです。
わたしはもともと家計管理や貯金が得意ではなく、お恥ずかしながら、お金はあればあるだけ使ってしまうタイプでした。
20代の頃は「若いうちは自己投資!」と、学びたいことや挑戦したいことがあればどんどんお金を使っていたし、うつ病で働けなくなったときには、傷病手当金だけでは足りず、少ない貯金を切り崩して生活していました。
さらに、30代半ばで働き方を派遣社員に変えたことで、年収は100万円以上も下がり、切り崩した分を貯め直すことも難しくなりました。
とはいえ、派遣社員に働き方を変えたことは後悔していません。
派遣で働き始めた頃、「金銭的なゆとりはなくなったけど、今の方が圧倒的に幸福度が高い!」と感動したことを今でもハッキリと覚えています。
ただ、一人暮らしを継続していくには、どうしてもお金は必要なわけで…。
派遣社員になり、平日夜や休日に余力を残せるようになったので、本格的に副業に取り組んでみよう!と思うようになりました。
オンラインスクールに入ったり教材を買ったりしながら、「この投資額をさっさと回収して、それ以上に稼ぐぞ!」と意気込んでいたのですが、現実はそんなに甘くはありませんでした。
今振り返るとかなり楽観的な考えですが、いずれ会社員を卒業したいと考えていたこともあり、「会社員の仕事を減らして副業の時間を増やせば、もっと早く軌道に乗せられるのでは?」と、昨年10月からフルタイム勤務をやめました。
でも、実際には給与収入が減った分を副業収入で埋めることがなかなかできず、多くの月が赤字でした。
稼働時間に比例して収入が増えるわけではない、と当然わかっていたけれど、想像以上に現実は厳しくて。(というより、わたしの考えが甘すぎたのだけど)
ただでさえ少ない貯金。
毎月、確実に減っていく口座残高。
日々をしのぐためにクレジットカードの分割払いを多用し、銀行のカードローンにも手を出してしまいました。
「このままではまずい、一旦フルタイムに戻ろう」
ちょうど4~6月分の派遣契約更新後のタイミングだったので、次回は更新せず7月からフルタイムの仕事に戻ろう、と決めました。
もちろんこの頃は、実家に戻る選択肢なんてまったくありません。
フルタイムに戻ると決めたものの、7月からの仕事探しは悩みが尽きませんでした。
収入面を考えれば正社員に戻った方がいいのかもしれない。
でも、正社員の働き方が合わずに何度も身体を壊してきたのに、本当に大丈夫なのか。
心身の健やかさを優先するなら派遣の方が合っているのはわかっているけれど、収入面はそれでいいのか。
キャリア面談を受けたりもしながら「どうしたらわたしはここで生きていけるのか」、考えても考えても答えが出ない日々が続きました。
さらに、借金云々は友達にも話しづらく、誰にも言えずにひとりで悩んでいたことも、とても苦しかったのです。
わたしの状況では受けられる支援はないだろうと思いながらも、あまりにも限界で、自治体の自立相談支援窓口へ相談にも行ってみました。
全部自分が蒔いた種でしかないわたしが相談したところで迷惑なのでは…と思っていたけれど、相談員さんは親身になって話を聞いてくれました。
やっぱり活用できる支援はなかったけれど、話を聞いてもらい、家計管理についてアドバイスをもらっただけでも少し気持ちが楽になりました。
自分でめちゃくちゃにしてしまった家計の状況と、さまざまな求人を見ながら、ここで自力で生きていく道を必死で模索しつづける日々。
現実を直視し続けた末にたどり着いた答えは、
「心身の健康を優先して派遣でフルタイムに戻ろう。フルタイムに戻れば日々の暮らしはなんとかやっていける。ただ…切り崩した貯金を戻していくのは難しいかも…」
というものでした。
副業で成果が出れば、もちろんその分を貯金していくことはできる。
でも、稼働時間を増やしても思うように成果を出せなかったことで、すっかり自信をなくしてしまったわたしは、もういつものように「頑張ればなんとかなる!」と思うことができませんでした。
38歳も終わりに差し掛かっており、一生おひとり様かもしれないと思っていたからこそ、
「このまま貯金ができないままだったら老後はどうなるの?」
「老後以前に怪我や病気で働けなくなったら、この貯金額では一瞬で詰むよね?」
と、別の不安にも飲み込まれていきました。
自業自得だとわかってはいても、すべての自信を失ってしまったわたしは絶望的な気持ちでいっぱいでした。
そのうち、自律神経がやられたのか、ひどい動悸がするようになり、夜はなかなか寝付けず、朝は早朝に目が覚めるように。
このままではいよいよまずいかもしれない…と思っていたある朝のこと。
その日も早朝に目が覚めた瞬間、ぼんやりした頭に「実家に帰る?」という言葉が急に浮かんだのです。
自分でも信じられませんでした。
子どもの頃から居心地がよくなくて、脱出してきた場所。
もう4年も両親とは連絡を絶っていて、縁を切ったつもりでいたし、二度と実家にも地元にも帰らないと決めていたのに。
でも、その日、仕事中もずっとそのことが頭から離れませんでした。
たしかに実家に帰れば、一人暮らしを続けるよりずっと支出が抑えられる。
その分を、借金の返済や貯金にまわせば、数年でこのぐちゃぐちゃな家計を立て直すことができるはず。
目下の課題が家計を立て直すことであるわたしにとって、その点だけを考えれば、合理的な選択だと頭では理解できました。
でも。
あの家で生活できる?
あの田舎で生活できる?
大好きな大阪を離れられる?
そもそも、4年も音信不通だった娘を、両親が受け入れてくれる?
何もかもわからなくて、不安しかなかったけれど、前日まで選択肢にもなかったことが突然頭に浮かんで離れなくなったのは、何か意味があることのようにも感じられたのです。
翌日、覚悟を決めて4年ぶりに両親に連絡をしました。
なんて言えばいいのかもわからず、情けなさと、悔しさと、申し訳なさと、恥ずかしさとで、電話をかける前から涙が止まりませんでした。
いろんな感情でぐちゃぐちゃになったまま、電話が繋がって最初に出た言葉は「ごめんなさい」だった気がします。
両親の返事は「謝る必要ない、連絡してくれてありがとう」でした。
その言葉は、余計にわたしを情けない気持ちにさせました。
わたしはなんて最低なんだろう、なんて恥ずかしい人間なんだろう、なんてダメなんだろう…
何年もかけてやっと辞められたはずの自分を責める言葉たちが、また心の中に溢れて止まりませんでした。
ボロボロ泣きながら事情をすべて話した上で「家計を立て直せるまで2~3年を目途に実家に戻らせてもらえないか、そのあとはまた実家を出て生活したい」と相談をしたところ、両親は「もちろんいいよ」と即答でした。
本当は大阪を離れたくないこと。
頑張ればなんとかなるかもしれないけれど不安なこと。
とはいえ実家での生活はもっと不安なこと。
田舎での生活も不安なこと。
この歳で子ども部屋おばさんになるなんて情けなくてたまらないこと。
そのとき思っていたことのほとんどを正直に話した気がします。
子どもの頃から、親に本音をあまり話したことがなかったので、自分の気持ちをあんな風に話したのはおそらく初めてでした。
大阪でもう少し頑張ってみることも、実家に戻ることも、それぞれに不安があって、どちらを選んでも「本当にこれでよかったのかな」と思うだろう、という気がしました。
だとしたら。
今のわたしにとって、未来のわたしにとって、ベターな選択は?
そう考えたとき、不本意だけど、今は一旦実家に帰って家計を立て直すことがベターなのではないか、と思い至りました。
相談のつもりで電話をしたけれど、このまま2つの選択肢の間でぐるぐると悩み続ける自分の姿が容易に想像できたので、その場で答えを出すことにしました。
「一旦実家に帰らせてほしい」と。
わたしの人生に存在しないはずだった選択肢。
大阪を離れる日がくるなんて想像したことがなかったし、ましてや、引越し先が実家だなんて。
1週間前の自分に伝えても「そんなことありえない!」と言うだろうな…と思ったほど、わたしにとってとんでもなく衝撃的で大きな決断でした。
地方での仕事探しと揺れる気持ち
実家へ帰ると決めたからには後戻りできないようにと思い、マンションの解約届を出して、引越しの手配をして、と外堀を埋めるようにあらゆる手続きを進めました。
でも、不安は日に日に大きくなる一方でした。
18歳で地元を離れたわたしは、大人になってから地元で生活をしたことがありません。
生活の基準値が、すべて大阪仕様なのです。
当然ながら、大阪に比べると地元はとても不便で、この20年当たり前にあったものがなくなる、ということだらけ。
生活面だけでもすべてが未知すぎて不安なのに、さらに不安に拍車をかけたのは仕事探しでした。
大阪に比べたら、地方は求人も少ないだろうし、給与面も多少低いだろうな、と想像はしていました。
でも、実際に求人を調べ始めると、想像以上の現実に愕然としました。
あの街で普通に生活をしている人がたくさんいることはもちろんわかっているけれど、それでも「え、みんなどうやって生きてるの…?」という気持ちになってしまうほど。
(とんでもなく失礼な発言であることは承知しています…ごめんなさい)
でも、20年大阪で生活してきたわたしには、地元での生活は、不便で選択肢が少なくて、とても色褪せて見えました。
きっとそのうち慣れるのだろうけど。
仕事探しは、先々どうなるかまったくわからないので、動きやすさも考えて派遣で探すことにしました。
ただ、地元は車社会にもかかわらず、わたしは車の運転ができません。
その時点で、ただでさえ数少ない求人が、バス通勤が厳しいという理由で除外されていく、ということもあり、かなり厳しい状況に思われました。
登録面談の場でリアルな地元の求人事情を聞くうちに、今まで大阪で派遣の仕事を探すときに条件にしていたことは、ほとんど捨てなければいけないのだと痛感することにもなりました。
条件は「自宅からバス通勤ができる」「私の経歴で応募できる」の2点のみで探してもらいましたが、それでも出てきた求人はたった数件。
今までいかに恵まれた環境で仕事ができていたか、感謝の気持ちがわいてきたほどです。
転職回数が多いので、さまざまな環境で働いてきたけれど、大阪だったからこそ経験できたことが多々あったんだなあ…と。
紹介される仕事のほとんどは、「たぶん普通にできるだろうな」と思えるものではあるけれど、「いいな」とか「やってみたいな」と思えるものはありませんでした。
逆に、「これいいな!」と思った求人は、通勤が難しくて諦めざるを得なかったり。
今まで業務内容に興味を持てない求人に応募したことがなかったけれど、ここではそんなわがまま言ってられないよね…応募できる求人があるだけマシだよね…と言い聞かせていました。
そんな中、とても運よく、わたしにとって条件のよい求人を紹介してもらいました。
バス通勤しやすい勤務地で、地元の求人の中では時給もよく、業務内容にも「おもしろそう!やってみたい!」と思える部分がありました。
未経験な部分もあるけれど、これまでの人事経験を活かすこともできそうで。
何より、「この点は絶対に無理!」と思うポイントがありませんでした。
結果的にご縁があり、7月からそちらでお世話になることになりました。
もちろん、不安が消えたわけではありません。
むしろ、大阪で仕事を探していたら、きっと応募しなかっただろうなと思う求人ではあるし。
でも、今のわたしが置かれている状況や、地元の求人事情を踏まえて考えたとき、この仕事は「仕方なく選んだ」のではなく、「やってみよう!と前向きに選んだ」つもりです。
働いてみてどうしても無理だと思ったら、そのときはまた考えればいい。
少なくとも今は、生活を立て直すために、自分なりに納得して選んだ仕事だと思っています。
とはいえ、仕事が決まったからといって、不安がマシになったかといわれると全くそんなことはなくて。
仕事が決まらないかもしれないという不安が、今度は「ちゃんとやっていけるかな…」という不安に置き換わっただけなのかもしれません。
生活のことも、仕事のことも、どれも未知の世界すぎて想像もつかないから、たぶん不安で当然なのだろうな。
本当はもっと不安と上手にお付き合いできたらいいのだけれど、うまくできなくて、今はお薬の力も借りながらですが、一歩前進できたことは間違いないはず。
20年暮らした大好きな街との別れ
わたしが大阪に憧れたのは、高校生の頃にお笑いに人生を救われたことがきっかけです。
どんどんお笑いにハマっていき、劇場で単独ライブや寄席を観てみたいなあ…と夢見ていました。
わたしの地元から大阪へ行くには、特急電車で2時間半〜3時間。
高校生のわたしは、劇場まで観に行くことができなかったので、よくお笑いファンの方が書かれているブログを読み漁っていました。(まだSNSよりブログが強かった時代)
いくつかお気に入りのブログがあって、それらはわたしより10歳ほど年上のお姉さんが書かれていたものでした。
仕事帰りや休日に劇場に行ったことが綴られている記事を読んで、「この人たちにとっては、劇場に通うことって日常生活の一部なんだなあ」と感じたのです。
そして、「わたしも劇場通いが日常の一部になる生活がしたい!」と思ったのが、大阪に住みたいと思うようになった原点だったと記憶しています。
勉強は好きではなかったけれど、流されるままに通っていた高校は進学校だったので、大学に行くのが前提でしたが、大学に興味がなく、とりあえず地元の国公立に入ればいいんでしょ、という感覚の高校生でした。
そんなわたしが進路変更をしたのは、たしか高校3年生の秋。
大阪の大学に行く!と決めました。
だって「劇場通いが日常の一部になる生活がしたい」から。
もちろん、親にはそのことを話していませんでしたが、なぜだかしっかりバレていたことが後に発覚します。笑
「大阪に住みたい!」という一心で、勉強嫌いのわたし史上もっとも勉強を頑張ったのを覚えています。
「今頑張ったら、大阪に住めるんだよ!?劇場行きたい放題だよ!?」と自分に言い聞かせながら。
大阪に引っ越してきて20年。
今では当たり前になりすぎて忘れていたけど、わたしは「大阪に住みたい!」って夢も、「劇場通いが日常の一部になる生活がしたい」って夢も、20年ずっと叶え続けてきたんだな、と今回離れることになって初めて気がつきました。
大阪に憧れて、必死で受験勉強をしていた18歳のわたしに教えてあげたい。
「あなたのその夢、ちゃんと叶うよ。それも20年も。」って。
気がついたら、人生の半分以上を大好きな大阪で過ごしていました。
一旦地元に戻るから、数年もしたら、地元で過ごした年月がまた追い越してしまうだろうけど。
家計を立て直すことができたら、また大阪に戻ってくるかもしれないし、もう戻ってこないかもしれない。
未来のわたしがどんな価値観で、どんな選択をするのか、今はもう想像がつかなくなってしまって。
それでも、憧れた大好きな街で20年暮らした事実は消えないし、この20年の日々は、わたしにとってかけがえのない大切な宝物です。
地元での新しいスタートに向けて
引越しの日が近づいていて、大阪での生活は残り僅か。
大阪を離れたくないという気持ちは、今もまだしっかりとあります。
それでも、自分のために、自分で決めたこと。
情けない、恥ずかしい、申し訳ない、悔しい、惨め、悲しい、淋しい。
そんな感情も全部抱えたまま、わたしは前に進むしかありません。
10年後のわたしに「あのとき勇気を出して一旦実家に帰る選択をしてくれてありがとう」って言ってもらえるように。
人生って本当にわからないものだ。
絶対に自分が選ばないと思っていたことを、突然選ぶ日がくるのだから。
どうせなら、この道が今のわたしには想像もつかない「おもしろい人生」に繋がっていますように。
39歳独身、7月から人生の第3章がはじまる。
今回のことにまつわる記事は、こちらのマガジンにまとめています。
より詳しい経緯や、その時々の気持ちを書いた記事もあるので、よろしければどうぞ。今後も随時追加予定です。