螺旋的循環 記憶の底で眠っていた『螺旋』と再び巡り合うとき
循環、円環、そして、螺旋
小説や歌詞を創るようになってから、循環、円環、そして、特に「螺旋」に関心を持つようになりました。
循環も円環も、同じ場所をぐるぐる回りますが、螺旋は同じ場所には戻ってきません。
螺旋は、高さ、あるいは深さを変えて、もう一度巡ってくるのです。
この「螺旋」は、僕の小説や歌詞でも重要なモチーフとなっています。
表紙には、タイトルも著者名もなかった。あるのは「第二〇巻」という無機質な文字列だけ。それに、年輪のデザイン。いや、年輪ではなく、外縁から中心へと収束していく螺旋。中央部はわずかに盛り上がっている。指先を当てると意外にも温かく、人肌を思わせる質感。置かれていたのではない。待っていたのだ──その温度が胸の奥に届いてくる。
先日も『螺旋的循環』という言葉を含んだnote 記事を書きました。
だから、僕がさらに惹かれるのは「螺旋的循環」。
らせん階段を上るように、同じテーマ、同じ人との縁に何度も立ち返る。
けれど、立つ場所は毎回、少しだけ高く、少しだけ視界が広い。
そして、その一周ごとに、新しい言葉や、新しい出会いを、少しずつ取り込んでいる。
同じ円を描いているようで、実は上へ、外へ、そして新しいものを抱えながら開かれていく。
だから循環でありながら、開かれている循環でもある。
あいさんの今回の企画も、二人のやり取りをきっかけに、循環しながらも開かれていく螺旋なのだと思いました。
手塚治虫の『火の鳥 鳳凰編』
先日、手塚治虫の『火の鳥 鳳凰編』を読み、巻末の解説を数年ぶりに読んでいました。
『火の鳥』は大好きな作品で、1999年にニュージーランドに移住したときに日本から持ってきていました。
そして、ある文章と再会しました。
僕は『火の鳥』の最終回は猿田や牧村や左近介が赦される別の時空において存在するのであろうとおもっていた。『火の鳥』は円環をぐるぐると回り続けていたのではなく、輪を一周する度にわずかにでも上昇しているような螺旋状の円環の上を進んでいるのだとおもいたい。
この文章を読んだことは、完全に忘れていました。
けれど、初めて読んだ時の印象が鮮明で、記憶のどこかにずっとあったのだと思います。
小説に現れる螺旋も、note 記事の『循環的螺旋』も、もしかすると、この解説文がインスピレーションとなっていたのかもしれません。
循環的螺旋
この解説文との「再会」そのものが、循環的螺旋だと感じました。
何年も前に読んだ言葉。
意識できない記憶のどこかに残っていた言葉。
それが、初めて読んだときとは違う場所にいる僕のもとに、もう一度巡ってきた。
同じ言葉。
でも、受け取る僕は、あのときの僕ではない。
記憶の底から
もしかしたら、あなたにも、記憶にはないと思っていたのに、ある日突然浮かび上がってくる言葉や風景があるかもしれません。
それは、消えてしまったわけではなく、巡ってくるタイミングを待っていただけかもしれません。
あいさんの企画のおかげで、僕にとってのそのタイミングが生まれました。
この記事を読んで、あなたの心に浮かんだ何かも、いったん記憶の底に沈んでいくのかもしれません。
けれど、いつか、思いがけないきっかけで、思いがけない場所で、今とは違うあなたのもとへ、もう一度巡ってくる。
そんな螺旋を想像しながら、この記事を読んでくださったあなたとのご縁に感謝しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
日々の小さな気づきを綴った文章が、あなたのこの瞬間をほんの少しでも照らすことができたら嬉しいです。

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