
どんな空に出会いましたか?
私は、どんな時に空を見上げるのだろう。
ふと、そんなことを考えた。
忙しい毎日の中では、空がそこにあることさえ忘れている。
でも、空を見上げると、不思議と昔の記憶がよみがえってくることがある。
子どもの頃、雲の上に寝転がっていた
子どもの頃、私は畳の上に寝転がって、よく空を眺めていた。
青い空に、もくもくと浮かぶ白い雲。
「あの雲の上に寝転がったら、どんな感じなんだろう?」
ふわふわなのかな。
わたあめみたいなのかな。
だったら、少しずつ食べながら寝転がったら最高だな。
そんなことを本気で想像していた。
雲はじっとしていない。
風に流されながら、どんどん形を変えていく。
「あっ、犬みたい」
「今度は人の顔に見える」
「何かの動物みたい」
そんなふうに眺めているだけで、あっという間に時間が過ぎていった。
何かを手に入れたわけでもない。
どこかへ出かけたわけでもない。
お金だって一円もかかっていない。
それなのに、とても楽しかった。
今考えると、なんて贅沢な時間だったのだろう。
軽井沢の空が、あの頃の私を連れてきた
先日、軽井沢へ行った時のこと。
友人と一緒に芝生の上に寝転んで、空を見上げた。
大人になってから、芝生に寝転がって空を眺めるなんて、なかなかしない。
その日の雲は流れがとても速くて、次から次へと姿を変えていった。
ただ、それを眺めていた。
すると不思議なことに、心がどんどん軽くなっていくのがわかった。
「ああ、子どもの頃もこうして空を見ていたな」
遠い昔の自分が、ひょっこり戻ってきたような気がした。
大人になると「意味」を求めてしまう
子どもの頃は、空を眺めることに理由なんてなかった。
ただ楽しいから、空を見る。
ただ面白いから、雲を追いかける。
それだけでよかった。
ところが大人になると、いつの間にか「意味のあること」をしようとする。
役に立つこと。
結果につながること。
誰かに評価されること。
そして気がつけば、下を向いてスマートフォンを見る時間は増えたのに、空を見上げる時間は減ってしまったのかもしれない。
私がブルーを好きな理由
時には、雲ひとつない真っ青な空に出会うこともある。
どこまでも、どこまでも続いていく青。
海のように大きくて、広くて。
見ていると、自分の悩みまで小さくなっていくような気がする。
私は昔からブルーが好きだ。
それは、海が好きだからだと思っていた。
でも最近、もう一つ理由があることに気づいた。
私は、空も大好きなのだ。
海の青と、空の青。
どちらも果てが見えない。
だから私は、ブルーに惹かれるのかもしれない。
たまには、空を見上げよう
人生も、目の前のことだけを見ていると、行き止まりのように感じる時がある。
そんな時こそ、空を見上げてみる。
そこには壁もなければ、天井もない。
どこまでも続いている。
もちろん、空を見上げたからといって、何かが解決するわけではない。
それでも、心に小さな余白が生まれることがある。
そして、その余白があるだけで、また歩き出せることもある。
大人になった私たちにも、
雲を犬に見立てたり、
わたあめみたいだと想像したり、
そんな時間があっていい。
何の役にも立たない時間を、ただ楽しんだっていい。
たまには芝生に寝転がって、空を見よう。
そして、ほんの少しだけ子どもに戻ろう。
空は、いつでもそこにある。
見上げることを忘れているのは、
もしかしたら私たちのほうなのかもしれない。
今日、あなたは
どんな空に出会いましたか?