
「育児のせい」「妊娠のせい」「出産のせい」全部手放して目に見えないものをゴールにする
不妊治療の終焉。
喜びを感じたのも束の間、つわりがやってきて
運悪く子供の風邪がうつり咳喘息と結膜炎も発症。
思わず母にヘルプして遠方から来てもらった。
わたしは完全に精神的に参っていて、
いつも気持ち悪いし横になると咳は止まらないし
体は疲れやすく怠く、常に眠く
半分寝ながらワンオペ育児をこなしているような状態だった。
母に夜、泣き言を言った。
「わたしは、産前は風邪ひとつ引かなかった。
子供が生まれてから体調を崩してばかりだし
それでも育児は休めないし、
2人目も望んで不妊治療したけれどつわりが今回すごく辛い
わたしは育児できる器じゃなかった。
もう来世では絶対、子供産まない!!!」
完全なる勢いでの口から出まかせ
来世とか持ち出して訳わからない発言だ。
すると優しく聞いてくれてた母が
その時少し驚いた顔をして、ぴしゃりと言った。
「あのね、自分がしんどいからって
子供のせいにしちゃいけないよ。
子供は何も関係ないんだよ」
頭に雷が落ちるくらいの衝撃だった。
言われてみれば当たり前のことなのに、
わたしはずっと
「子供のせいで人生がしんどい」と
無意識に思っていたのだ。
涙が止まらなくなった。
そうだった。
わたしの体調が辛いこともしんどいことも
産まれてきてくれて元気に育ってくれている、
子供には何も関係ないことだった。
そしてなぜか、そこでフッと楽になった。
「子供のせいで」を手放せたからだ。
今ここでわたしがたった1人で、「勝手に」しんどくなっている。
誰も関係ないのなら、やっぱり自分と向き合うだけ。
そしてたった1人で、勝手に幸せになることもできるんだ。
「子供が産まれてから正直、
可愛い以外のメリットがない。
お金も自由な時間もなくなり、身体も全て変わってしまった」
そんな投稿をSNSで目にして
わたしも共感してしまった。
まるで目に見えることは全てがデメリットに感じる。
仕事と家事と育児のみの毎日が地獄の修行のように感じる。
「可愛いな」「愛おしいな」よりも
「しんどい」「イライラする」の比率が多くなり、
無償で他人に全てを注ぎ、自分が居なくなる感覚。
子供のためにフル稼働している体はいつもどこか辛い。
そう。
目に見えるメリットデメリットで測ってしまうと
「ないもの」ばかりが目につくんだ。
だけどその裏にセットで
目に見えない「なにか」がいつも、「ある」
それは「幸せ」と言葉にしようがない小さいものから大きいもの。
まず、妊娠。
つわりに重いお腹に自由が効かない毎日。
目に見えてしんどい以外の何者でもない。
でも、赤ちゃんと一体化して過ごすわたしの身体は喜びという感覚を常に感じている。
そして出産も。
息子を自然分娩で産んだのだが、
途中でナースコールして「お腹を切って出してくれ」と懇願したし、「これは現代の拷問だなあ」などと思った。
なのに。
陣痛の際に赤ちゃんを感じる波
自分の中でビッグバンが起こっているような
とんでもないエネルギーの爆発。
なぜか痛みよりこっちの感覚が忘れられない。
そして、
子供が産まれて、夫との対話が増えて絆が深まったこと。子供を通して、夫や自分の知らない一面を知ること。
自分と向き合う回数が増えること。
子供の寝顔を見つめる瞬間。
聞こえる寝息。
柔らかいほっぺた。
そこに、小さな命の爆発が育って走り回っている不思議。
それが幸せなんだよ、などと
綺麗事を言われたらぶん殴りたくなるような日もある。
だけど
もしかしたら目に見えるメリットデメリットを測っていたら、わたしはずっと「何かのせいにして」しんどいままなのかもしれない。
目に見えない、でもたしかにそこにある「感覚」
これは「子供」も「家族」も「社会」
外側のすべてが関係なく、
「わたしだけが感じられるたった一つの光」で、
そこに答えも幸せもすべてが詰まっている気がする。
子育ても、人生のすべてにそれがあって
そこを感じ取ることに少し注意を向けてみる。
すると、そこに「なにか」がある。
それを味わうことが、もうゴールでいいんじゃないか。
「わたしはとても幸せである」のゴールとしてしまっても、いいんじゃないか。