
[南方戦線物語]『おっちゃん』の太平洋戦争 ~"死ねば問題解決""みんなで死のう"の時代を生き延びて戦後に実業家として成功した人のホンネ~ 1万1190字

プロローグ:南方戦線で戦って捕虜になった『おっちゃん』
50年近く前に親戚の『おっちゃん』が話してくれた戦争中の体験談である。『おっちゃん』は関西の財界の大物。私が養子に行くことになっていた人物。養子話は実母がひねり潰して御破算となった。以降、私は『おっちゃん』には会っていない。

今回の執筆にあたり、実際の出来事との整合性を見ました。『おっちゃん』の話はほぼ事実であり、ちゃんと追跡できました。
全国民が国&軍からの命令に絶対服従したわけではない
太平洋戦争を回顧する特集がマスコミで増える季節になりました。
――悲壮な…
――悲惨な…
――愚かしい…
――無謀な…
太平洋戦争については必ず"お約束の形容詞"がつきまといます。

政府&軍の政治宣伝&命令に日本人全員が"鬼畜米英、撃ちてし止まむ"などと叫んで素直に従っていたわけではありません。
政府&軍の政治宣伝&命令に疑いを覚えた人たちは、自分自身が潰されないよう、巧みに動きました。その一人が『おっちゃん』でした。
以下『おっちゃん』の会話風で記述していきます。
戦時中のコンテンツはどうしても白黒写真&白黒フィルムがほとんどのため、現代人の我々から見れば、いまひとつ実感がわきません。今回は、着色されたコンテンツのみを採用することで、現代社会との連続性を示してみました。
閲覧時のデータ容量が重たくなることをご容赦ください。
『おっちゃん』の南方戦線物語
日本は日華事変で物資不足→そこへ大東亜戦争へ突入
ワシの家は裕福だけど、日華事変からは"物"が無かった。おカネがあっても物が無くて買えなかった。物資統制のせいだ。漁港だから食糧には困らなかったのが幸いだ。
戦前の日本はめちゃくちゃ豊かな国だった。戦前に牛肉のステーキを食べたことが何回もある。日華事変ですべてが変わった。そこへ大東亜戦争が始まった。

家計を助けるために軍へ入隊
ワシは軍隊に入って口減しになろうと考えた。ワシの分の食事が浮くし、周囲からの評判も良くなるから。


従弟たちも何人かが同じ師団にいた。目端の利くやつらはみんな軍隊に入った。
地元には善通寺第55師団があった。後にニューギニアでのポートモレスビーの戦いにからむ軍隊。おっちゃんもこの戦いに参加した。



従弟の1人は陸軍中野学校へ抜擢され、中国本土の民撫工作に従事した。
この人が戦地から送って来た写真は、検閲のせいで本人以外の人物がほとんど切り取られており、小さな断片みたいな写真が多い。『日華親善野球大会』の代表選手として出場した写真があるし、中華民国臨時政権の汪兆銘とおぼしき人物とのツーショットもある。モンゴル向けやソ連向けの民撫工作にも従事していた模様。
現地で戦死したとのことだが「あの人が死ぬわけない。どうせ中国人かモンゴル人として生き延びているよ」と周囲は言っていた。


当時は『満州でひと山を当てる』『南方天国』と言われていた。満州や東南アジアへ行けば物がたくさんあって、豊かな生活ができるという話。『外地』と呼んでいた。
日本本土『内地』の貧しい生活から逃れるために軍隊に入るやつが多かった。

ワシは、英語の辞書と、中国語・マレー語の語学講座の本をずっと持っていた。
「敵性語として英語は禁止された」という話は、見せしめ用の話。「大っぴらに英語をしゃべるな」ということであって、戦後にマスコミが大袈裟に話を煽っている。
英語がそこそこできる奴は軍隊で重宝された。
軍隊は弱い者いじめが大好き
「軍は正義」「軍は聖職」などと当時は言われていて、あこがれもあった。
ところが、イジメの毎日だ。上級兵から呼び出されて、難癖つけられて、殴られる。新兵は全員やられた。







カツアゲも当たり前。上官は何も言わない。尊敬できるような上官はいなかった。(軍隊はそういう場所なのだ)と学んだ。





二・二六事件で軍隊は庶民から人気があったけど(それは一面だけだ)と薄々わかってきた。「軍人たちは自分の出世のために戦争を続けたがっている」というホンネも見えてきた。


イジメがひどいので、気ごころ知れた仲間の間では「戦場に行ったら、真っ先に上官から撃ち殺そうぜ」と冗談半分で言い合っていた。
ニューギニアへ遠征:お腹いっぱいで、ケンカせず
師団はニューギニア島へ派遣された。日本が制海権をまだ握っていたから、無事に着いた。

『南方天国』は本当だった。あんなに食べ物に恵まれたのは日華事変以来だった。


お腹が充たされるとニンゲンは喧嘩しなくなるみたいだ。あれだけ大嫌いだった上官たちだが、ごきげんで、良い人になった。実は、みんな良い人だった。内地では鬼か夜叉かに見えた人たちなのに。
わかって良かった。お腹が空いて、みんながイライラしていたのだろう。


みんなが仲直りできた。飢えることは罪作りだと思った。「戦場に行ったら、真っ先に上官から撃ち殺そうぜ」は取り消した。

米豪軍を蹴散らす!…飛行場はセメントで"手作り"
初めて鬼畜米英と遭遇した。南方天国で腹ごしらえできたし、アジア解放の聖戦だ、白人どもをやっちまえ、ってな感じで、勢いで勝った。


――鬼畜どもは、たいしたことないな!
――桃太郎の鬼退治でござる!
…とみんなで大笑いした。団結心が高まった。

ニューギニア島で飛行場を作ることになった。鍬や鎌で草刈して整地して、石拾いして、セメントを手でこねて、ペタペタと…手作り飛行場だ(笑。
1週間でセメントが乾いた。ゼロ戦がいっぱい飛んできて、がたがたの滑走路を行き来した。みんなで万歳三唱した。

『ゼロ戦』は"躍進日本"のシンボルだった
『おっちゃん』が参加したのはホーランジア飛行場建設工事。昭和18年=1943年3月に完成。

赤点:島の首都であるポートモレスビー 黄点:ホーランジア飛行場
米軍の猛反撃で大混乱→山を越えることに
米軍が大反撃を開始した。なぜか日本軍はこてんぱんに負けるようになった。ゼロ戦が撃ち落されていく。米軍の戦闘機ばかり飛んできて空襲される。

転進の命令が出た。「ジャングルを抜けて海岸に出ろ」と。「陣形の立て直しだ」と。
みんな陽気なもので「ジャングルの大蛇を食べながら、のんきに行きますか」などと言い合った。
――持久戦、どんと来い!


ジャングルは悲惨
いざジャングルに入ると、危ない動物や昆虫がいっぱいいた。
――大きな猿の集団:幻の『ギガントピテクス』??
――虎
――鰐
――毒蛇
――蠍
――毒蜘蛛
――人喰い蟻
日本ではお目にかからない生物ばかりだった。

得体の知れない野蛮な部族からも襲われた。
最初の数日でかなりの兵隊が蚊に咬まれてマラリアになっていた。
飲み水が無い。どの水も泥水で、飲めない。飲むと下痢する。水筒の水は貴重品になった。
「ジャングルの大蛇を食べながら、のんきに行きますか」なんて笑っていたのは三日目まで。みんな意気消沈して、マラリア患者を運びながら山をトボトボ歩いた。
大蛇を機関銃で撃ち殺すも、肉は臭くて食べられなかった
体長20メートルの大きなニシキヘビが目の前にいた。ニンゲンを丸呑みできるほど大きなヘビ!

拳銃ではビクともしなかったので、ワシらは機関銃で頭をぶち抜いて退治した。

――これはごちそうだ! 何百人分の食糧かな!
さっそく肉を切り裂いて、火であぶった。臭いが、ウンコの臭いがする。嫌な予感がしながら食べてみたら、ウンコそのものの食感と臭いだった。食べられない。
「ジャングルの大蛇を食べながら、のんきに行きますか」は幻に終わった。せっかくのごちそうが幻に終わった。
ヘビは血抜きしないと食べられない。お腹に糞がたまっていることもある。全長20メートルのヘビの血抜きは時間がかかりすぎるけど。
ワニの肉なら、そのまま焼いて食べられる。しかも、すごく美味しい。ワニを獲ればよかったのに… byざっくばらん
米豪軍に挟み撃ちされ、上官たちは切腹
ふらふらの中、米軍との接近戦になった。腹減って、マラリア患者ばかりで、戦闘にはならない。最初に勝った時とは真反対だ。

上官たちは状況判断がつかず、命令はヤケクソだった。敵が十字砲火を構えているところへ「最後のご奉公で突撃せよ」と命じたのだ。
(あほか!)と思った。無駄死だ。

日本軍が白兵戦に持ち込めた突撃作戦は太平洋戦争の初期のみ。
米軍が十字砲火陣地を構築して以降の突撃作戦は死者を増やすだけだった。
ワシらの目の前で、上官たちが米軍に向かって啖呵を切って切腹した。かっこいいとは思わなかった。
(兵隊たちをほったらかして無責任すぎる。しかも敵を挑発して興奮させやがって! なんてことしてくれるんだ!)――と思った。

バカ真面目に、本気で、十字砲火に突撃する兵隊もたくさんいた。無駄死だ。

やってられないので、ワシは「突撃してすぐ撃たれた」というフリをした。地面に伏せておれば敵の十字砲火に当たらない。同じことを考えたやつが何人かいて、生き残った。

(ここで死んだら無駄死だ。次の戦いでやり返して見せる!)と心に誓った。
山を無事に越えたのは百人もいなかった
米豪軍に蹴散らされ、マラリアの兵士はジャングルでほとんど死んだ。食料と水がまともに無いから、飢えて死ぬ兵士もいた。
命令通りになんとか到着したのは百人もいなかった。体調の思わしくない者は内地や別の場所へ後送された。五体満足なのはワシら20人ほどだけだった。


ご飯をもらって数日の間養生したら、サイパン島へ行けと言われた。

地獄のサイパン。ここでも無駄死。偽装投降して米軍に一矢報いることに
サイパン入りしてまもなく、米軍が押し寄せた。十字砲火どころではない。すさまじい猛攻撃だった。


ここでも「最後のご奉公だ。自決せよ」と触れ回る軍人たちがいた。自殺の無理強いだった。サイパン島では、民間人にも自殺を無理強いしていた。

(なんですぐ自決なんだよ? やり返せよ? どうして、そういう発想がないのだろ?)――とワシは軍の命令が情けなく思えた。

ワシは考えた。
――ワシは犬死しない。米軍にひと泡吹かせてから死んでやる。そうでないと気が済まない!
ワシは偽装投降した。英語はちょっとわかるから。日本人が続々と自決していく中、ワシは投降した。米兵たちはびっくりしていた。日本兵が投降したことと、ワシが英語をしゃべることで。

英語をしゃべったら、米兵が親近感を持ってくれた
どうやら胃腸病を患っていたらしく、米軍基地の病院で治療を受けた。衛生的で、きれいだった。物が無い日本軍とは大きな差があった。
ワシはあくまで偽装投降だ。基地の内部事情を探り、どこをどう攻撃するか思案した。歩けるようになると、積極的に歩いて、基地を調べた。英語を多少解するから、米兵たちは親切だった。ワシがうろうろしていても、逆に丁寧に教えてくれた。

そのうち、米兵たちは「これはお前に特別だ」と、果物やチョコレートやジュースや缶詰をワシにくれるようになった。アメリカの豊かさを痛感させられた。
――なんで日本人は投降せず、自殺を選ぶのか?
…米兵たちには一番の謎だった。

戦陣訓:生きて虜囚の辱を受けず。
「捕まるくらいなら死ね!」と大多数の日本人は解釈していた。
――そういうふうに教育されている。それがカッコイイと思っている。ニューギニアでは、十字砲火の中に突撃命令が出て、たくさんの兵隊が喜んで万歳突撃して死んだ。上官たちは米軍の前で切腹した。でも、ワシはカッコいいとは思わない。
「ワシはカッコいいとは思わない」と答えると、米兵たちは「お前は日本人でも常識のあるやつだ」と言った。

アメリカはアスファルトの空港をたった一日で造った!
数日後、米兵たちが「部屋の換気をせよ」と日本人捕虜へ通達した。窓を開けると、暑くて眩しい日差しが照っていた。
外には、見たことの無い大きな機械類があった。何の兵器なのかと思っていたら、その機械類がフル稼働して、たった一日で、大きな、アスファルトの滑走路を数本も作った。

ワシらはニューギニアで、セメントを手でこねて、でこぼこの滑走路を、一週間かけて作った。アメリカは、アスファルトでできた、綺麗な、平らな滑走路を、何本も、たった一日で造った。

テニアン島のハゴイ飛行場の話。実際には丸二日かかっているが「あっという間に立派なアスファルトの滑走路が数本できた」のは事実。

アメリカは重機類を動員して、たった二日間で完成させた
工事用機械類を実際に触らせてくれた。米兵たちに感謝!
ワシは仲良くなった米兵たちにきいた。
――あの機械類は何なんだ? すごい機械類だ。日本も欲しい。あんな機械類があれば、工事がはかどる。

――じゃ、見に行こう!
米兵たちは、ワシを機械類の近くまで連れて行って、実際に触らせてくれた。技師を呼んで、目の前で運転して見せてくれた。大きな機械をたった一人で運転しているなんて信じられなかった。
ワシは機械の迫力に驚くと同時に、最新の機械類の素晴らしさで感動した。

米兵たちはワシに丁寧に詳しく説明してくれたが、専門用語だらけで、当時のワシの英語力ではわからなかった。とにかく素晴らしい工事用機械類だった。

今でいうブルドーザー、ショベルカー、グレーダー、ロードローラーらしい。

B29を初めて見た! 工業力&技術力の違いに圧倒されて自爆テロを放棄
その後、見たこともない巨大な飛行機が続々と飛んできた。銀ピカで眩しかった。

すごい数だった。目の前の滑走路は、その巨大な飛行機でいっぱいになった。

仲良くなった米兵たちが話しかけてきた。
――あの爆撃機で東京を攻撃する。あの爆撃機の胴体は焼夷弾でいっぱいだ。日本はすぐに負けるだろう。






ワシは正直に言った。
――あんな大きな飛行機が空を飛ぶなんて信じられない。それも何十機もある。あなたたちの工業力と技術力は信じられない。ワシは日本は世界でも有数の工業国だと思っていた。ナチス・ドイツが世界一の工業力と技術力を持っていると思っていた。
――空港をたった一日で造り、あんな大きな爆撃機を飛ばす、あなたがたの国がうらやましい。日本も早く、あなたがたの国のような工業力と技術力を持ちたい。
ワシは思った。(そもそも、アメリカの工業力と技術力を知っていれば、戦争なんかしなかった。国に騙されたようなものだ。)――と。

ワシは自爆テロ計画を諦めた。すべてでアメリカに負けている。ここで米兵を数十人殺したところで、大勢には影響ない。日本の負けは確実。むしろ、今からの日本をどうするのかを考えた方がいい。日本は空襲をされたら、あの機械類が必要だ。あの機械類を日本に持ち帰りたい。
米兵たちは言った。
――我々はコーヒーを飲みながら東京を空襲する。日本人はその下でたくさん死ぬ。日本には早く降伏して欲しい。このままでは犠牲者が増えるだけだ。


我々はコーヒーを飲みながら東京を空襲する。日本人はその下でたくさん死ぬ。
――コーヒーを飲みながら東京を空襲する。
…に、工業力と科学力の差を痛感した。
帰国後、B29の大空襲と原爆を知る
戦争終結後すぐにワシは米軍の飛行機で日本へ戻れた。米兵たちはいっぱいお土産をくれた。英語がそこそこ解せることで米兵たちが特別扱いしてくれたようだった。「また会おうぜ」と、連絡先を教えてくれた。

四国まで米軍の飛行機で来て、田舎の駅までは米軍のジープで送ってもらった。駅からは徒歩で家へ向かった。3時間ほど歩いた。入隊前と変わらぬ風景に、ほっとした。
田舎では「なぜ死ななかったのだ! 非国民め!」と玄関で父親から怒鳴られた。しばらく玄関で立っていたら、父親と母親が泣きながらワシを抱き寄せた。

――アメ公のせいでめちゃくちゃだ。アメ公が憎い!
――原爆まで落しやがって! 鬼畜米英だ!
家族はみんなそう言うので、ワシは、サイパンで見た光景を話した。大きな機械類、目の前で見たB29のこと…
――おまえ、B29を間近で見たのか?
――はい。それそれは大きな大きな飛行機で、あんなものを空に飛ばすアメリカの技術力に圧倒されました。

田舎はB29の空襲は無かったが、空飛ぶB29の編隊はしょっちゅう見ており、あまりにも近くに見えるから、母親は「近くに来たら竹槍を投げれば当たる」と思っていた、という。情けない話だ。
――いやいや、とんでもなく大きな飛行機です。だから低空飛行に見えるのです。
家族はみんな、驚いた。
――工事用の機械類が素晴らしいのです。工事用の、すごい機械類がアメリカにはあります。人足の何百人分もの仕事をする機械があって、たった一人が運転しています。今からの日本の立て直しに絶対必要です。素晴らしい機械です。何とかならないかな、と考えてます。
――ほう。くわしく聞かせろ。
商売人の父親が興味を示した。
日華事変以来の甘いお菓子に家族が涙した
ここでようやく、米兵たちからもらった食料を家族に見せた。
贅沢品から遠ざかっていた家族は「久しぶりにみるなあ!」と一斉に声を上げた。クッキーやらチョコやらキャンディーやら、甘い物。日華事変前以来の甘いお菓子だった。
家族全員が黙々と食べた。みんな涙が出て来た。
――たくさん死んだ…。×××オッサンも…●●さんも…△△君も…
――×●×さんも…
数えてみれば、この小さな集落だけで20数名が戦死した。

ほとんどが、ナチスドイツが降伏した後からの戦死者だった。ナチスドイツが降伏した時に日本も降伏しておれば、無駄な死傷者は無かったし、原爆も落されずに済んだし、B29が空襲することも無かった――と、ワシは今も思う。
アメリカと商売をせねば!
――今からは、ボロボロの日本を立て直す時代だ。アメリカから機械類と製品を持ってきて、早く日本を立て直さなければならん。
――アメリカとの人脈は、どうやって作ればいいのやら?
――進駐軍が入って来るから、そこからかな?

家族全員で、今からの商売について真剣に話し合った。
幕末の神戸開港直後に神戸へ出向いて外国人相手に商売しているような一族だから、これからのことに関心が高かった。
英語や中国語を勉強する環境が当たり前なので、外国人アレルギーが無かった。当時の日本では珍しいケースかもしれない。
進駐軍から工事用機械類に関する依頼が来た!
実際に進駐軍が来た際、工事用機械類の日本への持ち込みに関して、進駐軍からワシに任されることになった。サイパンでお世話になった米兵たちがワシのことを覚えてくれていた。

「日本人にちゃんと機械の操作を説明してやってくれ」という。あの機械類が稼働している現場をちゃんと見たのは日本人ではワシくらいなものだ。ありがたい話だった。

"受け身の人""指示待ちニンゲン"はバカを見た時代でした
「とりあえず、みんなで死ねば問題解決」の時代
社会全体が戦争で混乱しています。戦地では敵に遭遇して、命懸けの混乱となります。
混乱に対処する術の無い責任者は、責任を痛感し、あるいは後々の責任追及から逃れるために自害します。責任者を失った人たちはますます混乱します。
(とりあえず、みんなが死ねば問題が解決する)――という、戦時中の自決の無理強いは、解決策を見いだせない社会&組織の"混乱の極み"とも言えます。

今は、コロナ騒ぎとコメ騒ぎで個性&地域性&国民性&社会性が丸わかり
コロナパンデミックでは「命に係わる危険の真っただ中における行動」が丸わかりになりました。個性&地域性&国民性&社会性が露骨にさらされました。
今の日本のコメ騒動。「生活に係わる危険の真っただ中における行動」が丸わかりになりました。やはり、個性&地域性&国民性&社会性が露骨にさらされております。
コロナとコメ騒ぎは戦争ではありません。しかしながら「生活&命に直結する重大リスクに直面した際の発想&行動」という点において、「社会全体が再び戦争に巻き込まれた際の発想&行動」と一線上にある気がします。
「社会全体が再び戦争に巻き込まれた際の発想&行動」は、コロナとコメ騒ぎと同じ発想&行動を取るであろう――と推測されます。

テレビはいつも正しい。
…とうことで、コメの買いだめに忙しい人もいる
責任者の判断力が怪しい時は自分で考えて動くように!
今回の『おっちゃん』の体験談のポイントは次の一言に要約できそうです。
――"受け身の人""指示待ちニンゲン"はバカを見た時代。
・召集令状が来るまで穏便に戦争から逃れようとした人たち
・「敵性言語」という表向きの話を真に受けていた人たち
・十字砲火への突撃命令に疑いを持たず飛び込んだ人たち
・「最後のご奉公だ」という"投げやりな言葉"にニンゲンとしての美徳を感じていた人たち=マスコミの美化報道に流されていた人たち
・自決の無理強いに疑問を持たなかった人たち
・国&社会&軍から追い込まれて「どうぞ御意に」という考えが癖となって、判断力を失った人たち
・進駐してきた米軍&米兵に接近できなかった人たち
・"鬼畜米英"と刷り込まれたままの人たち

「捕まるくらいなら死ね!」と大多数の日本人は解釈していた。
80年前の話とは言え、『おっちゃん』の話は今に通じる教訓が盛りだくさんのように思われます。それを実感していただければ、今回のリポートは成功です。

…と言っておきながら「死んでご奉公を」。
とんでもない時代でした。
ご参考までに
太平洋戦争当時は、やけくそ&現実逃避で、多数の人々が「自分自身を呪っていた」のかもしれません。
自分自身を呪うと、本人の意思とは無関係に"死へまっしぐらモード"になります。
