『昨日、もう会えない人とキャンプをした』
昨日、夢の中で昔の知人とキャンプをした。
焚き火を囲んで、他愛もない話をして、一緒に笑った。
目が覚めてから気づいた。その人とはもう何年も連絡を取っていないことに。
SNSも知らない。
電話番号も残っていない。
今どこで何をしているのかさえ分からない。
それなのに、昨夜の夢の中では当たり前のように隣に座っていた。
もちろん、夢だ。
脳が勝手に作り出した映像だと言われればそれまでだし、僕自身もそうなのだろうと思っている。
でも、ふと考えてしまった。
もし、あの人も同じ夜に僕の夢を見ていたとしたら。
そんなことはありえない。
証明する方法もないし、科学的な根拠もない。
それでも、ありえないと分かっているからこそ、少しだけ心を惹かれる。
僕たちは眠っている間だけ、どこかで繋がっているのではないか。
夢は、離ればなれになった人たちの意識が偶然交差する場所なのではないか。
そんな空想を、ときどきしてしまう。
“夢はインターネットのように人の意識を繋ぐ見えないネットワークなのではないか”
夢について考える。
科学的には、夢は脳が記憶を整理する過程で生まれるものらしい。
たぶん、その説明は正しい。
僕もそう思う。
けれど、それだけでは片付けたくない瞬間がある。
何年も会っていない人が夢に出てきた夜。
見たこともないはずの街を歩いている夜。
妙にはっきりとした車のナンバーや景色を覚えている夜。
そんな時だけ、少し不思議な考えが頭をよぎる。
夢は本当に自分だけのものなのだろうか。
もし夢が、一人ひとりの脳の中で完結しているものではなく、人と人との境界が少しだけ曖昧になる場所だとしたら。
昼の世界では決して交わらない意識が、眠っている間だけ偶然すれ違うのだとしたら。
昔の知人が夢に現れたのは、僕が思い出したからではなく、向こうもまた僕を思い出していたからかもしれない。
夢の中で見た知らない景色は、どこか遠くに住む誰かが昨日見ていた景色なのかもしれない。
もちろん証明はできない。
おそらく違う。
けれど、人間は証明できることだけで生きているわけではない。
夕焼けが綺麗だと思うことや、懐かしい匂いに足を止めることと同じように、根拠のない空想に心を動かされることがある。
だから僕は、ときどき思う。
眠るという行為は、世界から切り離されることではなく、むしろ誰かに近づくことなのかもしれないと。
考えてみれば、不思議なことだ。
僕たちは一日の大半を現実の中で生きている。
言葉を交わし、連絡を取り、会いたい人に会いに行く。
けれど眠った瞬間、そのすべての手段を失う。
電話も届かない。
メッセージも送れない。
居場所を知ることもできない。
それなのに夢の中では、何年も会っていない人が突然隣に現れる。
その距離の飛び越え方は少し異常だ。
現実では何百キロも離れているかもしれない。
もしかしたら、もう二度と会えない相手かもしれない。
それでも夢は平然とその人を連れてくる。
時間も距離も無視して。
だから時々思う。
夢は記憶の再生ではなく、再会のための場所なのではないかと。
もちろん、そんなことはないだろう。
けれど、もし夢が人類共通の海のようなものだとしたら面白い。
私たちは普段、それぞれ別の島で暮らしている。
名前も、仕事も、悩みも違う。
けれど眠るたびに海へ潜る。
深い場所では誰の境界線も曖昧になり、記憶や感情がゆっくりと混ざり合う。
そこで僕は昔の知人とすれ違い、誰かは見知らぬ誰かと会い、また別の誰かは亡くなった人と言葉を交わしている。
目が覚めれば、そのほとんどを忘れてしまう。
海から持ち帰れるものは少ない。
断片的な景色。
意味の分からない会話。
理由もなく残る感情。
けれど、その断片があまりにも鮮明な時がある。
どうしてこんな夢を見たのだろう。
どうして今、この人だったのだろう。
そう考えている時だけは、自分の頭の中だけで起きた出来事とは思えなくなる。
誰かがどこかで同じ夜を見ていたような気がするのだ。
夢は脳が作る幻なのかもしれない。
それでも僕は、ときどき誰かの夢の中を通り過ぎている気がする。
本当のところ、僕は夢が繋がっているとは思っていない。
たぶん夢は脳が作り出したものだし、昔の知人が現れたのも偶然だ。
それでも、この空想を捨てきれない理由がある。
それは、少し寂しいからだ。
人生には、一度離れてしまうと二度と会えない人がいる。
喧嘩をしたわけでもない。
嫌いになったわけでもない。
ただ時間が流れて、それぞれの人生を歩いていく。
気づけば連絡先も分からなくなり、今どこで何をしているのかも知らなくなる。
そんな人たちがいる。
夢の中で再会すると、不思議な安心感がある。
向こうは何も覚えていないだろうし、そもそも存在しない出来事なのかもしれない。
それでも確かに、一緒に過ごした時間だけはそこにあった気がする。
だから僕は、夢の共有を信じたいのではなく、繋がりの可能性を信じたいのかもしれない。
どこかで元気にしていてほしい。
幸せでいてほしい。
そんな気持ちが、夢という形になって現れただけなのだろう。
夢は脳が見せる幻なのかもしれない。
けれど、その幻の中で誰かに再会できるなら、それは少しだけ優しい嘘だと思う。
今夜もまた眠る。
そして、もし偶然どこかで会えたなら。
その時は焚き火の続きをしようと思う。