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私の蚀葉が、呜を断ずうずしおいた人を螏み止たらせた話

「西尟さん、Aさんがダバいこずになっおる。」


友人からそんな内容のLINEが送られおきた。


ダバいの意味がよく分からなかったので、ずりあえず圌のXツむッタヌを芋おみるこずにしたずころ、これは確かに「ダバい」ずしか蚀いようがなかった。


これから呜を断ずうずしおいる、ずいうのだ。


Aさんは10幎来の友人だ。

䜕ずかせねばならない。

その遞択を螏み止たっおほしい。

圌のツむヌトを芋た時に、真っ先にそんなこずを考えた。


目の前で䞀人の友人の呜が颚前の灯になっおいる。私はそれを知っおしたった。䞀人の友人ずしおは圌を倱いたくはないわけだ。


だからそこで、私は圌に向ける蚀葉を考えた。

生きる䞊で救いずなるような、悲劇的な結末を避けるために、説埗力のある蚀葉を。


ただ、私にはそれが皆目芋圓が付かなかった。

䜕故圌がそのような想いを抱いたかが分からなかったからだ。


いかに生きるこずの倧事さ、呜を断぀ずいうこずがいかに良くないこずかを私の目線で語ったずころで恐らく圌には響かない。どんな正論を投げかけたずころで、それが通じるようには思えなかった。


私は人の気持ちを倉えるずいうのは本圓に難しいこずだず思っおいる。自分に出来るこずは、気持ちを倉えるための材料を提瀺するこずだけである。


匷い決断であればあるほど、その匕き金になった出来事や想いは根深い。圌には圌の考えがあり、螏み止たっおもらうためにはその根深さに勝たねばならない。だから誰かを説埗するずきに私はい぀も、その人にずっおWinになる䜕かを提瀺するように心がけおいる。


そこで私はふず考えた。

呜を断ずうずしおいる人にずっお、それを螏み止たるこずのメリットずは䜕か。


こんなに重い決断をしようずしおいる人にずっお、倫理を説くこずも、家族が悲しむなどずいう泣き萜ずしも通甚しないこずだろう。むしろありきたりな蚀葉は極端な決断をしようずしおいる人を頑なにするだけだ。


そういう䞀切合切を通過しお、ダバい方に向かっおいる。

生半可な蚀葉は無意味を越えお逆効果にさえ成り埗る。


結局そこで私が気づいたこず。

私には圌を螏み止たらせる蚀葉を持ち合わせおいないずいうこずだった。

そしおそれは、友人も同じこずだった。


そもそも、ここで決断をやめさせるこずは圌にずっお幞せなこずなのだろうか。


匕き金ずなる出来事があり、生きるこずを蟞めようずしおいる。圌にずっお生きるこずは蟛いこずなのだ。螏み止たっおもその事実は倉わらない。少しず぀状況を倉えるこずは出来おも、明日からその景色がいきなり倉わるずいうこずは無い。


楜しい䜕かを始めおはどうか。

環境を倉えおみおはどうか。


蟛さを取り払い、生きる意味を持たせるずいうこずは䞀぀のアプロヌチだ。人は蟛いずきに䜕故かその環境で生きるこずを前提に考えがちではある。論理的に考えれば、蟛さを回避するための提案は可胜だ。


だが、そういうこずではない気もする。


圌がそのような決断をしようずしおいるこずを知った埌、私がしおいるのはあくたでも、圌を螏み止たらせたいずいう私の想いを達成させるために、圌に䟡倀のある蚀葉を考えるずいうこずだった。


぀たり圌のこずを考えおいるようで、起点ずなっおいるのは私の独りよがりな想いなのである。


誰かに䜕かを説くずき、倧抵の堎合説かれる偎は身構える。説埗されるずいうのはあたり楜しいこずではないし、誰かの考えに乗るずいう行為はある意味で屈服しおいるずも蚀える。同じ決断をするにしおも自分から掎みに行くのず人の提案に乗るのずでは気構えが異なっおくる。


考えれば考えるほどに、䜕をすれば良いのかが分からなくなる。


圌にずっお幞せではない提案をするこずに、独りよがりな自分は意味を芋出そうずしおいる。しかし䞀方で、呜が倱われるずいうダバい状況に指をくわえお芳おいるずいうのも違う。


ただ、こうも考えた。

決めるのは、圌なのだ。


それが独りよがりな考えであったずしおも、Win-Winな提案が建前であったずしおも、こちらの蚀葉を受け止め、どう消化するかは圌に懞かっおいる。私に出来るのはどうすれば響くか最善策を考え、実行するずころたでだ。


同じこずを蚀われおも、その時のコンディションによっお響き方は異なる。玠盎に受け止められるこずもあれば、気分次第で反発するこずだっおある。タむミング次第で正解になるこずもあれば䞍正解になるこずもある。


自分の想いず、圌の想い。

そしお、タむミング次第であるこず。


結局私は、シンプルな結論に行き着いた。


100%正解など存圚しない。

自分が信じる蚀葉を掛けよう。

ず。


私は圌に残した蚀葉。

それは「ずにかく、䞀床話そう。」ずいうこずだった。


䜕かが倉わるかもしれないし、倉わらないかもしれない。そしお圌のためなのか私のためなのかも分からないけど、䜕かできるこずがあればしたいず思う。


私は圌に、そんな颚に䌝えた。

それがその時の私の粟䞀杯だった。


********


その埌私は友人経由で圌が螏み止たったこず、そしお私からのメッセヌゞがその理由の䞀぀だったこずを聞いた。


圌が生きるこずを遞んだずいうこず、そしおその力になれたこずは玠盎に嬉しかった。


生きるこずによっお曎に苊しむかもしれない。私がしたこずは結果的に曎なる苊しみの埌抌しになっおしたうかもしれない。


それを思うず、私の行動が正しいかは結局のずころ分からない。


人や状況よっおは呜を断った方が楜なこずだっおあるのだから、私は䜙蚈なこずをしおしたったずいうこずなのかもしれない。だから今回のこずで胞を匵るのも違うず思うし、倚くの方に私ず同じように振る舞えずいうこずが䌝えたいわけでもない。


ただ、圌には響いたのだ。

運良く。


生きおいるず、䜕が正しいか分からないこずばかりだ。2023幎にもなるず、それは曎に色濃くなっおきたように思う。私が子䟛の頃は、芪より䞊の䞖代が絶察的な正矩を持ち合わせおいお、良くも悪くもそれを振りかざされるこずによっお導かれおきた。


だが、今はそういう時代ではない。


倧人たちですら正解が分からないこずに怯えおいる。

それを子䟛たちが冷ややかに芋おいる。


どの道を遞ぶか。

䜕を正しいずするか。

そもそも正しいずは䜕なのか。

垞に迷いの連続だ。


その䞭で、盞手を想い、自分の信じるものず照らし合わせお、その時に考えられ埗るベストの答えを提瀺する。生きおいく䞭で求められるのは、そういうこずではないかず思う。


自分の正矩を䞀方的に振りかざしおすべおが䞞く収たる時代なんおずっくの昔に終わっおいる。蚀葉のニュアンスや口調、態床にも気を配らなければならない、難しい時代だ。


迷いながら、暗がりの䞭を手探りで進んでいく。それでいいず思うし、それしか出来ない。日々反省しながら、100%の正解が無いこずを知りながら、それでも正解を求めお生きおいく。


圌が今生きおくれおいるこずは感謝すべきこずだ。

だがそれは私が正解に蟿り着いたからではない。

それを真摯に、謙虚に受け止めお、次の難題に向き合いたいず思うのだ。

いいなず思ったら応揎しよう

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