
Ensoh Approachという焙煎理念
理想のコーヒーとの出会い
数年前、ある世界的に有名な北欧のロースターのケニアを飲んだときのこと、私は全身が痺れるような衝撃を受けた。
こんなに優しく、甘さが長く持続するケニアが作れるのかと。
頭に浮かんだのは粘土のような物質を手でこねて作られたものであるにもかかわらず、一点の曇りもないきれいな球体。光沢はあるが決して派手ではない。最低限の光を捕まえてぎらりと輝きを帯びている。何もない空間にただぽつねんとそこにある。
それはまさに自分が理想とする、スペシャルティコーヒーがある日常を表すような味わいだった。
それまでの私のコーヒーは、甘く、甘く、とにかく甘さを感じてほしいあまり、インテンシティを強めて多少ラフさが出ていても「ジャンクな甘さ」などと嘯いては見て見ぬふりをしていた。
常々、私は浅煎りのコーヒーを「好みの問題」にしてはいけないと唱えている。
上記のような甘いだけのコーヒーを見て見ぬふりをしていては、いつまで経ってもお客様の「私にはわからない(好きじゃない)」にぶつかってしまうのだ。
甘みが私のストロングポイントというだけで、これは明るい酸や、華やかな香りなどが持ち味のロースターとて同じことである。
好きな人は好き、ということは嫌いな人も一定数存在するということ。
苦いコーヒーだって本来そうなのだが、長い歴史とパワープレイで押し通してきた成果(功罪ともいえる)で、コーヒーは嗜好品だから好き嫌いが分かれる、という定説を作り上げてしまったわけだが、多数派の苦いコーヒーはそれでも十分な市場を抱えているのでそれでオッケーなのかもしれない。
浅煎りのコーヒーはそうはいかない。コロナ以降、急速にその市場を伸ばしてきたとはいえ、苦いコーヒーに比べるとまだまだニッチで、新参者の浅煎りが「好みの問題」に逃げてしまうと、たちまち数的不利に陥り、先細っていく未来が待っているのだ。
というよりそもそも、私たちが愛するスペシャルティコーヒーの素晴らしさは人を選ぶような美味しさではないはずだ。
誰もはねつけることなく、もはやコーヒーらしいかどうかということもさておいて、「この飲み物はおいしい」と思ってもらえるコーヒーを作らなければいけない、と思っているのだが、先述のケニアはまさにそんな味わいだった。
Ensoh Approach
それ以来、私はこの理想のケニアに近づくように焙煎プロファイルを調整を続けた。
とはいえ、私は焙煎に関しては完全に独学でここまで来たので、こういう味わいにしたければここをこういう風に変える、という理論もメソッドも持ち合わせていない。すべては感覚。焙煎しては味をチェックして次の焙煎への改善点を頭の中で巡らせて実践する。その繰り返しだった。少しずつ近づきはしている気はするものの、決定的に何かが違うのはわかる。
モデルとなるロースターと、自分のコーヒーとの違い、それはミドルパレット(中温度帯)の質感と濃度感の低下。それによる酸の輪郭がぼやけることと、飲み終わりの印象が下がりはしないが、上がり幅も小さいところが理想とはかけ離れていた。
そんな中、私は「円相」という言葉を知った。
円相、それは全の世界で使われる言葉で、一筆で描かれた円のこと。
やり直しは無しで一筆で描かれるので、筆のスピード、圧、呼吸がそのまま円に表れる。濃い部分があったり、かすれている部分があったり、スタートとゴールがしっかり閉じた円(完全)も、繋がらない円(未完、余白)のどちらを描いてもいい。
何も描いていないようで、すべてを含んでいる。無と有の同時成立。

この円を見て、私は自分のコーヒーに求めていたものがはっきりと分かった。
まず、自分の焙煎はまさにこのようにして作られたものだということ。
一筆書きのようなローストプロファイル。決していい加減なわけではない。
曲がりなりにも15年近く焙煎してきた時間が蓄積された自分の頭の中に記憶されているログをもとに、再現性を求めつつもその日の状態に(ある意味では)支配されつつ、最善を追い求める。
味わいもそう。私が衝撃を受けたケニアのような美しい球体はある意味で理想の形。でも私が作るコーヒーは球体どころか、正円にすらならないかもしれない。
ただ、未完や余白を残した円相だからこそ、感じる私の個性が味わいに残るはずだ。丸く、優しく、尖ったところない味わいの中にスペシャルティコーヒーの真髄である明るい酸を爽やかに表現する。そしてまるで円を描き終えたときに、始まりの点へ戻ってくるような最後の一口を演出すること。
そんな円を描くような焙煎をすること。それがEnsoh Approachである。
Ensohに基づいたプロファイルの見直し
そして私なりに勉強して、行きついたの手段がメイラードフェーズを長くとること。北欧のコーヒーをモデルにするということでもう少し浅く、焙煎を短くということばかりに執着してしまっていた自分に気づき、焙煎時間が延びるのを恐れず、甘さが形成されるメイラードをしっかりとってディベロップをさくっと終わらせる。そうすることで明るさを損なわず(むしろ現状よりアップさせる)、中温度帯の濃度感も程よく、甘さを優しく長く楽しむことができるようになった。


上下のプロファイルを比較すると、以前はカラーチェンジ(165℃)までを高火力で一気に突っ走り、急ブレーキをかけてそこまでの余力で後半も乗り切るという少し乱暴なプロファイルで、明るさ甘さの強度は出るものの、味わいの厚み、複雑性が不足し、ラフ(ジャンク)な印象だった。
Ensoh Approachでは火力を段階的に下げていくことによって、165~195℃までの時間(メイラードフェーズ)をゆっくり取り、甘さの発達と質感の向上を目指し、課題だった中温度帯以降の味わいに広がりをもたせて、温度が下がれば下がるほどおいしい、を目指した。
もとより、コルシカコーヒーの味の設計としてはここを目指していたのだが、Ensoh Approachにより、より明確に表現できるようになった。
思想か哲学か、はたまたスピリチュアルか
今の時代、ロジックで味を構築して再現性を高めて、みたいなロースターが山ほどいるし、何となくその方がちゃんとしてるロースターに見えるような風潮もあったりする。
コーヒー豆が焙煎によってどのような化学変化を起こして、どんな物質が甘さを形成するかとかも勉強すればわかるのだろう。ただ私は昔から理系の勉強も苦手だし、そうして作られる味わいのプロセスには特に興味がない。
コーヒー豆、という不思議な物体に火を通せば、何でかわからないけど人々を魅了するおいしい飲み物が作れる。このぐらいでいいと思っている。
研究し尽くして作られる百発百中のおいしいコーヒーはもちろん素晴らしいし、ロースターが長年の勘と感覚で作り出すおいしいコーヒーも素晴らしい。
どんなプロセスを通っていようとカップに注がれたコーヒーが全てである。
結局のところEnsoh Approachは概念でしかなく、このプロファイルを真似したらこういう味になる、というものでもない。下手したら思想が強いとか、スピリチュアルな話だと思われるかもしれない。Ensoh Approachというメソッドは存在しないから真似の仕様もない。
でも、この円相のイメージを頭に描くようになってから、明らかに焙煎の質が向上したし、抽出でも明確なイメージをもって味わいを作ることを意識的に行うようになり、理想とする味わいに近づいたことは事実だ。
誰かに教えられるようなものでも、正確に私のイメージが伝わるとも思えないけれど、同じような思いでコーヒーを作る人がいてくれたらいいなと思ってこのnoteに記してみた。
私のコーヒー、特にケニアを飲んでもらったすべての人が、コーヒーの好みに関係なく「この飲み物はおいしい」と感じてもらえるまで、私は一筆書きで円を描き続けていく。

※この記事の画像は全てAIによる画像生成で作成しております。