
歴史小説「安芸銀山城秘伝」第4回~探索登山、そして滑落!?~
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武田山探索登山の当日は、青原の「武田山登山道入り口」の道標前で午前九時に美紀と合流した。
「おはよう!」
にっこり笑って近づいてくる中原美紀は、流石に山道を歩くのでスカートではなかった。ぴったりと似合ったブルーのジーンズに真っ白な長袖のシャツを着て、開いた胸元から赤いネックレスが見え隠れしていた。白い帽子にリュックサック、緑色のスニーカーを履いてちょこんと薬師堂の前に立った彼女は胸がキュンと本当に音を立てたかと思うほど可愛らしかった。
「じゃあ行こうか」
薬師堂たちは幾つかある武田山登山道の内、正面から登るコースを選んだ。
二人の母校である祇園寺中学校を右手に見ながら、溜め池の脇を通って真っ直ぐ登ってゆく所まではなだらかだが、ここを過ぎるといよいよ本格的な登山道に入る。この正面からのコースは頂上に行くには確かに最短距離ではあるが、その険しさは並ではない。軽いピクニック気分で来ていた二人だが、次第に息も上がってきて言葉も交せない程になってくる。
そこから先へは馬も行けない位の急傾斜となっているため、ここで馬を返し、ここから先、荷は人の背で運んだと伝えられる「馬返(うまがえし)」という郭に出くわす。馬を繋いだのであろうちょっとした広さの平地に出た。一息入れたいところだが、ここはまだほんの序の口に過ぎない。二人は先を急いだ。
少しだけなだらかな山道を進むと再び急な坂道となり、深い緑の中に入った。そこを這い上がると急に辺りが開かれて来て明るくなる。この辺りに、明らかに人工的な巨岩が意図的に配してある。ここは「御門跡」と呼ばれ銀山城の南麓の出入り口であり、場内への門があったと伝えられる。かつては通路を直角に取る鈎の手の形に石積みがあったと言われるが、現在では崩されて巨石が無造作に転がっている。
「こっちに来てごらんよ」
一番端にせり出している大岩の上から薬師堂は美紀を手招きした。ここまで来ると眼下にはゆったりと流れる太田川、そしてそれに沿って広がる祇園の町が真下にはっきりと見てとれた。
「随分登ったのね」
流れる汗をハンケチで拭いながら美紀も目を見張った。
「ここからが大変なんだ」
祇園の町に生まれ育った薬師堂は、小さい頃から何度となく武田山には登っている訳だが、何度登ってもここから先の険しさには閉口した。
「御門跡」は頂上直下に位置し、ここまで来ると頂上はすぐそこに見え隠れするのだが、たどり着くのは容易ではない。ごつごつした大岩がそこいら中に道を塞ぎ、七〇~八〇度の急傾斜となる。
「大丈夫か?」
自然と登り慣れている薬師堂が美紀をかばい手を差し出していた。さっきから余りの道の険しさに声も無い美紀は、すがるようにその手を握り返した。薬師堂が美紀を引き上げる。ごくごく自然な成り行きでそうなったのだが、薬師堂は、汗でしっとりと湿った上、マシュマロのように柔らかな美紀の手に触れて胸がときめいた。そして、一度触れてしまうと段々と手を触れることに慣れてきて大胆になってきた。薬師堂はなだらかな道でももう美紀の手を離さなかった。心細さもあってか、中原美紀もそのまま特に抵抗も無く二人手を取り合って登る形となった。
登り始めてから約一時間半、遂に頂上に着いた。
「やったーっ!」
標高四〇〇メートル余りの小さな山ではあったが、道が険しかっただけあって、やっとたどりついたという達成感に溢れた。二人は手を取り合って登頂を喜び合った。薬師堂にとっては憧れの中原美紀と単なるデート気分というだけでなく、下界では都会育ちのおすまし娘に見えた美紀が、山の中では田舎に育った自然児のような自分を頼り、体を預けて手を取り合って一緒に登ることが出来、何か二人だけの連帯感といったようなものを感じとても心地よかった。
息が整うまでのちょっとの間、二人その場にしゃがみこんでいた。
「うわぁーもの凄く大きな岩」
美紀がやっと腰を上げてその巨岩を見上げた。その岩は「御守岩(ごしゅいわ)」と呼ばれ、おむすび形をした巨岩で、高さはおおかた五メートルはあった。よく晴れた日には下界からでも頂上に光ったようにこの岩が見えた。この岩を中心に頂上には巨岩がゴロゴロしていて、それらの岩の至る所に建物をすえつけたか、柱を建てるために開けたと見られる穴や切り込み痕がそこら中に見られた。この辺り一帯は「館跡」と呼ばれ相当に広い平地となっている。

「ここにお城が建っていたのかしら」
「ちょっとこっちへ来てごらんよ」
頂上館跡の北側の低い岩の上に「鶯の手水鉢」と呼ばれる人工的なくぼみがあっていつも雨水が溜まっている。形が鳥に似ているのでそう名づけられたとか、春先に鶯がこの水で喉を潤して鳴くというので名づけたとか色々な言い伝えがある。
「本当。鳥の形に似てるわ」
そう言って美紀はその岩に溜まっている水を手で少しすくっていたずらっぽく笑って見せた。
「ちょっと早いけど、腹ごしらえにしようよ」
「そうね」
時計を見るとまだ十一時過ぎだったが、汗をびっしょりかいて一目散に登ったので二人ともお腹がペコペコだった。御守岩の隣の広い平板な岩の上に腰を下ろしておにぎりとお茶で軽い腹ごしらえをした。
「あー、生き返った!」
水分をたっぷり取ると、先程までの疲れが嘘のように吹き飛んだ。
頂上からは南側が大きく開け、眼下には広島市の三角州が見事に広がって見える。そのデルタの先に瀬戸内海があり、その向こうの島々までが見渡せた。見事なパノラマである。
晴れ渡っていた空に少し陰りが見え、それと共に生暖かいが緩やかな風が辺りにそよいだ。
頂上で水分と食糧を補給して休息し、小一時間ほど近辺の史跡をゆっくりと見て回った。
「そろそろ降りようか」
下山は今度は西南方向、東山本へ向かうなだらかなコースを降りることにした。こちらにも幾つかの史跡があるので、それらを確認しながら下山するためだ。隣の山の火山に繋がる登山道に入りかけた所を南に少し下った辺りに木がうっそうと生い茂った静寂とした空間が開けた。「観音堂跡」と言われ、ここに観音を祭った御堂があって、休息の場として使われたり戦略の密議が行われたりした所と伝えられている。
観音堂跡を過ぎると、「上高間」「下高間」といった多少の広さをもった郭跡を通る。ここで二人はひと息入れる。登りと違って下りはやはり楽で早い。あっという間に中腹近くまで駆け下りた。
薬師堂が今来た方角を振り向くと、木立の間からひと際大きく聳え立つ巨岩群が見えた。祇園町のどこからでも見え、天気のよい日の朝などは、陽の光に照らされて雄々しく輝いて見えるあの岩だ。近くで見るとまるでせり出した崖のようになってこちらを見下している。薬師堂はどうしてもあの岩に登ってみたくなった。
(あの岩を間近に見てみたい、あの岩の上に立ちたい。岩に触れ、岩を直に感じたい)と強くそう思い、その気持ちを抑えられなくなった。
「中原、ちょっとここで休んでいてくれないか、俺どうしてもあの岩の所まで行ってみたくて」
「嫌よ。だったら私も行く」
結局二人で少しの間寄り道をすることにして行って見ることになった。上高間まで戻って、そこからは道の無い草木の中をかき分けて進むと、遂に目の前に目指す巨岩の崖が現れた。足場を固めながら草づたいにゆっくりと前進すると、岩の真上にまで迫ることが出来た。
(す、凄い迫力だ!)
丁度巨岩が三個、山から転げ落ちる途中に斜面からせり出して三つが重なった形になって、そこで時間が止まってしまったかのようだ。薬師堂は上から恐る恐る下を覗いて見た。断崖絶壁になっているその下は、えぐられたように深い谷が続いていた。
「私にも見せて」
美紀も何とかやって来て、薬師堂の脇をつかみながら四つん這いになり恐る恐る下を覗いた。
「あっ、あれは!?」
見ると岩と岩との合間から木が生えており、目を凝らしてよく見ると、それは南天の木のように見えた。
フッと手を伸ばしかけた瞬間、中原美紀はバランスを崩し前のめりになった。
「危ない!」と咄嗟に手を差し伸べた薬師堂の手を握り締めたまま、そのまま二人、もつれ合うように崖から谷底へと滑り落ちていった。
(つづく)