
青春小説「アカシヤの伝説」第13回(最終回)~アカシヤの樹の下で
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三月も学年末試験が終わって、後は三年になるのを待つばかりとなった。
クラブのことをどうするかという大問題が真正面から俺に迫ってくる。年末の時点では、悩んでいても結論は出ないのでともかくクラブを続け、二年の終わりの時点で結論を下すということに心を決めておいたのだが、とうとうその時が来てしまった。三月二十日の終業式の日にすべてを決めようと思っていた。だがその日が目前に迫ってくると本当に困った。自分自身どう決断したらいいのか判らないのだ。
その迷いもあってか、新人戦でやっとつかんだレギュラーポジションも、グングン伸びてくる後輩たちに脅かされ、もはや風前の灯、再びベンチウォーマーへの瀬戸際にあった。
バレーというものへの興味や熱意は、今やほとんど消え失せてしまったといってよかった。初めてフル出場した秋の新人戦に燃え尽きてしまったのかも知れなかった。
そんな俺がバレーをやめるのをためらっているのは、只、只、今まで頑張ってきた二年生の仲間八人と訣別することになるのが嫌だということ以外何も無いのだ。
そうこうしているうちに、三月十七日、井上と小出が何の相談も無しにクラブをやめてしまった。大本や小原も揺れている。俺も迷いに迷っていた。
帰る道々三人で延々と話し合った。
「クラブをやめれば確かに時間は出来る。だから勉強ははかどるかも知れない。が、けっして正しいとも思えない『受験戦争』といったものに甘んじて、頑張っている友を見捨ててもいいのか」
「そうだ、今やめることは自分自身の私利私欲のために友を見捨てることだ。自分さえよければそれでいいというエゴに過ぎないではないか」
「だが、そこまで他人本位にクラブというものを考えるのはどうなのか。インターハイを目指す気力もなく、試合に早く負けた方がいいと思っているような俺たちが居たって練習の邪魔ではないのか」
「それでは俺たちは、歪んだ教育システム、大学入試といったものに負けてしまうことになるのではないのか」etc……
去年の年末、舟入バレー部二年生九人で集まった忘年会は大いに盛り上がった。俺たち九人、苦しいながらも同じ釜の飯を食った仲間と心底思えた。あの時、あれほどまとまっていた九人が今はもう「大学入試」という大きな怪物の前でバラバラにされてしまっている。
遂に運命の日、三月二十日がやって来た。
今日を限りに、舟入高校男子バレー部をやめることをとうとう決意した。
思えば、小学校五年の時から、雨の日も風の日も毎日のように白いバレーボールの球を追いかけてきた。しかし、今日を限りにスポーツの世界からは足を洗うことに決心したのだ。
そう決めたら、何かフーッとふっ切れた。
――――この最後の日のバレーを、一生忘れることのないくらいに全力でプレーして、思い出深いものにしよう――――
そう心に刻み、最後の日の白球を追った。
ここの所二年生が一年生を鍛えることに重点を置いた練習をしていて、二年生は一年生とペアを組み柔軟体操からパス、レシーブまで手取り足取り見てやるのだ。俺は一年の正田と組んでいる。正田は身長百六十センチあるか無いかの小柄だが、素直でバイタリティーある可愛い気のある奴である。
「まだまだ!」
俺の打つ球を重心を低くして正田が必死にレシーブしてくる。全身全霊を込めて俺は打ち返した。何やら熱いものがこみ上げてきて目が潤み、ボールがツーっと逸れて体育館の床を転がっていった。
青春の日々を費やしたバレーボールよ、さらばだ。
外は雨が降り始めていた。
+ + + +
練習が終わって気の変わらない内に退部の決意をスケイチ監督に言いに行くことにした。今日でやめることを小原にだけ打ち明けると、小原も「お前がやめるのなら俺もやめる」と言い、二人で退部表明に行くことになった。
スケイチはグラウンド南端の体育教官室に居る。小原と二人歩き出したところでキャプテンの半田と出くわした。出来れば半田とは顔を合わせたく無かった。頑張ってゆく彼等の前に立って、俺たち二人何の話があろうか。
どう話を切り出すものかと迷ったが、
「今からクラブをやめる決意を言いに行く」悪いとは思うが、と言うと、
「悪いと思うならやめるな」
穏やかだが厳しく半田が言った。そして、
「自分の立場として、やめろとは言うことが出来ない。自分としては、あくまでやめるものがいたら引き留める立場なのだから」と言った。俺は何も言えなくなった。暫く沈黙が続いた後、
「やめることについてどう思う」と俺が聞いた。
「そのことについてとやかく言うことは出来ない。井上、小出、大本とやめていって、やっぱり寂しいし、それにまた裏切られたような気もする。だけどやめることについてはとやかく言えない、僕は」と言うのだ。
俺はもう、自分のエゴの悲しさと、半田がここまできてもまだ優しい態度で俺たちに接してくれる、その心に打たれ、涙が出てきて性がなかった。その涙が目から溢れるのを見られまいと必死になっていた。半田が「寂しい」と言った時、本当に寂しそうだった。
つい三ヶ月前、二年生九人はまだしっかりと固まっていた。それが今はもうバラバラになってしまった。
とにかく俺は半田に、そして他の皆にも一言謝りたかった。
「みんなを裏切ることになって本当に悪いと思う」
涙をこらえて、精一杯心を込めて、そう言った。
途中から、野本も俺たち三人の様子を見かねて近づいてきた。半田は監督には相談の形で行く方がいいだろう、と言った。そして最後に、
「それでやめることに決まったんだったら、もう勉強の方に打ち込めよ。だけどお前ら、僕らに気兼ねすることは無いよ。僕らは今まで通り友達なんだから、な」
そう言って帰って行った。野本も俺たちに背を向けながら、
「まあ、またいつか九人が集まることもあるだろう………」と、通り過ぎていった。
俺は涙が出て今にも溢れそうで、涙が落ちるのを歯を食いしばって我慢して、小原と二人、校庭の片隅にいつまでも立ち尽くしていた。
その傍らでは、つっかい棒で支えられたアカシヤの老木が、ひっそりと立っていた。風で枝をゆらゆら揺らしながら、まるで俺たちを静かに見おろしているみたいに……
エピローグ
ある日、漢文の授業にやってきたある先生は教室に入って来るなり南側の窓際に近づき、「ウーン」と絶句したまま遥か遠くを見渡して佇んだ。
しばらくしてその先生は遠くを見つめたまま振り返りもせず、ポツリポツリと語り始めた。
「今日のような天気のいい日、この出来たばかりの新校舎の4階からは海の向こうの似島(にのしま)の安芸の小富士がすぐそこにあるように見えます。‥‥‥‥30年前のあの日もそうでした ………
私が戦争から復員して広島に戻ってきた日、広島駅のホームに降り立ったあの日、街は見渡す限り焼け野が原で、ちょうど今日と同じように似島の安芸の小富士の山がくっきりすぐ近くに迫って見通せました。一瞬、今、あの日に戻ったような気がしました」
目を細め外を見つめたまま、ひと言ひと言噛みしめるようにゆっくりとそう言った。
被爆アカシヤのことを教えてくれたのも考えてみるとこの先生だった。
生きることが難しかったあの時代の生きることの真剣さには比べようも無いが、しかし戦後生まれの僕たちだって負けずに真剣に生きてきた。
原爆の犠牲になった市女の乙女たちも、もっと学び、もっと歌い、走り回り、そしてちょっぴり甘酸っぱい恋がしてみたかったに違いない。
原爆で傷ついた被爆アカシヤは、僕たちにそのことを教えてくれるために生き残ったのではないかとも思えた。
そして風雪に耐えながら、おそらく今も校庭の片隅に、ひっそりと息づいて立っているはずである。
(完)