
歴史小説「安芸銀山城秘伝」第10回(最終回)~白南天の秘密~
9
「ウーン・・・・・」
気がつくと薬師堂は草むらの中に倒れていた。起きようとすると左手と左足に痛みが走った。だが骨に異常がある程ではないようだ。ゆっくりと半身を起してみた。幸いにして打ち身か捻挫程度だろうと思われた。
よく見ると、すぐ近くに中原美紀がうつ伏せのまま横たわっている。
(そうだ、確か、あの崖の上から落ちたのだ!)
薬師堂はやっと自分たちの身に起こったことを思い出した。
随分長い時間が経ってしまったようにも思えた。
時計を見ると午後の四時半で、空を見上げると山の一日はもう暮れかかっていた。どれだけの時間気を失っていたものであろうか。
長い長い夢を見たような気がした。
美紀はまだピクリとも動かない。
先にバランスを崩したのが美紀で、それに引きずられるようにして自分も転がり落ちたのであったのを思い出した。
「おい、中原さん・・・美紀ちゃん!大丈夫かい?」
声をかけ、背中を何度か揺すると美紀もやっと気がついた。
こちらの方は足は何とも無かったが、左手は相当強く打ったらしくブランブランで全く自由が効かない。骨が折れているのかも知れなかった。
体中についた土や草をお互いにはらいながら、見上げるとそこは大きな岩の崖下で、谷底に二人が立っているのが判った。
どうやら二人とも転落の時頭を強打せずに済んだみたいで、最悪の事態だけは免れたようだった。
「歩けるかい?」
「ええ何とか。でも左手が・・・ダメみたい」
美紀はもう片方の手で左腕を押さえると痛そうな顔をした。
「よし、俺の肩を貸そう。しっかりつかまって」
そう言う薬師堂の方も、びっこを引きながら歩いている。
とにかく何とか歩き出さなければ・・・少し行けば、東山本への下山道に出くわす筈であった。
日がそろそろ暮れかかっている。麓に抜ける道にぶつかり、なだらかな山道を二人支え合いながら無事下山することが出来た。
美紀を家まで送り届け、転落事故のあらましを彼女の両親に話し安心させた後、薬師堂も帰宅した。
何だか随分と疲れた一日だった。
自分が、あの大岩を見に戻ろうなどと言いさえしなければ、こんな事故にはならなかったのに・・・と思うと、あの時欲を出したことが悔まれた。
二人の墜落は命に関わる高さからのものであったが、崖下が雄々しく繁茂した柔らかな草むらであったことが幸いし、奇跡的に軽傷で済んだ。
薬師堂は打撲だけで済み、全治十日間。中原美紀は、左手をやはり骨折していて全治二ヶ月、肩から腕を吊ったギプス姿が痛々しかった。
後日、研究レポートの総仕上げに美紀と二人で久々に会うこととなった。「気を失っている間、私、長い長い戦国時代の夢を見たような気がするの」美紀がポツリとそう言った。
それは壮絶な銀山城をめぐる戦いの絵巻であったという。
不思議なことに、薬師堂がボンヤリと覚えているのも同じような内容なのであった。
毛利元就や、武田光和が躍動していたような気がする。しかしそれらは、事前に色々な文献で読み知っていたことでもあり、夢を見たと思い込んでいるのかも知れなかった。
転落して二時間ほど気を失っていたこともあって、そこの所の記憶が混沌としてよく判らないのであった。だが一方で銀山城の攻防をすぐ間近に、鮮烈に垣間見たような気がするのも確かであった。
しかし・・・・・・二人は知らないのだ。
二人が滑落し、気を失って横たわっていたあの崖下の草むらのすぐ脇に、ひっそりと静かに、しかし年月を経て大きく成長した南天の木があったのを。
夏、まだ実をつけていないが、それこそ武田家再興の願いを託したあの白南天の木なのであった。
+ + + + + + + +
あなたも一度武田山に登ってみるがいい。
武田山の中腹のどこかに、立派な南天の木が根を張っていることだろう。
五百年の時を経てもなお、白い実を一杯につけた南天の木がもしあったとしたら、その木には、こんな長い長い物語が秘められているかも知れないのだ。
( 了 )