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歴史小説「安芸銀山城秘伝」第7回~八木城の攻防~

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     武田光和亡き後、光和に後継ぎが無かった為その遺志によって叔父伴五郎繁清の子、刑部小輔(ぎょうぶしょうゆう)信実(のぶざね)が武田家に迎えられたが、この信実が年若く、また到底この戦乱の世を渡ってゆく器にも見えなかったから、武田家重臣の間でも不平不満の声が渦巻いていた。
     重臣筆頭格の品川左京亮は、主だった家臣たちを一堂に集めて協議をすることにした。香川、己斐、福島、山県、筒瀬、毛木、粟屋、内藤、板垣ら武田の一党が集まった。
    「光和公のご逝去は返す返すも残念なことでござった。しかし、後継ぎのことについては光和公在世の時より、伴五郎殿のご子息刑部小輔殿を御養子とされる約束のあったこと各々方ご存知のはずでござる。この上は諸氏力を合わせ刑部小輔殿を盛り立て、毛利元就、熊谷信直らに対し光和公の御弔合戦をすることをしかと心に留め置かれるように」
     満座の者は釘を刺すような品川の言葉に顔を見合わせるばかりであったが、香川左衛門尉光景がまず口を開いた。
    「左京亮殿の仰せはもっともなこと。しかしそれがし思うのにはここは一旦毛利元就に和睦を申し入れ、その後時節を見て光和公の弔合戦をするのが一番ではないかと存じまする」
    「何?元就と和睦をせよと申されるのか!」
     品川左京亮が口を挟んだ。
    「さよう。あの猛将と言われた百戦錬磨の元繁公でさえも、五倍の軍勢で戦いながら元就にたちどころに討ち取られ申した。毛利元就の威勢は年々強大になるのに引き換え、当家は月を経る毎に衰えを加えており、ここで一戦するのでは勝てぬと大剛将であった光和公でさえ、恨みを忍んで過ごされたのでござる。それなのにまだ若輩の刑部殿が元就に挑んで勝てるはずがございません。ここは一旦和睦を結ぶべきで、勝てる見込みの無い戦を起すのは末長く武田の家を守ることにはなり申さぬ」
     そう言うと、己斐入道も、
    「香川殿の申されるのは道理至極。わしも毛利との和睦に賛成じゃ。それ以外のことには御免蒙る」
     これを聞いた品川左京亮は大いに怒り、
    「方々何を申されるか。武田は代々当国の守護ではないか。幕下の毛利と和睦せよとは何事。武田家末代までの名折れじゃ。お二方とも武士道をご存じ無いか!」
     荒々しい言葉にも臆せず、香川光景は、
    「例え幕下であっても、将来のために一旦和睦して後で挙兵して敵を討つのに何の恥辱があると仰せられるのか」
     品川左京亮が更に、
    「和睦が駄目だと言うのじゃ。香川殿もこれほど言うてもまだ判らぬか」と吐き出すように言ったので香川光景は遂に絶えかねて口を滑らせた。
    「忠言耳に逆らうとはこのことじゃ。あの刑部のような不肖者が元就と合戦するなぞとんでもない。あのような者を取り立てて毛利と一戦することを自滅と言うのだ」
     そう言い捨てて席を立って帰り始めた。
    「逃げるか!者共、あれ討ち止めよ!」
     品川左京亮が命じると若党ら五~六〇人が立ち上がり、すぐさま後を追った。

     香川光景は小高い所に駆け上がり、従者に持たせておいた槍を取り、十文字に打ち振りながら、
    「やあやあ者共、近寄ってこの槍にかかって命を捨てるか、それとも生き長らえて毛利のために武田家が滅びる時に命を捨てるかあ!」と大音声を上げた。
     かねてから香川の武勇は良く知られているので近寄る者も無く、遠矢を射ている内に香川も己斐もそれぞれの城へ引き上げてしまった。
    「うぬう…あ奴ら武田を見限り、既に毛利と通じておるのじゃ。許せぬ、何としても討ち取ってくりょう」
     左京亮は武田の家臣等約一千を引き連れて香川討伐に八木城へ押し寄せた。

     ここに至り、武田家は家臣が真二つに分れ、家臣同士が争うという内紛状態となった。
     武田方は小山のような八木城に火矢を射掛けて焼き払い、一気に攻め落してしまおうと三日三晩息もつかせず攻め続けたが、香川方も城を枕に討死の覚悟で城に篭って必死に防戦し、容易には落ちなかった。

     この時、香川の親戚筋の平賀隆宗と三入の熊谷信直らが香川の援軍に来るとの報が入り、武田方は前後に敵を受けては一大事と兵を引き、遂に銀山城に引き上げた。
     城へ帰ってみると、平賀や熊谷まで出て来たとなるといずれにしても毛利元就が後ろについていると見て間違いは無い、そうなると、この次に攻める時にはあの強敵毛利と戦わざるを得なくなる。勢いの落ちた武田が、日の出の勢いの毛利に負かされる位なら、ここはやはり恥を忍んで和睦をすべきである・・・などの意見が出て軍議が全くまとまりがつかない。銀山城内は大混乱に陥った。

     武田信実は、齢まだ弱冠十五歳であったから、目まぐるしく揺れる武田の重臣たちの意見をまとめることなど到底出来ようはずも無かった。

     衰退してゆく武田家と共に滅ぶ「義」を選ぶか、それとも恥を忍んで毛利の下風に一旦立っても再起を期すか、各々各家の面子も欲得もあったから容易には決まらない。意見を求められることも無く、満座の中で飛び交う意見をただ聞いているだけの信実を見かねた品川左京亮は、評定の席から信実を連れ出した。
    (これも世の流れよのう・・・安芸武田を支え切れるお人は、光和様以外には有り得なんだ。あのお方が亡くなった時点で終わっていたのだ。この若者に期待する方が酷というものじゃ・・・・・・)
     そう思うと、香川を攻めてまで信実の下に団結しようと肩いからせていた力がひょう・・と抜けるような気持ちになった。
     と同時に、武田家の最期にたまたま担ぎ上げられたこの青年が、無性に哀れにも思えてきた。何もこんな所であたら若い命を散らすことは無い、そう思うと、何とかこの若者を城から逃げ落ちのびさせてやりたくなった。
                 (つづく)

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    八木城後に建つ鎌倉源五郎神社
     
     
    作家/エッセイスト/ファイナンシャルプランナー /ラジオパーソナリティー、広島市在住 「広島にこだわり広島を題材にした作品を広島から発信」をモットーに小説や詩、エッセイを創作。 ◼️著書に小説「愛が降る球場物語」(ザメディアジョン刊)、自伝的エッセイ「カープファン物語」(新風舎刊)

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