
青春小説「アカシヤの伝説」第6回~ラブレター
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六月に入ってジメジメとした梅雨空が続いていた。
少しくらいの雨なら、バレー部も、外で練習するのだが、こう降り続いたのではグラウンドも泥でちょっと無理だ。この日は体育館の隅で、柔軟体操をしたり、腹筋、背筋を鍛えたりのサーキットトレーニングとなった。そうでなくても狭い体育館の中に、幾つかの運動部が入り乱れてワアワアやっている訳だから熱気と湿気でムンムンしている。
「こりゃあ熱いで。もうやっとられん」
さすがの浜地さんも音をあげていた。
「よーし、最後、うさぎ跳び三往復で終わりにしよう」
尾田さんの笛に合わせて、三人ずつ体育館の壁に沿ってうさぎ跳びで三往復した者から練習終了だ。
「暑い暑い。シャワーでも浴びようで」
里中さんは、達山さんたちと更衣室で汗を流すらしい。
「おい、ヤクシ、お前どこ見よるんや」
練習が終わって体育館の出口の所に立って卓球部の練習風景をボンヤリ見ていた俺の肩をポンと小出が突っつきニヤッと笑ってひやかして通った。
女子卓球部の中原美紀に俺が長年片憶いしているのが去年の秋、小出にばれてしまっていた。ところが、やはり持つべきものは友とは良く言ったもので、二年の四月のクラス替えで、この小出がたまたま中原と同じクラスになったのだ。それからというもの、小出は義侠心の厚い所を発揮し、毎日部室で会う俺に、
「今日の美紀ちゃんは、こうだった」とか、
「いや今日の中原さんは、風邪の治りかけで熱があるのか、ちょっと色っぽかった」とか、律儀に報告して俺を一喜一憂させた。
「小出、俺らもシャワー浴びていこうや」
「ダメダメ、もう満員で大分待つようなで。早いとこ着替えてさっさっと帰りましょうやぁー」
小出と俺と、あと一年生が何人かブラブラと部室へ戻った。汗でびっしょりになった体操着は、しぼると汗が水のようにしたたり落ちる程だ。
「すみません」
部室の外から声がかかった。
「あのー、薬師堂さんおられたらお願いします」
女の子の声なので、ちょっとびっくりして慌てて外へ出た。
「あの、これ大森さんから渡すのたのまれたんです。読んであげて下さい」
それじゃあ、と言ってすぐにその子は雨に濡れるのも構わず小走りに走り去った。顔を見たことはあったが、直接は知らなかった。
「今の、秋本だろう?あの子。結構可愛いよな」
「違う違う。あの子は手紙を持ってきただけだよ」
こういうことになると目聡い小出が俺の手にしていた手紙をさっとのぞいて見て、
「あー大森雪子ちゃんか。アレ確かお前と同じクラスじゃ無かった?」
大森雪子は、四月からのクラス替えで一緒になった。余り話したことは無かったが、まじめで芯が強そうな笑顔の似合う子だった。
「ヤクシ、お前なかなかやるのおー」
はやし立てる小出と一緒に、居合わせた何人かの一年生たちもニヤニヤとこっちを見やっていた。
ちょっとテレ臭かった俺は、何くわぬ顔をしてその手紙をさっと、運動カバンの中にしまい込んだ。
外では、雨がますます激しく、とてもやみそうには思えなかった。
大森雪子の手紙は、純然たるラブレターだった。女の子、それも同級生の女の子に、ここまで思われれば男として本望という感じがした。
一読して、彼女のほのぼのとした素直さ、性格の良さがうかがえた。
「バレーの練習に夢中になっているあなたが好きです」と書いてあった。
全然気がつかなかったが、校庭のどこからか、俺達の練習をこっそり見ていたらしい。あの傾きかけてはいるが、枝振りの良いアカシヤの老木の陰の辺りだったのだろうか。
「あなたの気持ちを、はっきり聞かせて下さい」というような意味 のことは書いて無かったから、どうともせずに数日が過ぎた。すると、昨晩、この間彼女の手紙を届けに来た秋本という女の子から家に電話があり、大森の告白への返事を迫られたのだ。
(どうしよう…)
俺は迷う。
色々と思いを巡らせるが、結局の所、行き着くのは俺の頭の中には、もう足かけ五年も思い続けてきた中原美紀のことしか無いということだった。大森雪子のことを考えようとすると、美紀の笑顔がまぶたに浮かぶ。
そのうちゆっくりと、大森雪子の心を傷つけないように何とか上手に俺のこの気持ちを判ってもらう方法を考えなくては……そう思っていたが、実に考えが甘かった。同時に、彼女がこういう問題で凄く積極的なのにとても驚いた。否、そうではなく、俺が単に消極的なだけなのだろうか。
違う。俺だって恋する女に自分の気持ちを手紙か何かで伝えたい。ただ、俺は怖いのだ。心を打ち明けて、もしもその自分の恋する人が、自分のことを何とも思っていなかったならば、その恋の相手は、手紙の来たことを実に意外に思い、それ以後はどんなに「今までと変わらずお友達でいましょう。」と言っても無理な話で、やはりどうしても避けてしまうようになるであろうということが。
だから、……だから俺はこんなに好きでも中原美樹に手紙を出せない。出すと、彼女の、あの天使のような微笑みが二度と俺に向けられないような気がするから。
彼女の顔を近くで見ていたいから。
俺と同じ電車やバスに乗るのを意識して避けるというようなことに決してなりたくないから。
そしてこの間のような嬉しい出来事が無くなるとしたら俺はとても悲しいから…
実はこの間、天にも昇りたいような嬉しい出来事があった。
バレー部の同級生の北村と下校していると横川駅前のバス停でばったり中原美紀に出くわした。彼女と一対一だと、どうしても固くなってしまってひとこと語りかけるのにも苦労するくらいぎこちない俺だったが、北村と美紀の三人となると、祇園寺中学の同窓生ということもあってその日は俺の口も滑らかだった。
「あっ、中原さんだったのか。俺最近目が悪くなってきて、よく見えなかったよ」我ながら上手な語り口だ。
「今帰り?バレー部いつも遅くまで頑張るのねえ」
美紀も久しぶりにいい感じで言葉を返してくる。
「薬師堂くん、目は悪くなかったはずだけど。眼鏡かけるのもみた ことないし」
「持ってるけど、あんまりかけないようにしてるんだ。かけると目つきが悪くなるって言うしね」
すると、北村が、
「ヤクシ、お前は眼鏡をかける前からきつい目をしとるから大丈夫、大丈夫」
と横ヤリを入れた。すると、美紀はさり気なく、
「そんなことないわ。ヤクシくんの目は、とっても優しい目よ」
そう言って少し笑った。
黒髪がささっと風になびいて、それを右手で耳のところまでかきあげる彼女のしぐさが、「きれいだ」と俺は思った。
たったそれだけの事だったが、俺は胸が締め付けられる程嬉しくかつ時めいた。
心が躍った。
ああ、愛しい俺の中原美紀、君は俺の天使だ。
君は美しい。
君は、冬の地面の上においかぶさってしまった雪のように純白で、
春先の萌えあがる山野の木や草のように水々しく、
夏の空のように澄みわたり、
それでいて、秋風のように何となく寂しくて、
今にも降り出す曇り空のように泣き出しそうで……
できることなら、
君のために、あの道のほとりに咲いている可愛い花を摘み、
君のために、美しい詩を書き、
君のためにギターを奏で、愛の歌を歌い、
君のためにすべてを尽くしたい。でも……
でもダメなのだ。これは俺の片憶いであって一方通行の恋なのだ。
中原、少しだけでも君と心のかよう瞬間があるだけで、俺はもの凄く幸福感にひたれて、胸が時めくんだ。この幸せを失いたくない。
だから、大森雪子のような勇気が俺には無いし、男として、卑怯なことかもしれないが、とても気持ちを打ち明けることが出来ない。
中原美紀が微笑みかけてくれた。
それだけで今の僕は満足だ。 (つづく)