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小説「初恋~1度だけのキッス」第9回(最終回)~永遠の別れ

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     悲しみにくれたその年も終わり、新しい年が明けた。
     そして中原美紀の1周忌が日一日と近づいてきた。
     命日が迫るにつれて、私はソワソワと居ても立ってもいられない気持ちになっていた。「その日」を冷静に迎えることが出来そうになかった。
     幸い、その日は日曜日だった。ご実家に連絡すると、お焼香をしに行っていいとOKが出たので思い切って行くことにした。
     前の日の晩はなかなか寝つけなかった。ちょうど1年前の今日、美紀が亡くなったのかと思うと、悲しみが今更のようにこみ上げてきた。
     私は起き出して、美紀への思いを書きなぐった。
     
       凍てつく朝に ~ 一周忌に…
     
    今朝起きてみると
    あたり一面には霜が降り
    凍てつくほどの寒い朝…
    1年前の2月7日、
    こんな凍てつく寒い朝に
    キミはその人生を終えて逝ったんだね…
     
     
    ああ この一年間
    どれほどの涙が体の中から流れ出たことだろう
    キミの所在が30年ぶりに分かったけれど、それは訃報でだった
    突然に、若々しい頃の生き生きしたキミの姿が
    僕の中に次々と甦り
    そして そのキミがもうこの世の人ではないと気づくと
    たった今まで元気だった最愛の人が急に失われたような
    体の奥底からセリ上がってくるような
    深い悲しみが駆け上がって来て
    心を震わせる
     
     
    キミに胸をときめかせていた思春期の純な僕が憶えているのは
    心躍り、清らかな、そしてちょっぴり切ないキミとの数々の思い出…
    心の底から僕を幸せな気持ちにしてくれたキミのあの笑顔や
    時折見せた淋しそうな表情
    それらを思い起こすたびに
    今でも体の奥深く 心揺さぶられるようだ…
     
     
    僕は自分の最期の時までこれから何年も
    この悲しみを感じ続けなければならないのだろうけど
    心ときめくキミとの数々の思い出が
    その悲しみを きっと押し流してくれることだろう
     
    安らかに…
    静かに眠って下さい
    世界の誰よりも
    キミのことが好きでした
     
    そして今でも…
     
        
     一周忌の日の朝、彼女の実家の玄関に立ち、呼び鈴を押した。
    「お忙しいのにお邪魔します。押しかけて来ました」
     そう言うと、彼女のお母上は私を仏間に上げて下さった
    「あなたが来て下さると、美紀が帰ってきたような気がします…」
     亡き想い人の母君にそう言っていただけるのは嬉しいことだ。
     ささやかな花を託し、私は形だけお焼香をしてお母上に向き直った。
     仏壇に彼女の遺影がある訳でも位牌がある訳でもない、美紀がそこにいないのは明らかだった。彼女の魂はやはり最期の地である遠い海の向こうの四国・香川にあるのであり、ここには無いのだ。

     少しの間思い出話をしたあと私は思いを決して切り出した。
    「…実は来週末出張で高知に行くことになりました。お葬式にも伺えず何も出来ないままで1年が過ぎ本当に悔いの残る毎日です。帰りにどうしてもお墓参りをして供養したいと思っています。美紀さんのお墓の場所を教えていただけませんか!?」
    「…美紀のお墓は高松の屋島の中腹に嫁ぎ先で作っていただき、この度納骨も済ませました。けれど私たちは車で連れて行ってもらっただけで、今ここで場所を教えてあげることが出来ないのです…」
     そう言って、しかしこちらの気持ちを理解して下さり、近日中に場所を調べて連絡してもらうことになった。
     
     2~3日後、手紙が届き、中にはお墓の地図、それに彼女の自宅の大体の位置が示された地図が添えてあった。
    「行ってやって下さると美紀も喜ぶと思います…」との添え文とともに。
     美紀は自宅で息を引き取ったと聞いていたから…。
     何としてもその近くまで行き、祈りを捧げたかった。
     私のその意を汲んで下さったのだ。
     
     
     ちょうど一周忌と相前後するタイミングで滅多に行くことのない四国への出張が決まったのも何か偶然とは思われない。
     1年間散々に悲しみに打ちひしがれ、落ち込んできた自分を脱するひとつのきっかけになるかも知れなかった。
     
     一泊二日、高知での出張が終わったその帰り道、坂出で途中下車して同僚と別れた私は急ぎ高松に向かった。
     無我夢中だった。
     彼女はもはや居はしないのだ。だけど遠い昔に置き去りにしてきた心のよりどころ、命の源泉を訪ねて行くような、そんな思いがしていた。
     
     既に午後4時を過ぎ、陽は大きく西に傾きかけている。
     高松から琴平電鉄に乗り換えて私は先を急いだ。
     「琴電屋島」の駅で降りると、あとは彼女の母君にもらった地図を頼りに歩いて見つけるしかなかった。
     冬の日暮れを前にした街は冷気に包まれ、誰ひとり歩いていなかった。
     民家のある辺りを通り過ぎ、寂しい山道を少し登って行くと目の前が開け、墓所が広がっていた。この中にあるのは間違いない。
     夕暮れの墓所には誰もいなかった。
     
     私は一目散に上って行った。
     
     何列目かということを聞いてはいたが、美紀の墓はひと目ですぐ分かった。
     一周忌からまだ何日も経っていない、たくさんの人が訪れたのだろう、他のどの墓よりも花がたくさん手向けてありひと際鮮やかであったから…。
     
     …遂に、遂にキミのもとに来た!
      随分と久しぶりだね…
      あれから何年が経ったのだろう…大好きだったキミと離れ離れとなって長い長い年月が過ぎた。どんなにかキミに会いたかったことだろう!
      やっと会えた、本当に会いたかった。
     
      33年前、どうしてもキミに言えなかったこと、
      胸が張り裂けるほど言いたくて堪らなかったことがある。
      13の時から今まで40年間、キミに言いたかった言葉だ。
      一度だけ言わせてくれるかい、、、
      
    「僕はキミのことが世界の誰よりもずーっと、ずーっと好きだった!」
     
     聞いてくれたかい!?やっと言えた…
     
     キミは僕のことをどう思っていてくれたんだい?
     キミも僕のことを少しは好きでいてくれたのかい?
     
     30年以上も言うのが遅くなってしまうとは
     全くもって僕は間抜けな男だよ、、、
     キミの心をもう永遠に知ることは出来ないんだね…
     でも一瞬だけでも心が通い合い、キミも僕のことを好いてくれたことはあったよね?…
     そう思って、いい思い出にしてもいいかい?
     
     一度だけでも、ひと目だけでも生きて再会したかった。
     キミと色々昔語りなどでも出来れば楽しかっただろうにね…
     もう二度とキミとこの世で会うことが出来ないなんて
     こんなに寂しく辛いことはない…
     
     
     涙と美紀への思いがあとからあとから溢れて止まらなかった。
    涙が枯れるほど泣いて正気に戻ってくると、重い荷物を抱えて一心不乱に突
    っ走って来たから、手向ける花の一輪も持っていない自分に気がついた。
    私は少し下にある詰所まで行って、桶に水をいっぱいに汲んできた。
    そして何杯も何杯も、柄杓で水をすくって彼女にかけてあげた。
    「ありがとう、もういいよ…」と言う彼女の声が聞こえるほどに何杯も…
     
     
     
     墓石はまだ新しかった。
    そして墓の脇の石に、「西山美紀 享年51 」と刻まれてあるのが読み取
    れた。
    (  ああ、中原美紀はやっぱりこの地で死んだんだ、、、)
     彼女が現実に亡くなったのだと、その時初めて思えた。
     
     気がつくと屋島はもう陽が陰り、辺りは薄い夕闇に包まれ始めていた。
     眼下に遠く、中原美紀の生きた屋島の街並みがうっすらと見え、そこここに灯りが点りはじめていた。
     
     墓所を後にしながら私は、脇道に転がる小石をひとつ拾ってカバンに忍ばせた。何かしら彼女につながる証しが欲しかったから。
     
     
     もう一度ここに来れることがあるだろうか…
     もう二度と訪れることは無いかもしれない…
     私の青春を彩った中原美紀、
     安らかに、そして、永遠にここに眠れ、、、
     
     30数年ぶりの彼女との再会は嬉しく、心躍るものだったが、
    同時に辛く悲しい、永遠の別れともなった。
     
    +    +     +     +     +     +
     
     その日は高松のビジネスホテルに泊り、翌朝再び琴電に乗って屋島に向かった。いただいた地図を頼りに、彼女の家の近くに行ってみるつもりだった。
     美紀がどんな街で暮らし、生きていたのか、どうしても感じてみたかった。
     潟元駅で降りると、海に向かってだだっ広い埋立地が広がっていた。20分ほど歩いた閑静な住宅地の中に彼女の家はあった。2階建ての広い一軒家で、ここで美紀が暮らしていたのかと思うと万感胸に迫るものがあった。
     どういう家族構成なのかなどは知る由も無かったが、私の立場として訪ねて行く訳にもいかなかった。
     母君によると、美紀はもう助からないと分かると、「私にはすることがある」と入院せず、自宅での治療を続けたと伺っていた。そして1ヶ月後に迫る自分の教え子たちのピアノ発表会のために、亡くなる3日前まで自宅でレッスンにつき合ったということだった。
     彼女の自分の命への覚悟を思い知らされた気がした。
     抗がん剤も使わず、あまりやつれることなく、「最期は眠るように安らかに亡くなりました」と聞いていた。
     しかし人知れずどんなにか苦しい闘病生活だったことだろう。少しだけでも彼女の苦しみを分ち合ってあげたかった。
     間が抜けた話だが、美紀が亡くなって1年も経ってから、家の近くの路傍に立ったまま彼女のために心から瞑目した。

     その場を去り難い思いを抱きつつ、彼女の家の前を横切って振り返ると、庭に一匹の犬が飼われていた。ふと目が合ったとき、その犬が私に向かって片目をつぶり、ウィンクしたように見えた。
     偶然だったのだろうが、そんな些細なことさえも彼女の私に対するメッセージのようにも思え、胸が熱くなった。
     
     
     あとひとつ、どうしても行ってみたい所があった。
     彼女が中心となって地域の子育てサークル「らんらんクラブ」という集まりを立ち上げていた。亡くなる直前まで力を注ぎ、そして亡くなった年の春先、苦労が実ってNPOとして一軒家を借りて、地域の子育ての拠り所としての場が出来上がったということだった。
     その間の経緯がブログに詳しく掲載されていた。また彼女が亡くなってから2カ月くらいの間、彼女の思い出を写真を交えた記事でたくさん紹介してくれていた。その世話役のyumiさんに昨年連絡も取り、彼女の最後の様子を教えていただいたりもした。
     この近くのどこかに彼女の思いの詰まった場所がある…私はそこに行って
    見ずにはいられなかった。
     
     大まかな住所と、近くに公園があるということを手掛かりに、少し広範囲を探し歩いてみた。
     街はずれの一角に小さな三角公園があった。少し先にはもう屋島の山が迫っていた。この辺りではないか…と見回すと、ひとつのブランコに目が止まった。
     子育てブログの中で「外遊び」として近くの公園で子供たちを遊ばせているシーンがいくつか掲載されていた。その中で生前の彼女がジャンパー姿で、子供たちをブランコに乗せてにこやかに見守ってやっている写真があった。心温かくなる楽しそうな写真で、何度も見たから目にしっかりと情景が焼きついていた。その写真のブランコに似てるのだ。
    (  ここかも知れない…)
     ぐるりとその三角公園を歩いて回ってゆくと、外の細い道を隔てた向こうに小さな平屋が建っていた。
     小走りに近づいてみると…
     それがまさに「らんらんクラブ」だった。
     家の中で子供たちを遊ばせている写真からはとても広く感じられたが、想像してたよりもずっと小じんまりとした平屋だった。
     これが彼女が人生の最期の時期に献身的に関わり、地域の多くの若いお母さん方に慕われ、その人々のささやかな夢が結実した子育ての砦、「らんらんクラブ」なのだった。
     傍に寄ってみるとカラフルな看板が目についた。
     それは看板と言うより「絵」なのだが、真ん中に大きな木の幹を形取った人の顔…その顔はモジャモジャ頭に丸メガネをかけた太陽のような笑顔で、前を元気一杯腕白そうな子供たちや大人たちが、手を繋いで楽しそうに歩いていた。
     
     私は「らんらんクラブ」ブログのyumiさんのコメントを思い出した。
    『…お通夜の日の夜、みんなで夜遅くまでかかって泣きながら一生懸命描いたんだ。らんらんクラブに西山さんの笑顔が無いのは嫌だから、いつでも見守っていて欲しいから、美紀さんを大きな木の幹にすることに決めたんだ。真ん中に西山さんが笑顔で、太陽のように子供たちを照らしている…西山さん、見守っていてね!いつまでも一緒だよ!』
     
     その看板は深い悲しみに打ちひしがれてうろつき回っていた私に、どれほどか希望を与えてくれたことだろう。
     彼女はもうこの世の人ではないけれど、子育てクラブの看板の中の絵となって、笑顔いっぱいにこの屋島の街の中に息づき、今も地域のお母さん方や子供たちと一緒に生き続けている…そう思えた。
     
     そう言えば、彼女が亡くなる1年近く前の、まだ彼女が元気な頃のらんらんクラブのある日のブログにこんなコメントがあった。誰が書いたのかは分からないが、今思えば私には死期を悟った彼女からのメッセージのようにも思え、激しく心を動かされた。
     
    「世界には大勢の人たちや生き物が生きていて、一生の中で出会える人はその中でも自分にとって運命の人たち…その人たちと密接に、またさわやかに出会える『クラブ』…別れもあるけれど、生きている限りまた出会えるし、『死』という悲しい別れがたとえいつか来ようとも、出会ったという真実は変わらないのだから、出会えたという真実に感謝したいですね!運命の人たちに…」
     私は三角公園のブランコの所まで戻り、写真の中で生前彼女が立っていた辺りの石コロを一つ拾ってカバンに投げ込んだ。
     
     私には何十年も前の記憶があるだけで、最近の彼女と交した思い出は何もない。だけど、お墓の彼女に語りかけ、この街での彼女の痕跡をたどって夢中で歩き回ったこの2日間のことは、けっして忘れないだろう。
     そして淋しいけれど彼女につながる2つの小石は、私にとって他の何にも代え難い大切な宝物だ。
     
     
     琴電に乗り、高松に向かって彼女の生きた屋島の街を後にした。
     広島に帰る列車の中で、怒涛のような昨日と今日のこと、そして彼女の死を知ってからこの1年間の様々なことが思い出された。
     来てよかった。屋島は私にとって、彼女と永遠のお別れをした辛く悲しい場所になってしまったが、同時に、彼女や地域の人々のあたたかな願いの息づく希望の街ともなった。

     今回の旅は私の人生にとってひとつの大きな区切りとなることだろう。
     心の奥底に押し沈め封印したはずの青春の恋の息吹は、遂に解き放たれ、どこまでも広い四国の空高くへ駆け昇り飛び去って行った。
     
     青春…それは何と純粋で高貴な、それでいて困惑した荒削りな時間だろう…私はその流れの中を夢中で駆け抜けてきた。
     流れの中からはけっして見ることは出来なかったが、遠く離れてみると、それは一粒一粒が絡み合い、見事な光を放つ銀河のような崇高な輝きであった。
     けっして忘れることのない鮮烈な記憶と共に…。
     
    「ゴォー!」と軋む音を立てて列車が本四架橋に差しかかった。
     陽が落ちかけた瀬戸内海の東の彼方遠くに、中原美紀が眠る屋島の姿がうっすらと見える。
     その時、海をバックにした車窓に30数年前の美紀の姿が浮かんで消えた。
     そう…あれは美紀と私が19才の年だった。
     大学浪人となって受験勉強をしていた市立図書館のロビーで彼女とバッタリと出くわした。彼女は既に大学生だった。
     彼女と私の目が互いに合ったが、私は浪人している姿を見られたくなくて、言葉もかけずにそそくさと彼女の前を通り去った。

     思えば、あれが彼女の姿を見た最後となった。
     だから、私に残る生きている彼女の残像は、溌剌と眩いばかりに輝く、19才の若々しい彼女だけだ。
     
    「ヤクシド―くんの方がいい!!」
     今でもあのときの美紀の声が昨日のことのようにハッキリと聞こえる。
     
     そして、涙がこぼれた。
                       (了)

     
     
    作家/エッセイスト/ファイナンシャルプランナー /ラジオパーソナリティー、広島市在住 「広島にこだわり広島を題材にした作品を広島から発信」をモットーに小説や詩、エッセイを創作。 ◼️著書に小説「愛が降る球場物語」(ザメディアジョン刊)、自伝的エッセイ「カープファン物語」(新風舎刊)

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