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沖縄南部自転車旅(6.18-6.20)

    (うまくいけば)来年から沖縄に住もうと決めたので、決意を固める儀式のような形で、旅をしてきた。南部を中心に、今と過去とをちゃんと見ようと思って。
    久々の自転車旅だったので、合計100km弱しか走っていないのにへとへとになってしまったけれど、良い旅だったと思う。疲れるしきついけど、よく知らない土地は身体をきちんと使って巡るに限る。
    坂の多さも、フェンスの長さも、道の具合も、空の青さも、全部自転車だからよくわかった。そういうことを知りたかった。


    Day1 那覇〜浦添〜宜野湾〜那覇

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    ゆいレールで美栄橋へ向かう。今回も安宿。
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    「沖縄でも1914年からの10年間に鉄道が開通しましたが、太平洋戦争で沖縄島が戦場になったときに線路や車両を壊され、列車を走らせることができなくなりました。戦後も、沖縄島を 治めていた、自動車の発達しているアメリカは、鉄道を修理しませんでした。1972年には沖縄県が日本へ返されましたが、日本政府は沖縄島の鉄道を修理して再び列車を走らせようとは考えなかったのです」
    学研教育情報資料センター
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    河口近く特有の、川面と橋桁の距離感が好き。横浜の川もこんな感じだった。
    生まれ育った中流域の川とは違うから、こういう川を見るたびに写真を撮ってしまう。
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    よき花、よき花壇。
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    自転車をレンタルして、58号線を北上する。タイヤはマウンテンバイク規格のクロスバイク。

    キャンプキンザー

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    国道58号線を北上すると、3kmほどで、左手にキャンプキンザーが現れる。
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    坂の上には夏らしき雲。
    自転車で走るとフェンスの長さがよくわかる。国道を挟んで右側は全国どこの国道でも見られるような高度に資本化された(?)店々、左側には綺麗に整えられた芝と白い建物。目のくらみそうな温度差。
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    補給基地だからか、すごく静かだった。右と左の大きいギャップ、横を走る国道の騒音がなんだか新鮮に耳に響いた。
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    途中で国道を左折して前田高地に向かう。
    坂の多いまち。今まで自転車で通った県の中で一番アップダウンが多かったような気がするけど、いつもきつい坂を終えると過去最上級に苦しかった気がするので、記憶の補正のせいかもしれない。
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    至るところで”軍用地売買”の看板を見かける。どういうことなのか気になって聞いたら、戦前に所有していて今は軍に”借上”られている(ことになっている)土地に対して、国から借地料が支払われるが、それが不動産投資先として人気があったり、相続の問題が大変だったりするらしい。愛知や神奈川では聞いたことのない言葉だった。

    前田高地

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    前田高地から北を望む。奥に見える海岸が米軍の上陸地点となった海岸、手間に見える緑の小高い丘が前田高地とともに激戦の地となった嘉数高台。
    4月1日の無血上陸、2週間の嘉数高台での激戦、4月25日から5月6日まで続いたという前田高地の戦い。読み齧った字面が、景色を前に、重みとして初めてのしかかる。
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    嘉数高地の奥には普天間基地も見える。
    平らな土地は基地に使われ、住宅は斜面に覆い被さるように建つ。
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    生い茂る木々。80年前はどんなだったのだろうか。
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    ワカリジー。前田集落で長く信仰され、首里や那覇からも参拝者が訪れていたという御嶽。
    戦中は米軍から「ニードルロック」と呼ばれ、争奪戦が繰り広げられた、とのこと。

    何かを祈って合わせた手ほど美しいものはない。そういう場所が激戦地になったということにふつふつと怒りを覚える。この地そういうことは溢れていて、そういうことの全てに悲しみの混じった怒りを覚える。わたしが怒っていいのかわからないし、過去のことに怒ることにどういう意味があるのかもわからないけれど。
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    宗教上の理由から銃を持つことをせず衛生兵として多くの人の命を救った、というデズモンドという人について書かれた看板の前で、イギリスと台湾から来たという二人と一緒になった。

    無言で一緒にその説明板を読んだあと、なにか意味ありげな沈黙が流れたので、少しだけ会話をしたら、「It's a beautiful view.」と言われた。多分褒めてくれたんだと思うのだけど、それになんと返したらいいかわからなくて私は「ここに特有の景色だよね」と言った。
    何をどう伝えたらいいのかが分からなかった。アイルランド出身だという女性がどういうふうにアイデンティティの帰属先を見出しているのかも分からなかったし、わたしは大きな意味ではヤマトの人間だし、私はイギリスの歴史をよくは知らない。知らないことだらけだ、と思った。看板が、こういう看板で良かった、とも思ってしまった。でも本当に綺麗な景色だった。
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    街を見下ろす方向を向いたお地蔵様。

    宜野湾市博物館

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    特別展がやっていると教えてもらい向かう。常設展と戦後80年の特別展。
    それぞれの土地にそれぞれの固有の歴史があること、沖縄戦一つとっても土地土地で歴史があること、当然のことだけど突きつけられる。琉球の時代も、もっと前も、ここには人がずっと住んでいた。そういうことを心と体でちゃんと知らないと、今のことだって考えられないと思う。

    サイクリング

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    暑すぎて一気飲み。
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    南国にいる〜って気分になる。
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    坂の途中のバス停。ほっと一息できると良いね。
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    こんなとこでバス待てたら、暑くても許せるかも。
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    斜面に立つ家々。
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    まちにはまちの色がある。
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    ゴーヤにネットかけるの、初めて見た。
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    こういう植物の愛で方、好き。
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    こういうのも良いね。
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    二つ並んだシーサーが珍しかったので、家の人に声かけて撮らせてもらった。
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    Y字路も、見かけたら写真を撮りたくなる。
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    なんでもない道。人が住んでいる気配が私は本当に好き。
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    手を合わせる場所のかたちが、愛知や神奈川で知っているかたちとは違くて、新鮮。
    祈りのあり方をめぐる旅などもしてみたいと思う。

    Day2 那覇〜南風原〜八重瀬〜糸満

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    二日目は那覇から南下していく。こういうなんてことない道の景色が、ペダルを漕ぐごとに全く違うものになっていくのが面白い。
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    南は那覇とは人口密度が桁違い。自転車旅の面白いところは、街と道と街の変化が肌でわかるところ。あぁ畑が増えてきたなーとか感じながら漕ぐのは面白い。
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    糸満の道。道路と緑と空の色合いが良い。

    平和祈念公園

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    沖縄で一番美味しい、とおすすめしてもらった、祈念公園の売店のそば。
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    店主の方がサービスとしてパパイヤを出してくださる。多分初パパイヤ。美味。

    那覇から自転車で来たというと、時間ある?話そうよ、と。会話に飢えている旅人としてはありがたい限り。糸満の農業のこと、最近の米騒動の話、天皇皇后両陛下がいらした時の話、上空をぐるぐる回るヘリコプターのこと、いろいろなことを、ゆっくりと、ぽつりぽつりと話した。
    途中でサイパンで食べたヤシの実の話が出てきた。私もサイパンでヤシの果肉を食べたことがあって、盛り上がった。その後で行った資料館で、沖縄県からたくさんの人がサイパンに移り住んでいたという記述を見て、このサイパンの話にどういう過去があったのか、わたしは知らないで相槌を打っていたことに気付いた。
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    緑が映える、映えるほどに、増す心地もあるのだとおもう。
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    下はガマを、差し込む光は平和への祈りを。
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    放し飼いの鳥?優雅に昼食?
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    平和の礎。
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    できるだけゆっくりと、おひとりおひとりのお名前を見ようと歩く。242,567人。その数の意味が、分からなくなる。一人一人に過去があって、本当だったら存在していた未来があったことが、どういうことなのかが分からなくなる。
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    礎を抜けると、青い、青い海と空。
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    刻銘碑の周りのクワディーサーについて詠んだ山口漠の詩が胸に響く。
    いつも墓場に立つてゐて
    そこに来ては泣きくずれる
    かなしい声や涙で育つといふ
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    命どぅ宝
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    知らないことだらけだった。ちゃんと知りたいと思った。
    ”知ることが大切”と言われることがよくある。その意味がよく分からないと思っていた。知っているだけじゃ何かを変えられるわけではないのに、変えられないけど知っていればいいんだと正当化しているような気がしていた。
    最近、自分で納得がいった。これは正当化とかそんな次元の話ではない。今の許し難いことを許さないという決意と、どうにかしようという奮闘の下には、折重ねられた歴史とここに生きた人が居るんだよ。それを知らないで何かを始めることはできないんだよ。それにそもそも、迷い自体が加害の構造の強化につながるのかもしれない。だからちゃんと、ちゃんと学ぼうと思った。
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    摩文仁の丘、黎明の塔。日本軍第32軍、牛島満司令官らを弔う塔が、平和の礎からは少し離れた、見晴らしの良い場所にある。この場所にある意味を考えて、中学か高校かの授業で教わった、牛島満の辞世の句を思い出す。
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    黎明の塔から絶景を望む。

    散策

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    那覇とはまた違う景色。
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    すてきな愛想のふりまきかたね
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    凛々しいシーサー。シーサーにも土地柄があるのか?この辺りのシーサーはこの色が多かった。
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    はぁ、良き道、良き空。ずっと見ていたい。
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    いしがんとう。魔物は直進しかできないから、魔物が入ってこないように丁字路や三叉路に置かれているのだとか。自転車に乗っていると本当に至るところの目線の近くにこれがあって、目につく。
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    美しい猫。
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    沖縄でしか見ないタンクと、夏らしい雲。まだ六月ですけどね。
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    いしがんとうver.2、こんなちょっとした斜め道でも丁字路扱いなのね。
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    トタン屋根が飛ばないように置かれたタイヤ。生活の工夫?
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    私初めてバナナ農園を認識したかもしれない。
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    威嚇する猫。なんか…ごめんって…。
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    海を眺む。
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    だれもいないビーチにパラソル一つ。
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    美しいと感じる景色の多くが、実は戦跡であるという事実に、改めて言葉を失う。
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    ヤギ汁食べられずじまいだったので、どこかのタイミングで食べたいのだけど、この写真にあわせる言葉ではないかもしれない。
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    ここにも御嶽。
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    今日は不漁だったおとうさん。「魚には負けますねぇ」
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    Day3 糸満〜那覇

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    本州では見ない色をした漁港ですね。

    糸満海人工房など

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    宿の方のおすすめで糸満海人工房資料館へ。私は手仕事や道具が好きなので、刺さる刺さる。
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    潜水メガネ「ミーガン」の発明から、道具とともに糸満の漁の歴史がとっても丁寧に展示されていてた。生きることと密接に結びついていたであろう歴史がそこにあって、人はこうして生きてきたんだなぁとしみじみ。私はこういう営みを見るとなぜだかすごく嬉しくなる。
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    たまたまJICAの研修で来ていた方達もいて、おこぼれで詳しく説明を聞かせていただく。
    早すぎて広すぎる世界になる前は、こうして土地土地に固有の知恵のある営みがあったんだなぁ、全部大きな技術で解決するようになって、この世界はどこへ向かうんだろう?などと考える。
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    伝統的な木造船、サバニの工房にも連れて行っていただいた。
    もともとは丸太をくり抜いていたそうだが、今は木材を接合して作られているそう。最近ではサバニレースなどもあるそうで、私絶対やりたくなっちゃうやつじゃん?
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    木材の接合面。やっぱり手仕事って素晴らしい。シンプルな工夫、小さな発明に勝るものはない。
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    当然なんだけど、船にも修理工場があるのね。
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    修理工場に向かうレール。琵琶湖にも船をあげるレールはあったけど、海や船の遠いところに住んでた私には水回りの工夫は新鮮。
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    美しい景色だが、この山々の稜線が、80年前には第三の防衛線とされていたのだそう。

    この景色の中で起きた、6月18日のバックナー中将の戦死で激昂した米軍による虐殺の話も教えてもらった。礎に刻まれた人全員に言葉を絶する最期があったのだと思うと、言葉がほんとうに出てこなくなる。そういうことを今も持っている人がいる。こういう話をするのにどんな葛藤があるのかが分かるから、こうして直接聞いた話だけは、絶対に忘れないと誓う。
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    好きな感じの堤防。
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    沖縄の具沢山お味噌汁。お昼ご飯をご馳走していただいて、いろいろな話を聞かせてもらう。
    台湾の漁村のこと、水俣と狩俣のこと、展示の結論の持っていき方の違い、赤土流出を防いだ解決策の話(Simple is best)、合理性を優先した科学の行き着く先の話、いろいろと幸せな出会いで、こうやって素敵な人に出会えるのは旅人の特権だよなー、と思う。

    旅の終わり

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    那覇でおすすめしてもらった映画館で映画を見る。旅先で時間があったらできるだけ映画を見るようにしているんだけど、今回のこの劇場の素敵さは随一だった。通いたい。
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    好きな空。
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    ガジュマルの下の逢瀬って良きですね。
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    水をやらないと植物も喉が渇くのです。暑いので。
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    無料アイス。なんと粋な。
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    那覇のいしがんとうはシンプルなのが多かった。
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    よき道のくねり方。
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    日焼けが痛い!


    ちょっと蛇足。

    すごくながくなっちゃったけど、もう少しだけ。忘れたくないことがたくさんあるので。

    今回の旅は6月23日が近いこともあって、平和などについて考えることが多かった。平和ってワードはちょっと漠としすぎているけれど。

    米軍は、「戦争を始めるのは政府で、軍隊は政府が始めた戦争を一刻も早く終わらせるためにある」という考え方をするのだ、という話を聞いた。
    なるほど、ならば多少の犠牲は仕方ないし、合理的に戦争を終わらせるためには軍備の強化も致し方ない?
    なんとなく納得しかけて、やっぱり違和感があった。

    私は絶対に、非暴力を前提にする立場からは降りないと決めている。だから、暴力の存在を無批判に前提においた考え方は、どれだけ理屈が通っていようと、スタート地点が歪に感じるから、私には空虚に響く。
    最近目にするのはそういう議論ばっかりだ、と嫌気がさす。
    核配備、核保有を阻止するための攻撃、基地、原発、虐殺。暴力や誰かの犠牲を”前提”に始める議論は、たとえ途中の理屈がどれだけ通っていても、着地点なんて生まれないじゃない。加害と被害はおり重なっているのだから、連鎖は続く。

    そこに抗うための立場を、私は一人一人の生活や歴史におきたいと思う。人がひとり生きるということの重みと、その数とは、大きな物語の潮流に抗うに値する。
    だからその場所に流れた時と、生きた人を知りたい。その場所の今を知りたい。
    これは沖縄に限った話ではなくて、もう日本全国、世界各国すべての土地の、そこに生きる人をちゃんと知りたいと思う。

    宿で沖縄タイムスを読んで、愛知とは全く違う何かに驚かされた。自分が普段いるところとは違う時間が流れる場所があることを、忘れないで生きていたい。そういう時間が過去の積み重ねの上にあるのなら、私はその過去をもっとしっかり学びたい。

    そんなことを旅の総括として思った。

    誰かの話を聞くたびに、その人の中にこれまで重ねられてきた経験の重みに圧倒される。今回の旅も、そういう出会いがいくつもあって、だからすごく良いものだった。長く漕いだ分、よい道にも多く出会えて、それも良かった。
    総じて、すごくよい沖縄自転車旅だった。

     
     

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    読書、自転車、旅、日記。

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