
沖縄南部自転車旅(6.18-6.20)
(うまくいけば)来年から沖縄に住もうと決めたので、決意を固める儀式のような形で、旅をしてきた。南部を中心に、今と過去とをちゃんと見ようと思って。
久々の自転車旅だったので、合計100km弱しか走っていないのにへとへとになってしまったけれど、良い旅だったと思う。疲れるしきついけど、よく知らない土地は身体をきちんと使って巡るに限る。
坂の多さも、フェンスの長さも、道の具合も、空の青さも、全部自転車だからよくわかった。そういうことを知りたかった。
Day1 那覇〜浦添〜宜野湾〜那覇


学研教育情報資料センター

生まれ育った中流域の川とは違うから、こういう川を見るたびに写真を撮ってしまう。


キャンプキンザー


自転車で走るとフェンスの長さがよくわかる。国道を挟んで右側は全国どこの国道でも見られるような高度に資本化された(?)店々、左側には綺麗に整えられた芝と白い建物。目のくらみそうな温度差。


坂の多いまち。今まで自転車で通った県の中で一番アップダウンが多かったような気がするけど、いつもきつい坂を終えると過去最上級に苦しかった気がするので、記憶の補正のせいかもしれない。

前田高地

4月1日の無血上陸、2週間の嘉数高台での激戦、4月25日から5月6日まで続いたという前田高地の戦い。読み齧った字面が、景色を前に、重みとして初めてのしかかる。

平らな土地は基地に使われ、住宅は斜面に覆い被さるように建つ。


戦中は米軍から「ニードルロック」と呼ばれ、争奪戦が繰り広げられた、とのこと。
何かを祈って合わせた手ほど美しいものはない。そういう場所が激戦地になったということにふつふつと怒りを覚える。この地そういうことは溢れていて、そういうことの全てに悲しみの混じった怒りを覚える。わたしが怒っていいのかわからないし、過去のことに怒ることにどういう意味があるのかもわからないけれど。

無言で一緒にその説明板を読んだあと、なにか意味ありげな沈黙が流れたので、少しだけ会話をしたら、「It's a beautiful view.」と言われた。多分褒めてくれたんだと思うのだけど、それになんと返したらいいかわからなくて私は「ここに特有の景色だよね」と言った。
何をどう伝えたらいいのかが分からなかった。アイルランド出身だという女性がどういうふうにアイデンティティの帰属先を見出しているのかも分からなかったし、わたしは大きな意味ではヤマトの人間だし、私はイギリスの歴史をよくは知らない。知らないことだらけだ、と思った。看板が、こういう看板で良かった、とも思ってしまった。でも本当に綺麗な景色だった。

宜野湾市博物館

それぞれの土地にそれぞれの固有の歴史があること、沖縄戦一つとっても土地土地で歴史があること、当然のことだけど突きつけられる。琉球の時代も、もっと前も、ここには人がずっと住んでいた。そういうことを心と体でちゃんと知らないと、今のことだって考えられないと思う。
サイクリング













祈りのあり方をめぐる旅などもしてみたいと思う。
Day2 那覇〜南風原〜八重瀬〜糸満



平和祈念公園


那覇から自転車で来たというと、時間ある?話そうよ、と。会話に飢えている旅人としてはありがたい限り。糸満の農業のこと、最近の米騒動の話、天皇皇后両陛下がいらした時の話、上空をぐるぐる回るヘリコプターのこと、いろいろなことを、ゆっくりと、ぽつりぽつりと話した。
途中でサイパンで食べたヤシの実の話が出てきた。私もサイパンでヤシの果肉を食べたことがあって、盛り上がった。その後で行った資料館で、沖縄県からたくさんの人がサイパンに移り住んでいたという記述を見て、このサイパンの話にどういう過去があったのか、わたしは知らないで相槌を打っていたことに気付いた。








いつも墓場に立つてゐて
そこに来ては泣きくずれる
かなしい声や涙で育つといふ


”知ることが大切”と言われることがよくある。その意味がよく分からないと思っていた。知っているだけじゃ何かを変えられるわけではないのに、変えられないけど知っていればいいんだと正当化しているような気がしていた。
最近、自分で納得がいった。これは正当化とかそんな次元の話ではない。今の許し難いことを許さないという決意と、どうにかしようという奮闘の下には、折重ねられた歴史とここに生きた人が居るんだよ。それを知らないで何かを始めることはできないんだよ。それにそもそも、迷い自体が加害の構造の強化につながるのかもしれない。だからちゃんと、ちゃんと学ぼうと思った。


散策


















Day3 糸満〜那覇

糸満海人工房など



早すぎて広すぎる世界になる前は、こうして土地土地に固有の知恵のある営みがあったんだなぁ、全部大きな技術で解決するようになって、この世界はどこへ向かうんだろう?などと考える。

もともとは丸太をくり抜いていたそうだが、今は木材を接合して作られているそう。最近ではサバニレースなどもあるそうで、私絶対やりたくなっちゃうやつじゃん?




この景色の中で起きた、6月18日のバックナー中将の戦死で激昂した米軍による虐殺の話も教えてもらった。礎に刻まれた人全員に言葉を絶する最期があったのだと思うと、言葉がほんとうに出てこなくなる。そういうことを今も持っている人がいる。こういう話をするのにどんな葛藤があるのかが分かるから、こうして直接聞いた話だけは、絶対に忘れないと誓う。


台湾の漁村のこと、水俣と狩俣のこと、展示の結論の持っていき方の違い、赤土流出を防いだ解決策の話(Simple is best)、合理性を優先した科学の行き着く先の話、いろいろと幸せな出会いで、こうやって素敵な人に出会えるのは旅人の特権だよなー、と思う。
旅の終わり








ちょっと蛇足。
すごくながくなっちゃったけど、もう少しだけ。忘れたくないことがたくさんあるので。
今回の旅は6月23日が近いこともあって、平和などについて考えることが多かった。平和ってワードはちょっと漠としすぎているけれど。
米軍は、「戦争を始めるのは政府で、軍隊は政府が始めた戦争を一刻も早く終わらせるためにある」という考え方をするのだ、という話を聞いた。
なるほど、ならば多少の犠牲は仕方ないし、合理的に戦争を終わらせるためには軍備の強化も致し方ない?
なんとなく納得しかけて、やっぱり違和感があった。
私は絶対に、非暴力を前提にする立場からは降りないと決めている。だから、暴力の存在を無批判に前提においた考え方は、どれだけ理屈が通っていようと、スタート地点が歪に感じるから、私には空虚に響く。
最近目にするのはそういう議論ばっかりだ、と嫌気がさす。
核配備、核保有を阻止するための攻撃、基地、原発、虐殺。暴力や誰かの犠牲を”前提”に始める議論は、たとえ途中の理屈がどれだけ通っていても、着地点なんて生まれないじゃない。加害と被害はおり重なっているのだから、連鎖は続く。
そこに抗うための立場を、私は一人一人の生活や歴史におきたいと思う。人がひとり生きるということの重みと、その数とは、大きな物語の潮流に抗うに値する。
だからその場所に流れた時と、生きた人を知りたい。その場所の今を知りたい。
これは沖縄に限った話ではなくて、もう日本全国、世界各国すべての土地の、そこに生きる人をちゃんと知りたいと思う。
宿で沖縄タイムスを読んで、愛知とは全く違う何かに驚かされた。自分が普段いるところとは違う時間が流れる場所があることを、忘れないで生きていたい。そういう時間が過去の積み重ねの上にあるのなら、私はその過去をもっとしっかり学びたい。
そんなことを旅の総括として思った。
誰かの話を聞くたびに、その人の中にこれまで重ねられてきた経験の重みに圧倒される。今回の旅も、そういう出会いがいくつもあって、だからすごく良いものだった。長く漕いだ分、よい道にも多く出会えて、それも良かった。
総じて、すごくよい沖縄自転車旅だった。