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子どもの心が輝き出す スピリチュアル教育入門 第三章

    第三段階 転生輪廻とは何か

    ここから、第三段階の話に入ります。
    テーマは、「転生輪廻とは何か」です。

    転生輪廻という言葉は、皆さんも一度は聞いたことがあるかもしれません。

    簡単に言えば、魂は一度きりの人生で終わるのではなく、何度も生まれ変わりながら、少しずつ成長していくという考え方です。

    たとえば、ある時代にヨーロッパで生まれた女性が、人生を終えて天国へ帰る。
    その後、また別の時代に日本に生まれる。
    さらに別の人生では、まったく違う国や立場で生きる。

    このように、魂はさまざまな人生を経験しながら、学びを深めていくと考えられています。

    もちろん、転生輪廻については、信じる方もいれば、信じない方もいると思います。
    ここで大切なのは、「信じなければならない」ということではありません。

    私は、これまでスピリチュアルの仕事を通して、多くの方の話を聞き、さまざまな体験に触れてきました。
    その中で、転生輪廻という視点を持つことで、人の才能や親子関係、人生の課題が、とても深く見えてくると感じるようになりました。

    ですから、本書では、転生輪廻を一つの前提として、教育や子育てについて考えていきます。


    魂は、何度も人生を経験しながら成長していく

    私がこれまでリサーチしてきた限りでは、転生を何度も経験していると感じられる方は少なくありません。

    中には、
    「今回が地球で初めての転生です」
    という方にも出会ったことがあります。

    私の知る限りでは二、三人ほどでしたが、その方たちは、どこか地球の常識に慣れていないような、独特の感覚を持っていました。本人たちは「他の星から来た」と表現していました。

    転生輪廻については、基本的には何千年、何万年という単位で生まれ変わりを繰り返すため、十回や二十回の転生は、ごく普通のことだと考えられています。

    最近、私は沖縄のユタ、つまり霊的な能力を持つ方に会い、自分が何回転生しているのかを聞いたことがあります。

    すると、
    「八十五回生まれ変わっていますね」
    と言われました。

    「かなり多い方ですよ」とのことでしたが、正直に言えば、私はその話を聞きながら、
    「本当かな?」
    とも思っていました。

    私はスピリチュアルの仕事をしていますが、何でもすぐに信じるタイプではありません。
    むしろ、「本当にそうなのか」と疑いながら、確かめていくタイプです。

    それでも、学びのためにこうした診断を受けたり、さまざまな方の話を聞いたりしながら、転生輪廻について探求を続けています。


    私自身の過去生について

    ちなみに、私は自分の過去生を十以上知っています。

    最も古いものになると、おそらく地球以外の星での転生ではないかと感じています。

    今、スピリチュアルの仕事をしているのも、六千五百年前のエジプトにいたときの過去生が関係しているように思います。
    その過去生では、強い霊的な力を持っていたため、現在の私も、その力の影響を受けながら活動しているのだと感じています。

    歴史上の人物として名前が残っている過去生もあります。

    たとえば、平安時代の藤原氏の一族。
    また、鎌倉時代には「信奉奉行」という役職についていたことがあるようです。信奉奉行とは、源頼朝の代わりに伊勢神宮へ参拝する役割です。

    こうした過去生を持っていることが、現在の私の役割にもつながっていると感じています。

    また、教会の神父をしていた過去生もあります。

    しかし、それ以上に特徴的なのは、私は何度も何度も「教育者」として生まれ変わってきたということです。

    どの時代の転生を見ても、人を指導し、育てることに関わってきました。
    だからこそ、今の私も自然と教育の仕事をしているのだと思います。

    これまでの転生の多くが教育に関わるものであったからこそ、今もこうして人を導くことに強い関心があるのです。


    人生は、魂の学びの場である

    では、転生輪廻とは何なのでしょうか。

    私は、それを魂の修行の場だと考えています。

    本来の世界は、あの世、天国、精神世界などと呼ばれる場所です。
    実は、そちらの世界こそが、魂にとって本来の場所なのかもしれません。

    しかし、私たちは魂を成長させるために、あえてこの世に生まれてきています。

    人生は、まるで学校のようなものです。
    新しい経験をし、喜びを味わい、時には苦しみや困難を経験しながら、魂は少しずつ成長していきます。

    だからこそ、人生が幸せだけで満たされていたら、魂の成長という意味では十分ではないのかもしれません。

    ある程度の苦しみや困難があることを、魂はどこかで織り込み済みで生まれてきている。
    私はそのように感じています。

    もちろん、苦しみを美化する必要はありません。
    つらいことはつらいですし、無理に耐えればよいという話でもありません。

    ただ、人生の困難を、
    「なぜ私だけがこんな目に遭うのか」
    と見るだけではなく、
    「この経験を通して、私の魂は何を学ぼうとしているのだろう」
    と捉えることができたとき、人生の意味は少し変わって見えてきます。

    この「人生は学びの場である」という視点は、子育てにおいても、とても大切なものだと思います。


    守護霊とは何か

    ここでもう一歩踏み込んで、「守護霊とは何か」についてお話しします。

    守護霊というと、多くの人は、ご先祖様や亡くなった身近な人をイメージするかもしれません。
    もちろん、そういうケースもあります。

    ただ、私の理解では、守護霊とは単に「外から守ってくれる霊」というよりも、もっと大きな意味を持つ存在です。

    守護霊とは、実は魂のエネルギーの一部だと考えています。

    多くの人は、魂を、自分の体の中に小さなボールのように入っているものとしてイメージしているかもしれません。

    しかし、私の感覚では、魂はもっと大きな存在です。
    一人の人間の体の中に収まりきらないほど、大きなスケールを持っています。

    では、魂の本体はどこにあるのでしょうか。

    私は、魂の本体は、先ほどお話しした天国や精神世界に残っていると考えています。

    魂の中には、前世、前々世、さらにその前の過去生まで、無数の人格や経験が蓄積されています。
    その中の一部のエネルギーが、現世の私たちのもとに降りてきて、守護霊として働いているのです。

    そういう意味で、守護霊とは「自分自身」でもあると言えます。

    スピリチュアルの世界では、「ハイヤーセルフ」という言葉で表現されることもあります。
    また、「過去世の自分」と表現することもできます。

    つまり、守護霊は単なる外部の存在ではなく、私たちの魂の一部が、現世の私たちを導くために働いている存在なのです。


    守護霊にも、さまざまなタイプがある

    私はこれまでに、七十名以上の守護霊と会話をしてきました。
    その中で感じたのは、守護霊には本当にさまざまなタイプがあるということです。

    先祖がついているケースもあります。
    亡くなったお母さんがついているケースもあります。
    さらに、生きているお母さんが守護霊のように働いているケースもありました。

    これは少し不思議に聞こえるかもしれません。

    なぜ生きているお母さんが守護霊のように働くことがあるのか。
    私の理解では、生きているお母さん本人ではなく、そのお母さんの過去世のエネルギーが天国に存在していて、その一部が守護霊として働いているのです。

    この仕組みに気づいたとき、私は、
    「お母さんはまだ生きているのになあ」
    と思いながらも、とても興味深く感じました。

    また、珍しいケースでは、「神様の使い」のような存在に出会ったこともあります。
    私はこれまでに二人、そうした存在がついている方に会いました。

    一人目は看護師さんでした。
    その方は、とても強い「人を助けたい」という思いを持っていました。

    その守護霊は、
    「私たち神の使いも、人を助けるために存在している。だから、この人のように人を助けたいと願う魂とは、エネルギーが合いやすく、応援しやすい」
    と語っていました。

    つまり、人のために尽くすエネルギーを持つ人には、そうしたエネルギーを持つ守護霊がつきやすいということなのです。

    もう一人の神様の使いは、非常にユニークな存在でした。
    自ら「神様の使い」と名乗っていましたが、話し方がまるで小僧のようだったのです。

    「いや、わしはね」
    「神様がいてね」
    「この人が生まれるときにね、お前行ってこいって言われたからね、ピョーンって来たんですよ」

    と、とても軽い調子で話していました。

    そして、
    「この人にはちょっと大変な仕事があるんでね、手伝ってあげなきゃいけないかなと思って、神様に『行ってこい』って言われたんで来たんですよ」
    と言っていました。

    こうして見てみると、守護霊には本当にいろいろなタイプがいることがわかります。

    そして、守護霊の存在を意識するだけでも、その加護を受けやすくなるように感じます。


    守護霊は、応援してくれる先生のような存在

    多くの人は、守護霊のことを、
    「何か助けてくれる霊的な存在」
    と漠然と考えているかもしれません。

    しかし、私の感覚では、守護霊は「すごく自分を応援してくれる学校の先生」に近い存在です。

    頑張っていれば助けてくれる。
    でも、怠けていれば助けてくれない。

    守護霊に対して、
    「なんで助けてくれないんですか」
    と文句を言ったら、
    「いや、助けようとしたのに、手を振り払ったのはそっちでしょう」
    と返されるようなこともあります。

    守護霊には、しっかりとした人格や性格があります。
    優しいタイプもいれば、厳しいタイプもいます。

    私の仕事の中で、
    「自分のミッションを知りたい」
    という依頼を受けることがよくあります。

    しかし、守護霊の反応もさまざまです。

    「あなたのミッションはこれです」
    と親切に教えてくれる守護霊もいます。

    一方で、
    「そんなことを考えているうちはダメだよ」
    と一蹴する守護霊もいます。

    つまり、守護霊にも性格があるのです。
    それぞれの魂の個性が反映されているため、導き方も人それぞれ違います。


    妻の守護霊とのやり取り

    うちの家内は、こういったスピリチュアルなものが見える人です。

    たとえば、子どもが病気になったとき、私が手をかざしてエネルギーを流していると、
    「ちゃんと光ってるから、できてるね」
    と言うような人です。

    普通にそういうものを見て、感じ取れるタイプなのですが、あるとき自分の守護霊に質問をしたときの反応が、とても面白かったのです。

    家内が守護霊に、
    「やっぱり守護霊様のお力を借りたほうが、人生は開きやすくなるんですか」
    と聞いたところ、守護霊は、
    「いやあ、こればっかりは本人の努力次第ですからね」
    と返事をしました。

    このやり取りを聞いて、私は、
    「やっぱり守護霊にも性格があるな」
    と改めて感じました。

    助けることを前提にしてくれる守護霊もいれば、最終的には、
    「自分の努力次第です」
    と、少し突き放すように導く守護霊もいます。

    けれども、どちらがよい・悪いということではありません。
    結局のところ、守護霊は、その人にとって最適な形で導いているのだと思います。


    二者の会話ではなく、実は四者会談

    ここで話を少し進めて、「二者の会話」ではなく「四者会談」という視点についてお話しします。

    これは、教育者としても非常に重要な考え方です。

    私たちは、誰かと一対一で話をしているつもりでいます。
    しかし、スピリチュアルな視点で見ると、実際には、
    自分の守護霊と、相手の守護霊を含めた四者会談をしている
    と考えることができます。

    普段は意識していないかもしれません。
    けれども、こうしたエネルギーのやり取りは、いつも行われているように感じます。

    たとえば、私がセミナーをするとき、リスナーからエネルギーをもらうことがあります。

    もちろん、私の守護霊は、
    「こういうことを話してあげたらいいんじゃないか」
    と常に応援を送ってくれます。

    しかし、それだけではありません。

    リスナーの守護霊も、
    「こういうことを話してほしい」
    とエネルギーを送ってくることがあります。

    これは無意識のうちに起こっていることで、私自身がいつも意識的に判別しているわけではありません。

    でも、皆さんも、誰かの相談を受けたときに、
    「自分でも初めて言ったのに、すごくよいアドバイスができた」
    という経験があるのではないでしょうか。

    たとえば、
    「それって、こういうことじゃない?」
    とふと口をついて出た言葉が、自分でも驚くほど的確で、
    「今、すごく大事なことを言った気がする」
    と感じることがあります。

    こうした瞬間には、自分の守護霊、あるいは相談相手の守護霊の働きが関わっているのかもしれません。

    だからこそ、私はYouTubeのコンテンツ作りを、対話形式で行うことがあります。

    一人で話す場合は、一人分のエネルギーのやり取りです。
    しかし、対話で行うと、四人分のエネルギーが交流し始めます。

    この四者会談の力を活用すると、より深い内容を引き出しやすくなるのです。

    こういう仕組みを理解すると、会話や教育の場面が、より面白く、奥深いものに見えてきます。


    才能とは何か

    ここから、転生輪廻と才能の関係についてお話ししていきます。
    これは、教育の分野でも非常に重要なテーマです。

    才能はあるのか、ないのか。

    この問いに対して、私の結論は、
    才能はある
    です。

    ただ、教育者としては、この話をあまり強調しすぎたくありません。
    なぜなら、教育の立場からすれば、
    才能は努力によって伸びていく
    という考え方の方が、子どもの成長を促すからです。

    「才能がないから無理」
    と思ってしまえば、子どもは挑戦しなくなってしまいます。

    ですから、教育の現場では、まず努力と環境の力を大切にするべきです。

    しかし、スピリチュアルの専門家としての立場で言えば、才能は過去世の経験の蓄積でもあると考えています。

    たとえば、ある人が過去世で「高貴さ」を学んだとします。
    その人生の中で、それをしっかり身につけることができたら、次の転生では、高貴さを持った状態で生まれてくる。

    同じように、過去世で「豊かさ」や「優しさ」を学んできた人は、それらを魂に刻んだまま生まれ変わる。

    だから、
    「あの人って、生まれながらに優しいよね」
    「生まれつき落ち着いているよね」
    と感じることがあるのです。

    私は研究者としての視点も持っているので、〇歳児や一歳児の様子を観察することがあります。
    すると、生まれたばかりの赤ちゃんでも、明らかに性格の違いがあります。

    これらは育て方だけの問題ではなく、魂が過去に積み重ねてきたものも影響しているのではないかと、私は考えています。


    過去世の影響

    夫婦関係、仕事、親子関係

    才能の蓄積は、学問や技術だけに限りません。

    夫婦関係。
    仕事。
    親子関係。
    人間関係。

    こうしたものにも、過去世の経験が影響していると考えられます。

    過去世で夫婦関係の課題を学び終えている人は、結婚しても大きなトラブルなく関係を築きやすい。
    しかし、過去世で夫婦関係に課題を残している人は、現世でも離婚や不和を繰り返すことがある。

    それは、前世で終わらせるべき宿題を、今世に持ち越しているからかもしれません。

    同じように、仕事ができる人は、過去世で仕事の課題をクリアしてきた人かもしれません。
    勉強ができる人は、過去世で勉強の基礎を身につけた人かもしれません。
    親子関係が上手な人は、過去世でも親子関係を学んできた人かもしれません。

    魂は、転生を重ねながら、経験と学びを蓄積していくのです。


    可愛さも学びの一つ

    魂のエネルギーとしての「可愛い」

    才能は、学問や技術だけに限りません。

    たとえば、「可愛い」ということも、魂が学んできたものの一つだと私は考えています。

    私は以前、
    「可愛いとは何か」
    を研究していたことがあります。

    特に女性の顔を見て、何をもって人は「可愛い」と感じるのかを観察し続けました。

    そして気づいたのは、可愛さは単に顔のつくりだけではなく、魂のエネルギーとして発せられているということです。

    顔立ちが特別に整っていなくても、可愛さのエネルギーを持っている人は、自然と可愛く見えます。
    これは本当に不思議な現象でした。

    そして、可愛さのエネルギーを持っている人は、自分を可愛いと認識し、それを表現することに抵抗がありません。

    「私って可愛いでしょ」
    と、自然に表現することができるのです。

    一方で、魂の中に可愛さのエネルギーをあまり持っていない人は、自分を可愛く見せることに違和感を覚えることがあります。

    たとえば、化粧をすることに抵抗があったり、可愛らしい服を着ることに、
    「自分には似合わない」
    と感じたりすることがあります。

    これは優劣の話ではありません。
    魂がどんなエネルギーを持っているかの違いなのです。


    才能とは、魂が卒業したもの

    結局、才能とは、魂が過去世で卒業してきたものなのだと私は考えています。

    私の場合は、教育者としての人生を何度も続けてきました。
    だから、教育をすることに苦しさや抵抗がほとんどありません。

    それは、すでに魂が経験済みであり、自然にできることだからです。

    同じように、芸術家であれば、過去世で何度も絵を描いてきたのかもしれません。
    だから、今世でも自然に描ける。

    才能がある人は、ただ生まれつき優れているのではありません。
    魂がすでに学び終えたものを、今世に持ち越しているのかもしれないのです。

    つまり、転生輪廻の観点から見れば、才能とは、魂が積み重ねてきた学びの結果なのです。


    魂が学んできたものと、今回の人生で学ぶもの

    教育者としての観点から見ると、
    魂が過去世で学び、身につけてきたもの
    と、
    今回の人生で新しく学ぼうとしているもの
    は別物である、という視点がとても大切です。

    もし、過去世ですでに得意だったものを今世でも学ぶのであれば、比較的スムーズに身につけることができます。

    「やればできるだろうな」
    という前提で進めることができます。

    しかし、魂的に苦手だったものを今回の人生で学ぼうとしている場合、そのプロセスは簡単ではありません。

    強い抵抗を感じることがあります。
    途中で諦めたくなることがあります。
    どうしても避けたくなることがあります。

    そうしたとき、教育者や親は、無理に押しつけるのではなく、適切なタイミングと方法で導いていく必要があります。

    その子が今、何を学ぼうとしているのか。
    どこに抵抗を感じているのか。
    どこまでなら挑戦できるのか。

    そこを見極めながら、本人が成長しやすい形で学びを促すことが大切なのです。


    魂の実力差と幸福の関係

    魂には、実力差があります。

    こう聞くと、
    「魂に実力差があるなんて、不公平ではないか」
    と思うかもしれません。

    しかし、魂の実力差と幸福は、必ずしも一致しません。
    これは、とても大切なポイントです。

    たとえば、非常に高い力を持った魂の赤ちゃんが生まれたとします。

    その魂は、もともと高いレベルで生きることを想定しています。
    しかし、何らかの理由で、成長の過程で本来の力を発揮できなかったとしたらどうなるでしょうか。

    その人は、なかなか人生に満足できません。

    なぜなら、生まれたときに想定していたレベルよりも、下の地点にとどまってしまったからです。

    どれだけ周囲から称賛されても、本人の魂は、
    「もっとできるはずだった」
    と感じてしまい、幸福を感じにくくなるのです。

    一方で、まだ未熟な魂が、一生懸命努力して高いレベルまで成長した場合はどうでしょうか。

    たとえ絶対的なレベルとしては、高い魂の人より下の地点だったとしても、本人の幸福度は非常に高くなります。

    なぜなら、私たちは、
    どこまで成長できたか
    を感じるために、この世に生まれてきているからです。

    他人と比較して幸福を測ることができないのは、このためです。

    お金があるかないか。
    美人かどうか。
    社会的に成功したかどうか。

    こうした外的な条件は、魂の幸福とは本質的には関係ありません。

    大切なのは、自分の魂がどれだけ成長できたかです。

    だからこそ、どんなに素晴らしい魂を持っていて、周囲の人がうらやむような成功を収めたとしても、魂として本来の力を発揮できなかった場合、その人は不幸を感じることがあります。

    反対に、他人から見れば小さな成長に見えても、本人の魂にとって大きな一歩であれば、その人は深い幸福を感じることができるのです。

    これは、子育てにおいても大切な視点です。

    子どもを他の子と比べるのではなく、
    その子自身が、どれだけ成長したか
    を見ること。

    そこに、本当の教育のまなざしがあります。


    運命とは何か

    魂のテーマと課題

    ここから、運命とは何かという話に入っていきます。

    私は、運命とは、魂のテーマや課題のことだと考えています。

    ここでは、
    テーマと課題を分けて考えてみたいと思います。

    テーマとは、ポジティブな使命です。
    その人がこの人生で実現しようとしている方向性です。

    一方、課題とは、乗り越えるべき試練です。
    その魂が、今回の人生で身につけようとしているものです。

    私自身の話を例にすると、私の魂のテーマは、完全にコーリング、つまり召命です。

    魂のテーマを持っている人は、ある種の運命的な流れを感じることがあります。

    召命という言葉は、日本語では、
    天職に呼ばれる
    という意味を持ちます。

    これは、ある日突然、
    「これをやろう」
    と強く決意するような出来事を指します。


    運命は突然訪れる

    コーリングの実例

    私は二十四歳のとき、突然、
    「先生になろう」
    と思いました。

    それまで、一度も教師になりたいと思ったことはありませんでした。
    けれども、ある日突然、その道を選ぶことを決めたのです。

    結婚に関しても、同じようなことがありました。

    うちの家内と会った日に、
    「この人と結婚する」
    と直感でわかりました。

    これもまた、コーリングの一種であり、まさに運命と呼べるものだと思います。

    さらに、独立しようと決めたときも、ずっと準備していたわけではありません。
    ある日突然、
    「独立しよう」
    と思いました。

    スピリチュアルの仕事を始めたときも同じでした。
    最初から興味を持って準備していたわけではありません。

    ある日、寝て起きたら、
    「やる」
    と決めていたのです。


    コーリングは、逃れられないものとして訪れる

    このコーリングこそが、私にとっての運命です。

    魂は生まれる前から、
    「この人生でこれをやる」
    と決めているものがあり、そのタイミングが来ると、突然その道へと進み始める。

    私はそのように感じています。

    こうしたコーリングに関しては、逃れることが難しいものです。
    なぜなら、それは魂が元々決めていることだからです。

    運命とは、そうした魂の約束に導かれるものなのかもしれません。


    課題とは何か

    魂が身につけるべきもの

    課題とは、魂が今回の人生で身につけなければならないものです。

    私自身の課題としては、豊かさ、人を使うこと、組織をまとめることなどがあります。
    これらは、私が特に苦手としていることです。

    また、私は
    「合う人・合わない人」
    をはっきり分けてしまう傾向があります。

    そのため、守護霊にはよく、
    「もっと器を広げなさい」
    と注意されます。

    おそらく、人間としての器がまだ小さいのでしょう。
    だからこそ、私の魂は「器を広げること」をテーマとして、何度も転生を重ねながら、少しずつ成長しようとしているのだと思います。


    課題から逃げても、次の人生でまた現れる

    課題を乗り越えるために、人生ではさまざまな出来事が起こります。

    たとえば、器を広げる必要がある人には、器を広げなければ乗り越えられないような人間関係やトラブルが起こることがあります。

    運命の流れの中で、魂が学ぶべきテーマに直面すると、それを乗り越えるための出来事が自然と引き寄せられてくるのです。

    では、もしその課題から逃げてしまったらどうなるのでしょうか。

    たとえば、
    「今回はなんとか逃げ切った」
    と思ったとしても、次の人生で、同じ課題がより大きな形で現れることがあります。

    これは、宿題が終わらないまま次の日を迎えてしまうようなものです。

    未完了の課題は、次の人生に持ち越され、さらに深く学ぶ機会としてやってくるのです。


    運命には「強い運命」と「弱い運命」がある

    運命には、強いものと弱いものがあります。

    強い運命は、逃れることが難しいものです。
    魂が確実に学ばなければならないテーマであり、その人の人生の大きな流れを形づくります。

    一方で、弱い運命は、選択によって変えられるものです。

    どちらにしても、魂は学ぶべき課題から完全に逃れることはできません。
    だからこそ、私たちは今の人生で、できる限り課題と向き合い、少しずつ成長していくことが大切なのです。

    たとえば、大谷翔平選手が野球選手にならない運命はあったのか、と考えてみます。

    私は、おそらくどんな人生を歩んでも、彼は野球に関わる道へ進んでいたのではないかと感じます。
    それほど強い運命を持っているように見えます。

    一方で、市役所職員として働く人が、別の職業に就く可能性は十分にあります。
    つまり、運命には、強いものと、自由度の高いものがあるのです。

    どうしても、
    「この道に進むしかない」
    という強い運命を持っている人もいれば、ある程度、
    「選択の幅が広い」
    運命を持っている人もいます。

    これもまた、人それぞれです。

    運命の自由度が高い人は、さまざまな道を選ぶことができます。
    そのため、人生の可能性が広がります。

    逆に、運命が強い人は、どんな環境にいても、結局同じ道を選ぶことになるのかもしれません。


    子育てから見る、強い運命を持つ子ども

    子育ての観点から見ると、強い運命や強い才能を持って生まれてきた子どもは、親にとって育てにくいことがあります。

    なぜなら、親には、
    「こう育ってほしい」
    という理想があるからです。

    けれども、もし子どもが強い運命を持っていた場合、親の望む通りには育ちません。

    一方で、運命に自由度がある子どもは、親の期待に沿った成長をしやすい傾向があります。
    親が、
    「こう育ってほしい」
    と願ったとき、比較的その通りに育つため、育てやすいと感じることも多いのです。

    ただし、どちらが良い・悪いということではありません。

    強い運命を持つ子も、自由度の高い運命を持つ子も、それぞれの個性に合った育て方が必要です。

    大切なのは、親が、
    「この子は自分の理想通りに育つべきだ」
    と思いすぎないことです。

    子どもには、子ども自身の魂の道があります。
    その道を見つめながら、親は伴走していくことが求められるのです。


    親子関係とは何か

    生まれる前の「魂の会議」

    親子関係とは何か。
    これは、とても興味深いテーマです。

    私は、私たちは生まれる前に、ある種の**「魂の会議」**をして、どの親のもとに生まれるかを決めているのではないかと考えています。

    このことを強く感じたのは、私が娘の守護霊を自分の体に降ろしたときでした。

    そのとき、娘が生まれる前に行われた会議の記憶がよみがえったのです。

    その会議には、私、家内、娘、そしてその他の関係者が十五名ほど参加していました。
    そこで、娘がダウン症として生まれることについて話し合われていました。

    私の娘は、私の仕事を手伝うために生まれてきたのだと感じています。

    彼女がダウン症として生まれたことによって、教育者としての私の在り方は大きく変わりました。
    彼女がいなければ、私はこれほど深く教育について考えることはなかったかもしれません。

    そういう意味で、娘は、私を導く存在として生まれてきたのだと思います。

    会議の中で、家内は、
    「せっかく生まれるのだから、普通の人として生まれたらいいんじゃないか」
    と提案していました。

    しかし、私は、
    「やりたいようにやったらいいんじゃないの」
    と返事をしていました。

    「どんな形でも応援するよ」
    という気持ちだったのです。

    このように、親子関係は、単なる偶然ではないのかもしれません。

    魂同士が、
    「この親のもとに生まれる」
    「この子を迎える」
    と、どこかで合意したうえで誕生している。

    私は、そのように感じています。

    基本的には、子どもが親にお願いをして生まれてくるのではないかと考えています。

    「今度、人間として生まれたいのだけれど、お父さんとお母さんになってくれませんか」

    そう、子どもの魂が親に頼んでいる。

    もちろん、すべてのケースがそうだと断定するつもりはありません。
    イレギュラーなケースもあるでしょう。

    けれども、多くの場合、子ども自身が親を選んで生まれてきているのではないかと、私は感じています。

    つまり、親子関係とは単なる偶然ではなく、生まれる前から結ばれた魂同士の約束によって成り立っているのかもしれません。


    親子の魂のエネルギーが違うと、育てるのが大変になる

    親子の魂のエネルギーが大きく異なると、育てるのがとても大変になることがあります。

    これは、私が実際に見たケースです。

    とてもおっとりしていて、人を疑うことを知らない、優しくて素晴らしいお母さんがいました。

    その方には二人の娘さんがいて、お姉さんは、まさにお母さんとそっくりの性格でした。

    ところが、妹さんは非常に活発で、まるで小さな台風のような女の子だったのです。

    お母さんは、
    「お姉ちゃんのことはすごく理解できるんです。でも、妹のことは全然理解できません」
    と言っていました。

    これは、親と子の魂の性質が大きく異なるために起こる現象です。

    親と子の魂が似ていると、子どもの気持ちがわかりやすいため、育てやすく感じます。

    しかし、魂のエネルギーがまったく異なる場合、親は子どもの行動や考え方を理解しにくくなり、育てるのが大変になることがあります。

    こうした親子関係の違いを理解しておくことは、子育てにおいてとても重要です。

    子どもが自分と同じタイプなのか。
    それとも、まったく違うタイプなのか。

    それを見極めるだけでも、子育ての見え方は大きく変わります。

    「どうしてこの子は、私の言うことがわからないの?」
    ではなく、
    「この子は、私とは違う魂の性質を持っているのかもしれない」
    と捉えてみる。

    それだけで、親の苦しさは少し軽くなるのです。


    発達障害の魂は健全である

    ここで、発達障害についても触れておきたいと思います。

    先ほど、娘のダウン症の話をしました。
    発達障害や障害について考えるとき、私がとても大切にしている前提があります。

    それは、魂は健全であるということです。

    発達障害であっても、障害があっても、その人の魂が傷ついているわけではありません。
    魂そのものは、基本的に健全です。

    何が起こっているのかというと、それは肉体や脳、神経系の特性として現れているのだと私は考えています。

    つまり、発達障害の本質は、魂の問題ではなく、身体側の機能や特性によるものだということです。

    たとえば、魂が何かを伝えようとしても、それを表現するための肉体や脳がうまく機能しないことがあります。
    魂が、
    「こうしたい」
    と思っていても、身体や脳の特性によって、その行動がスムーズにできないことがあります。

    これを車にたとえると、車が肉体で、運転手が魂です。

    運転手がどれほどしっかりしていても、車のハンドルが少し曲がっていたり、ブレーキの効き方に癖があったり、サスペンションがうまく働かなかったりすれば、本来の運転は難しくなります。

    発達障害も、肉体側の特性によって、魂の意図がスムーズに表現できない状態と捉えることができます。

    しかし、それは魂が劣っているという意味ではありません。

    むしろ、その状態で生まれてくること自体に、本人の学びや、周囲の人の学びが含まれているのではないかと私は感じています。

    修行には、二つの側面があります。

    一つは、本人の修行。
    もう一つは、周囲の人の修行です。

    たとえば、私の娘の場合、彼女自身の学びもあるかもしれません。
    けれども、それ以上に、私自身の修行のために生まれてきてくれたという感覚が強くあります。

    私の魂が成長するために、娘はこの人生を選んで生まれてきてくれた。
    私はそのように感じています。

    また、発達障害や障害を持つ人がいることで、周りの人に勇気を与えることもあります。

    そうした人たちが社会にいることで、周囲の人々も学び、支え合い、成長していく。
    これもまた、大きな使命の一つなのだと思います。


    天国では、実は魂を磨くことができない

    実は、天国では魂を磨くことができないのではないかと私は考えています。

    なぜなら、天国とは魂が自由自在な状態であり、完全に幸せな場所だからです。
    そこでは嫌なことが一切なく、何の苦労もありません。

    これを別の言葉で言えば、天国では筋トレができないのと同じです。

    なぜなら、どんな重いものでも簡単に持ち上げられてしまうからです。
    努力しなくてもすべてがスムーズに進む環境では、筋トレ、つまり魂の成長が起こりにくいのです。

    だからこそ、魂はあえて地球のような、重さを感じる世界に生まれてくるのだと思います。
    ここで試練を経験し、魂を磨いていくのです。

    たとえば、エネルギーの観点から考えてみましょう。

    天国にいる穏やかなエネルギーを持った魂は、同じように穏やかなエネルギーを持つ魂たちと過ごします。
    その方が快適で、幸せだからです。

    しかし、その魂が地球に生まれると、活発な人とも関わらなければならなくなります。
    時には、
    「ちょっと大変だな」
    「できれば関わりたくないな」
    と感じることもあるでしょう。

    ところが、その関わりを通じて、もともと穏やかな魂だった人が、新たに「活発さ」というエネルギーを取り込むことができるのです。

    このように、異なるエネルギーと触れ合うことで、魂は多面性を持ち、より輝きを増していきます。

    さまざまな経験を積みながら魂の成長を遂げること。
    それこそが、魂の喜びであり、幸せであり、この地球に生まれる目的なのだと私は考えています。


    まとめ

    この世の幸せと、魂の幸せを統合する

    初めに、
    教育とは幸せになるためのもの
    という話をしました。

    しかし、ここで大切なのは、
    この世で評価される幸せ
    と、
    魂が感じる幸せ
    は、必ずしも同じではないということです。

    この二つが異なるからこそ、ここでも「正・反・合」の考え方が重要になります。

    つまり、
    この世の幸せ
    と、
    魂の幸せ
    の両方を統合することが必要なのです。

    では、魂の幸せだけを求めればよいのでしょうか。

    私は、そうではないと思います。

    私たちはこの世に生まれてきた以上、現実世界での幸せを感じることも大切です。
    大人として、社会人として、しっかり生きていくことも重要な課題です。

    生活を整えること。
    仕事をすること。
    人間関係を築くこと。
    社会の中で役割を果たすこと。
    自分の才能を活かすこと。

    これらは、決して軽んじてよいものではありません。

    一方で、それだけを追いかけても、魂が満たされるとは限りません。

    外側の成功だけではなく、
    「自分はこの人生で、どれだけ成長できたのか」
    「どれだけ人を愛せたのか」
    「どれだけ自分の魂のテーマに向き合えたのか」

    こうした問いもまた、大切です。

    この二つを両立させることができれば、私たちはこの世での幸せを得ながら、魂の成長も感じることができます。

    私は、これこそが理想的な生き方ではないかと考えています。

    そうした考えのもと、私は「牧」という名前で教育に携わり、「天馬」という名前でスピリチュアルを探求してきました。

    これまで、教育とスピリチュアルは別々の分野として扱ってきました。

    しかし、今、私はこの二つを統合し、融合させることが、これからの人生の大きなテーマになるのではないかと感じています。

    子どもを、成績や偏差値だけで見るのではなく、魂の成長という視点からも見ること。
    親子関係を、偶然の組み合わせとして見るのではなく、深い学び合いとして見ること。
    才能を、単なる能力差として見るのではなく、その子の魂が積み重ねてきた輝きとして見ること。

    そのような視点を持つことで、子育ては少し優しくなります。
    教育は、もっと深くなります。
    そして、子どもの心の奥にある光を、より丁寧に見つけることができるようになります。

    本書が、お母さんや先生にとって、子どもの魂の輝きを見つける小さな手がかりになれば幸いです。

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