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干潮の贈りもの ― 江の島へ渡る日

     潮が引くときだけ、海は道を返してくれることがある。その道は地図には載らず、時刻表にも記されない。海と陸のあいだに、ほんの束の間だけ現れる「約束」のような道である。

     春の終わり、私は 小田急江ノ島線 の終着、片瀬江ノ島駅 に降り立った。竜宮城を思わせる駅舎の向こうには、柔らかな陽光を浴びた海が広がり、その先に、低く浮かぶように 江の島 が見えている。

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    竜宮城のような片瀬江ノ島駅

     この日は潮が大きく引く日だった。島へ向かう途中、ふと海辺を見ると、砂洲が細く延び、波間に道が現れている。トンボロ――陸繋砂州と呼ばれる自然現象である。

     普段は海に隠れている浅瀬が、干潮時だけ姿を現し、人に「歩いて渡れる海」を与える。

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    トンボロを渡る人たち

     古来、人はこうした現象に特別な意味を感じてきた。海が道を開く瞬間には、どこか神話めいた気配が宿る。

     モン・サン=ミシェルのように世界には名高いトンボロが存在するが、江の島もまた、古くから「海上の霊地」として信仰を集めてきた島だった。

     潮が引いたときだけ近づける島という感覚は、人々に“異界へ渡る感覚”を抱かせたに違いない。私は観光客で賑わう弁財天仲見世通りには入らず、静かな海沿いを歩いた。

     潮風はまだ少し冷たく、磯の匂いが混じる。遠くではトビが輪を描き、波は岩を磨き続けている。江の島というと、食べ歩きや展望灯台の華やかな印象が強いが、南へ回り込むにつれ、島は急に素顔を見せ始める。

     やがて、湘南港 の白いヨット群が見えてきた。東京オリンピック以来、ここは湘南の海の象徴の一つとなった場所である。

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    江の島ヨットハーバー

     マストが風に鳴る音は、どこか外国の港町を思わせる。しかし、そのすぐ隣には、黒々とした磯場が広がっている。江の島は、洒落た湘南文化と、原始的な海蝕地形とが不思議に共存する島なのだ。

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    ヨットの出航だ

     さらに南の磯へ向かう。観光客の声は遠ざかり、耳に残るのは波音だけになる。岩場には潮だまりが点々と残り、小魚やヤドカリが動いている。

     長い時間をかけ、海が岩を削り、生き物を育て、また呑み込んでゆく。その循環を前にすると、人間の営みはずいぶん小さく思えた。海を眺めていると、先ほどのトンボロのことが再び頭に浮かぶ。

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    南の磯は豪快だ

     現れては消える道。渡れる日もあれば、渡れない日もある。自然の気まぐれに見えながら、実は月の引力や潮汐の規則や天候に従っている。その精密さと偶然性の同居が、トンボロという現象をいっそう神秘的にしている。

     人生にも、あのような瞬間があるのかもしれない。普段は隔てられているもの同士が、ある時だけ不思議につながる。人と人、過去と現在、記憶と現実――。だが、その道は永遠には続かない。潮が満ちれば、静かに消えてしまう。

     夕方、島を離れるころには、海面が元の状態に高くなっていた。先ほどの砂洲には波が戻り始め、道は再び海の下へ沈もうとしている。まるで最初から何もなかったかのように。

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    道は海に戻っていた

     私は振り返り、暮れかけた江の島を見た。海の上に浮かぶその姿は、どこか夢の残像のようだった。潮が引いた一日の記憶だけが胸に残り、海はまた、静かに秘密を閉じてゆくのである。(了)

     
     
    はじめまして。歴史探訪、食べ歩き、居酒屋めぐりをやっています。これから歴史や旅などの投稿を始めますので、よろしくお願いいたします。

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