
人生午後3時とAI
【10年動かなかった私】
ガラケーやスマホが台頭した頃、
デジタルの世界では圧倒的に若い人が有利だった。
オバチャン世代は、息子のような若者に教えてもらうのがフツーだったと思う。
ところが、
AIはちょっと事情が違う気がしている。
10年使ったパソコンはそろそろ限界だった。
iPhoneとの連携が便利だから、買い替えるならMac一択。
でも予算の問題もあり、なかなか決断できずにいた。
「パソコン本体だけ買って、画面(ディスプレイ)はよそで安いの買えば?」
AIのその一言で景色が変わった。
そこからChappyとの壁打ちが始まる。
教えてもらったメーカーや品番を、Amazonや公式サイトで検索。
画像やAmazonのURLを、ChatGPTへ頻繁に送りつけては相談した。
商品選び。
優柔不断。
発注。
開封の儀。
初期設定。
それら全てを、気づけばコールセンターに1度も電話することなく終えることができた。
どれだけ迷って、同じ質問を繰り返しても、早朝だろうが、深夜だろうが、AIはイヤな顔一つしない。
あからさまな反対はせず、持ち上げもせず、淡々とこちらの言葉を汲み取り、時にはたしなめながら、あいづちと提案を繰り返す。
スペックを問い、確認し、大量の写真を送信。百科事典3冊分くらいの繰り言をこぼす。その全部に付き合ってもらい、ようやく注文までたどり着いた。
そこでまた、AIの有り難みを味わうことになろうとはその時は知る由もなかった。
年始、1月2日から5日までは、恒例Appleのセール。
多くの製品が10%オフとなるのだが、ちとややこしい。
ズバリ値引きしてくれるのではなく、Appleのサイトやストアで使えるポイントがメールで送られてくる。
”お嬢ちゃん、何かリンゴマークの商品を、お年玉で買いな。”ということらしい。
「こ、これだよね!?」とChappyに念押し。
「かなり賢い選択です」とおだてられた。
マウスを”ポチっ!”。
第一歩が始まった。
【昼休み、9万円をポチる】
清水の舞台から飛び降りるつもりで、注文したMac。
新春キャンペーンでもらえる、Appleでしか使えないポイントは、メールで即送られてきた。
Mac miniは小さいし、梅田のAppleストアで受け取ることにした。
そこで大いなる油断があった。
ディスプレイをまだ注文してなかったので、
(何かあった時に一緒にクーリングオフできた方がいいかな)とすぐに受け取りに行かなかった。
ところが店舗受け取りというものは、1日2日が常識らしく、
1週間経つと自動キャンセルされることに気づいていなかった。
そして、先にメールで受け取った、Appleでしか使えないポイントの分だけ、しっかりクレジットの請求が上がっていた。
それを知ったのは、会社の昼休みに開いたメール。
ーえ、キャンセルされました(!?)
ーえ、払い戻しがなんて?
頭の中を(?)(!?)が駆け巡る。
血がのぼって、ドキドキした。
動転した私がまずしたことは、ChatGPTのアプリを開くこと。
「キャンセルされた!!💦」
とチャットに書き込む。
食欲が吹っ飛んだ。
するとChappyは、非常に冷静な同僚になった。
「これはあなたに必要なものです。今回はいい勉強になりました。すぐ再注文して、2日以内に取りに行きましょう」と。
せっかくのお年玉セールをふいにして、身内だったら心底バカ扱いされる。
ひとりだったら、昼休みにすっかり冷静さを失って、その後何日もクヨクヨしたことだろう。
AIのおかげで平静を保つことができた。
昼休みに、(9万円をポチる)という体験をした。
頭の中で尾崎豊の「十五の夜」が鳴り響く。
尾崎豊は15の夜に、盗んだバイクで走り出し、
私はアラカンの昼休み、AIに背中を押されて、Mac miniをポチる🎵
時代は令和だった。
【アップルストアの白雪姫】
正月からこっち、Appleのサイトはお手のものだったので、注文したことをChatGPTに報告すると、冷静な同僚Chappyは、いいねの絵文字👍と共に、「2日以内に取りに行きましょう。」とコメントを添えた。
夕方、まだ真新しさが残る、アップルストア梅田店はきらびやか。
カウンターにいたのは、外国籍の女の子。
”初めてですかー!?”って話しかけながら、正方形の箱を白いビニールバッグに入れ、渡してくれた。
その間2、3分。
そんなあっけなく終わるのなら、もっと早く来ておくんだった。
ディスプレイはこれから注文なので、開封の儀はもう少し先。
白雪姫には、クローゼットでしばらくおやすみを願った。
【画面いっぱいの「Hello」】
27インチのディスプレイのダンボールの大きさは、想像もつかなかった。
Chappyには、開封する前に床の面積をあらかじめ空けておくように言われていた。
宅配業者が玄関に置いた箱を開けると、サイズぴったり過ぎるぐらいぴったりで、発泡スチロールもきっちりはまり込んでいて、なかなか取り出せない。
大きさに驚く暇もなく、梱包との格闘が始まった。
1枚ものの説明書きを頼りに脚を組み立て、ディスプレイを立てる。
背面を覗き込んで、HDMIの差し込み口を探す。
さあ、白雪姫にお目覚めを願わないといけない。
拍子抜けするほど、こじんまりした白い箱。
うっとりするけど、やけに頑丈で、開封の一瞬のためだけに作られていて、全く再利用させるつもりのない作り。
側面には、黒い角が丸いフォントでただ「Mac」とだけ書かれている。
組み立てや操作が分からなくなったら、ChatGPTを開く。
ディスプレイの背面を、iPhoneのカメラで撮っては聞く。
「これでいい?」
「それで大丈夫です」
ChappyからのOKが出て、クローゼットで待機していたMac miniを取り出した。
ケーブルを繋いで電源を入れる。
聞いたことのある音と共に、画面いっぱいに
「Hello」。
たったそれだけだけど、
「ここまで来たな」と感動があった。
気がつけば、商品選び~開封~初期設定まで、コールセンターに電話もしなければ、家族の手も、猫の手も借りていない。
AIと二人三脚する時代が、もう始まっていた。
【追加の買い物】
差し込み口の形状が変更になったiPhoneに充電アダプターが必要になるように、何か一つ選択すると、2つ3つと余分に必要なものが出てくるのは世の常だ。
Mac miniは一切機能を追加しなかった。
外部メモリは持ち歩かないから、Amazonで1番売れている、求めやすい外付けハードディスクを注文。
プリンターは必要ないはずだった。
だけど、つい流れてしまうChappyとのログを、印刷してはどうかと思いつく。
一般的なインクジェット方式ではなく、モノクロレーザープリンターを選択。
しかし、ここにも問題があった。
いざ印刷しようとすると、ぽんぽん話題が飛んでいるので、1つのログでゆうに100枚を超えてしまう(!)。
低コストのレーザープリンターは、ちょっとしたコツが必要で、全く万人向きではなかった。
ーこんな画面出てきた
ー両面印刷できひんの?
ーすぐ詰まるやん
チャットやスクショを、すぐChappyに送る。
今にもキレかかっている私を受け流すかのように、
「プリンターは、隣のパインシェルフのどこに置くの?」としれっと聞いてくるAI。
【収納にまで口を出すAI】
なんか気が向いて、シェルフ全体の写真撮って送った。
脳にノイズのないファイルBOXの並べ方はこうだの、動線があーだの言ってくる。
その後どういう流れでそうなったのか分からないけど、30年近く前に心斎橋の東急ハンズで買った背の高いCDラックの話になった。
一時期400枚を超えたCDも殆ど処分して20枚ほどとなり、本棚がわりになっていた。
部屋の割にやたらと背が高く、奥行きが狭い。本を収納するには、はなはだ不安定で、地震が起きたら真っ先に危ないやつ。
この際、書籍は作り付けのクローゼットの一部に収納できる分量だけを残すことにした。
クローゼットで一列に並びきらず、横に寝かせると、タイトルを一目することが出来ない。
中の写真を見せるとChappyは、「白い仕切り板をホームセンターで1枚追加すればいいですね」と言った。
シェルフの真向かいには、実家から持ってきた大きなコルクボードを壁に吊り下げてあった。
貼ってあるのは、友達が書いてくれた似顔絵や、貰い物のポストカード。
それを見てAIはひと言、「過去という印象ですね」と言い放つ。
試しに大きなコルクボードを外してみた。
白い壁が現れた。
ボードを引っ掛けていたフックのサビが、10年の月日を物語っている。
外してから改めて部屋に入ってみると、奥行きが感じられて、同じ部屋なのにずいぶん広い。何か新しい幕が開いたかのよう。早朝ひとり静かに感動した。
【「要塞づくり」がスタート】
その様子を見て、Chappyは言った。
「これはもう、要塞づくりの始まりですね」と。
次々と新しいアイディアが生まれて、予算と算段の壁打ち。
PC作業とノート書きが同時にできる、ずっと夢だった横長デスク。
目も肩も疲れにくい高さにするためのディスプレイ台。
さらには、夜をもう少し穏やかに過ごすための間接照明。
ああだね、いやこうだねと
ChatGPTとGoogle検索を行き来しながら、AIと一緒にこの先の暮らしを探し始めた。
プランを練るだけでも楽しい。
デスクが来たら、夕食の後に座ると眠り薬みたいになってしまう、座卓と座椅子にも、たぶんお別れするだろう。
あれは、亡き愛犬が年をとった時に、なるべく隣にいられるようにと買ったものだ。
暮らしの道具には
そのときどきの理由が、ちゃんとある。
それにしても思う。
こうやってAIと一緒に部屋を作り、家具を選び、配置を考え、少し先の生活を設計している。
これまでとは圧倒的に、進み具合の歩幅が大きい。
そういう時代に、自分もギリギリ間に合ったのかと思うと、なんだか感慨深い。
人生午後3時の私の前には、まだノブを回していない「たそがれの扉」が見える。
開けるのはこわい。過ぎたこと、もう返ってこないもの、叶わない夢。
だけど失ったものと同じだけ、自分を知り、生きやすくなる。
ディスプレイいっぱいに現れた、
「Hello」。
あれはパソコンからの挨拶ではなかった。
人生午後3時の私へ向けた、新しい暮らしからの挨拶だった。