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AI活用とは自己統治である|自己統治論 #1

    料理以外の投稿は、初めてです。
    茶道のお稽古を通じて、
    少し自分を好きになれたような気がしたので、
    徒然なるままに。

    AI普及で、世が「ハルシネーションリスク」と言い始めたとき、すごい違和感があった。

    社長も、上司も、同じように間違える。
    なのに、誰も「上司ハルシネーションリスク」とは、言わなかったからだ。

    そこで、わたしの仮説。
    AI活用とは、自己統治である。

    AIは、garbage in, garbage out。
    インプットが、アウトプットに影響する。
    使い手である自分との相互作用で、出力が生まれる。
    構造上、出力は、自分の姿勢を、色濃く投影する。

    だとすれば、
    「ハルシネーションに注意せよ」という姿勢は、
    裏を返せば、「自分を疑え」であり、
    「自分を信じるな」でもある。

    AIが間違える、と原因を外側に逃すのではなく、
    自分も間違える、と引き受ける。
    そう捉えるほうが、ずっとずっと創造的だと思う。
    つまり、自己信頼と自己点検の、バランスの話だ。

    ただ、これは意外と難しい。
    「自分が間違ってもいい」という自己信頼がないと、
    この解釈は、飲み込めないからだ。

    間違いの先にある「結果」と、「自分の価値」を、
    一体にしてしまうこと。
    たぶん、それ自体が、もっと大きな過ちだ。
    結果は、自分の外側で決まる。
    コントロールできない。思い通りには、しようがない。
    だから、結果に、自分の価値を、預けてはいけない。

    では、価値の重心は、どこにあるか。
    自分が積み上げてきた過程、つまり伝統のほうだ。
    伝統と正当性は、一体だと思う。

    たとえば、茶道。
    位置、順序、動作という形を、
    繰り返し稽古して、積み上げる。
    その下積みの上に、姿勢と気遣いが乗り、
    やがて、自分を信じられる心に、至る。
    それが、和敬清寂、という思想らしい。
    (と、現時点で理解している)

    そして、この積み上げる過程も、積み上がるペースも、
    積み上がってない段階の拙い姿も、
    私の先生は、決して評価しない。
    美化もしない。
    完全にそのまま、受け止めて、笑って教えてくれて、
    心底嬉しく思える。

    積み上げてきたものは、結果に左右されない、
    自分の価値になる。
    だから、間違えても、自分を許せる。
    許せるから、外に逃さず、点検できる。
    自己信頼と、自己点検の両立。
    これが、自己統治だと思う。

    「こんなはずじゃなかった」と、
    自分で自分を許せないことも、ときにはある。
    けれど、その痛みを直視して、それごと許して、乗り越えることが、自己統治なのだと思う。
    それができないうちは、
    変わりたい気持ちだけが、静かに永眠して、
    変わらない日常が、なんとなく流れ、流されていく。
    だからこそ、立ち止まる勇気が極めて大切だと思う。

    AI活用とは、責任を逃す逃避ルートではない。
    自己統治である。

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    毎日、料理してます。 誰でもできるけど、 誰もやってないおいしい そんなできそう感とひと手間のあいだを探しています。 Not ready yet, but ready enough.

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