
【小説・ヴィーナス症候群】[171]蘇生試験
「本日は、お二人に“市民によるAED使用”の啓発ビデオにご協力いただきます」
スタジオ入りして間もなく、AED普及協会の担当者が説明を始めた。
「AEDは操作が簡単なように設計されていますが、実際には“使っていいのか”“女性の服を脱がせても大丈夫なのか”と、心理的な壁があるんです。今回はそれを真正面から扱いたいと思います」
床に広がる白いマットの隣で、芽衣は静かにうなずいた。
呼続芽衣。
生まれつき両腕のない「ヴィーナス児」として生まれ、現在は“トルソーさん”として、アパレルや義肢メーカーの現場で仕事をしている。
しかし今日は珍しく、医療啓発ビデオの“倒れている人”役を依頼されたのだ。
ノースリーブのワンピースの下には、黒のスポーツブラとショートスパッツ。目立たず、必要最低限だけ肌が見える組み合わせを選んだ。
隣には使用者役の男性モデル・藤田。シャツとジーンズ姿で立っていたが、スタッフの説明を聞く間ずっと表情が硬かった。
やがて撮影が始まり、芽衣はマットの上に横たわる。
藤田がAEDを開き、音声案内に従って電極パッドを取り出す。胸元の服を外す手元に、ほんの一瞬だけ迷いが見えた。
「呼吸なし、脈なし、AEDを使用します」
パッドが肌に貼られる。芽衣は目を閉じたまま、動かない。訓練用マネキンには出せない、人の重みと気配がそこにあった。
数分後、「カット」の声が響く。
照明が落ち、カメラが止まる。芽衣が上体を起こし、ワンピースの肩を直す。藤田は軽く息をついて、となりに腰を下ろした。
インタビュアーの女性がマイクを構える。
「芽衣さん、使用されてみて、どうでしたか?」
芽衣は少しだけ考え、静かに答えた。
「命がかかってたら……仕方がないのではないでしょうか」
藤田も少し笑って言った。
「蘇生のためには必要だと分かってるんですが……やっぱり、女性に使うとなると緊張しますね」
芽衣は何も言わず、ただ一度うなずいた。

カメラはまだ回っている。インタビュアーがAEDを両手に掲げ、正面を向いて語りかける。
「最後に大切なお知らせです。AEDを使用する際は、電極パッドを肌に貼る必要があるため、衣服を脱がせる処置が求められます。これは厚生労働省の通知により市民によるAED使用が認められており、さらに刑法第35条の“正当業務行為”として法的に保護されています」
「人命救助のための行動で、訴えられることはありません。ためらわず、勇気を持って行動してください」
芽衣と藤田の姿がフレームに収まり、画面がフェードアウトしていく。
誰かを救う手は、必ずしも“腕のある手”ではないのだ。
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