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【小説・ノィヌナス症候矀】120女が研究者を仕事にするずいうこず

    北川むサミ

    関那由他は、研究宀の窓際に立っおいた。

    倖語倧のキャンパスの午埌は静かで、薄く開けた窓からは初倏の也いた颚が、カヌテンの端をかすかに揺らしおいる。
    午前のれミも終わり、あずはこの取材を終えれば、今日の予定は空になる。

    フェミニスト系ネットメディア「Quotana」から、女性研究者ぞのむンタビュヌ䌁画で取材䟝頌があったのは、先週のこずだ。
    線集長が自ら来るずいう話を聞いお、那由他は少し驚いた。
    「関さんのような方にこそ、いた声を届けおほしい」ず蚀っおいたが、その“ような”の䞭に䜕が含たれおいたのかは蚊かずにいた。

    時蚈が玄束の時刻を五分過ぎたころ。
    研究宀の扉が、軜く二床ノックされた。

    「どうぞヌ」

    返事をするず、癜い扉がゆっくり開き、女性がひずり姿を珟した。
    四十代埌半ずおがしき人物で、肩たでの柔らかな黒髪に、リネン玠材のベヌゞュのゞャケット、黒のワンピヌス。
    自然䜓の装いのなかに、掻動家らしい“匷さ”の茪郭がにじんでいる。

    「ああ、すみたせん。遅れちゃっお。䞭倮線がたた車䞡故障で止たっちゃっおお」

    「いいえ、倧䞈倫です。私も、ちょうどメヌルの返信が溜たっおたので」

    圌女は軜く頭を䞋げながら、鞄から名刺ケヌスを取り出した。
    それを芋た那由他は、肩矩手を柔らかく動かしながら、手慣れた所䜜で名刺を受け取った。

    「改めたしお。Quotanaの線集長をしおおりたす、平塚ふさゑです」

    名刺のロゎず「線集長」ずいう肩曞を確認しながら、那由他は笑みを浮かべる。

    「  ああ、平塚ふさゑさん。毎日アンチフェミの倉な男どもに殺人予告されおお、倧倉ですよね」

    「もう  ほんずに、そうなんですよ。別に悪いこずを蚀っおる぀もりはないんですけどね」

    「私、ふさゑさんのTwitterフォロヌしおたす。“蚀ったれ蚀ったれ”っお、い぀も思っおたす。  あ、これ曞かないでくださいね」

    「倧䞈倫。炎䞊に巻き蟌んだりしたせんから」

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    笑い合ったあず、二人は研究宀の奥、簡玠な応接スペヌスずしお䜿っおいる䞞い朚補のテヌブルぞ移動した。
    小ぶりの録音機がテヌブルの真ん䞭に眮かれ、ノヌトパ゜コンが静かに開かれる。

    平塚ふさゑは、MacBookの録音アプリを起動しながら、テヌブルの䞭倮に小型レコヌダヌを眮いた。
    画面のランプが赀く点滅するのを確認するず、口元を匕き締め、那由他の方を向く。

    「では、あらためお。那由他さんの基本的なプロフィヌルの郚分から、お話をうかがえればず思いたす。
    珟圚は東京倖囜語倧孊で、ベトナム語の研究をしおいらっしゃるずいうこずでよろしいでしょうか」

    那由他は頷き、矩手の肘関節を軜く曲げながら䞡手を膝にそろえるように眮いた。
    圌女の声は萜ち着いおおり、蚘者の問いを埅ち構えおいたような敎い方をしおいた。

    「はい。東京倖倧の博士課皋に圚籍しおいたす。
    研究テヌマは“チュノム”ずいいたしお、か぀おベトナムで甚いられおいた挢字䜓系に぀いおです」

    「チュノム  」

    「挢字ず、ベトナム独自の文字を混ぜた曞蚘䜓系です。
    いたベトナム語ずいえばロヌマ字に蚘号が぀いた衚蚘を思い浮かべる方が倚いず思いたすけど、
    あれは“クォック・グヌ”ずいう方匏で、フランス怍民地時代にカトリックの宣教垫たちが広めたものなんです」

    「ええ、あの点々ずか髭が付いた  。じゃあ、その前は䞭囜語みたいな挢字で曞いおいた」

    「そうですね。仏教、儒教、科挙制床など、䞭囜の圱響を倚く受けおいたので。
    民間の文芞䜜品や女性の詩なんかも、チュノムで曞かれおいたした。
    ただ、今ではベトナム人でも読める人はほずんどいたせん」

    平塚は唞るように頷き、画面に入力を続けながら蚀った。

    「でも、ベトナムに挢字があるなんお知らなかったです。
    䜕ずなく、東南アゞアの䞀郚ずいう印象で  」

    那由他はわずかに笑いながら、芖線を暪にそらした。

    「実は私も最初は、ベトナムにこんなに䞭囜の圱響があるずは思っおたせんでした。
    倖語倧に入孊したずきは䞭囜語科だったんです。いずれは通蚳になっお、どこかで仕事にできたらず。
      たあ、こんなロボット女じゃ、たずもな就職も結婚もないだろうしっお、そんな気持ちもありたした」

    その蚀い方に、平塚は少し眉をひそめた。

    「ロボット女  。あんたり自分で蚀わない方がいい蚀葉ですよ」

    「ええ、分かっおたす。でも、そうでも蚀わないず気が楜にならないずきっおあるじゃないですか」

    那由他は淡々ず続ける。

    「圓時、激蟛の四川料理ずか倧奜きで。チャむ語もそこそこ楜しかったです。
    でも、ベトナム料理も奜きで、よくフォヌやブンボヌプを食べおたした。
    あるずき、あるお店で、店先に招き猫ず挢詩颚の察聯が食っおあっお、それがすごく印象的で。
    “あれ ベトナムっお䞭華文化圏の呚瞁だったの”っお、そこから䞀気にハマったんです。
    気づいたら、ベトナム語の方を先に芚えおしたっおいお、今に至るずいうわけです」

    平塚は笑みを浮かべた。

    「  そういうルヌトで蟿り着くチュノム研究者っお、他にいないんじゃないですか」

    「でしょうね。正芏ルヌトからは倖れたくっおたすけど、本人は楜しくやっおたす」

    平塚ふさゑは、タむピングの手を䞀瞬止めたあず、やや声を䜎めお尋ねた。

    「  倱瀌ですが、那由他さんのご実家ずいうのは、サラリヌマン家庭になるんでしょうか」

    関那由他は、肩矩手の手先を敎えるように小さく動かしながら、穏やかに答えた。

    「うヌん  父は倧孊から絊料をもらっおたすから、圢匏的には“サラリヌマン”に入るんでしょうけど、
    たあ実態ずしおは“孊者”ですね。数理哲孊の研究者です。
    名前も、“腕はなくおも無限の可胜性を”っおこずで“那由他”。
    今ずなっおは、なんか気持ち悪いくらいポゞティブですけど」

    「  詩的だけど、力匷い名づけですね」

    「たあ、小さい頃はコンプレックスでした。
    でも、倧孊でベトナム語に出䌚っおからは、“圹に立たなさそうな名前”にも、劙に芪しみが湧いおきたんです。
    私の研究も、瀟䌚に圹立぀こずはあたり無いですから」

    「ご䞡芪は、研究を続けるこずに぀いお䜕かおっしゃいたすか」

    「それが党然。むしろ“そりゃ那由他ならそうするだろ”っお顔しおたす。
    家の空気が孊者然ずしおたので。高校や倧孊の遞択にも干枉された蚘憶がないんですよね。
    たあ、“䞉十になっおも研究しおる”こずに䜕の疑問も持たれなかったのは、盞圓ラッキヌだったず思いたす」

    「なるほど。ご実家は、東京のご出身でしたか」

    「杉䞊です。ずっず杉䞊。だから、正盎“文化資本に守られおきた人間”だなずは思っおたす」

    「文化資本  ですか」

    「はい。よく“ノィヌナス児だから䞍利”みたいな蚀われ方したすけど、
    東京で生たれ育ったこずの方が、実はよほど有利だったんじゃないかっお思っおたす。
    “障害”ず“地方出身”だったら、埌者の方が瀟䌚的に䞍利なんじゃないかっお」

    平塚は目を现めたたた、キヌボヌドを叩く手を止めた。

    「それは  盞圓ストレヌトな物蚀いですね」

    「でも、本音です。“五䜓満足だけど地方出身”の子の方が、
    “腕がないけど東京育ち”の私より、ずっず遠回りしおるなっお思うこず、たくさんありたす」

    「  確かに、吊定しづらい郚分がありたすね」

    「乙歊さんもそうですけど、やっぱり“東京”ずいう環境が敎っおたからこそ、ああいう人生が可胜だった。
    別にそれを責める぀もりはないですけど、“圓たり前”かずいうずそれも違うかなず。
    私はいずれ、文化資本の栌差に぀いお研究しお、論文にたずめたいず思っおるんです」

    しばし、研究宀の䞭に沈黙が萜ちた。
    遠くの階段を䞊がっおくる足音が、くぐもっお聞こえる。

    やや衚情を和らげた平塚が、話題を倉えるように蚀った。

    「高校は  郜立、ですよね」

    「郜立束沢高校です」

    その名を聞いた瞬間、平塚の眉がピクリず動いた。

    「束沢 ああ  あの束沢高校なんだ」

    「はい、皆さんそうおっしゃいたす。『あの束沢』っお。もう慣れたしたけど」

    那由他は肩をすくめお笑った。

    「倉な卒業生ばかり出しおるんですよ。戊前は旧制束沢䞭孊時代に、共産党系の掻動家が特高に䜕床も逮捕されたりしお、孊校そのものに治安維持法が適甚されるんじゃないかずか隒がれたらしくお。校長が着任を拒吊したこずもあったらしいです。
    戊埌は戊埌で、孊生運動が激化しお、“砎防法を適甚するしかない”ずたで蚀われお、廃校寞前になったり。
    たあ、普通の郜立高校じゃなかったですね」

    「  濃い。ものすごく濃いわね」

    「あず、ギリ旧制束沢䞭孊時代のOBで譊察庁長官になった䞹沢晃さんっお人がいお、その人がペヌロッパの小囜、カリオストロ公囜で起きた停札事件に、なぜか埌玉県譊のパトカヌを䜕台も珟地に送っお、“あなたが盗んだのは埌玉の治安です”っお囜䌚で远及されたりもしたらしいです」

    「ああ、ゎヌト札事件でしょ  あの事件の人も束沢なの」

    「はい、そうです」

    「フェミニズムの界隈でも、あの孊校の卒業生っお話題に事欠かないのよ。
    たずえば女子医倧出身で“男がいなくおも女だけで生殖できるようにしたい”っお蚀っお、
    単為生殖の研究に没頭した女医さんずか。今じゃアマゟンの爬虫類の方に行っちゃったけど、あの人  」

    「平庭敏子先生ですね。同窓䌚で䌚いたした。
    結婚願望はないけど“赀ちゃんだけは育おおみたい”っお蚀ったら、“実珟したら盞談に乗るわ”っお」

    「よくサラッず蚀えるわね、あなた  。
    あず、倧蔵省の官僚で、北海道財務局長ずしお出おいた時に性転換しお、
    女性ずしお本省に戻っおきたっお人、知っおる」

    「梶浊さんですよね。束沢の掲瀺板でもちょっず話題になっおたした。
    垰っおきたら“女になった時点で出䞖コヌスから倖れた”っお、かなり愚痎っおたみたいですけど。
    ゞェンダヌ系のシンクタンクに倩䞋りできたらしくお、今は講挔䌚ずかやっおるようです」

    「もう  普通の尺床じゃ枬れない孊校ね、本圓に」

    「はい。でも、私はそこで育ったこずをありがたく思っおたす。
    “普通の女子高生”になれなかった分、別の芖野で物事を考えるこずができるようになったず思うので」

    平塚ふさゑは、腕を組みながら蚀った。

    「でも、束沢みたいな堎所で“普通じゃない自由”に觊れおきたずしおも、
    女性であるこずで、やっぱりハンデを感じるこずっお  」

    那由他は、怅子にもたれかけるこずなく、真っすぐ姿勢を保ったたた答えた。

    「もちろん、ありたすよ。特に地方の倧孊で非垞勀をやっおいたずき。
    孊内䌚議に呌ばれたら、幎配の男性教授に“女が孊者なんお生意気だ”っお、笑いながら蚀われたした。
    最初、冗談だず思っお流したんですけど、だんだん本気だっお分かっおきお、目が回りそうでした」

    「  ああ、それは、ある意味“兞型”かもしれたせんね」

    「ノィヌナス児であるこず以䞊に、女であるこずの方が、アカデミアではよほど足枷になりたすよ。
    “障害”の方は、ある皮“わかりやすい”し、“応揎しよう”っおいう建前も通じやすい。
    でも、“女”っお、そういう理屈の䞭にすら組み蟌たれないずきがあるんです。
    “なぜここにいるの”っおいう目で芋られる瞬間が、今でもありたす」

    「  痛感したす。私たちメディアの䞖界でも䌌たような構造がありたすから」

    「それに、“続けたくおも続けられない人”が倚すぎるんですよ。
    特に人文系、瀟䌚系。研究が就職に぀ながりにくいから、“生掻を支えおくれる誰か”がいないず、残れない」

    那由他は、ペンの代わりに矩手の指先で机を軜くトントンず叩いた。

    「研究仲間でも、䞉十歳を前にしお“もう限界”っお蚀っお蟞めおいった子が䜕人もいたす。
    パヌトナヌの収入に頌れる人だけが、现々ず研究を続けおる。そんな構図、もう珍しくないんです」

    「ご自身は、ご実家の支揎があったから続けられたず」

    「そうですね。経枈的にはもちろんですけど、“文化的に”も。
    研究っお、“家で勉匷するのが圓たり前だったかどうか”が、ものすごく倧きい。
    私はありがたいこずに、その環境が揃っおいた。でも、そうじゃない子は、本圓に倧倉です」

    「では逆に、“女性が研究を続けるために必芁なもの”っお、なんだず思いたすか」

    「端的に蚀うず、“生掻の安定”ず“呚囲の理解”です。
    どちらも簡単じゃない。特にアカポス——アカデミックポストが取れるたでは。
    だから、女性にずっお研究を続けるっお、本圓に“趣味の領域”ず地続きなんですよ。
    経枈的にも、粟神的にも、環境に巊右されすぎる」

    那由他は、ふっず小さく息を吐きながら、皮肉を蟌めお続けた。

    「最近のベトナムにも増えおきおるんですよ。䞍動産成金ずか、むンフル゚ンサヌ起業家ずか。
    そういう人に気に入られおパトロンにでもなれれば、奜きなだけ研究もできるでしょうね」

    平塚はぎしゃりず声を立おた。

    「ダメよ、そんなの。フェミニズムに逆行するわ」

    「  ですよね」

    少しの間、二人は互いに顔を芋合わせお、ふっず笑った。

    平塚ふさゑは、テヌブル䞭倮に眮いおいた小型のレコヌダヌを止め、ゆっくりず閉じたMacBookを鞄に収めた。

    「今日は本圓に、楜しいお話を聞かせおいただきたした。
    ベトナムの挢字の研究、すごく興味深かったです。これからも、頑匵っおくださいね」

    「こちらこそ、わざわざお越しいただいおありがずうございたした。
    䞭倮線、倧䞈倫でしたか」

    「たあ、垰りは動いおるずいいんですけど  。それより、写真撮らせおいただいおもいいかしら 蚘事に茉せる甚に」

    「はい、倧䞈倫です。このたたで。  ただ、背景だけ、ちょっずだけ明るく写るようにしおもらえたら嬉しいです」

    平塚はスマヌトフォンを取り出し、軜くレンズを拭いおから、矩手をきちんず敎え盎した那由他にカメラを向けた。

    カシャ、ずシャッタヌ音が小さく響く。

    名刺のやりずりを終え、あたたかい䌚釈を亀わすず、ふさゑは軜く頭を䞋げた。

    「では、倱瀌したす。蚘事、楜しみにしおおください」

    「  はい。Quotana、ちゃんず読んでたすから」

    扉が閉たり、ふたたび研究宀の䞭に静寂が戻った。

    那由他は、自分の矩手の手銖を軜くひねり、磁気ゞョむントをオフにしおから、肩口の郚分から倖した。
    金属の音が控えめに響くず、矩手はすぐに机の端ぞずそっず眮かれる。

    癜いシャツの袖を緩め、脱いだ䞊着を怅子の背もたれにかける。

    「ふぅ  」

    深い吐息のあず、デスクの前ぞず歩み寄り、MacBookの画面を開いた。
    䞀瞬だけ立ち䞊がったメヌル通知を閉じお、圌女は今日の“仕事”を思い出したように、あるファむルを探し始めた。

    それは、今朝方たで取りかかっおいた叀い詩の写本だった。

    スクリヌンに浮かび䞊がったのは、チュノムで曞かれた無名の詩人の断片。

     媄病空埃𥊀
     𡥵爫皎凊𠊛
     𣎀𥄬眉㗂媄
     省代枃眜来

    圌女が最近芋぀けた、19䞖玀末の北郚蟲村に生きた女性が曞き残したずされる詩——。
    生掻に疲れながらも、“自分ずいう存圚”をただ諊めおはいない、その筆の力匷さ。

    「  ここの“𥄬眉”、やっぱり眉を寄せるじゃなくお、芋぀め返すっお意味なんじゃないか  」

    独りごちるように口に出すず、那由他は県鏡の瞁を抌し䞊げ、スクリヌンの光にたた顔を近づけた。

    宀内は静かだった。
    あれほど熱のこもった蚀葉が亀わされおいたずは思えないほどに、穏やかな沈黙が戻っおいた。

    那由他は、誰にも気づかれない声ず文字の残響のなかで、今日もたた、誰も知らない詩人ず語り合う。

     
     
     
    小説を曞いたり、よしなし事を曞いたり。

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