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【小説・ヴィーナス症候群】[303]誤解陸上

    北川イサミ

    福井県越南町の公民館。
    「越南尾根陸上風力発電計画 住民説明会」の立て看板が掲げられ、壇上には役場の課長と事業者の担当者が並んでいた。

    「今回の事業は、再生可能エネルギー推進の一環で——」
    課長の説明は最後まで届かない。

    「若狭に原発があるやろ!あれに比べたら雀の涙や!」
    「なんで“陸上”なんや!海はすぐそこやろ、海上風力発電じゃだめなんか!」
    「雪が二メートル積もったら、風車なんか動くかい!」
    「観光客も来んようになる、景色が台無しや!」
    「山は神さんのもんやぞ、勝手に削るな!」

    怒号が次々に飛び交い、会場は熱気に覆われる。
    課長は額の汗をハンカチで拭きながら、かすれる声で説明を続けた。
    「……確かに原子力に比べれば規模は小さいですが、小さくても積み重ねが大切です。海上は建設・維持に莫大な費用がかかりますので——」
    「費用の問題やない!自然壊すなと言っとるんや!」
    「補助金目当てで“陸上”にこだわっとるんやろ!」

    若手職員は原稿を握りしめ、うつむいたまま硬直している。
    スライドの画面には風車の完成予想図が映し出されていたが、誰も見ていなかった。

    やがて声は次第に掠れ、怒号の合間にため息が混じり始める。
    「……もうええわ……」
    誰かのつぶやきに、会場全体がどっと疲れを吐き出すように沈黙した。
    怒りと不信に満ちた熱気は、憔悴の色を帯びて冷めつつあった。

    会場全体がため息に沈み、重い静けさが訪れた。
    その空気を見計らったように、司会者がマイクを手にした。

    「……本日は、皆さまに少しでも理解を深めていただくため、特別ゲストをお迎えいたしました。歌手の矢野恵麻さんです」

    その言葉に続いて、舞台袖から長居紳助が満面の笑みで現れた。
    「陸上風力発電所の誤解を解く歌手を連れてきたよ!」

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    ざわめきが広がる。
    「歌?」「説明会でか?」と困惑する声が漏れるなか、黒いタンクトップ姿の矢野恵麻が壇上に歩み出た。
    両肩はすらりと露わで、義手はつけていない。彼女は一礼し、マイクを口に寄せる。

    音がうるさい? 山の風の声
    眠れぬ夜は ほとんどないの
    鳥がぶつかる? 見守るしくみ
    山をまるごと 削るわけじゃない

    誤解陸上 ほどけば見える
    小さな電気も 未来をつなぐ

    透き通る声が、公民館の隅々に染み渡る。
    怒鳴り声もため息も消え、ただ息を呑む気配だけがあった。

    歌が終わると、後方の席から老人がぽつりとつぶやいた。
    「……怒る気力も無くなったわい」

    誰も拍手せず、誰もヤジを飛ばさなかった。
    役場の若手職員が、うつむき加減に小声でつぶやく。
    「……この町、大丈夫なんですかね」

    上司は答えず、正面を見据えていた。
    外では、越南の山を渡る風がざわざわと木々を揺らしていた。

    夜の国道を、越前たけふ駅へ向かってレンタカーが走っていた。
    昼間にここから借りて越南町へ向かい、住民説明会を終えて、今は戻る道のりだ。

    助手席の恵麻が窓の外を見ながらぽつりと口を開いた。
    「……私の歌で、反対派が納得したんですかね」

    運転席の長居紳助は、ハンドルを軽く叩きながら鼻で笑った。
    「さあな。まあ、こっちは依頼通り歌って、ギャラもらったならそれでいいだろ」

    恵麻は肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
    「……まあ、そうなんですけどね」

    街灯の少ない山道を抜け、フロントガラス越しに遠ざかる越南の山影が見えた。
    どこからか吹き下ろす風が、ざわざわと木々を揺らしていた。

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    小説を書いたり、よしなし事を書いたり。

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