
戦国機動隊 ―時を越えた盾―【創作大賞2026応募作】
まえがき
あなたは突然、見知らぬ時代に放り込まれたとしたら、
どうするだろうか?
言葉は通じる。
しかし常識は通じない。
法律も、組織も、支援も、何もない。
あるのは自分たちの体と、手の中の盾だけ。
そんな場所で、あなたはまだ「警察官」でいられるだろうか。
訓練中の警視庁機動隊員たちが、戦国時代へ飛ばされた。
現代の装備をそのまま持ち込んで。
刀が飛び交い、槍が命を奪う、五百年前の乱世へ。
帰る方法はわからない。
無線は届かない。
支援は来ない。
それでも彼らは職務規程を捨てなかった。
なぜなら、警察官は「その場所で困っている人を守る」存在だからだ。
時代が変わっても、その使命は変わらない。
この物語は、特別な能力を持った英雄の話ではない。
ただ、「人を守る」という信念だけを武器に生きた、百人の男女の話だ。
戦国最強と呼ばれた武田騎馬軍団と向き合いながら。
織田信長という規格外の男と言葉を交わしながら。
帰りたい、でも残りたい、という引き裂かれる気持ちを抱えながら。
それでも彼らは前へ進んだ。
本書を読めば、「守る」という行為の本質に触れることができる。
強さとは何か。
使命とは何か。
そして、時代を超えても変わらない人の心とは何か。
戦国という極限の舞台を通じて、その答えが浮かび上がってくる。
歴史小説でありながら、現代を生きる私たちへのメッセージでもある。
この物語が刺さるのは、こんな人だ。
歴史の教科書に出てくる人物が、実はどんな人間だったのか気になる人。
「仕事とは何か」「使命とは何か」を、日常の中でふと考える人。
スカッとする展開と、胸が熱くなる人間ドラマを、同時に味わいたい人。
そしてなによりも、誰かのために生きることの意味を、物語のなかで探したい人。
さあ、ページを開いてほしい。
機動隊百名が踏み込んだのは、五百年前の乱世だ。
彼らが出会うのは、歴史の教科書で見た名前たちではなく、血の通った生きた人間たちだ。
その物語の中に、あなたもきっと、忘れていた何かを見つけるはずだ。
人物紹介
主人公 神崎 誠(かんざき まこと)
警視庁第一機動隊第三中隊中隊長。 階級は警部。
冷静沈着な指揮官。
「警察官は市民を守るためにいる」が信念。
戦国時代でもその信念を曲げない。
高橋 剛志(たかはし つよし)
機動隊小隊長。熱血漢。
隊員からの信頼が厚い。
槍隊との戦闘で武勇を発揮する。
小林 悠斗(こばやし ゆうと)
若手隊員。巡査長。
戦国時代の人々との交流を通じて成長していく。
物語のもう一人の主人公。
森川 美咲(もりかわ みさき)
警視庁警察官。救護班所属。
戦国の負傷者たちを救い「白衣の天女」と呼ばれる。
戦国武将たち
織田 信長
天下布武を掲げる若き覇王。
機動隊の存在に強い興味を抱く。
徳川 家康
慎重な性格の武将。
機動隊との同盟を望む。
武田 勝頼
甲斐武田家当主。
機動隊を脅威として警戒する。
第一章 光の裂け目
六月。
梅雨の雲が低く垂れ込める東京郊外。
警視庁第一機動隊の訓練施設では、百名を超える隊員たちが汗を流していた。
「前進!」
神崎誠警部の号令が響く。
一列に並んだ隊員たちが、防護盾を構えながら前進する。
重さ十キロ近い盾、防護服、ヘルメット。
それらを身に付けたまま行う訓練は過酷だった。
だが誰一人として弱音は吐かない。
機動隊とはそういう組織だった。
「止まれ!」
神崎が叫ぶ。
隊列が一斉に停止する。
整然としていた。
乱れがない。
神崎は満足そうに頷いた。
「いいぞ。もう一度だ」
その時だった。
空が光った。
誰もが雷だと思った。
だが違った。
青白い光が空の一点に集まり始めたのである。
隊員たちがざわつく。
「何だ?」
「ヘリですか?」
「違うだろ……」
高橋剛志が空を見上げる。
長年機動隊にいた彼でも見たことがない光景だった。
まるで空間そのものが裂けているようだった。
神崎は無線機を取る。
「こちら第三中隊。上空に異常現象を確認。そちらでも見えているか?」
雑音。
返答はない。
再び呼びかける。
しかし返事はなかった。
「無線障害か?」
次の瞬間。
光が爆発した。
隊員たちは思わず目を閉じる。
耳をつんざく轟音。
地面が揺れた。
激しい風が吹き荒れる。
「伏せろ!」
神崎が叫ぶ。
だが風は尋常ではなかった。
まるで巨大な渦が隊員たちを飲み込もうとしている。
盾が飛ばされる。
装備が宙を舞う。
隊員たちは必死に踏ん張った。
しかし抗えない。
神崎の身体が浮いた。
景色が回転する。
空と地面が逆転した。
白い光。
白い光。
白い光――。
そして。
全てが闇に包まれた。
神崎が目を開けた時。
最初に感じたのは土の匂いだった。
湿った草。
風に揺れる木々。
鳥の鳴き声。
神崎はゆっくり起き上がる。
「ここは……」
見慣れた訓練場ではなかった。
森だった。
見渡す限りの森。
建物一つ見えない。
「隊長!」
声が聞こえた。
高橋だった。
その向こうには他の隊員たちもいる。
神崎は安堵した。
少なくとも全員が無事らしい。
「負傷者は?」
「軽傷数名です」
「重傷者なし」
神崎は息を吐いた。
奇跡的だった。
あの状況で死者がいない。
だが問題は別にある。
「ここはどこだ?」
誰も答えられない。
GPSを確認する。
反応なし。
携帯電話も圏外。
無線も沈黙したままだった。
嫌な予感がした。
神崎は周囲を調べ始める。
すると若い隊員の小林が叫んだ。
「隊長!あれ!」
全員が振り返る。
森の向こうから人影が現れた。
十人ほど。
農民のような服装。
いや、それだけではない。
腰には刀。
槍を持つ者もいる。
まるで時代劇だった。
彼らもまた機動隊を見て固まっている。
黒い防護服。
ヘルメット。
盾。
異様な姿に見えたのだろう。
双方が動けない。
沈黙が流れる。
やがて農民の一人が震える声で言った。
「鬼……か?」
隊員たちが顔を見合わせる。
「鬼?」
高橋が呟く。
農民たちは一斉に後ずさった。
怯えている。
神崎はゆっくりヘルメットを外した。
敵意がないことを示すためだ。
「待ってくれ」
神崎は手を上げる。
「我々は怪しい者ではない」
農民たちは意味が分からない様子だった。
言葉は通じる。
だが話し方が違う。
一人の老人が前へ出た。
「そなたら……どこの武者じゃ?」
神崎は言葉に詰まった。
武者?
警察官だと言っても伝わらない。
老人は続けた。
「ここは尾張国じゃ」
その瞬間。
神崎は固まった。
尾張国。
今は存在しない地名。
歴史の教科書でしか見ない名前。
まさか。
そんなはずはない。
「今は何年だ?」
老人は不思議そうな顔をした。
「天正三年じゃ」
神崎の背筋が凍る。
天正三年。
西暦一五七五年。
戦国時代だった。
「冗談だろ……」
高橋が青ざめる。
小林も言葉を失った。
誰も笑わない。
笑える状況ではなかった。
神崎は空を見上げる。
雲が流れている。
夢ではない。
現実だった。
彼らは。
警視庁第一機動隊第三中隊は。
戦国時代に来てしまったのだ。
その日の夜。
機動隊は森の中に簡易陣地を構築した。
持ち込めた食料は三日分。
水は近くの川を利用するしかない。
電池も有限。
燃料も有限。
支援は来ない。
補給もない。
つまり。
今ある装備だけで生き抜かなければならない。
隊員たちは不安に包まれていた。
当然だ。
家族に会えない。
帰れる保証もない。
未来そのものが消えてしまったのだから。
神崎は焚火の前に立った。
隊員全員が集まる。
百人の視線が向けられた。
「聞いてくれ」
静寂。
神崎はゆっくり語り始めた。
「私は今でも信じられない」
正直な言葉だった。
「だが現実だ。私たちは戦国時代にいる」
誰も否定しない。
できなかった。
「帰る方法は分からない」
重い空気が流れる。
しかし神崎は続けた。
「だからと言って絶望する必要はない」
隊員たちが顔を上げる。
「我々は警察官だ」
神崎の声が力を帯びる。
「時代が違っても変わらない」
隊員たちの目に光が戻る。
「人を守る」
それが使命だった。
「困っている人がいれば助ける」
「弱い者を守る」
「治安を守る」
神崎は拳を握った。
「ここが戦国時代であろうと、我々は機動隊だ」
高橋が立ち上がる。
「その通りです!」
他の隊員も続いた。
「やりましょう!」
「俺たちは警察官です!」
不安は消えない。
だが覚悟は生まれた。
神崎は静かに頷く。
遠くで狼の遠吠えが響いた。
戦国の夜は深い。
そして誰も知らない。
この百人の警察官たちが。
やがて戦国の歴史そのものを揺るがす存在になることを。
まだ誰も知らなかった。
第二章 戦国の村
夜明け。
森の木々の間から差し込む朝日が、機動隊の仮設陣地を照らしていた。
神崎誠は一睡もしていなかった。
隊長として考えなければならないことが多すぎたのである。
食料、水、医療品、装備の維持。
そして何より、この時代でどう生き残るか。
現代日本なら当たり前に存在するものが、ここには何一つなかった。
無線も繋がらない。
携帯電話も役に立たない。
電気もない。
文明から切り離された世界だった。
「隊長。」
振り返ると高橋が立っていた。
「偵察隊が戻りました。」
「状況は?」
「森を抜けた先に村があります。百人ほどが暮らしているようです。」
神崎は地図代わりに描かれた簡易図面を見る。
「武装は?」
「村人だけです。ただ……」
高橋の表情が曇る。
「かなり貧しいようです。」
神崎は黙った。
戦国時代。
豊かな暮らしなど期待できない。
だが現実は想像以上だったらしい。
「行こう。」
神崎は立ち上がった。
一時間後。
機動隊は村へ到着した。
その光景に隊員たちは言葉を失った。
粗末な茅葺き屋根。
痩せ細った子供たち。
老人たちの疲れ切った顔。
現代日本では考えられないほど貧しかった。
小林悠斗は思わず呟く。
「これが……戦国時代……。」
テレビや映画で見る戦国時代とは違う。
そこにいたのは歴史上の人物ではなく、生きることに必死な人々だった。
村人たちは機動隊を見ると怯え始めた。
「黒鬼様じゃ……」
「また来た……」
「逃げろ!」
子供たちが母親の後ろへ隠れる。
神崎はヘルメットを脱いだ。
昨日と同じように敵意がないことを示す。
「安心してください。」
もちろん言葉遣いは通じない。
それでも神崎の表情から何かを感じたのだろう。
昨日会った老人が前へ出てきた。
「そなたら……また来たのか。」
「話をしたい。」
老人は少し考えた後、頷いた。
「わしは庄兵衛という。」
村長だった。
神崎は自己紹介をする。
当然、警察官という概念は伝わらない。
結局、自分たちは民を守る武装集団だと説明した。
庄兵衛は難しい顔をした。
「武士ではないのか?」
「違う。」
「では何者じゃ。」
神崎は少し考えた。
そして答える。
「人を守る者だ。」
庄兵衛はしばらく神崎を見つめていた。
やがて小さく笑った。
「変わった連中じゃのう。」
村を見て回るうちに現実が見えてきた。
食料不足。
病人。
怪我人。
衛生状態の悪さ。
森川美咲は思わず顔をしかめた。
「このままじゃ感染症が広がる……」
医療知識のある彼女には分かった。
現代なら治療できる病気でも、この時代では命取りになる。
一軒の家の前で立ち止まる。
中から咳が聞こえた。
入ってみると幼い少女が寝込んでいた。
母親が涙を流している。
「三日も熱が下がらぬのです……」
森川は少女の額に触れた。
高熱だった。
持参していた解熱剤を取り出す。
貴重な医薬品。
だが見捨てることなどできない。
「飲ませてください。」
母親は意味が分からない。
森川は実演した。
薬を飲ませ、水を与える。
母親は何度も頭を下げた。
「ありがたや……」
森川は微笑む。
「大丈夫。きっと良くなる。」
少女は弱々しく笑った。
その瞬間。
森川は決意した。
帰る方法を探すだけではない。
目の前の命を救う。
それも自分の使命だと。
昼過ぎ。
村の広場で機動隊は会議を開いていた。
問題は食料だった。
百人の隊員がいる。
持参した保存食では長く持たない。
高橋が地図を広げる。
「周辺に畑がありますが収穫前です。」
「狩りは?」
「できますが限界があります。」
神崎は腕を組んだ。
その時だった。
遠くから馬の足音が聞こえた。
全員が立ち上がる。
警戒態勢。
村人たちも顔色を変えた。
庄兵衛が青ざめる。
「まずい……」
「どうした?」
「奴らじゃ。」
「奴ら?」
庄兵衛の顔が震える。
「野盗じゃ。」
その言葉と同時だった。
森の向こうから十数人の男たちが現れた。
刀。
槍。
弓。
明らかに武装集団だった。
先頭の男が怒鳴る。
「年貢を出せ!」
村人たちが怯える。
子供が泣き出した。
神崎は状況を理解する。
略奪だ。
現代で言えば強盗団である。
野盗の頭目は村人を見回した。
「食料を出せ!」
庄兵衛が震えながら答える。
「もうありません……」
次の瞬間。
頭目が老人を殴り飛ばした。
庄兵衛は地面に転がる。
村人たちが悲鳴を上げた。
その光景を見た小林の拳が震える。
警察官として許せなかった。
神崎は静かに前へ出る。
野盗たちが機動隊に気付いた。
「何だお前ら。」
黒い防護服。
盾。
ヘルメット。
異様な姿に警戒する。
神崎は低い声で言った。
「暴力をやめろ。」
当然意味は通じない。
だが態度で分かった。
敵対している。
野盗の頭目が笑う。
「面白い。」
刀を抜いた。
キン、と鋼の音が響く。
周囲の空気が変わる。
村人たちは絶望した。
刀相手では誰も勝てない。
それが戦国時代の常識だった。
しかし。
神崎の後ろには機動隊がいた。
高橋が号令をかける。
「盾隊前へ!」
ガシャン!
一斉に盾が構えられる。
戦国の人々が見たこともない壁が現れる。
野盗たちが戸惑う。
「何だそれは……」
神崎の目が鋭くなる。
「市民を守る。」
その言葉は誰にも聞こえなかった。
だが機動隊全員に伝わった。
ここから始まる。
戦国時代での最初の任務が。
そして野盗たちはまだ知らない。
自分たちが相手にしているのは、戦国武士ではなく、現代日本最強クラスの集団行動訓練を受けた機動隊であることを。
戦いの火蓋が切られようとしていた。
第三章 最初の戦い
村の広場に緊張が走っていた。
風が吹く。
乾いた土が舞い上がる。
野盗たちは十数人。
対する機動隊は百名近い。
しかし野盗たちは怯えていなかった。
彼らにとって戦いとは日常だったからである。
刀で斬る。
槍で突く。
相手を殺す。
それがこの時代の常識だった。
一方、機動隊は違う。
彼らは人を守るための組織であり、敵を殺すための軍隊ではない。
だが今、この村には守るべき人々がいる。
神崎誠は前へ出た。
「最後だ。」
野盗たちを見据える。
もちろん言葉は通じない。
それでも構わなかった。
「引き返せ。」
頭目は笑った。
下品な笑いだった。
「面白い格好をしているな。」
刀を肩に担ぐ。
「だが、この辺りじゃ見ない顔だ。」
周囲の野盗たちも笑う。
「鬼か?」
「化け物だろ。」
「斬ってみれば分かる。」
村人たちは震えていた。
彼らは知っている。
野盗がどれほど残酷かを。
食料を奪い。
女をさらい。
逆らえば殺す。
何度もそうしてきた。
だから誰も立ち向かえなかった。
だが今日は違った。
黒い鎧の集団がいる。
村人たちは固唾を飲んで見守った。
「行け!」
頭目が叫ぶ。
二人の野盗が飛び出した。
刀を振り上げる。
速い。
戦国時代の実戦経験者である。
普通の農民なら一瞬で斬られていただろう。
しかし。
「前列、固定!」
高橋剛志が叫んだ。
ガシャン!
盾が並ぶ。
巨大な壁が現れる。
次の瞬間。
刀が盾へ叩きつけられた。
ガンッ!
鈍い音。
野盗たちの顔が変わる。
斬れない。
まるで岩を叩いたようだった。
もう一撃。
さらに一撃。
しかし結果は同じ。
防護盾はびくともしない。
「なっ……!」
その隙だった。
高橋が前へ出る。
盾で体当たりした。
ドンッ!
野盗が吹き飛ぶ。
地面を転がった。
立ち上がれない。
鎧も着ていない人間にとって、防護盾による突進は想像以上の衝撃だった。
もう一人も小隊員に取り押さえられる。
わずか十秒。
勝負にならなかった。
村人たちがざわめく。
「すごい……」
「刀が効かぬ……」
「本当に鬼か……」
頭目の顔が険しくなる。
「弓だ!」
後方の男たちが弓を構えた。
神崎の目が鋭くなる。
「上!」
盾が上空へ向けられる。
矢が飛ぶ。
シュッ!
シュッ!
シュッ!
だが。
カン!
カン!
カン!
矢は盾に弾かれた。
一本も貫通しない。
戦国の兵たちは絶句した。
鉄板入りの防護盾など見たことがない。
神崎は冷静に分析する。
弓矢は脅威だ。
目や首に当たれば危険である。
しかし隊列を維持すれば十分対応可能だった。
「前進。」
機動隊が歩き始める。
整然と。一歩ずつ。
盾の壁が迫る。
野盗たちは後退した。
本能的な恐怖だった。
相手が人間に見えない。
斬れない。
矢も効かない。
しかも黙って迫ってくる。
まるで鉄の城だった。
「隊長。」
小林悠斗が言う。
「どうします?」
神崎は短く答えた。
「制圧する。」
警察官として当然だった。
相手を殺す必要はない。
止めればいい。
それだけだ。
頭目が怒鳴る。
「囲め!」
残った野盗たちが左右へ散る。
だがその動きも神崎の想定内だった。
「第二小隊。」
「はい!」
「右を抑えろ。」
「了解!」
機動隊が動く。
まるで訓練のようだった。
連携、統率、規律。
戦国時代の戦いは個人技が中心である。
だが機動隊は違う。
集団行動の専門家だった。
野盗たちは次々と取り押さえられていく。
腕を極められる。
地面に押さえ付けられる。
武器を奪われる。
あっという間だった。
頭目は信じられなかった。
自分たちは何度も村を襲ってきた。
負けたことなどない。
それなのに。
今は仲間が全員倒れている。
「くそおおおっ!」
頭目が神崎へ斬りかかった。
必死だった。
最後の賭けだった。
刀が振り下ろされる。
神崎は盾で受ける。
ガン!
火花が散る。
続けて二撃目。
三撃目。
頭目は全力だった。
しかし神崎は冷静だった。
現代の警察訓練。
暴徒鎮圧。
格闘術。
何度も積み重ねてきた経験がある。
四撃目の瞬間。
神崎は踏み込んだ。
頭目の手首を掴む。
身体をひねる。
柔道技だった。
頭目の体が宙を舞う。
ドサッ!
地面へ叩きつけられた。
刀が転がる。
頭目は息ができない。
神崎は膝で押さえ込んだ。
「終わりだ。」
頭目には意味が分からない。
しかし敗北だけは理解できた。
戦いは終わった。
死者は出ていない。
機動隊側の負傷者もゼロ。
野盗たちは全員拘束された。
村人たちは静まり返っている。
信じられなかったのである。
野盗が負けた。
しかも誰も死なずに。
庄兵衛が震える足で神崎へ近づいた。
「勝った……」
神崎は頷く。
「もう大丈夫だ。」
老人は突然泣き始めた。
何年も苦しめられてきた。
仲間を殺された。
家族を奪われた。
それが今日終わった。
庄兵衛だけではない。
村人たちも泣いていた。
子供たちも。
老人たちも。
皆が涙を流していた。
その夜。
村ではささやかな宴が開かれた。
貧しい村だった。
豪華な食事はない。
それでも村人たちは持てるものを全て差し出した。
機動隊へ感謝を伝えるために。
小林は子供たちと話していた。
最初は怯えていた子供たちも、今では笑顔だった。
「兄ちゃん強かった!」
「刀より強い!」
小林は苦笑する。
「いや、みんなを守っただけだよ。」
その言葉を聞いた庄兵衛が言った。
「守る……か。」
老人は空を見上げる。
「戦国にそんなことを言う武士はおらん。」
神崎は静かに答えた。
「私たちは武士ではない。」
「では何者じゃ?」
神崎は焚火を見つめた。
炎が揺れている。
そして言った。
「警察官だ。」
もちろん意味は伝わらない。
だが庄兵衛は頷いた。
「ならば、お主らは守り人じゃ。」
守り人。
神崎はその言葉を胸に刻んだ。
しかしその頃。
遠く離れた城では、一人の武将が報告を受けていた。
「黒き鎧の軍勢?」
家臣が頭を下げる。
「はっ。尾張の村を守り、野盗を討ったとのこと。」
武将は興味深そうに笑った。
鋭い目が光る。
後に天下人と呼ばれる男。
織田信長であった。
彼はまだ知らない。
その奇妙な集団が、自らの運命を大きく変える存在になることを。
第四章 織田信長
野盗との戦いから三日後。
村には久しぶりの平和が訪れていた。
畑では農民たちが働き、子供たちの笑い声が響く。
機動隊も村の警備や井戸の整備を手伝っていた。
現代の知識と規律は、戦国の人々にとって驚きの連続だった。
「順番に並んでください。」
小林悠斗が村人たちに声をかける。
炊き出しの列である。
村人たちは不思議そうな顔をしていた。
戦国時代では力の強い者が先に取るのが普通だった。
だが機動隊は違う。
老人や子供を優先する。
誰もが平等に食べられるようにする。
その光景は村人たちに強い印象を与えていた。
「守り人様じゃ。」
いつしか村人たちはそう呼ぶようになっていた。
その日の昼。
村の入口が騒がしくなった。
馬の蹄の音。
武装した男たち。
十数騎の騎馬武者が現れた。
村人たちは青ざめる。
再び野盗かと思ったのである。
しかし違った。
彼らは統制が取れていた。
鎧も立派だった。
先頭の武士が馬を止める。
「この村を守った者たちはどこだ。」
低い声だった。
神崎は前へ出る。
「私たちだ。」
武士は神崎を見て目を細めた。
黒い防護服、ヘルメット、盾。
見たこともない装備だった。
「我らは織田家の者。」
村人たちがざわつく。
織田家。
尾張を支配する大名である。
「信長様がお呼びだ。」
神崎は高橋と顔を見合わせた。
ついに来た。
歴史上の人物との接触である。
その夜。
緊急会議が開かれた。
隊員たちは不安そうだった。
「本当に行くんですか?」
「罠かもしれません。」
「拘束される可能性もあります。」
当然の意見だった。
戦国時代の権力者など信用できない。
だが神崎は静かに言う。
「行く。」
全員が顔を上げる。
「我々はこの土地で生きていかなければならない。」
そのためには情報が必要だった。
織田信長。
戦国史上でも屈指の人物。
接触を避ける選択肢はない。
「私と高橋、小林が向かう。」
「隊長!」
「心配するな。」
神崎は微笑んだ。
「交渉も任務の一つだ。」
翌朝。
神崎たちは織田家の武士たちに案内されていた。
道中、多くの農村を目にする。
どこも貧しかった。
そして治安も悪い。
現代の感覚では考えられない世界だった。
小林が呟く。
「本当に戦国時代なんですね。」
高橋が苦笑する。
「今さらだな。」
だが誰もが同じ気持ちだった。
教科書の中の世界を歩いている。
それは不思議な感覚だった。
やがて巨大な城が見えてきた。
清洲城である。
高い城壁。
見張り櫓。
武装した兵たち。
神崎は思わず見上げた。
歴史そのものだった。
城内へ案内される。
武士たちの視線が集まる。
誰もが機動隊の装備を見ていた。
「何だあれは。」
「南蛮の鎧か?」
「いや違う。」
ひそひそ声が聞こえる。
神崎たちは無視した。
やがて大広間へ通される。
そこに一人の男が座っていた。
まだ若い。
だが圧倒的な存在感がある。
鋭い目。
堂々とした姿勢。
部屋全体を支配するような空気。
神崎はすぐに理解した。
この男が・・・。
織田信長だ。
信長は神崎たちをじっと見つめた。
しばらく沈黙が続く。
やがて口を開いた。
「面白い。」
最初の言葉だった。
家臣たちが驚く。
信長は笑っている。
興味を持った時の表情だった。
「そなたら、人ではないのか?」
高橋が吹き出しそうになる。
神崎は真面目に答えた。
「人です。」
信長はさらに笑った。
「ならば良い。」
そして立ち上がる。
近くまで歩いてくる。
普通の大名なら警戒する場面だ。
だが信長は違った。
未知のものを恐れない。
それが彼だった。
信長は盾を叩く。
コンコン。
金属音が響く。
「見事な物だ。」
ヘルメットを見る。
防護服を見る。
そして神崎の顔を見た。
「どこの国から来た。」
神崎は少し考えた。
真実を言っても信じないだろう。
だが嘘もつきたくない。
「遠い未来です。」
広間が静まり返る。
家臣たちが顔を見合わせる。
何を言っているのか理解できない。
だが。
信長だけは笑った。
「未来か。」
まるで冗談を楽しむように。
「面白い。」
その後も会話は続いた。
信長は驚くほど頭の回転が速かった。
質問が鋭い。
農業、兵站、統治、道路、治安。
次々と聞いてくる。
神崎も答えられる範囲で説明した。
信長は興味深そうに聞いている。
やがて。
信長が突然言った。
「わしの家臣になれ。」
広間がざわついた。
家臣たちも驚いている。
初対面での誘いだった。
信長は本気だった。
神崎たちの価値を理解したのである。
規律、統率、未知の技術。
どれも戦国では貴重だった。
「どうだ。」
神崎は少し考えた。
もし断れば敵になるかもしれない。
受ければ歴史へ深く関わることになる。
重大な選択だった。
しかし神崎は静かに答えた。
「お断りします。」
広間の空気が凍った。
家臣たちの顔色が変わる。
信長の誘いを断る者などいない。
ましてや面前で。
高橋も内心冷や汗をかいていた。
だが神崎は続ける。
「私たちは誰か一人に仕えるためにいるのではありません。」
信長の目が細くなる。
「ほう。」
「私たちは民を守るために存在します。」
再び沈黙。
そして。
信長は大声で笑った。
「ははははは!」
家臣たちは呆然とする。
怒ると思ったのだ。
しかし信長は楽しそうだった。
「気に入った!」
笑いながら言う。
「わしに媚びぬ者は珍しい!」
神崎は胸をなで下ろした。
どうやら首は繋がったらしい。
その夜。
城の一室で休む神崎たち。
小林が深く息を吐いた。
「生きた心地がしませんでした。」
高橋も苦笑する。
「俺もだ。」
だが神崎は窓の外を見ていた。
月が浮かんでいる。
歴史の中の月だった。
そして彼は気付いていた。
今日の出会いは始まりに過ぎない。
信長という男は、これから何度も自分たちの前に現れる。
そしてその先には。
戦国最大の戦いが待っている。
長篠。
本能寺。
天下統一。
歴史の大きな流れが。
ゆっくりと動き始めていた。
第五章 天下布武と警察官
清洲城での会見から数日後。
神崎誠たちは再び村へ戻っていた。
村人たちは大歓迎だった。
「守り人様が帰ってきた!」
「神崎様!」
「小林様!」
子供たちが駆け寄ってくる。
小林は苦笑しながら頭を撫でた。
機動隊員としては不思議な気分だった。
東京では暴徒鎮圧や警備が主な任務である。
子供たちに英雄のように迎えられることなどなかった。
しかし、この村では違う。
彼らは本当に感謝してくれていた。
神崎はその笑顔を見ながら思う。
――守るべきものがある。
それだけで十分だ。
その夜。
機動隊本部代わりとなっている村の集会所で会議が開かれた。
「織田信長は信用できますか?」
若い隊員が質問する。
神崎は腕を組んだ。
難しい問題だった。
信長は確かに魅力的な人物だ。
頭も切れる。
決断力もある。
だが同時に戦国大名である。
必要なら戦争もする。
敵も殺す。
現代の警察官とは根本的に考え方が違う。
「信用ではない。」
神崎は静かに言った。
「利用し合う関係だ。」
高橋が頷く。
「少なくとも敵に回すべき相手じゃない。」
それは全員が理解していた。
もし織田軍と全面衝突になれば、いくら機動隊でも厳しい。
装備には限界がある。
弾薬もない。
燃料も有限。
長期戦はできない。
「我々は我々の道を行く。」
神崎はそう結論づけた。
翌日。
再び織田家から使者がやってきた。
しかも今回は二十騎以上。
前回より明らかに規模が大きい。
村人たちは不安そうな顔をした。
使者の武士が頭を下げる。
「信長様からの書状です。」
神崎が受け取る。
もちろん読めない。
古文書の知識などない。
すると武士が代わりに読み上げた。
「守り人たちへ。
再び会いたい。
話したいことがある。
織田信長。」
短い。
だが命令ではなく招待だった。
神崎は少し驚いた。
信長らしい。
力で従わせることもできる立場なのに、それをしない。
「行きましょう。」
神崎は決断した。
数日後。
再び清洲城。
信長は相変わらずだった。
豪快で自由。
常識に縛られない。
神崎たちを見るなり笑った。
「待っておったぞ!」
家臣たちが苦笑する。
天下人になる男とは思えないほど気さくだった。
信長は早速本題へ入った。
「神崎。」
「はい。」
「そなたらの村を見た。」
神崎は驚いた。
信長自ら来ていたのだ。
「見事であった。」
信長は本気で感心していた。
秩序がある。
盗みがない。
喧嘩が減った。
病人の手当てもしている。
戦国ではあり得ない光景だった。
「何故そこまでする。」
信長は尋ねた。
「見返りもないのに。」
神崎は即答した。
「使命だからです。」
「使命?」
「困っている人を助ける。」
信長は黙る。
神崎は続けた。
「それが警察官です。」
信長はしばらく考えていた。
やがて静かに言う。
「不思議な者たちだ。」
会談は続いた。
やがて信長は一枚の地図を広げた。
周囲の家臣たちも真剣な表情になる。
神崎は気付く。
これは重要な話だ。
「神崎。」
「はい。」
「天下とは何だと思う。」
突然の質問だった。
神崎は少し考える。
そして答えた。
「人々が安心して暮らせることです。」
家臣たちがざわつく。
信長は興味深そうに聞いている。
「続けよ。」
「戦がなく、盗賊もいない。」
「ふむ。」
「子供が安心して眠れる。」
神崎は真っ直ぐ信長を見る。
「それが理想です。」
広間が静まり返る。
戦国時代の人間には新鮮な考え方だった。
信長はゆっくり頷く。
「面白い。」
そして地図へ目を落とす。
「わしも似たようなことを考えておる。」
神崎は少し驚いた。
信長は続ける。
「国が乱れている。」
「戦ばかりだ。」
「民が苦しんでおる。」
信長の目が鋭くなる。
「だから天下を取る。」
家臣たちが息を呑む。
天下布武。
後に歴史へ刻まれる思想だった。
「わしは終わらせたい。」
信長の言葉には本気があった。
神崎は理解する。
この男は単なる野心家ではない。
乱世そのものを変えようとしている。
方法は違う。
考え方も違う。
それでも目指す先の一部は同じだった。
その日の帰り道。
高橋が言った。
「信長って男は面白いですね。」
神崎も頷く。
「そうだな。」
小林が苦笑する。
「歴史の教科書で見た人物と全然違います。」
実際に会うと分かる。
歴史上の人物も生きた人間なのだ。
笑うし、怒るし、悩みもする。
しかし、村へ戻ったその夜。
異変が起きた。
見張りの隊員が駆け込んでくる。
「隊長!」
神崎が立ち上がる。
「どうした。」
「西の街道から避難民が来ています!」
全員が外へ飛び出した。
松明の明かりの中。
何十人もの人々が歩いてくる。
老人、女性、子供、怪我人もいる。
疲れ切っていた。
庄兵衛が驚く。
「何があった!」
一人の男が泣きながら答えた。
「村が焼かれた……」
その言葉に空気が凍る。
「武田の兵だ……」
神崎の表情が変わった。
ついに始まった。
戦国時代の現実が。
遠くで狼の遠吠えが響く。
燃え落ちた村。
逃げ惑う民。
そして迫り来る戦乱。
機動隊はこれまで野盗と戦ってきた。
だが次に相手をするのは違う。
本物の軍勢。
数百、数千の兵士たちである。
戦国最強と恐れられる武田軍が、その牙を剥こうとしていた。
第六章 鉄と火薬
避難民たちが到着してから三日。
村の様子は一変していた。
元々百人ほどだった村人は倍近くに増え、機動隊の仮設拠点は小さな避難所のようになっていた。
森川美咲は休む間もなく働いていた。
怪我人の治療。
発熱患者の看病。
衛生管理。
持ち込んだ医薬品は減る一方だった。
「森川さん、少し休んでください。」
小林が心配そうに言う。
しかし森川は首を振った。
「まだ大丈夫。」
その顔には疲労が見えていた。
それでも手を止めなかった。
目の前で苦しむ人々を見捨てることなどできなかったのである。
神崎は避難民の代表から詳しい話を聞いていた。
「襲ったのは武田軍なのか?」
男は首を振る。
「分かりませぬ。」
「ですが武田家の旗印を掲げておりました。」
神崎は考え込む。
本当に武田軍なのか。
それとも武田を名乗る別の集団なのか。
情報が少なすぎる。
だが一つだけ確かなことがあった。
誰かが村を焼いた。
多くの人が家を失った。
それだけは事実だった。
その日の夕方。
再び織田家から使者が到着した。
「神崎殿。」
「どうした。」
「信長様がお呼びです。」
神崎の表情が引き締まる。
今の状況で呼び出し。
良い知らせとは思えなかった。
翌日。
清洲城。
大広間には重い空気が流れていた。
前回とは違う。
家臣たちの顔が真剣だった。
信長も笑っていない。
地図が広げられている。
神崎はその様子だけで理解した。
戦だ。
信長が口を開く。
「武田が動いた。」
やはり。
神崎は黙って聞く。
「国境付近の村々が襲われておる。」
家臣の一人が続けた。
「既に三つの村が焼かれました。」
「民が逃げ始めています。」
戦国時代では珍しくない話だった。
だが神崎たちには受け入れ難い現実だった。
信長は地図を指差す。
「このままでは被害が広がる。」
そして神崎を見る。
「助けてほしい。」
家臣たちがざわつく。
天下の織田信長が頭を下げたわけではない。
しかし事実上の協力要請だった。
神崎は静かに答える。
「我々は軍隊ではありません。」
信長は頷く。
「分かっておる。」
「戦争をする気もありません。」
「それも分かっておる。」
そして信長は言った。
「だが民は守りたいのであろう。」
神崎は返答できなかった。
その言葉は核心だった。
帰路。
高橋が言った。
「どうします?」
神崎は空を見上げる。
雲が流れている。
戦国時代の空だった。
「助ける。」
短い言葉だった。
高橋は笑った。
予想通りだった。
「ですよね。」
小林も頷く。
機動隊は軍隊ではない。
だが人を守る組織である。
それが答えだった。
村へ戻ると早速準備が始まった。
神崎は隊員たちを集める。
「我々は避難民の保護を行う。」
誰も反対しなかった。
「ただし戦争には介入しない。」
これが重要だった。
機動隊の目的は敵を倒すことではない。
民を守ること。
それだけである。
「避難経路を確保する。」
「負傷者を救助する。」
「野盗や略奪者を排除する。」
隊員たちは一斉に敬礼した。
「了解!」
数日後。
避難誘導任務が始まった。
機動隊は街道沿いに拠点を設置し、人々を安全な地域へ誘導していた。
その時だった。
遠くから悲鳴が聞こえた。
「助けてくれ!」
全員が振り向く。
十数人の農民が走ってくる。
後方には武装集団。
馬に乗っている。
槍を構えている。
神崎の表情が変わった。
「警戒!」
盾が並ぶ。
隊列が完成する。
騎馬武者たちは一直線に突進してきた。
地面が震える。
戦国時代最強の兵科。
騎馬隊だった。
村人たちは絶望した。
騎馬隊に追いつかれれば終わりである。
だが神崎は冷静だった。
現代でも暴走車両対策訓練は存在する。
規模は違うが考え方は同じだった。
「第一列、固定!」
盾が地面へ押し込まれる。
「第二列、支援!」
高橋が叫ぶ。
騎馬武者たちは迫る。
五十メートル。
三十メートル。
二十メートル。
そして――
激突。
だが結果は予想外だった。
馬が止まったのである。
目の前に現れた黒い壁。
見たこともない盾の列。
本能的に危険を感じたのだ。
騎馬武者たちは慌てて手綱を引く。
隊列が乱れる。
その隙に避難民たちは安全圏へ逃げ込んだ。
神崎は叫ぶ。
「追うな!」
隊員たちは従う。
敵を倒すことが目的ではない。
守ることが目的なのだ。
その戦いを遠くから見ていた男がいた。
織田家の間者である。
彼は驚愕していた。
騎馬隊を止めた。
たった百人足らずで。
しかも死者を出さずに。
急ぎ清洲城へ戻る。
その日の夜。
報告を聞いた信長は笑った。
「やはり面白い。」
家臣たちは困惑する。
だが信長だけは理解していた。
あの黒い集団は戦国の常識に縛られていない。
だから強い。
一方。
甲斐の国。
山々に囲まれた城。
一人の武将が報告を受けていた。
精悍な顔立ち。
鋭い眼光。
武田家当主である。
家臣が頭を下げる。
「織田領に奇妙な集団が現れました。」
勝頼は眉をひそめる。
「奇妙な集団?」
「黒い鎧をまとい、騎馬隊を退けたとのこと。」
部屋が静まり返る。
騎馬隊を退けた。
それは容易なことではない。
勝頼はゆっくり立ち上がった。
「面白い。」
信長と同じ言葉だった。
しかし意味は違う。
勝頼の目には警戒の色があった。
戦国の均衡を崩す存在。
それが機動隊だった。
そして知らぬ間に。
神崎たちは天下を巡る戦いの渦へ巻き込まれ始めていた。
第七章 守る者たち
夏が近づいていた。
青々とした田畑が風に揺れ、山々は濃い緑に包まれている。
本来なら平穏な季節だった。
だが戦国の世に平穏は長く続かない。
各地で戦が起き、人々は故郷を失い、明日の食事すら分からない生活を送っていた。
神崎誠たちの拠点には、今日も避難民が訪れていた。
老人、女性、子供、怪我人。
その数は日を追うごとに増えている。
いつしか人々はこの場所をこう呼ぶようになった。
――守り人の里。
「隊長、大変です!」
朝早く、小林悠斗が駆け込んできた。
神崎は地図を見ていた顔を上げる。
「どうした?」
「東の山道から避難民が来ています。」
「それだけならいつものことだろう。」
しかし小林の表情は深刻だった。
「数が違います。」
神崎たちが現場へ向かうと、そこには百人以上の人々がいた。
いや、それ以上かもしれない。
長い列が山道を埋め尽くしている。
疲労困憊の表情。
泣き続ける子供たち。
怪我人を背負う家族。
地獄のような光景だった。
庄兵衛が顔を青くする。
「こんな人数……」
神崎はすぐに指示を出した。
「炊き出し班を編成。」
「救護所を増設。」
「水の確保を急げ。」
隊員たちは即座に動き出した。
機動隊が得意とする災害対応である。
現代日本では地震や洪水の被災地支援を行ってきた。
戦国時代でもやることは変わらない。
困っている人を助ける。
それだけだった。
森川美咲は救護所で治療に追われていた。
熱中症、栄養失調、切り傷、骨折。
現代なら病院へ運ばれる患者ばかりである。
しかし今は違う。
彼女が頼りだった。
「先生……」
いつしか人々は森川を先生と呼び始めていた。
森川は苦笑する。
本当はただの警察官なのだ。
だが、この時代では立派な医者に見えるのだろう。
一人の少女が連れて来られた。
七歳くらい。
足に大きな傷がある。
森川は優しく声をかけた。
「痛い?」
少女は頷く。
涙をこらえていた。
森川は消毒を始める。
少女は顔をしかめる。
それでも泣かなかった。
「強いね。」
そう言うと少女は小さく笑った。
その笑顔を見て森川も笑う。
救える命がある。
それだけで疲れは消えた。
一方。
高橋剛志は周辺の警備を担当していた。
避難民が増えれば問題も増える。
食料を巡る争い、盗み、暴力。
現代でも避難所で起きる問題だった。
まして戦国時代である。
しかし高橋は驚いていた。
大きな揉め事が起きない。
理由は単純だった。
機動隊がいるからである。
黒い防護服。
整然とした隊列。
圧倒的な規律。
それだけで抑止力になっていた。
「守り人様。」
老人が声をかける。
「ありがとう。」
高橋は少し照れた。
警察官人生で何度も感謝されたことはある。
だが、これほど真っ直ぐな感謝は珍しかった。
その夜。
神崎は見張り台に立っていた。
遠くに無数の灯が見える。
避難民たちの焚火だった。
数百人。
もしかすると千人近い。
一つの村ではない。
小さな町になり始めていた。
「隊長。」
振り返ると小林だった。
「眠らないんですか?」
「少し考え事だ。」
神崎は遠くを見つめる。
「これだけ人が集まれば守るのも難しくなる。」
小林も頷く。
敵が来れば目立つ。
戦乱から逃れてきた人々が集まっているのだ。
格好の標的になる。
その時だった。
見張りの隊員が叫んだ。
「敵影!」
警鐘が鳴る。
機動隊員たちが飛び起きる。
神崎は双眼鏡を構えた。
現代から持ち込まれた貴重な装備である。
街道の先。
松明の列。
数十人。
いや百人近い。
武装している。
「野盗か?」
高橋が呟く。
神崎は首を振った。
統率が取れている。
あれは軍勢だった。
しかし旗印がない。
どこの兵か分からない。
やがて先頭の男が進み出る。
大声で叫んだ。
「食料を差し出せ!」
村人たちが震える。
神崎は理解した。
略奪隊だ。
戦乱に乗じて村や避難民を襲う集団。
野盗より厄介だった。
「隊長。」
高橋が盾を構える。
神崎は冷静だった。
敵は百人近い。
しかし避難民はその十倍以上いる。
逃げれば大混乱になる。
ならば。
「守る。」
神崎は短く言った。
「第一中隊配置。」
「第二中隊後方警備。」
「第三中隊避難民保護。」
次々と命令が飛ぶ。
隊員たちは迷わない。
現代で何度も訓練してきた。
大規模災害、暴動、テロ対策。
状況は違う。
だが原則は同じだった。
やがて略奪隊が接近する。
彼らは笑っていた。
相手は避難民。
簡単な獲物だと思っていた。
しかし、目の前に現れたのは黒い壁だった。
防護盾、ヘルメット。
整列する百名の機動隊。
「何だあれは?」
略奪隊が戸惑う。
その時。
神崎が一歩前へ出た。
静かな声だった。
だが力強かった。
「ここを通すわけにはいかない。」
もちろん意味は通じない。
しかし覚悟は伝わった。
背後には守るべき人々がいる。
老人、子供、家族。
逃げ場を失った民たち。
だから退かない。
それが警察官だからだ。
戦いが始まろうとしていた。
だが遠く離れた場所で、その様子を見つめる者がいた。
織田家の密偵だった。
彼は急いで馬を走らせる。
向かう先は清洲城。
そして信長のもと。
「守り人たちが大軍と対峙しています!」
その報告を聞いた信長は立ち上がった。
「面白い。」
しかし今回は笑っていなかった。
「見に行く。」
家臣たちが驚く。
だが信長は止まらない。
彼自身の目で確かめたかったのだ。
民を守るためだけに戦う集団を。
そしてその夜。
信長自身が戦場へ向かうことになる。
第八章 武田騎馬軍団
夜の闇の中。
守り人の里を囲むように、松明の炎が揺れていた。
略奪隊は百名近い。
刀や槍を手にし、避難民たちを獲物のような目で見つめている。
対する機動隊は百名足らず。
数だけなら互角。
だが彼らの背後には千人近い避難民がいた。
絶対に突破されるわけにはいかない。
神崎誠は盾列の最前列に立っていた。
「全員、冷静に。」
隊員たちへ声をかける。
「我々の任務は制圧ではない。」
その声は静かだった。
だが全員に届く。
「守ることだ。」
「了解!」
力強い返答が夜空へ響いた。
略奪隊の頭目は苛立っていた。
ここ数か月、戦乱に紛れて好き放題に略奪してきた。
誰も逆らわない。
村人など怯えるだけだった。
だが今日は違う。
目の前に奇妙な集団がいる。
「蹴散らせ!」
怒鳴る。
男たちが突撃する。
刀を振り上げる。
槍を構える。
普通なら人々が逃げ惑う場面だった。
しかし。
「盾列固定!」
高橋剛志の号令。
ガシャン!
防護盾が並ぶ。
黒い壁が現れる。
刀が叩きつけられる。
槍が突き刺さる。
だが。
一枚たりとも破れない。
略奪隊は混乱した。
「何だこの盾は!」
「斬れない!」
「化け物か!」
神崎は前へ出る。
そして盾で押す。
一歩。
また一歩。
統制された隊列が進む。
略奪隊は押し返されていく。
やがて戦意を失った者から逃げ出し始めた。
十分後。
戦いは終わった。
死者は出ていない。
負傷者も軽傷のみ。
避難民たちから歓声が上がる。
再び守られたのである。
しかし。
本当の脅威は別にあった。
翌朝。
清洲城から急使が到着する。
馬を飛ばしてきたらしく、全身が汗だくだった。
「神崎殿!」
「どうした。」
「信長様がお呼びです!」
神崎は嫌な予感がした。
急使が来る時は大抵悪い知らせだ。
その日の夕方。
清洲城。
大広間の空気は重かった。
信長も険しい顔をしている。
家臣たちの表情も暗い。
地図が広げられていた。
神崎は近づく。
そこには複数の印が記されていた。
信長が言う。
「武田が本格的に動いた。」
広間が静まり返る。
「勝頼が兵を集めている。」
武田勝頼。
かつて最強と恐れられた武田家を率いる男。
神崎も歴史知識として名前は知っていた。
だが実際にその脅威が迫っている。
「兵数は?」
「八千。」
神崎は息を呑んだ。
機動隊は百名。
桁が違う。
「目的は?」
信長は地図を指差す。
「この辺りの村々だ。」
守り人の里も含まれていた。
帰り道。
高橋が苦笑する。
「八千ですか。」
神崎も苦笑した。
笑うしかなかった。
機動隊の訓練でも八千人規模など想定しない。
軍隊同士の戦争レベルである。
「勝てませんね。」
小林が正直に言う。
神崎は頷く。
「勝つ必要はない。」
二人が顔を上げる。
「我々は軍隊じゃない。」
神崎は真っ直ぐ前を見た。
「民を守る。」
それだけだった。
数日後。
武田軍が現れた。
まず聞こえたのは地鳴りだった。
ドドドドドドド――
大地が震える。
森の鳥たちが飛び立つ。
避難民たちが顔を青くする。
見張り台の隊員が叫ぶ。
「敵影!」
全員が空を見た。
土煙。
巨大な土煙。
地平線を覆い尽くしている。
その中から旗が現れた。
武田菱。
赤備え。
無数の槍。
無数の兵士。
そして。
騎馬隊。
小林は言葉を失った。
教科書では見た。
映像でも見た。
だが実物は違う。
恐ろしかった。
数百騎の馬が並んでいる。
鉄の波だった。
「これが……武田騎馬軍団。」
高橋も表情を引き締める。
さすがに緊張していた。
一方、神崎は双眼鏡を構えていた。
敵の動きを観察する。
冷静に。
隊長として。
恐怖に飲まれれば終わりだ。
その頃。
武田軍本陣。
勝頼もまた双眼鏡代わりの望遠鏡で里を見ていた。
織田家から入手した南蛮品である。
「黒い兵か。」
家臣が頷く。
「騎馬隊を止めたとの噂があります。」
勝頼は鼻で笑う。
「噂だ。」
だが内心では警戒していた。
だからこそ自ら来た。
正体を確かめるために。
その夜。
機動隊本部。
神崎は地図を前に考え続けていた。
勝てない。
それは分かっている。
だが避難民を見捨てるわけにもいかない。
すると森川が入ってきた。
疲れた顔をしている。
「まだ起きてたんですね。」
「眠れない。」
神崎は苦笑した。
森川も隣へ座る。
しばらく沈黙。
やがて森川が言う。
「隊長。」
「何だ。」
「みんな信じてますよ。」
神崎は少し驚いた。
「隊長なら何とかしてくれるって。」
森川は微笑む。
「私もそう思ってます。」
神崎は窓の外を見る。
無数の灯。
避難民たちの明かり。
守るべき人々。
そして。
迫り来る戦国最強の軍勢。
彼は静かに拳を握った。
どんな時代でも。
どんな相手でも。
警察官の使命は変わらない。
その夜。
戦国の空に無数の星が輝いていた。
そして翌朝。
武田軍が動き出す。
機動隊と武田騎馬軍団。
歴史に残ることのない戦いが、今まさに始まろうとしていた。
第九章 長篠異聞
夜明け前。
空はまだ薄暗く、山々の稜線だけが黒く浮かび上がっていた。
守り人の里では誰も眠っていなかった。
避難民たちは不安そうな顔で焚火を囲み、機動隊員たちは装備の最終確認を行っている。
誰もが理解していた。
今日が運命の日になるかもしれないと。
神崎誠は見張り台の上に立っていた。
遠くに見える武田軍の陣。
無数の旗。
無数の兵。
そして騎馬隊。
まるで巨大な生き物のようだった。
「隊長。」
高橋が上がってくる。
「全隊、配置完了です。」
神崎は頷いた。
「避難誘導は?」
「いつでも開始できます。」
機動隊は徹底していた。
戦うためではない。
守るためだ。
もし最悪の事態になれば、まず避難民を逃がす。
そのための準備を整えていた。
朝日が昇る。
その瞬間だった。
武田軍の陣から法螺貝が響く。
ブォォォォォ―――
大地を震わせる音。
避難民たちが顔を青くする。
子供たちは母親へしがみついた。
「来るぞ。」
神崎が呟く。
武田軍が動き始めた。
数千の兵士。
無数の槍。
無数の旗。
そして騎馬隊。
その光景は圧倒的だった。
まるで歴史そのものが歩いているようだった。
しかし。
武田軍が接近してきた時。
予想外の出来事が起こる。
反対側から別の軍勢が現れたのである。
織田軍だった。
旗印が風にはためく。
さらに。
その隣には三河の旗。
徳川軍である。
織田・徳川連合軍。
歴史で語られる長篠の戦いと同じ構図だった。
小林が驚く。
「まさか……。」
神崎も息を呑んだ。
歴史の教科書で学んだ光景。
だが今、自分たちはその中にいる。
昼頃。
信長から使者が来た。
神崎は急ぎ本陣へ向かう。
そこには信長と家康がいた。
実際に並ぶ二人を見て、小林は思わず感動してしまう。
日本史好きなら卒倒しそうな光景だった。
信長は笑った。
「来たか。」
家康は神崎を見つめる。
慎重そうな目だった。
「そなたが守り人か。」
神崎は頭を下げる。
「神崎誠です。」
家康は頷く。
「噂は聞いておる。」
どうやら存在は広く知られ始めているらしい。
軍議が始まった。
地図が広げられる。
信長が言う。
「勝頼は騎馬隊で突破を狙う。」
家康も頷く。
「恐らく間違いない。」
歴史通りならここで鉄砲三段撃ちが活躍する。
しかし神崎は知っていた。
実際の歴史には諸説ある。
それに。
今は自分たちがいる。
歴史は既に変わり始めていた。
「神崎。」
信長が呼ぶ。
「そなたならどうする。」
神崎は少し考えた。
そして答える。
「民を巻き込まない。」
家臣たちは怪訝そうな顔をする。
だが信長は興味深そうに聞いていた。
「続けよ。」
「戦場の周辺に避難民がいます。」
神崎は地図を指差した。
「まず避難経路を確保するべきです。」
戦国武将たちは顔を見合わせる。
避難民の安全を優先する発想がないのだ。
家康が腕を組む。
「なるほど。」
信長は笑った。
「やはり面白い。」
その日の午後。
機動隊は独自の任務を開始した。
避難民の移動である。
高橋が指揮を執る。
「慌てない!」
「順番に進んでください!」
まるで現代の災害現場だった。
老人を先に。
子供を優先。
怪我人を救護班が支援する。
隊員たちは汗だくになりながら動き続けた。
戦場の裏側で。
誰にも知られない戦いをしていた。
その頃。
武田軍本陣。
勝頼は苛立っていた。
「避難民がいない?」
家臣が頭を下げる。
「はっ。」
「既に移動しております。」
勝頼は眉をひそめる。
通常なら戦場周辺の村人は混乱する。
逃げ遅れる。
補給も奪える。
だが今回は違った。
誰かが組織的に動かしている。
「黒い兵か。」
勝頼は呟く。
ますます気になった。
夕方。
避難作戦は成功した。
数百人の民が安全圏へ移動している。
神崎は安堵した。
しかし。
その時だった。
見張りの隊員が叫ぶ。
「敵騎馬隊!」
全員が振り向く。
武田軍の一部が動いたのである。
数百騎。
真っ直ぐこちらへ向かってくる。
避難民を狙ったのだ。
「まずい!」
小林が叫ぶ。
まだ最後尾の集団が残っている。
逃げ切れない。
神崎は即座に決断した。
「第一小隊!」
「はい!」
「避難民の護衛!」
「了解!」
「第二小隊!」
「はい!」
「私と来い!」
隊員たちは走る。
武田騎馬隊も迫る。
地面が揺れる。
馬の咆哮。
兵士たちの怒号。
戦国最強と呼ばれた突撃だった。
だが。
神崎は逃げなかった。
目の前には老人たちがいる。
子供たちがいる。
守らなければならない。
だから前へ出る。
夕日に照らされた平原。
数百騎の騎馬隊。
その前へ立つ黒い盾の集団。
あまりにも小さい。
あまりにも無謀だった。
だが機動隊員たちは誰一人退かなかった。
その姿を遠くから信長が見ていた。
家康も見ていた。
そして武田勝頼も見ていた。
歴史が動く。
教科書には決して記されない戦いが始まる。
機動隊百名。
武田騎馬隊数百騎。
民を守るためだけの戦いが。
今まさに幕を開けようとしていた。
第十章 白衣の天女
夕日に染まる平原。
武田騎馬隊の蹄が大地を震わせていた。
数百騎。
それはまるで巨大な津波だった。
逃げ惑う避難民たちの悲鳴が風に乗って響く。
老人たち、子供たち、怪我人たち。
誰もが恐怖に震えていた。
その前に立つのは、わずか数十名の機動隊員。
黒い防護服、防護盾、ヘルメット。
戦国武者とは異なる異様な集団だった。
神崎誠は盾を構えながら叫ぶ。
「絶対に突破させるな!」
「了解!」
隊員たちの声が重なる。
武田騎馬隊の先頭では、一人の若武者が怒鳴っていた。
「蹴散らせ!」
馬が加速する。
二十メートル。
十五メートル。
十メートル。
そして――
激突。
ドォン!
凄まじい衝撃だった。
何頭もの馬が盾列へぶつかる。
隊員たちは必死に踏ん張った。
地面に足を食い込ませる。
押される。
だが崩れない。
「耐えろ!」
高橋剛志が叫ぶ。
さらに後列が支える。
機動隊が得意とする密集隊形。
現代の暴徒鎮圧技術が戦国の騎馬隊とぶつかっていた。
しかし。
完全には防ぎきれなかった。
一頭の馬が隊列の隙間を突破する。
その先には避難民の集団。
悲鳴が上がる。
「危ない!」
小林悠斗が飛び出した。
少女が転んでいる。
逃げ遅れたのだ。
騎馬武者が槍を構える。
間に合わない。
誰もがそう思った。
だが次の瞬間。
小林が少女を抱きかかえた。
地面を転がる。
槍が頭上をかすめる。
「ぐっ!」
肩に痛みが走る。
それでも少女は無事だった。
戦いは一時間近く続いた。
やがて織田軍の援軍が到着する。
武田騎馬隊は撤退を開始した。
完全な勝利ではない。
しかし避難民は守り切った。
それだけで十分だった。
だが本当の戦いはここから始まる。
負傷者が次々に運び込まれたのである。
打撲、骨折、裂傷。
踏みつけられた者もいる。
即席の救護所は悲鳴で満ちていた。
森川美咲は走り回る。
「次の患者!」
「止血を!」
「水を持ってきて!」
現代なら病院へ搬送される患者ばかり。
だがここには病院などない。
彼女だけが頼りだった。
夜になっても治療は続いた。
森川の手は血で染まっている。
疲労は限界だった。
それでも止まらない。
目の前で苦しむ人を放っておけなかった。
その時。
一人の老女が手を握った。
「ありがとう。」
森川は顔を上げる。
老女は涙を流していた。
「息子が助かった。」
その隣には若い男が横たわっている。
重傷だったが命は繋がった。
「先生のおかげです。」
森川は首を振った。
「私は先生じゃありません。」
だが老女は微笑む。
「いいえ。」
そして静かに言った。
「天女様です。」
その言葉はあっという間に広まった。
「白衣の天女。」
いつも白い救護服を着ている森川。
傷ついた者を助ける姿。
戦国の人々には奇跡に見えた。
「天女様が来た!」
「助かるぞ!」
「天女様だ!」
森川は困っていた。
全く慣れない。
むしろ恥ずかしい。
「やめてください。」
そう言っても誰も聞かない。
高橋は大笑いしている。
「似合ってるじゃないですか。」
「高橋さん!」
「ははは。」
小林まで笑っていた。
数日後。
その噂は遠くまで広がっていた。
尾張。
三河。
美濃。
各地で語られる。
黒い鎧の守り人。
そして白衣の天女。
民を守る不思議な集団。
戦国では考えられない存在だった。
ある日の夕方。
再び信長から招きが届く。
神崎たちは清洲城へ向かった。
信長は上機嫌だった。
「神崎。」
「はい。」
「そなたらの噂が凄いぞ。」
神崎は嫌な予感がした。
信長は笑う。
「守り人。」
「白衣の天女。」
家臣たちも笑っている。
森川は顔を真っ赤にした。
「やめてください。」
信長はますます面白そうだった。
「民に好かれておる。」
それは事実だった。
戦国では珍しい存在だからだ。
だが。
楽しい話だけではなかった。
信長の表情が急に変わる。
真剣になる。
神崎も察した。
重要な話だ。
「武田が再び動く。」
広間が静まり返る。
信長は地図を広げる。
「しかも今回は違う。」
神崎が尋ねる。
「何がです。」
信長の指が一点を指す。
そこは守り人の里だった。
「狙いはそなたらだ。」
空気が凍る。
武田勝頼は気付いたのである。
黒い兵たちが戦局を変えていることに。
守り人たちを排除しなければならないことに。
その頃。
武田軍本陣。
勝頼もまた地図を見ていた。
「黒い兵。」
低く呟く。
家臣たちが黙って聞いている。
「放置はできぬ。」
騎馬隊を止める。
民を逃がす。
兵の士気まで上げる。
存在そのものが異常だった。
勝頼は静かに命じる。
「捕らえよ。」
その言葉に家臣たちが頭を下げる。
「生け捕りにせよ。」
勝頼は神崎たちへ興味を抱いていた。
敵としてではない。
未知の存在として。
だが。
その命令が後に大きな運命を呼ぶことになる。
そして神崎たちはまだ知らない。
機動隊の中に、この戦国生活へ馴染み始めた者たちがいることを。
帰るべき未来か。
守るべき現在か。
やがて隊員たちの心は揺れ始める。
第十一章 裏切りの影
秋の気配が近づいていた。
守り人の里は以前とは比べものにならないほど大きくなっていた。
避難民たちが集まり、田畑が開かれ、井戸が掘られ、小さな町のようになっている。
子供たちの笑い声が響き、人々は久しぶりに平穏な日々を送っていた。
だが、その平和の裏で機動隊内部には小さな亀裂が生まれ始めていた。
その夜。
小林悠斗は見回りを終えて戻る途中、一人の隊員を見つけた。
佐久間亮巡査長。
同じ第三中隊の仲間だった。
しかし様子がおかしい。
暗い顔をしている。
「佐久間さん?」
声をかけると佐久間は振り返った。
「ああ、小林か。」
笑顔を作る。
だが無理をしているのは明らかだった。
「何かありました?」
しばらく沈黙。
やがて佐久間は呟いた。
「娘の誕生日だった。」
小林は言葉を失う。
佐久間には小学二年生の娘がいた。
隊員たちは皆知っている。
溺愛していたからだ。
「今頃、どうしてるかな。」
夜空を見上げる。
そこに東京の空はない。
戦国時代の星空だけだった。
同じ頃。
別の場所でも似た会話が交わされていた。
「帰りたい。」
誰かが言った。
否定する者はいない。
家族がいる。
恋人がいる。
友人がいる。
現代に残してきた人生がある。
戦国時代でどれだけ人々に感謝されても、それは変わらない。
「もし帰る方法があるなら。」
「俺は帰る。」
その言葉に多くの隊員が頷いた。
当然だった。
しかし。
全員が同じ考えではなかった。
高橋剛志は違った。
「俺は迷うな。」
小林が驚く。
「高橋さん?」
高橋は苦笑する。
「もちろん帰りたいさ。」
家族もいる。
友人もいる。
だが。
「ここにも守るべき人ができた。」
その言葉に小林は黙った。
高橋だけではない。
森川も同じだった。
「私も分かる。」
白衣の天女と呼ばれる彼女は、毎日多くの命を救っている。
今では村人たちの誰もが彼女を頼りにしていた。
もし突然消えたら。
多くの人が困るだろう。
神崎誠はその変化に気付いていた。
隊長だからである。
隊員たちの表情。
会話。
空気。
全てが少しずつ変わっている。
ある者は帰りたい。
ある者は残りたい。
どちらも間違いではない。
だから難しかった。
数日後。
事件は起きた。
夜中。
見張りの隊員が駆け込んでくる。
「隊長!」
神崎は飛び起きた。
「どうした。」
「装備倉庫が荒らされています!」
全員が緊張した。
装備は生命線である。
盾、無線機、非常食、医療品。
どれも貴重だった。
神崎は現場へ向かう。
扉は壊されていない。
しかし中の物がなくなっている。
特に消えていたのは。
保存食、工具、ロープ。
そして地図。
神崎の表情が変わった。
単なる盗難ではない。
計画的だった。
夜明け前。
さらに衝撃的な事実が判明する。
三人の隊員が姿を消していた。
佐久間亮。
井上慎吾。
山田徹。
いずれも若手ではない。
経験豊富な隊員だった。
高橋が呟く。
「まさか……。」
神崎は頷く。
脱走だった。
捜索隊が編成される。
神崎、高橋、小林。
数名の隊員。
森を進む。
そして昼頃。
川辺で三人を発見した。
彼らは逃げていた。
「佐久間!」
神崎が叫ぶ。
三人は立ち止まった。
気まずそうな顔。
罪悪感もある。
だが決意もあった。
「隊長。」
佐久間が頭を下げる。
「すみません。」
神崎は静かに尋ねた。
「理由は。」
佐久間は拳を握る。
震えていた。
「帰りたいんです。」
その声は切実だった。
「娘に会いたい。」
誰も何も言えない。
「妻に会いたい。」
「家に帰りたい。」
涙が浮かんでいる。
井上も言った。
「俺たちは警察官です。」
神崎は頷く。
「そうだ。」
「でも。」
井上は続ける。
「ここは俺たちの時代じゃない。」
その言葉が全員の胸へ刺さる。
正論だった。
神崎はしばらく黙っていた。
そして言う。
「帰る方法を探している。」
「分かっています。」
佐久間は答える。
「でも待てないんです。」
娘の顔が浮かぶ。
妻の笑顔が浮かぶ。
時間が経てば経つほど苦しくなる。
沈黙。
風が吹く。
川の音だけが聞こえる。
やがて神崎は言った。
「戻ろう。」
佐久間たちは顔を上げる。
「隊長……。」
「帰る方法を探す。」
神崎の声は力強かった。
「必ず。」
その目に嘘はなかった。
佐久間は泣いた。
子供のように。
張り詰めていたものが切れたのだ。
その夜。
全隊員が集められた。
神崎は皆の前へ立つ。
静まり返る。
「聞いてくれ。」
誰もが真剣だった。
「帰りたいと思うのは当然だ。」
多くの隊員が頷く。
「私も同じだ。」
神崎自身も家族がいる。
東京に帰りたい。
その気持ちは変わらない。
「だが。」
神崎は続ける。
「今は生き残ることが先だ。」
隊員たちが顔を上げる。
「必ず帰る。」
力強く言った。
「だがその日までは。」
そして周囲を見渡す。
守り人の里。
避難民たち。
子供たち。
老人たち。
全てを。
「警察官として任務を果たそう。」
静かな拍手が起きる。
やがて大きくなる。
誰もが同じだった。
帰りたい。
だが今は守る。
その覚悟が再び一つになった。
しかし。
その会議を遠くから見ている影があった。
武田の間者である。
守り人たちの内部に亀裂が生まれている。
その情報はすぐに勝頼のもとへ届けられる。
勝頼は微笑んだ。
「人の心は弱い。」
そう呟く。
そして新たな策を命じた。
機動隊を力で倒すのではない。
心を壊す。
戦国武将らしい策だった。
その影はゆっくりと近づいている。
誰も気付かぬまま。
第十二章 戦国警察署
秋が深まり始めた。
守り人の里には黄金色の稲穂が揺れている。
わずか数か月前まで荒れ果てた避難所だった場所は、今では立派な町へと成長していた。
人口は二千人を超えた。
農民、職人、商人、浪人。
様々な人々が集まっている。
当然、問題も増えていた。
「隊長、また喧嘩です。」
朝から高橋剛志が頭を抱えていた。
酒が原因だった。
収穫祭の準備で酒樽が運び込まれ、それを巡って揉め事が起きている。
神崎は苦笑する。
「今度は何人だ。」
「十人ほど。」
「前回より少ないな。」
「感覚がおかしくなってませんか?」
二人は思わず笑った。
現代の機動隊は治安維持の専門家である。
だがこの里では、警察官としての仕事も求められるようになっていた。
盗難、傷害、行方不明。
家庭内の揉め事。
様々な相談が持ち込まれる。
神崎は気付いていた。
今の里には治安組織が必要だと。
その日の夜。
機動隊本部で会議が開かれた。
「警察署を作る。」
神崎の言葉に全員が驚く。
「警察署ですか?」
小林悠斗が聞き返した。
神崎は頷く。
「もちろん現代のものではない。」
だが近い役割を持つ組織は作れる。
問題を解決し、人々を守り、秩序を維持する。
それは戦国時代にも必要だった。
翌日。
町の中心に新しい建物が建設された。
木造二階建て。
大きな看板が掲げられる。
そこには。
『守り人役所』
と書かれていた。
戦国時代に警察署という言葉は通じない。
そこで庄兵衛が考えた名前だった。
村人たちは興味津々だった。
開設初日。
予想以上の人々が集まった。
最初の相談は。
猫探しだった。
「猫?」
高橋が呆れる。
老人は真剣だった。
「大事な家族じゃ。」
結局、小林が半日かけて発見する。
老人は涙を流して喜んだ。
次は盗難事件だった。
商人の米俵が消えたのである。
神崎たちは聞き込みを行った。
現場確認、目撃情報、動機の確認。
現代警察そのままだった。
結果。
犯人は空腹に耐えられなかった若者だった。
神崎は叱った。
しかし同時に仕事も紹介する。
若者は泣きながら謝罪した。
やがて人々は理解する。
守り人役所は恐ろしい場所ではない。
助けてくれる場所だ。
相談できる場所だ。
すると評判が広がる。
近隣の村からも人が来るようになった。
ある日。
一人の母親が泣きながら飛び込んできた。
「助けてください!」
神崎が立ち上がる。
「どうしました。」
「娘がいなくなりました!」
広間の空気が変わる。
行方不明事件だった。
娘の名は、お春。
八歳。
昼頃に森へ入ったまま戻らないという。
神崎は即座に捜索隊を編成した。
現代日本なら当然の対応だ。
だが戦国時代では珍しい。
普通なら諦める。
人手もない。
余裕もない。
しかし機動隊は違った。
森の捜索が始まる。
小林が足跡を探す。
高橋が周辺を確認する。
村人たちも協力した。
そして夜になる頃。
小さな泣き声が聞こえた。
「お母ちゃん……。」
崖の下だった。
足を滑らせたらしい。
幸い命に別状はない。
森川が治療を行う。
少女は震えていた。
やがて母親が駆け寄る。
「お春!」
抱きしめる。
涙が止まらない。
周囲の村人たちも泣いていた。
神崎は静かにその光景を見守る。
その事件以降。
守り人役所の評価はさらに高まった。
「人探しもしてくれる。」
「困ったら相談できる。」
「守り人様なら助けてくれる。」
人々の信頼は絶対的なものになりつつあった。
だが。
その頃。
遠く離れた武田軍本陣では別の動きが始まっていた。
勝頼の前に一人の男が跪いている。
忍びだった。
「報告いたします。」
「申せ。」
勝頼は静かに言う。
「守り人の里はさらに発展しております。」
「ほう。」
「人々は彼らを慕い、集まっています。」
勝頼は目を閉じる。
面白くない状況だった。
兵だけではない。
民まで味方につけている。
普通の軍勢ではない。
忍びは続ける。
「しかし。」
勝頼の目が開く。
「内部に弱点があります。」
「何だ。」
「未来へ帰りたい者たちです。」
部屋が静まり返る。
勝頼は微笑んだ。
ようやく見つけた。
黒い兵たちにも人間らしい弱点がある。
「利用できるか。」
「可能かと。」
勝頼は立ち上がる。
窓の外には秋の月。
冷たい光が差していた。
「ならば揺さぶれ。」
静かな命令だった。
「心を折れ。」
戦国武将らしい策である。
力ではなく。
疑念で。
不安で。
仲間同士を疑わせる。
一方その頃。
守り人の里では収穫祭が始まろうとしていた。
子供たちが走り回る。
笑い声が響く。
久しぶりの平和だった。
神崎たちも少しだけ安堵していた。
しかし。
その平和の裏側で。
既に武田の忍びたちは里へ潜入していたのである。
誰にも気付かれずに。
第十三章 忍びの罠
収穫祭の日。
守り人の里はかつてない賑わいを見せていた。
広場には屋台が並び、子供たちの笑い声が響く。
焼いた魚の香り。
炊きたての米の匂い。
人々の笑顔。
戦乱の世とは思えない平和な光景だった。
神崎誠は広場を見渡しながら微笑んだ。
「いい顔してますね。」
隣にいた森川美咲も頷く。
「あんなに怯えていた人たちなのに。」
里へ来たばかりの頃、人々は常に恐怖の中で生きていた。
だが今は違う。
笑っている。
未来を信じている。
それは機動隊員たちにとって何より嬉しいことだった。
しかし。
その平和の中に、一人の男が紛れ込んでいた。
旅の商人を装った男。
荷車を引きながら人混みを歩く。
誰も怪しまない。
だがその正体は武田家の忍びだった。
男は人々の会話を聞いていた。
守り人。
白衣の天女。
神崎隊長。
どれも賞賛ばかり。
それを聞いて男は小さく笑った。
「なるほど。」
勝頼が警戒する理由が分かった。
この里は単なる避難所ではない。
人の心を集める場所だった。
その夜。
忍びは動き始めた。
狙いは機動隊内部。
戦国武将が最も得意とする戦い。
情報戦だった。
翌朝。
守り人役所へ一人の旅人が訪れる。
疲れ果てた老人だった。
「神崎様に会いたい。」
神崎は応接室へ通した。
老人は震える声で話し始める。
「わしは西の山奥で妙なものを見ました。」
「妙なもの?」
「光る穴です。」
神崎の顔色が変わった。
老人は続ける。
「空間が歪んでおりました。」
「近づくと雷のような音がした。」
神崎は息を呑む。
隊員たちも集まってくる。
それはあの日と似ていた。
機動隊がタイムスリップした時の現象に。
「場所は?」
神崎が尋ねる。
老人は地図を指差した。
山奥の谷。
人が近づかない場所だった。
「本当ですか?」
小林が聞く。
老人は力強く頷く。
「間違いありませぬ。」
老人が帰った後。
会議室は騒然となった。
「帰れるかもしれない!」
若い隊員が叫ぶ。
「本当に?」
「確認するべきです!」
興奮が広がる。
当然だった。
誰もが帰りたい。
家族が待っている。
現代日本へ。
東京へ。
だが神崎は冷静だった。
「落ち着け。」
静かな声。
全員が黙る。
「情報が少なすぎる。」
確かにそうだった。
老人の証言だけ。
証拠はない。
「まず調査だ。」
それが隊長としての判断だった。
翌日。
調査隊が出発する。
神崎、高橋、小林。
そして数名の隊員。
指定された谷へ向かう。
険しい山道だった。
半日ほど進む。
やがて、目的地へ到着した。
何もなかった。
谷、岩、木々。
それだけ。
神崎は周囲を調べる。
高橋も確認する。
小林も捜索する。
だが。
何もない。
「隊長……。」
高橋が呟く。
神崎は頷いた。
罠だった。
その瞬間。
矢が飛んできた。
ヒュッ!
神崎は反射的に盾を上げる。
カン!
矢が弾かれる。
「伏せろ!」
全員が動く。
森の中から十数人の男たちが現れた。
忍びだった。
短い戦闘が始まる。
だが忍びたちは本気ではなかった。
攻撃しながら後退する。
時間を稼ぐように。
高橋が眉をひそめる。
「変だ。」
神崎も同感だった。
何かがおかしい。
やがて忍びたちは消えた。
森へ逃げ込む。
追跡は困難だった。
神崎は立ち止まる。
そしてようやく気付く。
「しまった。」
守り人の里。
その本拠地から主力を引き離されたのである。
その頃。
里では別の事件が起きていた。
倉庫が燃えていた。
火災だった。
悲鳴が響く。
人々が逃げ惑う。
高橋も神崎もいない。
指揮官不在。
混乱が広がる。
森川美咲は必死だった。
「落ち着いて!」
「怪我人をこちらへ!」
白衣の天女は治療に追われる。
小林がいない。
神崎もいない。
機動隊の主力もいない。
それでもやるしかなかった。
幸い火災は鎮火された。
大きな被害は出なかった。
しかし。
問題は別にあった。
誰かが意図的に火をつけたのである。
夜。
神崎たちが帰還した。
報告を聞いた神崎の表情は険しい。
完全にしてやられた。
偽情報、おびき出し、放火。
全て計画的だった。
会議室。
誰も口を開かない。
重い空気。
すると森川が静かに言った。
「相手は私たちを知っています。」
神崎は頷く。
その通りだった。
敵は機動隊を研究している。
弱点を探している。
そして。
最も危険なのは。
「内部に協力者がいる可能性があります。」
小林の言葉だった。
全員が凍り付く。
武田の忍びだけでは不可能だった。
里の事情を知りすぎている。
誰がいつ動くのか。
どこに何があるのか。
情報が正確すぎた。
つまり。
誰かが情報を流している。
神崎はゆっくり立ち上がる。
「調査する。」
隊員たちが顔を上げる。
「必ず見つけ出す。」
その目は鋭かった。
警察官として。
そして隊長として。
裏切りだけは許さない。
その頃。
里の外れ。
一人の男が夜空を見上げていた。
機動隊員。
佐久間亮だった。
彼の表情は苦しみに満ちていた。
手の中には小さな文。
武田の忍びから渡されたもの。
そこには一文だけ記されていた。
――未来へ帰る方法を知りたくないか。
佐久間は拳を握る。
娘の顔が浮かぶ。
妻の笑顔が浮かぶ。
そして。
心が揺れていた。
第十四章 裏切り者
秋の夜風は冷たかった。
守り人の里にも緊張が漂っている。
放火事件以来、人々の顔から笑顔が減った。
誰もが不安だった。
敵が見えない。
どこにいるか分からない。
それが一番恐ろしい。
守り人役所。
神崎誠は机に地図を広げていた。
隣には高橋剛志。
小林悠斗。
森川美咲。
機動隊幹部たちである。
「内部協力者。」
高橋が呟く。
神崎は頷いた。
「可能性は高い。」
敵は情報を知りすぎている。
調査隊が出発した時間、人数、装備。
全て把握していた。
偶然ではない。
小林が資料を広げる。
「放火当日の行動記録です。」
機動隊では習慣として記録を残していた。
戦国時代になっても変わらない。
誰がどこにいたのか。
何をしていたのか。
全て書かれている。
その中で。
一人だけ空白の時間があった。
佐久間亮。第三中隊所属。
三時間、行動不明。
高橋は顔をしかめる。
「まさか。」
神崎は黙っていた。
佐久間は仲間だった。
何度も背中を預けた。
命を救ってくれたこともある。
簡単に疑いたくない。
しかし、察官として見逃すこともできない。
「話を聞こう。」
神崎は静かに言った。
その夜。
佐久間は呼び出された。
部屋には神崎たちがいる。
空気は重い。
佐久間も察していた。
「佐久間。」
神崎が言う。
「放火の日、どこにいた。」
沈黙。
佐久間は俯いた。
「……。」
「答えろ。」
高橋の声が鋭くなる。
長い沈黙。
やがて。
佐久間は震える声で言った。
「会っていました。」
部屋が静まり返る。
「誰に。」
神崎の声。
佐久間は顔を上げる。
目には涙が浮かんでいた。
「武田の忍びです。」
全員が言葉を失った。
認めた。
自ら。
小林は思わず叫ぶ。
「何やってるんですか!」
佐久間は拳を握る。
震えている。
「分かってる。」
「なら!」
「分かってるんだ!」
佐久間も叫んだ。
部屋の空気が凍る。
佐久間は泣いていた。
「娘に会いたいんだ。」
静かな声だった。
「帰りたい。」
誰も何も言えない。
「忍びは言った。」
佐久間は続ける。
「帰る方法を知っているって。」
神崎は目を閉じた。
やはりそこだった。
敵はそこを突いてきた。
最も弱い部分を。
「信じたのか。」
神崎が尋ねる。
佐久間は首を振る。
「分からない。」
本音だった。
信じたい。
だが疑っている。
それでも。
希望が欲しかった。
「情報は渡したのか。」
神崎の質問。
佐久間はしばらく黙る。
そして。
「少しだけ。」
高橋が机を叩いた。
ドン!
「少しだと!」
怒りが爆発する。
佐久間は俯く。
「申し訳ありません。」
謝罪しかできない。
その時だった。
神崎が手を上げる。
高橋を制した。
そして佐久間を見る。
「放火は。」
「やってません。」
即答だった。
神崎はその目を見る。
嘘ではない。
長年の経験がそう告げていた。
「他に協力者は。」
「いません。」
「本当か。」
「本当です。」
再び沈黙。
誰もが苦しかった。
裏切り。
だが完全な裏切りではない。
敵になったわけではない。
帰りたいだけなのだ。
神崎は立ち上がった。
窓の外を見る。
里の灯。
人々の暮らし。
守るべき命。
そして。
東京に残した家族。
神崎にも分かる。
帰りたい。
その気持ちは。
誰よりも。
「佐久間。」
振り返る。
「はい。」
「お前を処分しない。」
全員が驚く。
高橋も。
小林も。
森川も。
「隊長!」
高橋が声を上げる。
しかし神崎は続ける。
「ただし。」
佐久間を見る。
「二度と隠し事はするな。」
佐久間の目から涙が溢れた。
「隊長……。」
「お前は仲間だ。」
静かな声だった。
「だから戻ってこい。」
佐久間は泣き崩れた。
戦国時代へ来てから初めてだった。
心の奥に溜まっていた苦しみ。
不安。
孤独。
全てが溢れ出した。
その夜。
機動隊全員が集められた。
神崎は事実を隠さなかった。
佐久間のこと。
忍びのこと。
帰還の噂のこと。
全て話した。
そして言った。
「帰りたいと思うなとは言わない。」
誰もが聞いている。
「私も帰りたい。」
隊員たちの目が揺れる。
「だが。」
神崎は続ける。
「敵はその気持ちを利用している。」
静まり返る。
「だから一人で悩むな。」
その言葉は隊員たちの胸へ届いた。
「苦しいなら話せ。」
「不安なら相談しろ。」
「仲間がいる。」
誰かが泣いていた。
一人ではない。
何人も。
その夜。
機動隊は再び一つになった。
だが。
武田軍本陣。
勝頼は報告を聞いていた。
「失敗しました。」
忍びが頭を下げる。
勝頼は少しだけ笑った。
「構わぬ。」
家臣が驚く。
「次の策がある。」
勝頼は地図を見る。
その指は守り人の里ではなく。
別の場所を指していた。
そこには一つの文字。
長篠。
歴史の大戦。
長篠の戦い。
その日が近づいていた。
そして機動隊は。
ついに戦国最大級の戦いへ巻き込まれていく。
第十五章 長篠前夜
天正三年五月。
戦国の歴史が大きく動こうとしていた。
後に語り継がれる大戦。
長篠の戦い。
その足音が確実に近づいていた。
守り人の里にも緊張が広がっている。
武田軍の動きが活発になった。
各地から届く報告。
兵の集結。
物資の輸送。
街道の封鎖。
誰が見ても戦の準備だった。
守り人役所。
神崎誠は地図を見つめていた。
その表情は険しい。
高橋が尋ねる。
「長篠ですか。」
神崎は頷いた。
現代人として知っている。
長篠の戦い。
織田・徳川連合軍。
武田軍。
そして歴史的敗北。
武田家衰退の始まり。
「歴史が動く。」
小林が呟く。
その言葉に全員が黙った。
機動隊は悩んでいた。
歴史へ介入するべきか。
しないべきか。
もし介入すれば。
未来が変わる可能性がある。
自分たちが生まれなくなるかもしれない。
家族が存在しなくなるかもしれない。
しかし。
何もしなければ。
目の前で多くの人が死ぬ。
警察官として。
それは耐え難い。
神崎は静かに言った。
「我々は歴史を変えない。」
全員が顔を上げる。
「だが。」
神崎は続ける。
「民は守る。」
それが結論だった。
戦そのものへ介入しない。
しかし。
戦に巻き込まれる人々は助ける。
誰も異論はなかった。
数日後。
織田信長から正式な招集が届く。
清洲城。
大広間。
信長。
そして家康。
さらに多くの武将たちが集まっていた。
信長は神崎を見る。
「来たか。」
神崎は頭を下げる。
広げられた地図。
その中央に記されている。
長篠城。
家康が説明する。
「武田軍が包囲しておる。」
長篠城には徳川方の兵が籠城している。
援軍が必要だった。
信長が地図を叩く。
「決戦になる。」
広間が静まる。
神崎は信長を見る。
歴史上の英雄。
だが今は一人の人間だった。
戦を前に覚悟を決めた男。
「神崎。」
信長が言う。
「そなたらはどうする。」
全員の視線が集まる。
神崎は答えた。
「民を守ります。」
信長は笑った。
「やはりそうか。」
期待していた答えだった。
家康も微笑む。
「それで良い。」
戦う者。
守る者。
役割は違う。
だが必要な存在だった。
その帰り道。
小林が空を見上げた。
「不思議ですね。」
「何がだ。」
高橋が聞く。
「教科書の中の人たちと話してる。」
全員が笑った。
確かにそうだった。
信長。
家康。
勝頼。
歴史上の人物たちが生きている。
笑い、怒り、悩み。
決断している。
それは不思議な体験だった。
その夜。
守り人の里へ戻る。
だが。
平和な時間は長く続かなかった。
見張り台から鐘が鳴る。
カン!カン!カン!
全員が飛び出す。
「敵襲か!」
高橋が叫ぶ。
しかし違った。
街道から人々が走ってくる。
避難民だった。
老人、女、子供。
その数。
数百人。
皆、怯えている。
「助けてくれ!」
「武田軍が来る!」
「村が焼かれた!」
神崎は歯を食いしばる。
長篠の戦いはまだ始まっていない。
だが。
既に多くの人々が犠牲になっている。
戦とはそういうものだった。
守り人の里は再び避難民で溢れる。
森川は治療に走る。
小林は炊き出しを指揮する。
高橋は警備を強化する。
神崎は休む暇もなく動き続けた。
深夜。
ようやく一息ついた頃。
一人の少年が神崎の前へ来た。
十歳くらい。
痩せている。
少年は神崎を見上げた。
「守り人様。」
「どうした。」
少年は震える声で言った。
「父ちゃんが捕まりました。」
神崎の表情が変わる。
「誰に。」
少年は答えた。
「武田軍です。」
部屋が静まり返る。
話を聞くと。
村人たちが逃げる時間を稼ぐため。
父親が一人で残ったらしい。
そして連れ去られた。
生死不明。
少年は泣きながら言った。
「助けてください。」
神崎は言葉を失う。
警察官として。
助けたい。
しかし相手は武田軍。
数千の軍勢。
無謀だった。
だが。
少年の瞳は諦めていない。
神崎は目を閉じる。
そして。
ゆっくり開いた。
「分かった。」
高橋が顔を上げる。
小林も驚く。
神崎は静かに言った。
「救出する。」
それは警察官としての決断だった。
たとえ戦国時代でも。
たった一人でも。
助けを求める人がいるなら。
手を差し伸べる。
その任務が
後に機動隊と武田軍の全面対決へ繋がることを
まだ誰も知らなかった。
第十六章 人質救出作戦
深夜。
守り人役所の会議室には緊張した空気が流れていた。
机の上には手描きの地図。
ろうそくの炎が揺れている。
神崎誠、高橋剛志、小林悠斗、森川美咲。
そして各中隊長が集まっていた。
少年から聞き出した情報を整理していたのである。
捕らえられた男の名は源吉。
四十二歳、農民。
家族を逃がすため、一人で武田兵の足止めを行った。
その結果、連行された。
問題は場所だった。
武田軍本隊ではない。
前線の監視拠点。
山間部にある小規模な砦。
兵数は三十から五十程度。
高橋が腕を組む。
「少ないと言っても武装兵です。」
神崎も頷く。
「正面から行けば犠牲が出る。」
それは避けなければならない。
機動隊の目的は殲滅ではない。
救出である。
小林が地図を指差す。
「裏山があります。」
砦の背後。
険しい崖。
「普通なら登れない。」
神崎は少し笑った。
「普通ならな。」
隊員たちも理解した。
機動隊には救助訓練がある。
ロープ降下。
山岳救助。
災害派遣。
戦国武将たちにはない発想だった。
「夜明け前に突入する。」
神崎が言う。
「目的は一つ。」
全員を見る。
「人質救出。」
「了解!」
声が重なった。
翌午前二時。
作戦開始。
選抜された二十名が出発する。
軽装備、防護盾、警棒、ロープ。
月明かりだけが頼りだった。
森を進む。
誰も話さない。
静寂。
やがて砦が見えた。
小さな見張り櫓。
木柵、焚火。
見張り兵がいる。
高橋が双眼鏡を覗く。
「四人。」
神崎は頷く。
「予定通りだ。」
作戦は二段階。
第一班。裏山から侵入。
第二班。
正面で陽動。
現代警察の特殊作戦に近い。
午前三時。
行動開始。
小林班が崖を登る。
ロープを固定。
静かに進む。
戦国の兵たちは気付かない。
まさか人間がそこから来るとは思わないのだ。
一方。
高橋班は正面へ移動する。
神崎も同行。
距離五十メートル。
四十。
三十。
見張り兵が気付いた。
「誰だ!」
その瞬間。
高橋が盾を前へ出す。
「今だ!」
わざと姿を見せる。
兵たちが騒ぎ始めた。
砦の注意が正面へ向く。
その隙だった。
小林班が侵入成功。
砦内部。
源吉は縄で縛られていた。
顔には殴られた跡。
しかし生きている。
小林は安堵した。
「源吉さん。」
男が顔を上げる。
驚愕。
「守り人様……。」
「迎えに来ました。」
涙が溢れる。
まさか本当に来るとは思わなかった。
戦国時代では
捕まれば終わりだからだ。
誰も助けに来ない。
それが常識だった。
しかし。
守り人たちは違った。
縄を切る。
「歩けますか?」
「はい。」
「帰りましょう。」
源吉は泣いていた。
その時。
警鐘が鳴る。
見つかった。
「敵襲!」
「侵入者だ!」
砦が一気に騒がしくなる。
小林が叫ぶ。
「撤退!」
全員が動く。
源吉を中心に守る。
まさに要人警護だった。
正面。
高橋班も撤退を開始する。
武田兵が追ってくる。数十人。
だが高橋は冷静だった。
盾列を形成。
狭い山道へ誘導する。
人数差を消す。
「前進!」
隊員たちが押し返す。
武田兵は混乱する。
統率が違う。
まるで一つの生き物だった。
やがて
全員が森へ退避する。
追撃も止まった。
武田兵たちは夜の森を恐れたのである。
夜明け。
守り人の里。
作戦成功。
源吉が家族と再会する。
妻が泣き崩れる。
息子も泣いている。
神崎たちは静かに見守った。
その光景だけで十分だった。
しかし
その報告は武田軍本陣にも届く。
勝頼は黙って聞いていた。
家臣が震える声で言う。
「人質を奪還されました。」
「兵の損害は。」
「軽微です。」
勝頼は頷く。
怒ってはいなかった。
むしろ興味を持っていた。
「敵を殺さず。」
「人だけを救う。」
普通の武士ではない。
戦い方が違う。
考え方が違う。
勝頼は立ち上がる。
窓の外を見る。
長篠方面。
戦の準備は最終段階へ入っている。
そして静かに言った。
「神崎誠。」
初めて名前を口にした。
「会ってみたいものだ。」
その言葉に家臣たちは顔を見合わせる。
武田勝頼は敵将へ興味を抱き始めていた。
そして。
長篠決戦の日は刻一刻と近づいていた。
歴史の大波が迫る。
その中で機動隊は何を守り。
何を選ぶのか。
運命の時が近づいていた。
第十七章 長篠決戦前夜
天正三年五月二十日。
長篠城を巡る戦いは、ついに最終局面を迎えていた。
武田勝頼率いる大軍。
対するは織田信長、徳川家康の連合軍。
後世に語り継がれる大決戦。
その前夜である。
守り人の里にも出陣準備の空気が漂っていた。
ただし機動隊の目的は戦ではない。
避難民の保護。
負傷者の救護。
そして治安維持。
それが神崎誠たちの任務だった。
夜明け前。
一羽の伝書が届く。
信長からだった。
「神崎殿、至急来られたし」
短い文。
だが重要性は伝わる。
神崎は高橋、小林を伴い出発した。
連合軍本陣。
長篠近郊の設楽原。
そこには数万の兵が集結していた。
見渡す限りの旗、槍、陣幕、焚火。
まるで巨大な都市だった。
小林は思わず呟く。
「すごい……。」
現代人が見ても圧倒される光景。
教科書の一ページではない。
本物の歴史がそこにあった。
本陣へ案内される。
中には信長と家康。
さらに有力武将たちがいた。
信長は神崎を見ると笑った。
「来たか、守り人。」
神崎は一礼する。
その表情はいつもより真剣だった。
広げられた地図。
長篠城。
設楽原。
武田軍の配置。
信長が指を動かす。
「明日、勝頼は動く。」
家康も頷いた。
「間違いない。」
武田軍は騎馬隊を主力としている。
その突破力は凄まじい。
多くの武将が恐れていた。
信長は地図の前で腕を組む。
「だが勝つ。」
自信に満ちている。
そこには迷いがなかった。
神崎は思う。
だから歴史を変えた男なのだと。
その時。
信長が突然尋ねた。
「神崎。」
「はい。」
「そなたは未来を知っている。」
部屋の空気が変わる。
武将たちも神崎を見る。
誰も口にはしなかった。
だが皆感じていた。
守り人たちは未来から来たのではないかと。
信長は鋭かった。
「この戦。どうなる?」
静寂。
誰も息をしない。
神崎は迷った。
本当のことを言うべきか。
歴史へ介入するべきではない。
しかし、目の前にいる人々は命を懸けている。
神崎は慎重に答えた。
「私は未来を変えたくありません。」
信長は黙って聞いている。
「ですが。」
神崎は続けた。
「油断しなければ勝てます。」
嘘ではなかった。
信長は小さく笑う。
「なるほど。」
それ以上は聞かなかった。
聞けば歴史が変わる。
そのことを信長も理解していた。
会議は深夜まで続いた。
補給、配置、避難経路。
神崎たちは民間人保護計画を提案する。
負傷者収容所。
避難誘導路。
炊き出し拠点。
戦国武将たちは驚いた。
戦が始まる前から戦後を考えている。
そんな発想は存在しなかった。
会議終了後。
神崎は外へ出た。
夜空には満天の星。
静かな風。
そこへ家康が歩いてくる。
「眠れぬか。」
神崎は苦笑した。
「少し。」
家康も空を見上げる。
しばらく沈黙。
やがて家康が言った。
「帰りたいか。」
神崎は驚いた。
だが答える。
「帰りたいです。」
即答だった。
家族がいる。
仲間がいる。
東京がある。
家康は頷く。
「そうであろうな。」
そして静かに続けた。
「だが。」
神崎を見る。
「そなたらが来てから、多くの命が救われた。」
その言葉は重かった。
神崎は何も言えない。
「感謝しておる。」
家康はそう言って去っていった。
神崎は夜空を見上げる。
帰りたい。
しかし。
守りたい人々もいる。
その二つの想いが胸の中で揺れていた。
翌朝。
長篠決戦の日。
太陽が昇る。
武田軍三万。
織田・徳川連合軍三万八千。
歴史の歯車が回り始める。
遠くから法螺貝が鳴った。
ブオオオオォォォ―――
武田軍である。
兵たちが動き始める。
旗が風に揺れる。
大地が震える。
長篠の戦いが始まる。
その時だった。
見張りの隊員が駆け込んでくる。
「隊長!」
神崎が振り向く。
「どうした!」
隊員は息を切らしていた。
「避難民の一団が武田軍の進路上に取り残されています!」
全員の顔色が変わる。
数百人。
老人、女、子供。
逃げ遅れた人々だった。
このままでは戦場に飲み込まれる。
神崎は即座に決断する。
「救出する!」
高橋が頷く。
「了解!」
小林も走り出す。
長篠の戦いが始まる。
だが機動隊にとっての戦いもまた始まっていた。
歴史を変えず。命を守る。
最も困難な任務が。
今まさに始まろうとしていた。
第十八章 設楽原の守り人
天正三年五月二十一日。
長篠決戦当日。
設楽原。
朝霧がゆっくりと晴れ始める中、無数の旗が風にはためいていた。
織田・徳川連合軍。
武田軍。
合わせて数万の兵。
日本史に残る大戦が、まさに始まろうとしていた。
法螺貝が鳴る。
ブオオオォォォ―――
武田軍が動き出した。
騎馬隊。
足軽。
槍兵。
弓兵。
巨大な軍勢が前進する。
大地が震えた。
だがその時。
神崎誠たちは別の報告を受けていた。
「避難民三百名以上!」
「武田軍進路上です!」
若い隊員の声が震えている。
神崎は地図を確認した。
血の気が引く。
完全に戦場の中央だった。
避難民たちは近くの村から逃げてきた人々。
戦が始まることを知らず、山を越えていたのである。
このままでは戦の波に飲まれる。
武田軍に轢かれる。
織田軍の攻撃に巻き込まれる。
生き残れない。
神崎は即断した。
「第一・第二小隊出動!」
「了解!」
「避難民救出を最優先!」
戦場へ向かう。
それはあまりにも危険な任務だった。
設楽原中央。
避難民たちは混乱していた。
どこへ逃げればいいのか分からない。
遠くから見える武田軍。
反対側には織田軍。
完全に挟まれていた。
子供が泣く。
老人が転ぶ。
母親が叫ぶ。
地獄だった。
その時。
黒い集団が現れる。
「守り人様だ!」
誰かが叫んだ。
神崎たちだった。
「落ち着いてください!」
「必ず助けます!」
機動隊員たちは即座に動く。
高橋は避難路を確保。
小林は先導。
森川は負傷者を確認。
全員が訓練通りに動いていた。
現代日本なら災害現場。
しかしここは戦国最大級の戦場だった。
その頃。
武田軍本陣。
勝頼は馬上から前方を見ていた。
そして気付く。
「何だあれは。」
黒い集団。
戦場の中央。
兵ではない。
戦ってもいない。
民を誘導している。
勝頼は目を細める。
「守り人か。」
初めてその姿をはっきり見た。
一方。
信長も見ていた。
本陣の高台。
家康と並んでいる。
「面白い奴らだ。」
信長は笑った。
普通なら逃げる。
だが神崎たちは戦場へ向かっている。
戦うためではなく。
助けるために。
「変わった者たちですな。」
家康も苦笑した。
設楽原。
避難は順調だった。
だが。
悲劇は突然起こる。
武田騎馬隊の一部が進路を変えたのである。
数十騎。
避難民の方向へ。
意図的ではない。
戦場の混乱だ。
しかし結果は同じ。
衝突すれば終わる。
「まずい!」
高橋が叫ぶ。
距離二百メートル。
百五十。
百。
迫る。
神崎は叫んだ。
「盾列形成!」
機動隊員たちが一斉に並ぶ。
防護盾を前へ。
肩と肩を合わせる。
まるで黒い壁。
避難民たちの前に立つ。
騎馬隊が迫る。
大地が揺れる。
恐怖で足がすくむ。
それでも誰も退かない。
神崎も前へ出る。
「守れ!」
その瞬間。
騎馬隊の先頭が異変に気付く。
目の前の集団。
奇妙な黒い壁。
槍もない。
刀もない。
だが動かない。
武田兵は戸惑った。
そして。
先頭の武将が叫ぶ。
「避けろ!」
馬が進路を変える。
後続も続く。
避難民の横を駆け抜ける。
土煙。
轟音。
風圧。
しかし。
誰も死ななかった。
静寂。
やがて。
一人の子供が泣き出す。
助かった安堵だった。
続いて。
あちこちから嗚咽が聞こえる。
母親たち。
老人たち。
皆泣いていた。
生きている。
それだけで奇跡だった。
神崎は深く息を吐く。
高橋が笑う。
「寿命縮みましたよ。」
小林も苦笑する。
「本当に。」
森川は涙を拭っていた。
白衣の天女も。
さすがに怖かった。
その様子を。
信長も。
家康も。
勝頼も。
見ていた。
戦国の世で。
命を奪うためではなく。
命を守るために立つ者たち。
その姿は多くの兵士の心に刻まれた。
後に設楽原周辺では語られることになる。
黒き守り人たちが。
戦場で三百人の民を救った日。
「設楽原の奇跡」として。
しかし。
戦そのものは終わっていない。
むしろ。
ここからが本番だった。
武田軍の総攻撃が始まる。
歴史を揺るがす長篠の激戦。
そして機動隊は。
さらに大きな決断を迫られることになる。
第十九章 火縄の雨
設楽原。
午前八時。
朝霧は完全に晴れ、戦場の全貌が姿を現していた。
広大な平原。
連なる柵。
その後方に並ぶ織田・徳川連合軍。
対する武田軍。
無数の旗が風に揺れている。
まさに歴史の一場面だった。
しかし、その場にいる者たちは歴史を作る当事者だった。
神崎誠は高台から戦場を見下ろしていた。
隣には高橋、小林、森川。
そして機動隊員たち。
彼らの任務は変わらない。
戦うことではない。
守ることだ。
避難民三百人の救出を終えた直後だったが、休む暇はなかった。
すでに救護所には負傷者が運び込まれ始めている。
その時だった。
ブオオオオォォォ―――
武田軍の法螺貝が鳴る。
総攻撃開始。
数千の兵が前進した。
大地が揺れる。
騎馬隊が走る。
槍が林立する。
戦国最強と呼ばれた武田軍。
その力が解き放たれた。
「来るぞ……。」
小林が呟く。
その声には緊張が滲んでいた。
織田軍前線。
鉄砲隊が構える。
火縄に火が灯る。
静寂。
そして。
ドォォォン!
轟音。白煙。
火縄銃が一斉に火を吹いた。
武田兵が次々と倒れる。
しかし騎馬隊は止まらない。
さらに前進。
第二射。
第三射。
火縄の雨が降る。
それでも武田兵は進む。
命を懸けて。
主君のために。
仲間のために。
神崎は言葉を失った。
現代の日本では見ることのない光景だった。
人が死ぬ。
次々に。
あまりにも簡単に。
「隊長!」
森川の声。
神崎は我に返る。
救護所だった。
負傷兵が運ばれてくる。
一人。
二人。
十人。
二十人。
止まらない。
「止血急いで!」
森川が叫ぶ。
隊員たちも動く。
包帯。
消毒。
固定。
現代医療の知識を総動員する。
しかし限界もあった。
設備が足りない。
薬が足りない。
人手が足りない。
それでも。
助けられる命は助ける。
午後。
戦いはさらに激化した。
設楽原の各地で激突が続く。
鉄砲。
槍。
刀。
悲鳴。
怒号。
血。
まさに地獄だった。
その頃。
武田軍前線。
勝頼は険しい顔をしていた。
被害が大きい。
予想以上だった。
しかし。
まだ諦めていない。
武田軍は強い。
必ず突破できる。
そう信じていた。
だがその時。
勝頼は遠くに奇妙な光景を見る。
白い服の女。
傷ついた兵を助けている。
しかも。
敵味方関係なく。
「誰だ。」
勝頼が尋ねる。
家臣が答える。
「白衣の天女にございます。」
勝頼は目を細めた。
噂は聞いていた。
だが本当に存在した。
森川美咲。
彼女は武田兵も救っていた。
敵だから見捨てる。
そんな考えはない。
目の前に命がある。
それだけだった。
夕方。
戦況は決定的になる。
武田軍の攻勢が止まった。
織田・徳川連合軍優勢。
歴史通りだった。
しかし。
神崎は喜べなかった。
救護所の周りには負傷者が溢れている。
何百人。
いや。
千人近い。
森川も限界だった。
手は血まみれ。
顔色も悪い。
それでも動く。
「次の患者!」
「こちらです!」
「まだ息があります!」
まるで終わらない。
日が沈む。
ようやく戦いは終息へ向かう。
設楽原に静寂が戻る。
だが。
その静寂は重かった。
あまりにも多くの命が失われたからだ。
神崎は戦場を見渡す。
倒れた兵たち。
折れた槍。
破れた旗。
そして思う。
戦争とは何なのか。
守るとは何なのか。
その時だった。
一人の伝令が駆け込んでくる。
「隊長!」
神崎が振り向く。
「どうした。」
伝令は息を切らしていた。
「武田勝頼様から使者が来ています!」
全員が凍り付く。
武田軍総大将。
最大の敵。
その本人から。
使者。
伝令は続けた。
「神崎隊長に会いたいとのことです。」
静寂。
誰も言葉を失う。
戦の翌日。
敵将同士の会見。
前代未聞だった。
そして神崎は直感する。
これは単なる挨拶ではない。
戦国の未来を左右する出会いになる。
第二十章 武田勝頼との対面
長篠の戦いから一夜が明けた。
設楽原には重苦しい静寂が漂っていた。
昨日まで響いていた怒号も、法螺貝の音もない。
あるのは風の音だけだった。
戦場跡では、機動隊と各陣営の兵たちが協力して負傷者の救護と埋葬を行っていた。
神崎誠も自ら手を動かしていた。
敵も味方も関係ない。
死者は弔い、生者は助ける。
それが守り人の信念だった。
昼過ぎ。
武田軍からの使者が再び訪れた。
若い武士だった。
「武田勝頼様がお待ちです。」
高橋が険しい顔をする。
「罠じゃないんですか。」
小林も不安そうだった。
しかし神崎は首を振る。
「違う。」
不思議な確信があった。
勝頼ほどの武将が、わざわざこんな回りくどいことはしない。
殺すなら戦場でやっている。
会いたいのだ。
本当に。
神崎は一人で行くことを決めた。
「隊長!」
高橋が止める。
しかし神崎は笑った。
「大丈夫だ。」
そして。
「信じてくれ。」
その言葉に高橋は黙るしかなかった。
待ち合わせ場所は設楽原近くの小高い丘だった。
周囲には誰もいない。
青空が広がっている。
その中央に一人の武将が立っていた。
武田勝頼。
赤い鎧。
鋭い眼差し。
だがその表情には疲労も見えた。
長篠の敗戦。
その重みだろう。
神崎は近づく。
勝頼も歩み寄る。
二人の距離は数歩。
そこで止まった。
しばらく沈黙。
先に口を開いたのは勝頼だった。
「会いたかった。」
意外な言葉だった。
神崎は静かに答える。
「私もです。」
勝頼は少し笑った。
「敵将にそう言われたのは初めてだ。」
二人は丘の上に腰を下ろした。
まるで旧友のようだった。
勝頼は遠くの設楽原を見る。
「負けた。」
短い言葉。
しかし重かった。
神崎は何も言わない。
慰めは不要だと分かっていた。
「兵たちはよく戦った。」
勝頼は続ける。
「皆、命を懸けた。」
そして拳を握る。
「それでも救えなかった。」
そこには主君としての苦悩があった。
神崎は理解できた。
自分も隊長だから。
部下を失う辛さは知っている。
しばらく風が吹く。
やがて勝頼が尋ねた。
「なぜだ。」
「何がです。」
「なぜ敵まで助ける。」
長篠で見た。
白衣の天女。
守り人たち。
敵味方関係なく救護していた。
戦国では理解できない。
神崎は少し考える。
そして答えた。
「命だからです。」
勝頼は黙る。
「敵も味方もありません。」
「助けられる命は助ける。」
それが現代日本の価値観だった。
勝頼は苦笑する。
「変わっている。」
「よく言われます。」
神崎も笑った。
初めてだった。
敵将同士が笑ったのは。
勝頼は空を見上げる。
「羨ましいな。」
神崎は驚く。
「羨ましい?」
「そうだ。」
勝頼は静かに言った。
「その世が。」
戦国時代ではない未来。
争いが少ない時代。
民が安心して暮らせる時代。
勝頼は知らない。
現代にも問題はある。
だが。
それでも戦国よりは平和だった。
「良い時代ですよ。」
神崎は答えた。
勝頼は微笑む。
「ならば。」
そして神崎を見る。
「必ず帰れ。」
神崎は息を呑む。
「そなたらはこの時代の者ではない。」
勝頼は理解していた。
完全ではない。
だが感じていた。
守り人たちは未来から来た存在だと。
「帰って。」
「その世を守れ。」
神崎の胸が熱くなる。
敵将から言われるとは思わなかった。
その時。
遠くから馬の足音が聞こえた。
武田の家臣たちだった。
「お館様!」
勝頼は立ち上がる。
時間だった。
神崎も立つ。
二人は向き合う。
勝頼が右手を差し出した。
戦国時代にはない習慣。
だが長篠で何度か見ていた。
守り人たちが行う挨拶。
神崎は笑う。
そして手を握った。
固い握手だった。
敵同士。
だが互いを認め合う者同士。
「また会おう。」
勝頼が言う。
「はい。」
神崎は答えた。
だが。
その約束が叶うかどうか。
誰にも分からなかった。
歴史では
武田家は衰退していく。
勝頼の未来も決して明るくない。
神崎は丘を下りながら思う。
歴史を知っていることは幸せなのか。
それとも残酷なのか。
その答えはまだ分からない。
しかし。
運命は再び動き始めていた。
守り人の里へ戻った神崎を待っていたのは。
一通の報告だった。
「隊長!」
高橋が駆け込んでくる。
顔色が悪い。
「どうした。」
高橋は息を整えながら言った。
「例の光です!」
神崎の表情が変わる。
「光?」
「以前の偽情報じゃありません!」
「今度は隊員全員が見ています!」
部屋が静まり返る。
ついに。
機動隊が戦国時代へ来た原因。
そして帰還への希望。
その手掛かりが現れたのだった。
第二十一章 時空の裂け目
守り人の里。
夜。
役所の会議室には全隊員が集まっていた。
誰もが興奮している。
いや。
興奮と不安が入り混じっていた。
高橋剛志が机の上に地図を広げる。
「場所はここです。」
里から西へ二十キロほど。
人のほとんど入らない深い山中。
数名の見回り隊員が同じ現象を目撃していた。
青白い光。
空間の歪み。
雷鳴のような音。
そして。
一瞬だけ現れた巨大な光の柱。
神崎誠の表情は真剣だった。
それは。
まさに機動隊が戦国時代へ飛ばされた時と酷似していた。
「本物かもしれない。」
誰かが呟く。
部屋が静まり返った。
帰れるかもしれない。
その言葉は全員の胸を激しく揺らした。
家族。
友人。
東京。
失われた日常。
全てが脳裏に浮かぶ。
神崎は静かに言った。
「明日、調査隊を出す。」
「隊長。」
森川美咲が口を開く。
「もし本当に帰れるなら……。」
その先が言えない。
帰りたい。
だが。
守り人の里はどうなる。
皆が同じことを考えていた。
翌朝。
調査隊が出発する。
神崎。
高橋。
小林。
森川。
そして選抜された隊員十名。
深い山を進む。
谷を越え。
岩場を登り。
夕方近く。
目的地へ到着した。
その瞬間だった。
全員が息を呑む。
そこにあった。
巨大な光。
森の中央。
青白く揺れる空間。
まるで水面のように歪んでいる。
バチバチバチ……
空気が震える。
隊員たちの顔が青ざめた。
「本物だ……。」
小林が呟く。
誰も否定できなかった。
神崎はゆっくり近づく。
胸が苦しい。
あの日を思い出す。
訓練中。
突然現れた光。
そして戦国時代。
全く同じだった。
その時。
高橋が叫ぶ。
「隊長!」
神崎が振り返る。
高橋が光を指差していた。
そこには。
映像が映っていた。
東京。
警視庁機動隊の訓練場。
全員が凍り付く。
見間違いではない。
未来。
自分たちの時代だった。
「嘘だろ……。」
若い隊員が涙を流す。
一年近く。
戦国時代で生きてきた。
諦めかけていた。
だが。
帰れる。
本当に。
その希望が目の前にあった。
しかし。
神崎は違和感を覚える。
「待て。」
全員が神崎を見る。
「何か変だ。」
高橋も気付く。
訓練場、誰もいない。
静止している。
まるで写真だった。
神崎は慎重に近づく
地面へ石を投げる。
石は光へ吸い込まれた。
だが。
戻ってこない。
何も起きない。
「不安定です。」
森川が言う。
その通りだった。
完全な通路ではない。
まだ開ききっていないのだ。
その夜。
山中で野営する。
誰も眠れなかった。
焚火の周り。
隊員たちは未来の話をする。
娘の話。
妻の話。
恋人の話。
笑顔が戻っていた。
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
だが。
一人だけ静かな人物がいた。
森川美咲。
小林が隣へ座る。
「どうしたんですか。」
森川は火を見つめたまま答える。
「帰りたい。」
小林は頷く。
当然だった。
「でも。」
森川は続ける。
「お春ちゃんはどうなるのかな。」
小林は言葉を失う。
行方不明になった少女。
今では森川を本当の姉のように慕っている。
「庄兵衛さんも、源吉さんも、みんなも。」
守り人の里の人々。
自分たちが去ったら、どうなるのか。
その疑問は、実は全員が抱いていた。
帰りたい。
だが。
残していく人々がいる。
その夜。
誰も答えを出せなかった。
そして翌朝。
さらに衝撃的な事実が判明する。
光が小さくなっていたのである。
昨日よりも、確実に。
つまり。
この裂け目は永遠ではない。
開いている時間は限られている。
決断の時が迫っていた。
帰るのか。
残るのか。
機動隊百名。
人生最大の選択が始まる。
第二十二章 帰る者、残る者
時空の裂け目が発見されてから三日。
守り人の里はかつてないほど静かだった。
誰もが考えていた。
未来へ帰るか。
この時代に残るか。
神崎誠は役所の執務室で一人、窓の外を見ていた。
子供たちが遊んでいる。
畑仕事をする村人たち。
市場で笑う人々。
一年近く共に生きてきた人たちだった。
最初は異邦人だった。
だが今は違う。
家族に近い存在になっている。
その時。
扉が叩かれた。
「入れ。」
現れたのは高橋剛志だった。
神崎は椅子を勧める。
しばらく沈黙。
そして高橋が言った。
「俺は帰ります。」
神崎は驚かなかった。
高橋には妻がいる。
幼い息子もいる。
戦国へ飛ばされた時、息子はまだ五歳だった。
「そうか。」
高橋は頷く。
「会いたいんです。」
声が震えていた。
「息子に。」
神崎は静かに笑った。
「当然だ。」
高橋は顔を伏せる。
涙を見せたくなかったのだろう。
その日の夜。
機動隊全員が集められた。
神崎は正直に現状を伝えた。
裂け目は縮小している。
いつ閉じるか分からない。
帰るなら今しかない。
そして。
「決断は各自に任せる。」
そう告げた。
隊員たちはざわめく。
神崎は続けた。
「帰りたい者は帰れ。残りたい者は残れ。」
「どちらも間違いじゃない。」
それは隊長としてではなく、
一人の人間としての言葉だった。
翌日から希望調査が始まった。
結果は意外だった。
帰還希望、六十八名。
残留希望、三十二名。
残る者が想像以上に多かった。
小林悠斗もその一人だった。
「帰らないのか。」
神崎が尋ねる。
小林は少し照れながら笑った。
「俺、この時代が好きなんです。」
驚くほど真っ直ぐな答えだった。
もちろん現代へ未練はある。
家族もいる。
だが。
守り人の里も大切だった。
「変な奴だな。」
神崎は笑った。
「隊長ほどじゃありません。」
小林も笑う。
その頃。
森川美咲も悩んでいた。
診療所。
お春が薬草を整理している。
「先生。」
「なあに。」
「帰っちゃうの?」
森川の手が止まる。
子供は鋭い。
大人が隠していることを感じ取る。
「まだ分からないよ。」
お春は俯く。
「帰らないで。」
その一言が胸に刺さる。
森川は優しく抱きしめた。
何も答えられなかった。
そして。
運命の日が近づく。
調査によると、裂け目が安定する時間は一度だけ。
約十分。
その間に通過しなければ閉じる。
二度と開く保証はない。
決断は待ってくれなかった。
前夜。
守り人の里で盛大な宴が開かれた。
庄兵衛。
源吉。
お春。
そして多くの村人たち。
全員が集まる。
酒が振る舞われる。
歌が歌われる。
笑い声が響く。
だが。
誰もが分かっていた。
別れの宴だと。
途中。
庄兵衛が立ち上がった。
白髪の老人。
守り人の里の長。
「皆の衆。」
静まり返る。
「守り人様方に礼を言おう。」
庄兵衛は深く頭を下げた。
それに続いて。
村人全員が頭を下げる。
神崎たちは言葉を失う。
「命を救ってくれた。」
「希望をくれた。」
「ありがとう。」
ただその一言だった。
しかし、どんな勲章より重かった。
神崎は目を閉じる。
帰りたい。
だが、この人たちを置いていくのか。
答えが出ない。
宴が終わる頃。
神崎は一人で丘へ向かった。
夜空には満天の星。
その時。
背後から声がした。
「隊長。」
振り向く。
森川だった。
そして。
さらにもう一人。
高橋。
三人は並んで星空を見る。
誰も話さない。
明日。
全てが決まる。
帰る者。
残る者。
そして。
神崎誠自身の答えも、まだ出ていなかった。
第二十三章 最後の十分間
夜明け前。
守り人の里は静まり返っていた。
いつもなら聞こえる鶏の鳴き声さえ、今日は遠く感じる。
誰も眠れなかった。
それは機動隊員たちも、里の人々も同じだった。
今日。
全てが決まる。
帰る者。
残る者。
人生を分ける日だった。
神崎誠は夜明けとともに隊員たちを集めた。
広場には百名近い機動隊員が整列している。
その姿は戦国時代へ来た日のままだった。
神崎は一人ひとりを見る。
苦楽を共にした仲間たち。
共に泣き。
共に笑い。
共に戦った。
家族のような存在だった。
「出発する。」
短い命令。
全員が頷いた。
里の人々も見送りに来ていた。
庄兵衛。
源吉。
お春。
そして多くの村人たち。
誰も笑っていない。
別れを理解しているからだ。
「守り人様……。」
あちこちからすすり泣きが聞こえる。
神崎は深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
その言葉に。
庄兵衛が首を振る。
「礼を言うのはこちらじゃ。」
老人の目には涙が浮かんでいた。
「本当にありがとう。」
神崎は言葉を失う。
そして。
機動隊は山へ向かった。
時空の裂け目。
運命の場所へ。
昼前。
全員が到着する。
そこには。
青白い光が渦巻いていた。
昨日より大きい。
昨日より明るい。
空間そのものが震えている。
「始まる。」
高橋が呟く。
神崎も頷いた。
そして。
午後零時。
光が爆発的に広がった。
ゴオオオオオォォォ―――
轟音。
風。
稲妻。
全員が目を見開く。
裂け目の向こう。
そこには、
警視庁機動隊訓練場が映っていた。
今度は静止画ではない。
人が動いている。
車両がある。
現代だった。
「帰れる……。」
誰かが泣いた。
帰れる。
本当に。
その時。
神崎の無線機が鳴った。
ザザッ……
全員が凍り付く。
無線。
戦国時代では聞くことのない音。
『……こちら警視庁機動隊本部。』
声。
現代の声だった。
『応答願います。』
高橋が泣き崩れる。
「本部だ……。」
誰もが涙を流していた。
そして。
光が安定する。
残り十分。
運命の時間が始まった。
「帰還希望者は前へ。」
神崎が言う。
六十八名が並ぶ。
高橋もいた。
神崎は一人ひとりを見る。
「帰れ。」
隊長としてではない。
仲間として。
高橋が敬礼する。
「隊長。」
声が震える。
「ありがとうございました。」
神崎も敬礼を返した。
「息子さんを抱きしめてやれ。」
高橋は泣きながら頷いた。
そして。
一人。
また一人。
光の中へ消えていく。
現代へ。
家族の元へ。
残る者たちは静かに見送った。
やがて。
最後の一人が通過する。
残ったのは三十二名。
小林。
森川。
そして。
神崎。
その瞬間。
全員が驚いた。
「隊長!?」
高橋が裂け目の向こうから叫ぶ。
神崎は笑った。
「俺は残る。」
静寂。
誰も言葉を失う。
高橋も。
小林も。
森川も。
「なぜですか!」
高橋の叫び。
神崎は振り返る。
遠く。
山道の先。
守り人の里の人々が見える。
庄兵衛。
源吉。
お春。
皆がこちらを見ていた。
神崎は静かに答える。
「俺は警察官だからだ。」
誰も動けない。
「守るべき人がいる、それだけだ。」
森川の目から涙が流れる。
小林も泣いていた。
神崎は続ける。
「高橋。」
「はい!」
「現代を頼む。」
高橋は泣きながら敬礼する。
「了解!」
それが最後だった。
ゴオオオォォォ―――
光が縮み始める。
高橋たちの姿が遠ざかる。
そして。
閉じた。
静寂。
風だけが吹いている。
現代への道は消えた。
神崎は空を見上げる。
不思議と後悔はなかった。
その時。
後ろから小さな足音。
振り向く。
お春だった。
少女は泣きながら抱きつく。
「おかえりなさい。」
神崎は笑った。
「ただいま。」
その言葉は、今の彼にとって
何より自然な言葉だった。
だが。
物語はまだ終わらない。
神崎たちが残った戦国時代。
そして現代へ帰還した高橋たち。
二つの世界で。
新たな運命が動き始めていた。
最終章 守り人の未来
時空の裂け目が閉じてから三年。
戦国の空は今日も青かった。
守り人の里は大きく変わっていた。
いや。
発展したと言った方が正しい。
里の中央には診療所。
水路。
共同倉庫。
見張り台。
避難施設。
全て神崎たちが整備したものだった。
戦の時代でありながら。
人々が安心して暮らせる場所。
それが守り人の里だった。
神崎誠は丘の上から里を見下ろしていた。
髪には少し白いものが混じり始めている。
だが目は変わらない。
人々を守る者の目だった。
「隊長。」
振り向く。
小林悠斗だった。
今では里の行政責任者として活躍している。
「また勝手に仕事してますね。」
神崎は笑う。
「見回りだ。」
二人は並んで歩く。
遠くでは子供たちが遊んでいる。
その中に、お春の姿もあった。
もう十三歳。
立派な少女へ成長していた。
そして
診療所では森川美咲が忙しく働いている。
今では周辺地域で知らない者はいない。
「白衣の天女」
として。
数え切れない命を救ってきた。
戦国時代に現代医療を持ち込んだ女性。
後世では伝説として語られることになる。
もちろん本人は知らない。
神崎は微笑む。
皆、自分の居場所を見つけた。
後悔はない。
そう思っていた。
その日の夕方。
役所へ一羽の伝書鳩が届く。
差出人。
甲斐国。
神崎は静かに文を開いた。
そして目を見開く。
そこに書かれていたのは。
「武田勝頼、討死」
歴史は変わらなかった。
神崎はしばらく動かなかった。
丘の上で語り合った日。
握手した日。
全てが昨日のことのようだった。
「そうか……。」
それだけだった。
だが。
胸の奥が少し痛んだ。
友人とは言えない。
敵でもあった。
それでも。
認め合った男だった。
神崎は空を見上げる。
「お疲れさまでした。」
静かに呟いた。
一方、現代。
東京都。
警視庁機動隊。
高橋剛志は訓練場に立っていた。
帰還から三年。
奇跡的な帰還だった。
当然ながら誰も信じなかった。
戦国時代へ行っていたなど。
しかし。
彼らにとっては真実だった。
高橋の隣には、
もう八歳になった息子がいる。
「パパ。」
「ん?」
「戦国時代の話して。」
高橋は笑う。
何度も聞いている話だった。
「またか。」
「うん!」
高橋は息子の頭を撫でた。
そして語り始める。
勇敢な隊長の話を。
人を守り続けた警察官の話を。
戦国時代で生きた仲間たちの話を。
息子は目を輝かせて聞いている。
その姿を見ながら高橋は思う。
隊長。
あなたの選択は間違っていませんでした。
きっと。
そして。
さらに長い年月が流れる。
江戸時代。
ある古文書が残される。
『守り人記』
そこにはこう記されていた。
「黒き鎧を纏いし百人の守り人あり」
「彼らは天より現れ、民を救い、病を癒し、争いを鎮めた」
「その長を神崎と呼ぶ、後に守り神として語り継がれる」
真実を知る者はもういない。
だが。
彼らが守った命は確かに残った。
人から人へ。
親から子へ。
そして未来へ。
守る心は受け継がれていく。
それこそが。
機動隊が戦国時代へ来た意味だったのかもしれない。
夕暮れ。
守り人の里。
神崎は子供たちの笑い声を聞きながら歩いていた。
その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
帰れなかった男ではない。
自ら残ることを選んだ男。
そして。
最後まで人々を守り続けた警察官。
空はどこまでも青かった。
その空は。
現代の東京とも繋がっている。
時代は違っても。
人を想う心は変わらない。
それを信じながら。
神崎誠は今日も歩き続ける。
守るべき人々のために。
― 完 ―