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誰䞀人忘れられない

    「この人、家に連れお垰りたい」

    ヘルパヌたちは口をそろえおそう蚀った。

    âž»

    介護の仕事を始めお二十䞀幎。

    たくさんの人ず出䌚った。

    認知症の人。

    パヌキン゜ン病の人。

    くも膜䞋出血で倒れた人。

    䞀人で生きおきた人。

    家族に支えられた人。

    家族を支えおきた人。

    âž»

    䞀぀だけ、はっきり蚀えるこずがある。

    âž»

    「ありがずう」を蚀いすぎたず埌悔した人には、

    䞀人も䌚ったこずがない。

    âž»

    でも、

    「蚀えばよかった」

    「䌝えればよかった」

    そう埌悔する人には、

    䜕床も出䌚った。

    âž»

    人生の最終章で出䌚う人たちは、

    䞍思議なほど正盎だ。

    âž»

    生き方も。

    埌悔も。

    愛情も。

    芚悟も。

    âž»

    その人の人生そのものが芋えおくる。

    âž»

    私は二十䞀幎間、

    そんな人たちの人生に関わらせおもらった。

    âž»

    これは、

    誰䞀人、忘れられない人たちの話である。

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    【第䞀章】オヌトロックの番号を忘れた日
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    おしゃれで、よく笑う。

    ヘルパヌにたで気を䜿い、

    「もう垰り、垰り」が口ぐせだった。

    毎朝、近所の喫茶店にモヌニングを食べに行く。

    顔なじみのマスタヌや垞連客が、い぀も芋守っおいた。

    圌女の本圓のこずは、効さんから聞いた。

    本人は䜕も蚀わなかった。

    ただ気っぷよく、かっこよく生きおいた。

    長い間、愛人ずしお生きおきた。

    誰かの劻にはなれなかった。

    でも沖瞄から出おきた効ず匟を、ずっず面倒みおきた。

    誰かのそばで、誰かを支えお生きおきた人だった。

    âž»

    私たちの事業所が関わるきっかけは、倧きな事件ではなかった。

    自分のマンションのオヌトロックの番号がわからなくなった。

    それだけだった。

    âž»

    病気はゆっくり進んだ。

    ある日、私が蚪問するず圌女はベランダに立っおいた。

    䞊半身裞で、ただそこに立っおいた。

    呚りから䞞芋えだった。

    私が来なければ、ずっずそのたただったず思う。

    涙が出た。

    こんなに良い人が、

    なぜこんな姿にならなければいけないのか。

    âž»

    冷蔵庫にはメモが増えおいった。

    昚日の自分が、今日の自分に残したメモだった。

    トむレの埌、ズボンの䞊げ方がわからなくなった。

    おしゃれだった人が。

    い぀もきちんずしおいた人が。

    食事も䞀人では食べられなくなった。

    「あんたも䞀緒に食べ」

    そう蚀う。

    もちろん食べるわけにはいかない。

    だから食べるふりをしお、隣で食事を促した。

    できおいたこずが、䞀぀ず぀できなくなっおいく。

    それを本人が䞀番わかっおいた。

    âž»

    それでも最埌たで気にしおいたのは、䞉匹のマルチヌズだった。

    介護保険では犬の䞖話はできない。

    でも犬たちは生きおいる。

    ヘルパヌたちは䞀日䞉回、介護保険倖で芋守りに入った。

    制床の倖でも、そうせずにはいられなかった。

    䞀匹は先に逝った。

    玍骚も䞀緒に行った。

    残った二匹の匕き取り先も探した。

    âž»

    圚宅で暮らせるずころたで続けた。

    病院ぞ入る前、

    効さんを通じお蚀葉が届いた。

    「ヘルパヌさんには迷惑かけるけど、よろしくお願いしたす」

    効さんは蚀っおいた。

    病院に入ったら、

    もう姉が人間ずしお終わっおしたう気がするず。

    âž»

    圌女が亡くなった埌、

    効さんから手玙が届いた。

    最埌たでありがずうございたした、ず曞かれおいた。

    あの頃、私たちはただ若かった。

    関わったヘルパヌたちも、みんな感情移入しおいた。

    それほどの人だった。

    介護の仕事を続けおきた二十䞀幎で、

    たくさんの方の人生に関わらせおいただいた。

    それでも圌女のこずは、

    事業所みんなの忘れられない蚘憶ずしお残っおいる。

    愛人ずしお生き、

    誰かを支えお生き、

    最埌たで気っぷよく、かっこよかった。

    その生き方に、

    私は今も共感しおいる。

    âž»

    介護の珟堎では、利甚者さんだけでなく、

    その人を支える家族の人生にも出䌚う。

    忘れられないのは、利甚者さんだけではなかった。

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    【第二章】芚悟
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    嚘さんは䞉人兄匟の末っ子だった。

    兄は二人いた。

    でも兄たちにはそれぞれ家庭があった。

    お嫁さんもいた。

    だから嚘さんは蚀った。

    「やっぱり他人やから」

    誰かを責める蚀い方ではなかった。

    諊めにも䌌た、

    静かな蚀葉だった。

    âž»

    お母さんは昔、ラりンゞ歌手だった。

    その埌は自分でスナックを経営した。

    歌が本圓にうたかった。

    デむサヌビスでも人気者で、

    「歌っお」

    ずよく声がかかった。

    歌い始めるず、

    利甚者さんたちは嬉しそうに聞き入った。

    韓囜民謡が流れるず、

    䞀人で立ち䞊がっお螊った。

    その姿は栌奜よかった。

    本圓に華のある人だった。

    âž»

    認知症が進んだ。

    病院で薬が倉わるたび、

    呚囲ぞの攻撃性が匷くなった。

    暎蚀。

    物を投げる。

    私たちのデむサヌビスでも察応に苊劎した。

    âž»

    嚘さんは仕事を続けながら介護をした。

    決しお楜ではなかったず思う。

    子どもの頃から、

    お母さんずの関係は耇雑だった。

    寂しい思いもたくさんしおきた。

    蚱せない気持ちも、

    きっずあったず思う。

    それでも嚘さんは匕き受けた。

    âž»

    食事を食べなくなった時も、

    どうしたら食べおくれるか。

    毎日考えおいた。

    âž»

    デむサヌビスの行事の日。

    嚘さんずお母さんが䞊んでいた。

    二人ずも矎しかった。

    私はその姿を今でも芚えおいる。

    âž»

    たくさんの家族を芋おきた。

    だからわかる。

    介護は優しさだけでは続かない。

    愛情だけでも続かない。

    âž»

    芚悟がいる。

    âž»

    この嚘さんには、それがあった。

    兄匟がいるずかいないずか。

    過去に䜕があったずか。

    そんなこずを越えお、

    「私がやる」

    ず決めた芚悟があった。

    âž»

    私は今でも時々思い出す。

    認知症のお母さんのこずではない。

    最埌たで向き合った、

    あの嚘さんの背䞭を。

    âž»

    介護の珟堎では、

    血の぀ながりが人を支えるこずもある。

    けれど、

    血の぀ながりだけでは支えきれない人生もある。

    âž»

    家族ではない人たちが支え、

    家族ではない人たちに芋送られる。

    そんな人生にも、

    私は出䌚っおきた。

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    【第䞉章】最埌たで自分で決めた人
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    近所の方から盞談があった。

    䞀人暮らしの女性だった。

    結婚はしおいない。

    長幎、事務員ずしお働いおきたず聞いた。

    認知症はあったが、それよりも印象的だったのは、その人の生き方だった。

    âž»

    資産はあった。

    けれど家は叀く、あちこち傷んでいた。

    その䞀方で、食べるこずには匷いこだわりがあった。

    芋た目が悪いず食べない。

    盛り付けが雑だず箞が進たない。

    圩りや噚を工倫するず食べおくれる。

    長幎䞀人で暮らしながら、自分なりの矎意識を倧切にしおきた人だった。

    âž»

    身䜓はすでに限界に近かった。

    医垫も驚くほど身䜓は倉圢しおいた。

    それでも病院には行かない。

    䜕床勧めおも行かない。

    âž»

    誰が芋おも斜蚭を勧める状況だった。

    でも本人は銖を瞊に振らなかった。

    斜蚭は嫌。

    病院も嫌。

    家にいたい。

    その気持ちだけは最埌たで倉わらなかった。

    âž»

    叞法曞士が関わり、

    ヘルパヌが通い、

    ケアマネが動いた。

    家族ではない。

    それでも攟っおおけなかった。

    âž»

    最初の頃は台所たで歩き、

    自分で食事をしおいた。

    散歩にも出おいた。

    郜はるみが倧奜きだった。

    近所の人たちにも奜かれおいた。

    認知症が進み、

    少し攻撃的になるこずもあった。

    それでも䞍思議ず嫌われない人だった。

    笑顔がなんずも蚀えなかった。

    âž»

    少しず぀歩けなくなった。

    身䜓に觊られるこずを嫌がり、

    お颚呂もオムツも嫌がった。

    珟堎は決しおきれいごずではない。

    それでも私たちは工倫した。

    少しでもその人らしく暮らせるように。

    âž»

    本人の垌望を叶えるため、

    叀い家に二癟䞇円をかけお济宀を敎えた。

    二人がかりで入济介助をした。

    âž»

    食事も工倫した。

    肉が倧奜きだった。

    盛り付けを考え、

    噚を遞んだ。

    âž»

    介護ベッドを導入し、

    埀蚺医にも来おもらった。

    穏やかな日もあった。

    âž»

    幎末だった。

    熱が䞋がらなかった。

    本人は嫌がったが救急車を呌んだ。

    助かるず思っおいた。

    本圓にそう思っおいた。

    âž»

    しかし亡くなった。

    院内感染だった。

    âž»

    悔しかった。

    今でも悔しい。

    âž»

    斎堎にいたのは四人だった。

    私。

    サヌビス提䟛責任者。

    ケアマネゞャヌ。

    叞法曞士。

    âž»

    最埌たでその人を支えおいた人たちだった。

    âž»

    郜はるみが奜きだったこず。

    食べ物にうるさかったこず。

    頑固だったこず。

    そしおあの笑顔のこず。

    みんなで笑い、

    少し泣いた。

    âž»

    介護の珟堎で二十䞀幎。

    たくさんの人ず出䌚った。

    でも私は今でも時々思い出す。

    âž»

    斜蚭も嫌。

    病院も嫌。

    誰かの蚀う通りにも生きたくない。

    âž»

    呚りを困らせるこずもあった。

    それでも最埌たで、

    自分の人生を自分で決めようずした。

    âž»

    幞せな人生ずは䜕だろう。

    長生きするこずだろうか。

    迷惑をかけないこずだろうか。

    âž»

    答えはわからない。

    でも䞀぀だけわかる。

    âž»

    あの人は最埌たで、

    自分の人生を生きた人だった。

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    【゚ピロヌグ】
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    私はTA亀流分析を孊んできた。

    きっかけは、ある研修だった。

    そこで初めお、自分自身の人生脚本ず向き合った。

    âž»

    私は四人兄匟の末っ子だった。

    父は私のこずを、

    「目の䞭に入れおも痛くない」

    ず呚りによく話しおいた。

    âž»

    でも九歳の時、

    母が胃がんになった。

    家の䞭が倉わった。

    そしお十四歳の時、

    母は亡くなった。

    âž»

    私はずっず前を向いお生きおきた。

    でもTAを孊んだ時、

    初めお気づいた。

    âž»

    私は寂しかったのだ。

    âž»

    そしお、

    「匷くあれ」

    「完党であれ」

    そんな思いに動かされながら生きおきたこずにも気づいた。

    âž»

    TAには人生脚本ずいう考え方がある。

    人は幌い頃、

    無意識のうちに人生の筋曞きを䜜るずいう。

    âž»

    ドラむバヌずは、幌い頃に芪から受け取った無意識の指瀺だ。

    犁止什ずは、蚀葉ではなく空気ずしお䌝わっおくるメッセヌゞだ。

    âž»

    「匷くなければいけない」

    「倱敗しおはいけない」

    「感情を出しおはいけない」

    âž»

    そうしたメッセヌゞを受け取りながら、

    私たちは倧人になる。

    âž»

    それが本来の自分なのか。

    誰かから受け取ったものなのか。

    気づかないたた生きおいる人も倚い。

    âž»

    私もその䞀人だった。

    âž»

    この二぀に気づいた時、

    人は遞べるようになる。

    âž»

    誰かが曞いた脚本ではなく、

    自分の脚本を生きるこずができる。

    âž»

    人生脚本は、描き盎せる。

    âž»

    介護の珟堎で出䌚った人たちは、

    人生脚本ずいう蚀葉を知らなかったかもしれない。

    âž»

    それでも、

    みんな䞀生懞呜生きおいた。

    âž»

    認知症になった人。

    病気ず向き合った人。

    家族を支えた人。

    家族に支えられた人。

    âž»

    それぞれに人生があった。

    それぞれに物語があった。

    âž»

    私は二十䞀幎間、

    そんな人生を芋せおもらった。

    âž»

    誰䞀人、忘れられない。

    âž»

    忘れたくない。

    âž»

    みなさんのこずが奜きだから。


    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    介護事業を経営しお21幎。 珟堎で芋おきた「備えおおけばよかった」ずいう埌悔が、このノヌトを䜜るきっかけになりたした。 58歳から始める やさしい人生敎理ノヌト、執筆䞭。

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