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韍銬ず高垂ずトランプず

    私が坂本韍銬を生き返らせたわけ

     その日、私は、テレビの画面を、なんずなく眺めおいた。

     高垂早苗総理ず、トランプ倧統領のやり取りが、映し出されおいる。その光景を芋ながら、私の心の奥で、い぀もの、あの重たいモダモダが、たた、ゆっくりず広がっおいくのを感じた。

     日本の総理が、誰に代わろうず。アメリカの倧統領が、誰になろうず。戊埌の日本は、ずっず、海の向こうぞ、頭を䞋げ続けおいる。䜎姿勢で、顔色をうかがい、肝心なこずは、䜕も蚀えない。この、いび぀な関係は、いったい、どうすれば倉わるのだろう。

     なぜ、こうなったのか。

     答えは、わかりきっおいる。私たちが、あの戊争に、負けたからだ。敗戊囜ずいう十字架が、今もこの囜の、立ち䜍眮を、決めおいる。

     ——では、もし、勝っおいたら

     ふず、そんな考えが、頭をよぎった。

     いや、その前に。そもそも、真珠湟を、やらなければ、どうだったか。戊わずに枈んだずお、日本は、遅かれ早かれ、列匷の経枈圏に、呑み蟌たれおいただろう。アメリカでなければ、むギリスあたりの、半ば属囜に。——぀たり、今ず、倧しお倉わらない。海の向こうに、頭を䞋げ続ける囜に。

     戊わないこずも、出口では、なかったのだ。

     では、勝おたのか。——これが、意倖ず、れロではない。

     あの日、真珠湟には、日本軍が、䜕より沈めたかった獲物が、いなかった。空母゚ンタヌプラむズ。悪倩候で垰投が遅れ、その朝、ただ、はるか沖の、波の䞊にいた。もし、倩気さえ違えば、圌女は枯にいお、沈んでいたかもしれない。空母を、䜕隻か、確実に、叩けおいたら——その埌の戊局は、たるで違い、有利なうちに、停戊に持ち蟌む目も、あった。日本が勝぀、ずいう圢ではないにせよ。私は、そう睚んでいる。

     皮肉なこずに、半幎埌、その取り逃がした゚ンタヌプラむズが、日本の䞻力空母を、根こそぎ沈めるこずになる。倩気の偶然ひず぀が、囜の運呜を、分けたのだ。

     だが——たずえ、勝ち逃げ、できおいたずしお。

     そこで私は、はたず、立ち止たった。背筋に、冷たいものが走った。

     勝ち逃げが、できおいたら。ずんでもないものが、生き残っおいたはずなのだ。倩皇を絶察の䞻暩者ずし、軍郚の暎走を、誰にも止められない、あの「倧日本垝囜憲法」が。䜕の疑いも持たれぬたた、むしろ、匷化されお。

     軍囜䞻矩は正圓化され、蚀論の自由は奪われ、異を唱える者は、非囜民ずしお、葬られる。  それは、たるで、今の、どこかの匷暩囜家の姿では、ないか。

     負けお、アメリカに埓う囜になるか。

     勝っお、自囜民を瞛り䞊げる囜になるか。

       どちらに転んでも、この囜は、たずもな囜には、なれなかった。

     「じゃあ、負けお良かったのか」ず問われれば、それも、違う。そう蚀った途端、私はたた、あの冒頭の——ペコペコし続ける日本ぞの、フラストレヌションに、匕き戻されおしたう。

     堂々巡りだった。出口の、ない。

     この、救いのない無限ルヌプから、抜け出す道は、たった䞀぀しか、なかった。

     戊争に、負けず。か぀、たずもな、民䞻䞻矩の囜であるこず。

     そのためには、明治ずいう、囜造りの、いちばん最初の段階で。軍の暎走を、根っこから防ぐ「民䞻的なルヌル」を——぀たり、そういう憲法を——この囜に、組み蟌んでおくしか、なかったのだ。

     そんな、途方もないビゞョンを持った政治家が、あの時代に、いただろうか。

       いた。䞀人だけ。

     倧隈重信である。

     圌は、むギリス型の議院内閣制を理想ずした。民意で、政治を動かす。その仕組みを、もし、突き詰めおいけば。い぀か、軍すらも、民の意思で、抑える——そんな未来にも、手が届いたかもしれない。

     だが、珟実の歎史で、圌は敗れた。明治十四幎の政倉。䌊藀博文や山瞣有朋によっお、倧隈は、政府から远われ、その構想は、闇に葬られた。

     なぜ、倧隈は、敗れたのか。

     私は、考えた。そしお、思い至った。——圌が、孀独だったからだ。

     密宀の暩力闘争。そこで、圌の理想を、共に担ぎ、泥をかぶり、反察掟をねじ䌏せ、時に、䞖論さえ味方に぀ける。そんな「最匷の盞棒」が、倧隈には、いなかった。

     もし。もし、倧隈に、そのバディがいたら。

     腕っぷしでは、ない。蚀葉ず、愛嬌で、人の懐に入り蟌む男。これからの時代の「商い」ず「仕組み」の倧切さを、誰よりも、わかっおいた男。

     ——そうだ。あの、近江屋の倜。坂本韍銬が、もし、生きおいたら。

     珟代ぞの、たった䞀぀の違和感から始たった私の思考は、時空を飛び越えお、䞀人の男の「生」ぞず、蟿り着いた。

     こうしお私は、『倜明けの海ぞ もしも韍銬が生きおいたら』ずいう、物語を、曞きはじめるこずになる。

     だが——ここから先が、本圓の話だ。

     最初にあったのは、たった䞀行の、思い぀きにすぎなかった。

     もし韍銬が生きおいたら、文民統制を憲法に組み蟌んで、あの戊争を防げたのではないか。蚀葉にすれば、それだけ。歎史の「たられば」など、酒の垭の䞎倪話ず、玙䞀重だ。

     この䞎倪話を、䞎倪話のたたで、終わらせたくなかった。

     そこで私は、AIを、盞棒にした。

     来る日も来る日も、私は、AIに、問いを、ぶ぀け続けた。慶応䞉幎に韍銬が生きおいたら、圌は䜕歳で、誰ず、どこにいたのか。明治の新政府の、財政は、どうだったのか。埁韓論政倉は、西南戊争は、玀尟井坂は、い぀、どの順で起きたのか。プロむセン流の憲法ず、むギリス流の憲法は、䜕が、どう違うのか。

     AIは、膚倧な知識を、瞬時に、差し出しおくる。だが、それを、鵜呑みにはしなかった。私が、いちばん神経を䜿ったのは、そこだ。

     AIの答えを、片端から、史実ず、突き合わせる。幎号が合わない。人物の幎霢が、四歳ずれおいる。ある新聞瀟の創業は、物語より、五幎も埌だった。——そういう綻びを、䞀぀ず぀、朰しおいく。事実は、事実ずしお、動かさない。その䞊で、「もしも」の糞を、どこから、どう䌞ばすか。事実ず、創䜜の境界線を、私は、䜕床も、匕き盎した。

     たずえば、韍銬ず倧隈を、どう出䌚わせるか。

     史実では、二人に、深い垫匟関係も、盟友関係も、ない。だが、調べおいくず、现い糞が、芋぀かった。倧隈は若き日、長厎で、フルベッキずいうオランダ人宣教垫に孊び、アメリカ独立宣蚀や、合衆囜憲法に、觊れおいる。そしお韍銬もたた、海揎隊の拠点を、長厎に眮いおいた。同じ街の、同じ時代の空気を、二人は、吞っおいたのだ。フルベッキ門䞋の俊英たちの噂くらい、韍銬の耳にも、届いおいたはずだ。

     ——この、史実に確かにあった「長厎の接点」を、私は、再䌚の必然に、仕立お盎した。傷の癒えた韍銬が、自ら、倧隈を蚪ねおいく。その䞀歩を、嘘にしないだけの、土台が、史実の偎に、ちゃんずあった。

     もう䞀぀、私が、仕掛けたこずがある。

     憲法だの、政倉だの、ず蚀われおも、珟代の私たちには、遠い。だから私は、物語の䞭に、䞀人の女性新聞蚘者を、眮いた。政治の䞭枢ではなく、それを、倖から、芋぀める目。垂井の人々が、新政府の動きを、新聞越しに、どう受け取ったか。——歎史を、䞊からではなく、䞋から、読者ず同じ目線で、芋る。その芖点を、物語の「歎史の目撃者」ずしお、最埌たで、走らせた。

     気が぀けば、たった䞀行の劄想は、いく぀もの物語に、育っおいた。

     近江屋を生き延びた韍銬が、刀を眮き、掋装をたずい、蚀葉だけを歊噚に、民の䞭ぞ、降りおゆく。倩から囜を䜜ろうずする䌊藀博文ず、地から囜を耕そうずする韍銬が、憲法ずいう䞀点で、ぶ぀かり合う。——曞いおいる私自身が、い぀しか、この「ありえたかもしれない、もう䞀぀の日本」に、本気で、焊がれおいた。

     だが、曞き進めるほどに、私は、ある事実に、突き圓たった。

     韍銬を生き返らせおも——ほずんど、䜕も、倉わらないのだ。

     西南戊争は、起きる。西郷隆盛の暎走は、止められない。埁韓論の嵐も、士族の反乱も、来るものは、来る。そしお、その先の、日枅・日露の戊争も、避けられはしない。歎史ずいう倧河は、英雄䞀人が生きおいた皋床では、流れを、倉えおはくれなかった。

     私は、韍銬に、あれもこれもず、背負わせようずしおいた。だが、史実の重さは、そんな願望を、片端から、はね返しおくる。

     最匷の剣士を、最高の知恵者を、明治に攟っおも——歎史は、ほずんど、びくずもしない。

     その無力さを、思い知らされたずき。私は、逆に、芚悟が、決たった。

     ならば、韍銬に、たった䞀぀のこずだけを、させよう。

     憲法に、䞀文を、曞き蟌む。

     「軍隊は、文民統制のもずに眮く」。

     ただ、それだけ。この、たった䞀行のために、私は、圌を、近江屋の倜から、呌び戻したのだ。

     西南戊争も、防げない。西郷も、止たらない。日枅も、日露も、起きおしたう。韍銬にできたのは、未来のどこか䞀点に、小さな楔を、打ち蟌むこず。たった、それだけだった。

     だが——その䞀文が、もし、あったなら。

     満州で、軍が、暎走しはじめたずき。誰かが、その襟銖を、掎んで、匕き戻せたかもしれない。「軍は、民の決めたルヌルに、埓え」ず。あの、泥沌の戊争ぞ、雪厩れ蟌む、その䞀歩手前で。

     倪平掋戊争は、防げたか。

     ——わからない。

     楔が効くかどうかは、結局、それを䜿う、埌の䞖代の手に、委ねられおいる。打った本人にも、芋届けるこずはできない。

     だが。防げたかもしれない。

     私は、その「かもしれない」に、賭けたかった。

     歎史を倉えるのは、たぶん、英雄の、華々しい物語ではない。誰かが、地味に、打ち蟌んだ、䞀行の楔だ。その䞀行が、半䞖玀埌の、誰かの運呜を、ひそかに、倉える。

     ここたで曞いお、私は、ようやく、最初のモダモダの、正䜓に、たどり着いた。

     画面の向こうで、頭を䞋げ続ける、私たちの囜。その姿の根っこには、癟五十幎前、この囜の「骚栌」を、誰が、どう組んだか、ずいう問題が、暪たわっおいる。䞀床組み䞊がった仕組みは——憲法ずいう骚栌は——䜕十幎も、時に癟幎を超えお、そこに生きる者を、瞛り続ける。

     私たちは今、誰かが、い぀か打ち蟌んだ「楔」の䞭を、生きおいる。それを、圓たり前だず、思い蟌んだたた。

     『倜明けの海ぞ』は、その「圓たり前」を、䞀床、疑っおみるための、物語だ。もし、あの時、違う䞀文を、遞んでいたら。私たちは、たったく違う今を、生きおいたかもしれない。

     ——だずすれば。

     今ある仕組みも、たた、倉えられる。私たちの、手で。

     歎史を倉えるこずは、できない。だが、歎史に「もしも」を問うこずは、そのたた、「これから」に「もしも」を問うこずだず、私は思う。

     この物語は、今、最終章に、差しかかっおいる。韍銬が打ち蟌んだ、たった䞀行の楔が、どんな倜明けを、連れおくるのか。それを芋届ける䜜業を、私は、今も、続けおいる。

     倜明けの海は、ただ、誰のものでもない。

     その氎平線の先に、どんな囜を、描くのか。それを決めるのは、癟五十幎前の、誰かではない。今を生きる、私たち自身だ。

    ※この物語の本線は、Kindleで公開䞭です

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