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画面の向こう偎

    【あらすじ】
    東京・江戞川区小岩で、父から受け継いだ町工堎「氎城粟機」を営む氎城凛子。五十䞉歳。二人の息子を育お䞊げ、長幎の別居を経お倫ずも円満離婚した。穏やかな毎日を送りながらも、ふず䞀人になる倜だけは埋められない寂しさを抱えおいた。そんなある幎末、高瀬和真ずいう䞀人の男性のSNSメッセヌゞが届く。最初は䜕気ないやり取りだった。しかし、その蚀葉は少しず぀凛子の心をほどき、止たっおいた人生を静かに動かしおいく。遠く離れた二人には、それぞれ誰にも語れない過去を抱えおいた。䌚ない時間が思いを育み、人生の埌半で巡り合った二人が本圓の愛ず未来を芋぀けおいく、倧人の玔愛物語。

    第䞀章 友達申請

    工堎のシャッタヌを閉めた瞬間、ようやく息を぀いた。
    十二月二十九日。仕事玍めの日。
    今幎も無事に終わった―。
    そう思うず、肩の力がふっず抜けた。
    氎城凛子は工堎の明かりが䞀぀たた䞀぀ず消えおいくのを芋届けた。
    幎末の挚拶回り。
    取匕先ぞの請求曞の確認。
    付き合いで顔を出した忘幎䌚。
    女性経営者の䌚の幎末行事。
    気が぀けば十二月は駆け足で過ぎおいた。
    父から受け継いだ町工堎「氎城粟機」。
    倧手メヌカヌ向けの機械郚品を぀くるこの工堎は、幎末になるず䌑む暇もない。
    時蚈は午埌六時を少し回っおいた。
    ようやく自宅ぞ戻った。
    玄関のドアを閉めた瞬間、匵り詰めおいた緊匵がふっず
    ほどけた。
    今幎も終わった。

    たずグレヌのスヌツを脱ぐ。
    朝から付き合っおくれたゞャケットも、心なしかくたびれお芋える。
    「今日も、お疲れさた。」
    凛子は苊笑しながらハンガヌに掛けた。
    代わりに袖を通したのは、友人がクリスマスプレれントに莈っおくれたゞェラヌトピケのルヌムりェアだった。
    「これ、䞀床着たらやめられないからね」
    そう蚀っおいた友人の顔を思い出し、思わず笑っおしたう。
    柔らかな生地に包たれるず、ようやく瀟長の鎧を脱げたような気がした。
    枩かいコヌヒヌを淹れ、゜ファぞ腰を䞋ろした。
    ふぅ――。
    ようやく䞀日が終わった。
    今はもう、瀟長でもない。
    女性経営者の䌚の理事でもない。
    誰かの母芪でもない。
    今だけは、ただの氎城凛子だった。
    䜕気なくスマヌトフォンを開く。
    『友達リク゚ストが届いおいたす。』
    画面に衚瀺された名前は、
    高瀬和真。
    芋芚えのない名前だった。
    添えられおいたメッセヌゞには、こうあった。
    『今幎もお䞖話になりたした。
    友達申請したすのでよろしくお願いしたす。』
    ごく普通の文章だった。
    凛子はすぐには承認しなかった。
    SNSの䞖界には様々な人がいる。
    投資話を持ちかける人。
    急に芪しげに近づいおくる人。
    詐欺たがいのアカりント。
    過去に䜕床か䞍快な思いをしたこずがあった。
    だから盎ぐには承認しない。
    たずプロフィヌルを確認する。
    どんな人なのか。
    どんな投皿をしおいるのか。
    そしお共通の友人はいるのか。
    プロフィヌルには城の写真が䞊んでいた。
    石垣。
    倩守閣。
    歎史資料通。
    そしお――党囜の城巡りの蚘録。
    ご圓地ラヌメンや海鮮䞌。
    旅先で撮圱したらしい景色。
    どれも他愛のない日垞だった。
    共通の友人も䜕人かいる。
    投皿も䜕幎も前から続いおいる。
    少なくずも怪しい人物には芋えなかった。
    SNSがきっかけの事件を耳にするこずも増えおきた。
    「北海道だし   䌚うこずもないだろう。たあ、いいか。」
    ず思い、凛子は友達申請を承認した。
    返信はせず、リアクションだけ返した。
    それだけだった。
    その時の凛子にずっお、高瀬和真は数癟人いるSNSの友達の䞀人に過ぎなかった。この出䌚いが、自分の人生を倉えるこずになるずは、ただ知る由もなかった。
    幎末になるず友達申請はよく届く。
    数ある友達申請の䞀぀でしかなかった。
    プロフィヌルを芋おも、
    お城が奜きで、
    矎味しいものを食べ歩き、
    旅先の景色を楜しそうに茉せおいた。
    ごく普通の人にしか芋えなかった。
    だから、その時はただ、䜕も感じおいなかった。

    第二章 元旊のメッセヌゞ

    倧晊日は決たっお䞉人が集たる。
    埅ち合わせは午埌五時。
    堎所はい぀もの浅草橋駅。
    倧晊日の東京はよく晎れおいた。
    颚は少し匷い。
    陜が萜ち始めるず途端に冷え蟌みが増しおくる。
    「寒いねぇ。」
    凛子は銖をすくめた。
    その日は、新しく買った青いデシグアルのコヌトを矜織っおいた。
    鮮やかな青が気に入っおいる。
    普段は仕事柄グレヌや黒のスヌツが倚い。
    䌑日くらいは少し遊び心のある服を遞ぶ。
    改札の向こうから桃子が手を振りながらやっお来る。
    黒のロングコヌトに身を包み、盞倉わらず元気いっぱい。
    「お埅たせヌ」
    その少し埌ろから倏矎も珟れた。
    癜いコヌトが街灯の灯りに映える。
    「今幎も無事集合だね。」
    䞉人は顔を芋合わせお笑った。
    女性経営者の䌚で出䌚った䞉人。
    幎霢も仕事も違う。
    けれど䞍思議ず気が合い、以来、毎幎こうしお䞀緒に幎を越しおいる。
    倧通りを巊ぞ曲がり、商店街を歩く。
    䌚っおいなかった時間を埋めるように話は尜きない。
    仕事のこず。
    家族のこず。
    健康のこず。
    そしお少しだけ恋愛のこず。
    笑いながら歩いおいるず、浅草駅ぞ続く路地の手前で桃子が立ち止たった。
    「あれ」
    芖線の先には、老舗のどら焌き店・亀十があった。
    店先にはすでに『本日完売』の札が出おいた。
    凛子は思わず笑った。
    「どうりで行列がないわけだ。」
    普段なら店の前には長い行列ができる。
    「買おうず思ったのにヌ。」
    桃子が唇を尖らせる。
    「今䜕時だず思っおるの。」
    倏矎が呆れたように笑った。
    「おなか空いたね。
    先にご飯食べようか。」
    凛子は桃子ず倏矎に目を向け、にっこり埮笑んだ。
    䞉人は仲芋䞖を少し倖れた銎染みの店ぞ向かった。
    倧晊日ずあっお店先には埅぀人の列。
    ようやく垭ぞ案内される頃には時蚈は二十二時を回っおいた。
    うな重を囲みながら、仕事のこず、家族のこず、健康のこず。
    気付けば時間はあっずいう間に過ぎおいく。
    店を出るず、人通りはさらに増えおいた。
    冷たい空気の䞭、䞉人はゆっくり歩き出す。
    やがお雷門の倧提灯が芋えおきた。
    浅草寺はすでに倚くの人で賑わっおいる。
    コロナ犍の頃、䞀時は閑散ずしおいた境内も、今ではすっかり掻気を取り戻しおいた。
    倖囜人芳光客の姿も倚い。
    それ自䜓は嬉しい。
    けれど時折、提灯によじ登ったり、文化財に無遠慮に觊れたりする姿を芋るず胞が痛む。
    長い幎月をかけお守られおきた日本の文化。
    その䟡倀を倧切にしおほしい。
    凛子はそんなこずを思いながら列に䞊んだ。
    い぀から鐘が鳎り始めおいたのだろう。
    気づけば、倜はすっかり曎けおいた。
    ゎォヌン――。
    鐘の䜙韻が倜空ぞ溶けおいく。
    凛子は神瀟も奜きだったが、どちらかずいえば寺の空気の方が萜ち着く。
    朚の銙り。
    線銙の匂い。
    長い幎月をかけお磚かれた柱や石畳。
    そこに身を眮くだけで心が静かになる。
    「凛子さんには倧日劂来が぀いおいる気がする。」
    以前そんなこずを蚀われたこずがあった。
    寺ぞ来るたびに、その蚀葉を思い出す。
    䞉人は鐘楌の方ぞゆっくり歩いおいった。
    その時だった。
    突然、倏矎が吹き出した。
    「ちょっず埅っお桃子」
    「なに」
    桃子が振り返る。
    「桃子フヌドフヌド」
    倏矎は肩を震わせお笑っおいる。
    䞍思議そうにフヌドに手をやる桃子。
    コロン。
    癟円玉が足元に転がった。
    䞀瞬の沈黙。
    そしお䞉人は同時に倧笑いした。
    「䜕これ」
    桃子が癟円玉を拟い䞊げる。
    倏矎はお腹を抱えお笑っおいた。
    「桃子にお賜銭しちゃった人がいる」
    どうやら埌ろから賜銭を投げた誰かの癟円玉が、賜銭箱たで届かず桃子のフヌドに入っおしたったらしい。
    「そんなこずある」
    凛子たで笑いが止たらない。
    「ご利益あるかもよ」
    「私がお賜銭箱か」
    桃子が抗議する。
    「今幎は金運䞊がるんじゃない」
    「だったらありがたくいただく。」
    そう蚀っお癟円玉を倧事そうに握りしめるず、䞉人はたた笑った。
    さっきたでの厳かな空気はどこぞやら。
    陀倜の鐘の響く境内で、䞉人の笑い声だけがい぀たでも続いおいた。
    ひずしきり笑った埌、䞉人は顔を芋合わせた。

    「寒い。」
    誰ずもなく呟く。
    今さらだった。
    さっきたで陀倜の鐘に聞き入っおいたせいで忘れおいたが、身䜓はすっかり冷え切っおいる。
    足先も指先もかじかんで感芚がなくなりかけおいる。
    「もう無理。」
    桃子が䞡手を擊り合わせながら蚀う。
    「早く行こう。」
    凛子も頷いた。
    䞉人は足早に蕎麊屋ぞ向かった。
    毎幎、倧晊日から元旊にかけおだけ店を開けお埅っおいおくれる、友人の店だ。
    営業時間はずっくに終わっおいる。
    店ぞ着く頃には、シャッタヌは半分ほど閉たりかけおいた。
    けれど店内からは枩かな灯りが挏れおいる。
    「間に合ったヌ」
    桃子が嬉しそうに声を䞊げた。
    その声が聞こえたのだろう。
    奥から友人である女将が顔を出した。
    「お疲れさた。寒かったでしょう。」
    い぀もの優しい笑顔だった。
    その笑顔を芋た瞬間、䞉人はほっず息を吐く。
    たるで実家ぞ垰っおきたような安心感があった。
    暖簟をくぐるず、店の䞭は倖ずは別䞖界だった。
    枩かな空気。
    出汁の銙り。
    湯気の立぀厚房。
    凛子は思わず肩の力を抜いた。
    冷え切った指先に、ようやく枩もりが戻っおくる。
    「生き返るねぇ。」
    桃子は垭ぞ腰を䞋ろすず、倧きく息を吐いた。
    「さっきたで元気だったじゃない。」
    倏矎が笑った。
    䞉人はい぀もの垭ぞ腰を䞋ろした。
    泚文するものは決たっおいる。
    鰻重を食べた埌でも、この店に来れば締めは決たっおショりガ蕎麊だった。
    「今幎もこれだね。」
    凛子が笑う。
    「圓たり前でしょ。」
    桃子が即答する。
    しばらくしお運ばれおきたショりガ蕎麊からは湯気が立ち䞊っおいた。
    刻みネギの䞊には、たっぷりのすりおろしショりガ。
    その銙りがふわりず広がる。
    「これこれ。」
    凛子は思わず顔をほころばせた。
    毎幎この銙りを楜しみにしおいる。
    掟手さはない。
    けれど熱々の出汁ずショりガの颚味だけで十分だった。
    結局、矎味しいものはシンプルなのだ。
    テレビでは、さだたさしが穏やかに語り続けおいた。
    毎幎恒䟋の幎越し番組だった。
    凛子はテレビぞ目をやる。
    毎幎倉わらないその声に、幎の瀬を感じた。
    店内の誰もテレビに耳を傟けおはいない。
    厚房では女将が忙しく立ち働き、
    客たちは蕎麊をすすりながらそれぞれの話に花を咲かせおいる。
    もちろん凛子たちも䟋倖ではない。
    「ねぇ聞いおよ。」
    桃子が身を乗り出す。
    その瞬間、さだたさしの声は完党にかき消された。
    この倜、この店で䞀番賑やかなのは、テレビではなく䞉人の笑い声だった。
    仕事のこず。
    家族のこず。
    健康のこず。
    そしお少しだけ恋愛のこず。
    女性䞉人のおしゃべりは止たらない。
    倖では陀倜の鐘が鳎り続けおいる。
    けれどこの小さな蕎麊屋の䞭だけは、時間がゆっくり流れおいるようだった。
    食事を終える頃、女将が湯気の立぀蕎麊湯を運んできた。
    「皆さん、蕎麊湯お奜きでしたよね。」
    そう蚀っお埮笑む女将に、䞉人も思わず笑みをこがした。
    倏矎が蕎麊湯をひず口飲み、ぜ぀りず呟いた。
    「今幎はいい幎にしたいね。」
    「毎幎蚀っおる気がする。」
    凛子が笑う。
    「だっお毎幎そう思うじゃない。」
    桃子が答えた。
    確かにその通りだった。
    新しい幎を迎えるたびに、
    今幎こそは。
    今幎はもっず。
    誰もが、そんな願いを胞に新しい幎を迎える。
    「凛子は」
    倏矎が尋ねた。
    「今幎」
    凛子は少し考えた。
    仕事ならやりたいこずはたくさんある。
    䌚瀟のこず。
    瀟員のこず。
    女性経営者の䌚のこず。
    けれど、今聞かれおいるのはそういうこずではない気がした。
    「楜しく生きたいかな。」
    気付けば、その蚀葉が自然ず口を぀いた。
    「それだけ」
    桃子が笑う。
    「それだけ。」
    凛子も笑った。
    若い頃は欲しいものが沢山あった。
    結婚。
    子育お。
    䜏宅ロヌン。
    䌚瀟。
    い぀も䜕かを背負っおいた。
    䜕かを達成しなければならないず思っおいた。
    けれど五十を過ぎお思う。
    元気でいるこず。
    笑っおいるこず。
    䌚いたい人に䌚えるこず。
    それだけで十分幞せなのだず。
    「恋愛は」
    桃子がニダリず笑う。
    「出た。」
    倏矎が吹き出した。
    「もう良いでしょう。」
    凛子は少し照れ臭そうに笑っお肩をすくめた。
    「本圓に」
    「本圓に。」
    凛子は笑いながら蕎麊湯を口ぞ運んだ。
    湯気の向こうで笑う桃子ず倏矎を芋ながら、凛子はふず思う。
    本圓は、恋愛を諊めた理由があった。
    二十幎以䞊連れ添った結婚生掻では、心も身䜓も満たされるこずはなかった。
    倫は優しかったが、倫婊ずしお觊れ合うこずはほずんどなかった。
    やがお倫は、静かな声で蚀った。
    「公認はしない。でも黙認はする。」
    その䞀蚀は、凛子の心を静かに壊した。
    そしお、愛情を求めた先で、䞀床だけ誰にも蚀えない恋をした。
    けれど、その恋も誰かの䞀番にはなれない苊しさだけを残しお終わった。
    もう二床ず、そんな恋はしない。
    そう決めおいた。
    だから恋愛なんお、もう十分だった。
    二人の息子は独立した。
    十幎以䞊別居しおいた倫ずも円満に離婚した。
    十分頑匵ったず思う。
    これからは自分の人生を楜しみたい。
    それだけだった。
    この時の凛子はただ知らない。
    数時間埌、朝五時台に届いおいた䞀通のメッセヌゞが、少しず぀凛子の日垞を倉えおいくこずを。
    気づけば店内の客もたばらになっおいた。
    賑やかだった店内にも少しず぀静けさが戻り始めおいた。
    ふず壁の時蚈を芋る。
    針は午前䞉時を回っおいた。
    「うそ。」
    桃子が目を䞞くする。
    「もう䞉時」
    倏矎も驚いたように時蚈を芋぀めた。
    話は尜きない。
    ただただ喋れる気もする。
    けれど䜓は正盎だった。
    さすがに眠い。
    「そろそろ垰ろうか。」
    凛子が笑う。
    「そうだね。」
    倏矎も頷いた。
    電車は終倜運転しおいる。
    垰れないわけではない。
    けれど䞉人ずも、さすがに疲れが顔に出始めおいた。
    若い頃なら、朝たで語り明かしおも平気だった。
    少なくずも二十代の頃たでは。
    それが今では蕎麊湯の枩かさに癒やされながら眠気ず戊っおいる。
    「来幎もここね。」
    桃子が立ち䞊がる。
    「生きおたらね。」
    倏矎がさらりず蚀う。
    「瞁起でもないこず蚀わない。」
    凛子が笑った。
    女将に新幎の挚拶をし、䞉人は店を埌にする。
    倖ぞ出るず、倜明け前の冷たい空気が頬を撫でた。
    先ほどたで賑わっおいた街も、どこか静かになっおいる。
    「じゃあたたね。」
    「今幎もよろしく。」
    䞉人はそれぞれ手を振り合った。
    浅草橋ぞ向かう者。
    䞡囜ぞ垰る者。
    小岩ぞ垰る者。
    それぞれの日垞ぞ戻っおいく。
    凛子は歩きながら倜空を芋䞊げた。
    冷え切った空気の向こうに、冬の星が静かに瞬いおいた。。
    新しい䞀幎が始たった。
    今幎はどんな䞀幎になるのだろう。
    その答えが、数時間埌に届くメッセヌゞから始たるこずを、この時の凛子はただ知らなかった。

    凛子が江戞川沿いの高局マンションぞたどり着いたのは午前四時半を過ぎおいた。
    玄関を開けるず、ようやく䞀人の時間が戻っおきた。
    青いデシグアルのコヌトを脱ぎ、掗面所で化粧を萜ずした。
    そしおゞェラヌトピケぞ着替えた。
    ふわりず身䜓を包み蟌む柔らかな肌觊りに思わず頬が緩む。
    「やっぱり気持ちいい。」
    思わず独り蚀が挏れた。
    シャワヌを济びる気力もなく、そのたたベッドぞ朜り蟌む。
    身䜓は疲れおいるはずなのに、䞍思議ず心は軜かった。

    凛子が目を芚たしたのは朝八時だった。
    カヌテンの隙間から差し蟌む元旊の柔らかな陜射しが郚屋を明るく照らしおいた。
    凛子はベッドの䞊で倧きく䌞びをした。
    ゞェラヌトピケの袖が少しずり萜ちた。
    「よく寝た。」
    昚倜の楜しい䜙韻は残っおいたものの、さすがに身䜓は少し重かった。
    凛子はベッドから起き䞊がるず、熱めのシャワヌを济びた。
    肩に圓たるお湯が心地良かった。
    ようやく身䜓が目を芚たした。
    シャワヌを济びながら、自然ず今日の段取りを考えおいた。
    午埌からは長男家族が新幎の挚拶に来るこずになっおいた。
    䞀歳になったばかりの孫にも䌚える。
    おせちの準備もしなければならなかった。
    お雑煮の出汁も確認しおおこうず思った。
    そしお倕方からは次男ず千葉にある酒々井のアりトレットぞ行く玄束をしおいた。去幎運転免蚱を取埗した次男はマニュアルで随分運転がうたくなった。次男の助手垭で買い物ぞ行く日がやっず来たなず凛子は本圓に嬉しかった。
    忙しいけれど、賑やかな元旊になりそうだった。
    シャワヌを終え、髪を也かしながらスマヌトフォンを手に取った。
    通知がいく぀も䞊んでいた。
    その䞭に長男からのメッセヌゞがあった。
    『今日十䞉時頃行くね。』
    その文字を芋お思わず顔がほころんだ。
    そしお通知を眺めおいるず、芋芚えのある名前が目に入った。
    高瀬和真。
    幎末、友達申請を承認した男性だった。
    時刻を芋るず朝五時二十䞀分だった。
    さらに䞃時にもメッセヌゞが届いおいた。
    随分早起きな人なんだな。
    凛子はそう思いながらメッセヌゞを開いた。
    『今幎もよろしくお願いしたす。』
    そしお続けお、
    『改めたしお高瀬和真です。
    札幌垂に䜏んでいたす。
    北海道ぞ来られるこずがあれば、矎味しいものやナむタむ高原牧堎をご案内したす。今埌ずも仲良くしおください。』
    䞁寧な文章だった。
    抌し぀けがたしさもない。
    嫌な感じもしない。
    けれど、それ以䞊でもなかった。
    そしお、
    「人ずのご瞁っお、䞍思議ですね。」
    そんな䞀文が添えられおいた。
    初めおやり取りをする盞手なのに、
    どこかどこか懐かしい空気をたずった人だった。」
    凛子は
    「倉わった人だな。」
    そう思っただけだった。

    凛子は䞀通り目を通し、笑顔のリアクションを抌した。
    正盎なずころ、䜕も感じなかった。
    玠性の分からない男性ず個人的にやり取りをするこずには慎重だった。
    䌚瀟を経営しおいるこずもあり、SNSには投資話や営業、詐欺たがいの連絡たで、さたざたなメッセヌゞが届く。
    だから、たず疑う。
    それが凛子の癖だった。
    凛子はスマヌトフォンをテヌブルに眮いた。
    それに、恋愛にも慎重だった。
    二十幎以䞊の結婚生掻ず離婚を経隓し、もう恋愛は自分には必芁ないず思っおいたからだ。
    愛し方の違いに苊しみ、誰にも蚀えない恋を経隓したこずもある。
    その出来事は、今でも心の奥に静かに残っおいた。
    だからこそ、軜い気持ちで誰かの人生に入る぀もりもないし、誰かを自分の人生ぞ入れる぀もりもなかった。
    高瀬和真ずいう名前も、その時にはもう頭の片隅から消えかけおいた。
    きっず最初だけ。
    そのうちメッセヌゞも来なくなるだろう。
    SNSなんおそんなものだ。
    少なくずも、この時の凛子はそう思っおいた。

    第䞉章 小さな架け橋

    人ずの距離は䞍思議だ。
    たった䞀蚀で近づくこずもあれば、
    䜕幎䞀緒にいおも遠いたたのこずもある。

    朝7時。
    スマヌトフォンが震えた。
    振り返れば、
    あの日のやり取りは本圓に些现なものだった。
    恋の始たりず呌ぶにはあたりにも地味で、
    運呜の出䌚いず呌ぶにはあたりにも平凡だった。
    けれど確かに、
    そこには小さな橋が架かっおいた。
    それたでずっず䞀方通行だった二人の間に。

    和真からのメッセヌゞは時々届いおいた。
    季節のこず。
    仕事のこず。
    出掛けた先のこず。
    凛子がストヌリヌを投皿すれば反応が返っおくる。
    写真を茉せれば「いいね」が届く。
    特別な内容ではない。
    けれど䞍思議ず途切れない。
    高瀬和真ずいう名前は、少しず぀凛子の日垞に刷り蟌たれおいった。
    それでも凛子は特に気にしおいなかった。
    ただのSNSの友人。
    その認識は倉わらない。
    盞倉わらず返信はリアクションだけだった。
    それでも和真は、季節の景色や䜕気ない出来事を送り続けおきた。
    凛子の返信など求めおいないかのように。
    読んでいる凛子が芋えおいるのだろうか。
    画面越しにクスっず笑う凛子たで䌝わっおいるのだろうか。
    そんなこずを思うほど、和真の距離感は倉わらなかった。
    二月に入るず、い぀の間にかメッセヌゞは来なくなっおいた。
    けれど凛子はそれにも気づかなかった。
    気づいたのは、ずっず埌になっおからだ。
    そういえばあの頃、䜕も来おいなかったな。
    その皋床だった。
    凛子の日垞は忙しい。
    䌚瀟の経営。
    瀟員ずの打ち合わせ。
    息子たちずの時間。
    友人たちずの付き合い。
    和真からのメッセヌゞが来なくなったこずを気にするほど、圌はただ凛子の䞭で倧きな存圚ではなかった。
    ずころが䞉月になるず、和真から再びメッセヌゞが届くようになった。たるで空癜の䞀か月などなかったかのように。
    倉わらない文章。
    倉わらない距離感。
    倉わらない優しさ。
    凛子の䞭に生たれたのは嬉しさではなかった。
    むしろ申し蚳なさだった。
    こんなにメッセヌゞを送っおくれるのに、リアクションだけでは申し蚳ない。
    そんな気持ちが少しづ぀芜生えおいた。
    メッセヌゞをくれる和真のこずが少しだけ気になっおいた。
    けれど凛子のガヌドは固い。
    簡単に心を開く぀もりはなかった。
    高瀬和真のSNSを開けば、盞倉わらず城ばかりだった。
    石垣。
    倩守閣。
    歎史資料通。
    時々ラヌメン。
    時々海鮮䞌。
    そしお旅先の景色。
    凛子には、ごく普通の四十代の男性にしか芋えなかった。
    少なくずも凛子にはそう芋えおいた。
    この時はただ。
    圌が少しず぀自分の心の䞭ぞ入っおきおいるこずに、凛子自身が気づいおいなかったのである。

    䞉月の終わりだった。
    凛子は矜田空枯ぞ息子を迎えに行っおいた。
    息子のスヌツケヌスには黄色いキャラクタヌのキヌホルダヌが付いおいた。
    「それ取れるからやめなよ。」
    出発前、凛子はそう忠告した。
    けれど息子は聞かなかった。
    案の定だった。
    垰っおきたスヌツケヌスには、金具だけが寂しく残っおいた。
    凛子は思わずその写真をストヌリヌぞ投皿した。
    数分もしないうちだった。
    和真からメッセヌゞが届いた。
    『なくなっちゃいたしたか』
    『僕も旅行先で買ったゎヌダのキヌホルダヌがい぀の間にかいなくなりたし
    た。』
    おたけに自虐話たで添えられおいた。
    思わず凛子は笑っおしたった。
    そしおその時だった。
    ほんの少しの申し蚳なさず、
    ほんの少しの芪しみから、
    凛子は初めお圌に返信した。
    『取れちゃいたすよね。』
    たったそれだけ。
    たった䞀文。
    それが高瀬和真ぞ送った最初のメッセヌゞだった。
    けれど凛子にずっおは倧きな䞀歩だった。
    今たではリアクションだけ。
    絵文字だけ。
    SNSの投皿ぞコメントするこずはあっおも、個人的なメッセヌゞぞ返信す
    るこずはなかった。
    そこには芋えない境界線があった。
    凛子は誰にでも心を開く人ではない。
    たしお男性にはなおさらだった。
    だからこの時も恋愛感情が芜生えおいたわけではない。
    恋愛感情などたったくない。
    ただ少しだけ。
    本圓に少しだけ。
    長い間䞀方通行だった道に、小さな橋が架かった。
    それだけだった。
    季節はゆっくりず春ぞ向かっおいた。

    凛子の日垞は盞倉わらず忙しい。
    䌚瀟ぞ行き、瀟員ず話し、取匕先ぞ頭を䞋げる。
    芋積曞を曞き、月末になれば資金繰りに頭を悩たせる。
    友人ず食事をし、息子たちず連絡を取り合い、ずきには孫の写真に頬が緩む。
    そんな慌ただしい毎日の䞭で、高瀬和真からのメッセヌゞは倉わらず時々届いおいた。
    急かさない。
    答えを求めるこずもない。
    ただ、そこにある。
    たるで季節の䟿りのようだった。
    しかし和真は自分の過去をほずんど語らなかった。
    家族のこず。
    恋愛のこず。
    子䟛の頃のこず。
    なぜか凛子は、それを聞いおはいけないような気がしおいた。
    それ以䞊、お互いの距離を知事めるこずもなく、時間だけが静かに過ぎおいった。
    そしお季節は、春ぞず移っおいった。

    第四章 春の祈り

    四月の初め。
    凛子は東京駅から新幹線に乗り蟌み、新神戞駅ぞ降り立った。
    改札を抜けた瞬間、思わず足を止める。
    桜だった。
    駅前は、満開の桜に包たれおいた。
    タクシヌぞ乗り蟌み、淡路島ぞ向かう。
    窓の倖を流れる景色にも、あちらこちらに桜が芋える。
    山の斜面。
    川沿い。
    䜏宅街の片隅。
    そしお淡路島ぞ入る頃には、山々が桜色に染たり始めおいた。
    緑の䞭に浮かび䞊がる淡い桃色。
    たるで山そのものが春色の衣をたずっおいるようだった。
    凛子は窓の倖を芋ながら思わず埮笑んだ。
    たるで春が、埅っおいおくれたようだった。
    そんな気持ちになった。
    この旅の日皋を決めた時、桜のこずなど考えおいなかった。
    けれど目の前に広がる春は、たるでこの日を埅っおくれおいるよう
    だった。
    凛子は深く息を吞い蟌む。
    忙しい毎日が、少しだけ遠ざかる。
    春の空気はどこか優しく、新しい季節の始たりを感じさせた。

    淡路島ぞ到着した凛子は、たず䌊匉諟神宮ぞ向かった。
    囜生みの神を祀る、日本最叀の神瀟。
    境内ぞ䞀歩足を螏み入れた瞬間、空気が倉わった。
    背筋が自然ず䌞びる。
    奥ぞ進むず、䞀際倧きな二本の楠が目に入った。
    倫婊倧楠。
    九癟幎。
    雚の日も、颚の日も。
    二人は寄り添いながら立ち続けおきた。
    凛子は蚀葉もなく、その姿を芋぀めおいた。
    離婚を経隓した今でも、凛子は人ずのご瞁を諊めおいたわけではない。
    友人ずのご瞁。
    仕事ずのご瞁。
    そしお、もしあるのなら人生を豊かにしおくれるご瞁。
    凛子はそっず手を合わせた。
    「玠敵なご瞁がありたすように。」
    そう祈った自分が少しおかしかった。
    けれど䞍思議ず心は軜かった。

    䌊匉諟神宮を埌にするず、タクシヌは山道をゆっくりず登り始めた。
    窓の倖には満開の桜が続いおいる。
    山肌に咲く桜は東京で芋慣れた桜ずは少し衚情が違っお芋えた。
    自然の䞭に溶け蟌みながら、静かに春を告げおいる。
    しばらくするず運転手が蚀った。
    「あれですよ。」
    芖線の先に芋えたのは、山の䞭に静かに䜇む朚造の建物だった。
    犅坊靖寧ぜんがうせいねい。
    思っおいたよりもずっず矎しい。
    そしお䞍思議なほど呚囲の景色に溶け蟌んでいた。
    建物が自然を支配しおいるのではない。
    自然の䞭にそっず眮かれおいる。
    そんな印象だった。
    タクシヌを降りるず、鳥の声が迎えおくれた。
    颚が朚々を揺らしおいる。
    郜䌚では圓たり前だった車の音も、人の話し声も聞こえない。
    凛子は思わず倧きく息を吞い蟌んだ。
    胞いっぱいに枈んだ空気が満ちる。
    「気持ちいい。」
    自然ずそんな蚀葉がこがれる。
    ここから二泊䞉日の日垞が始たる。
    劻でもなく、
    母でもなく、
    経営者でもなく。
    ただ氎城凛子ずしお。
    そんな二泊䞉日が始たろうずしおいた。

    チェックむンを枈たせるず、凛子は案内された自宀ぞ荷物を眮いた。
    郚屋は驚くほどシンプルだった。
    䜙蚈なものは䜕もない。
    窓の倖には朚々の緑が広がり、聞こえおくるのは鳥の声ず颚の音だけだった。
    普段の凛子の生掻にはない静けさだった。
    荷物を眮くず、凛子は斜蚭内を歩き始めた。
    目の前には空䞭回廊が広がっおいた。
    思わず立ち止たった。
    長さ癟メヌトルの朚の回廊が、森の䞊をたっすぐ䌞びおいた。
    颚が吹き抜ける。
    鳥の声が聞こえる。
    ただそれだけなのに心が軜くなった。
    倕方、凛子は空䞭回廊ぞ続く長いデッキに腰を䞋ろした。
    どこたでも続く緑の朚々。
    頬を撫でる柔らかな颚。
    朚々の銙りが、深く息を吞うたび胞に染み蟌んでくる。
    鳥のさえずりだけが静かに響いおいる。
    䜕もしない。
    ただそこにいる。
    それだけの時間だった。
    郜䌚ではい぀も䜕かに远われおいる。
    仕事のこず。
    瀟員のこず。
    家族のこず。
    考えなければならないこずは山ほどある。
    けれどここではそのすべおを忘れおいられた。
    凛子はそっず目を閉じる。
    颚の音に耳を柄たせる。
    そしお自分で点おた抹茶をゆっくりず口ぞ運んだ。
    ほんのりずした苊味が舌の䞊に広がる。
    その味が䞍思議ず心地良かった。
    苊いのに優しい。
    たるで今たで歩いおきた人生のようだず凛子は思った。
    もう若くはない。
    倱敗もあった。
    埌悔もあった。
    それでも、こうしお今日を迎えられおいる。
    抹茶をひず口飲むたびに、心の奥に溜たっおいたものが少しず぀ほどけおいく気がした。
    少しだけ心が掗われるようだった。

    翌朝、四月九日。
    犅坊靖寧で迎える䞉日目の朝だった。
    カヌテンを開けるず、窓の倖には柄み切った青空が広がっおいた。
    今日もいい倩気だ。
    凛子は思わず埮笑む。
    二泊䞉日の滞圚も今日で終わる。
    名残惜しさを感じながら身支床を敎え、朝の瞑想ぞ向かった。
    空䞭回廊には朝の光が差し蟌み、朚々の緑が䞀局鮮やかに芋える。
    鳥のさえずり。
    頬を撫でる颚。
    誰かが話す声もない。
    ただ自然だけがそこにあった。
    凛子は静かに目を閉じた。
    呌吞を敎える。
    ゆっくり吞っおゆっくり吐く。
    呌吞を重ねるたび、心の波が少しづ぀静たっおいった。
    頭の䞭に浮かぶのは、仕事のこず。
    瀟員のこず。
    家族のこず。
    次々に珟れる思考を远いかけず、そのたた流しおいく。
    䞍思議だった。
    東京では五分ずじっずしおいられない。
    それなのに、ここでは時間そのものがゆっくり流れおいるようだった。
    瞑想を終える頃には心も身䜓も軜くなっおいた。
    食堂ぞ向かう。
    窓から差し蟌む柔らかな朝日。
    朚の銙りが挂う静かな空間。
    垭に着くず朝食が運ばれおきた。
    思わず息をのんだ。
    竹の皮や朚の噚に矎しく盛り付けられた料理たち。
    䞀皿䞀皿に、自然の呜がそのたた宿っおいるようだった。
    汁物は昆垃だしのけんちん汁をポタヌゞュ仕立おにしたもの。
    発酵豆腐も添えられおいる。
    そしお野菜の棒寿叞。
    淡路島の鮎原米に赀酢ず黒米甘酒を合わせたもので、芋た目も矎しい。
    もったいなくお食べられない。
    そう思うほど䞁寧に䜜られおいた。
    料理人は毎食、料理の説明をしおくれた。
    䜿われた食材のこず。
    料理に蟌めた想いのこず。
    その蚀葉に耳を傟けながら、凛子はゆっくりず箞を進めた。
    食埌には発酵ぜんざいが運ばれおきた。
    林檎の圢をした朚の噚に盛られたその䞀皿は、たるで小さな䜜品のようだった。
    ひず口運ぶず、やさしい甘さが静かに広がる。
    「玠材の甘さっおこんなに優しいんだね。」
    凛子は思わず埮笑んだ。
    この宿では小麊も砂糖も油も動物性の食材も䜿われおいないずいう。
    だからこそ、その玠朎な甘さが心に残った。
    二泊䞉日。
    身䜓に優しい食事をいただき続けた。
    気が぀けば胃も心も軜くなっおいた。
    たるで身䜓が本来の自分を思い出したようだった。
    忙しさの䞭で眮き去りにしおいたものを、この旅は少しず぀取り戻させおくれたのである。

    さあ、家に垰ろう。
    身も心もすっかり軜くなった凛子は犅坊靖寧を埌にした。
    玄関を出るず、䞉日間お䞖話になった皆さんが芋送っおくれおいた。
    深々ず頭を䞋げる人。
    笑顔で手を振る人。
    その枩かな芋送りに、凛子の胞はじんわりず熱くなった。
    「ありがずうございたした。」
    誰に聞こえるわけでもない。
    けれど自然ずその蚀葉がこがれおいた。
    タクシヌぞ乗り蟌み、車がゆっくりず走り出す。
    窓の倖では、皆がい぀たでも手を振っおくれおいた。
    姿が芋えなくなるたでヌヌ。

    しばらく走ったずころで、凛子は運転手に声をかけた。
    「本犏寺ぞ寄っおいただけたすか。」
    せっかく淡路島ぞ来たのだ。
    もう䞀か所だけ蚪れたい堎所があった。
    䞖界的建築家・安藀忠雄が蚭蚈したこずで知られる本犏寺氎埡堂だった。
    本堂ぞ続く道を歩いおいくず、突然目の前に倧きな氎面が珟れた。
    蓮の池だった。
    ただ花の季節ではない。
    静かな氎面が空を映しおいるだけだった。
    けれど凛子は思わず想像した。
    もしこの池いっぱいに蓮の花が咲いたら。
    どれほど矎しいのだろう。
    淡いピンクの花々が颚に揺れ、氎面を埋め尜くす。
    その光景はたるで極楜浄土のようではないか。
    凛子はしばらくその堎を離れられなかった。
    池の䞭倮には階段がある。
    たるで珟䞖から別の䞖界ぞ導かれおいくような䞍思議な造りだった。
    ゆっくりず階段を䞋りる。
    倖の光から静かな闇ぞ。
    そしおその先に本堂が珟れた。
    凛子は静かに座り、そっず手を合わせた。
    神瀟の凛ずした空気も、お寺の静けさも奜きだった。
    仏様の前に座るず、䞍思議ず心が萜ち着く。
    䜕も語らない。
    䜕も求めない。
    ただ、静かに芋守っおくれおいる。
    そんな優しさに包たれおいる気がした

    本犏寺を埌にした凛子は、再びタクシヌぞ乗り蟌んだ。
    窓の倖には淡路島の穏やかな颚景が広がっおいる。
    畑の向こうには山々が連なり、そのあちこちに満開の桜が咲いおいた。
    たるで春が島党䜓を包み蟌んでいるようだった。
    途䞭、サヌビス゚リアぞ立ち寄る。
    せっかく淡路島ぞ来たのだからず、名物の玉ねぎを買い蟌んだ。
    瀟員にも持っお垰ろう。
    息子たちにも分けおあげよう。
    そんなこずを思いながら、䞡手いっぱいの玉ねぎを抱えた。
    玉ねぎスヌプも忘れない。
    そういえば䌊匉諟神宮の門前のお店でも玉ねぎスヌプを買っおいた。
    パッケヌゞには䌊匉諟神宮の鳥居が描かれおいる。
    思わず手に取っおしたったお気に入りだった。
    旅先ぞ行くず、い぀も誰かの顔が浮かぶ。
    瀟員たちは喜ぶだろうか。
    息子たちは飲んでくれるだろうか。
    気づけば自分のためより、誰かぞのお土産の方が倚くなっおいる。
    それもたた凛子らしかった。
    サヌビス゚リアを出るず、タクシヌは新神戞駅ぞ向かう。
    二泊䞉日の旅は終わりに近づいおいた。
    䌊匉諟神宮。
    犅坊靖寧。
    本犏寺。
    淡路島で過ごした時間は、慌ただしい日垞の䞭で少しだけ立ち止たるこずの倧切さを教えおくれた気がした。
    窓の倖を眺めながら、凛子は静かに深呌吞をした。
    東京ぞ垰ろう。
    今床は少し軜くなった心のたたで。

    新神戞駅ぞ到着するず、凛子はたず売店ぞ向かった。
    目圓おは決たっおいる。
    赀犏だった。
    西ぞ来るず必ず買っお垰る。
    売り堎に䞊ぶ桃色の包装玙を芋぀けるず、思わず手を䌞ばした。
    そっず手に取る。
    ざらりずした和玙のような手觊り。
    初めお赀犏を買った時から、この感觊が奜きだった。
    もちろん赀犏そのものも奜きだった。
    艶やかで、どこか玫がかった小豆色のこし逡。
    柔らかな逅を優しく包み蟌み、䞊品な甘さが口いっぱいに広がる。
    ひず口頬匵る。
    しっずりずした逡が舌の䞊でゆっくりずほどけおいく。
    そしお気が぀けば溶けるように消えおなくなる。
    甘すぎない。
    けれど物足りなくもない。
    絶劙な味わいだった。
    もう䞀぀。
    もう䞀぀だけ。
    そう思わせる䞍思議な魅力がある。
    そしお凛子が毎回楜しみにしおいるのは、箱の䞭に入っおいる「䌊勢だより」だった。
    十幎以䞊前から集めおいる䞀筆箋のようなサむズのものただ䞉十枚ほどしか集たっおいないが、それも旅の楜しみの䞀぀になっおいた。
    赀犏を買い終えるず、今床は駅匁売り堎ぞ向かう。
    時刻はすでに午埌を回っおいた。
    そういえば昌食がただだった。
    神戞たで来たのだから神戞らしいものを食べたい。
    そう思い、神戞牛のステヌキ匁圓を手に取る。
    お茶も䞀緒に賌入した。
    ホヌムぞ䞊がるず東京行きののぞみが入線しおきた。
    凛子は荷物を抱えながら車内ぞ乗り蟌む。
    窓偎の垭ぞ腰を䞋ろすず、ようやく旅が終わる実感が湧いおきた。
    新幹線がゆっくりず動き出す。
    窓の倖には神戞の街䞊み。
    やがお景色は遠ざかり、春色の山々ぞず倉わっおいった。
    神戞牛のステヌキ匁圓の蓋を開ける。
    矎味しい。
    凛子は思わず埮笑んだ。
    二泊䞉日。
    短い旅だった。
    けれど心の䞭には、䌊匉諟神宮の倫婊倧楠も、犅坊靖寧の静寂も、本犏寺の蓮池も静かに残っおいた。
    東京ぞ近づくに぀れ、少しず぀珟実が戻っおくる。
    仕事。
    瀟員たち。
    家族。
    倉わらない毎日。
    それでも以前より少しだけ呌吞が深くなった気がした。
    倕方、東京駅ぞ到着する。
    人の波。
    行き亀う人々の足音。
    淡路島ずはたるで違う䞖界だった。
    凛子は倧きな荷物ず土産袋を抱えながら改札を抜ける。
    芋慣れた景色。
    芋慣れた電車。
    そしお芋慣れた日垞が凛子を埅っおいた。
    最寄り駅ぞ着く頃には空も薄暗くなっおいた。
    マンションぞ戻り、玄関のドアを開ける。
    誰もいない静かな郚屋。
    けれど䞍思議ず寂しくはなかった。
    「ただいた。」
    そう呟いお荷物を眮く。
    たた明日からい぀もの日垞が始たる。
    凛子は窓の倖に広がる倜景を眺めながら、静かに埮笑んだ。
    淡路島から戻り、季節はゆっくりず初倏ぞ向かっおいた。

    第五章 名前の向こう偎

    六月の埌半になるず、暑い日が続くようになった。
    高瀬和真からのメッセヌゞにも季節の話題が増えおいく。
    『暑いですね。』
    『氎分をしっかり摂っおくださいね。』
    『熱䞭症に気を付けおください。』
    そんな蚀葉が時々送られおきた。
    けれど凛子は特に返信をするわけでもなかった。
    スタンプを返すこずもある。
    読んで終わるこずもある。
    それだけだった。
    正盎なずころ、䜕ずも思っおいなかった。
    嫌な気もしない。
    かずいっお嬉しいわけでもない。
    高瀬和真から毎日のようにメッセヌゞは届く。
    それを読んで、たたに返す。
    ただ、その名前に特別な意味はなかった。
    優しい人なのかもしれない。
    けれど玠性はよく分からない。
    本圓にどんな人なのかも知らない。
    SNSではいくらでも自分を良く芋せられる。
    だから凛子は簡単には信甚しなかった。
    倉な人だったら嫌だし、
    面倒なこずに巻き蟌たれるのはもっず嫌だった。
    それに凛子は恋愛で倱敗しおきた自芚もある。
    だから慎重だった。
    和真からメッセヌゞが届いおも、
    来れば読む。
    届かなければそれたで。
    その皋床の存圚だった。
    少なくずも、この頃の凛子にずっお高瀬和真は、ただ名前の向こう偎にいる人だった。
    高瀬和真ずいう名前は、少しず぀凛子の蚘憶に残るようになっおいた。
    奜きだからではない。
    気になるからでもない。
    むしろ反察だった。
    申し蚳なさの方が倧きかった。
    自分はろくに返信もしない。
    スタンプひず぀で終わるこずもある。
    既読すら付けない日もある。
    かずいっお、期埅を持たせるようなこずはしたくなかった。
    それはそれで嫌だったのだ。
    それなのに和真は時々メッセヌゞを送っおくる。
    なぜなのだろう。
    凛子にはよく分からなかった。
    圌のどこを信頌しおいいずいうのだ。
    本圓に優しい人なのかもしれない。
    けれど、それだっお分からない。
    䌚ったこずもない。
    電話で話したこずもない。
    䜏所も知らない。
    䜕も知らない人だった。
    だから譊戒しおいた。
    SNSではいくらでも自分を䜜れる。
    良い人にもなれる。
    だから凛子は簡単には心を開かなかった。
    それでも䞍思議だった。
    SNSをやっおいるず、䌚ったこずもない男性からメッセヌゞが来るこずはある。
    食事に誘われるこずもある。
    けれど倧抵は数日で終わる。
    返信がなければ諊める。
    それが普通だった。
    高瀬和真は違った。
    急かさない。
    怒らない。
    芋返りも求めない。
    ただ時々思い出したように話しかけおくる。
    城の話。
    仕事の話。
    倩気の話。
    そしお凛子の投皿ぞの感想。
    たるでそこに凛子がいるこずを前提にしおいるようだった。
    䜕なんだろう、この人は。
    そう思うこずが、少しづ぀増えおいった。
    けれど答えは出なかった。
    だから深く考えるのをやめた。
    ただ䞀぀分かっおいたこずがある。
    高瀬和真ずいう名前は、気づけば凛子の日垞の䞭に居座り始めおいたのである。

    第六章 甲子園からのメッセヌゞ

    八月に入った頃だった。
    朝六時十二分。
    高瀬和真からメッセヌゞが届いた。
    その頃の凛子は、い぀ものように朝早く䌚瀟ぞ来おいた。
    工堎のシャッタヌを開ける。
    事務所ぞ入り、コヌヒヌを淹れる。
    そしお前日の曞類を敎理しながら䞀日の段取りを考えおいた。
    スマヌトフォンが鳎る。
    和真からだった。
    『昚日、甲子園で僕テレビに映ったんですよ。』
    思わず笑っおしたう。
    自慢しおいるようで、どこか照れ隠しにも芋える。
    和真らしい。
    添付された写真を芋る。
    甲子園のスタンドだった。
    そういえば最近のメッセヌゞにも甲子園の話題が増えおいた。
    よく読み返しおみるず、どうやら生埒たちを匕率しおいるらしい。
    凛子は初めお疑問に思った。
    この人は䜕の仕事をしおいるのだろう。
    そこで思い切っお尋ねおみた。
    『先生なんですか』
    するずすぐに返事が来た。
    『はい。日本史を教えおいる高校教垫です。』
    凛子は思わずスマヌトフォンを芋぀めた。
    教垫だったのか。
    その蚀葉を読んだ瞬間、胞の奥の緊匵が少しだけほどけた。
    長い間匵っおいた心の結界が、ほんの少しだけほどけた気がしたのである。
    もちろん教垫だから信甚できるずいうわけではない。
    けれど凛子にずっおは倧きかった。
    䜕者なのか分からない人ではなくなったからだ。
    日本史が奜きで。
    高校で教壇に立ち。
    甲子園ぞ生埒を匕率する。歳。
    そんな䞀人の人間ずしお和真の姿が芋えた。
    それたでの和真は、スマヌトフォンの向こう偎にいる名前だけの存圚だった。
    けれどこの日初めお茪郭を持った。
    凛子は少しだけ安心した。
    ようやく、その人の日垞が芋え始めた気がした。
    もちろん、その時の凛子は知らない。和真の方はもっず昔から凛子のこずを知っおいたこずを。
    凛子はスマヌトフォンを芋぀めたたた、小さく息を吐いた。
    和真ずいう人がちょっずだけ近くなった気がした。
    その事実は思っおいた以䞊に倧きかった。
    そしお同時に、自分の態床を少し反省した。
    和真はずっず倉わらなかった。
    返信がなくおも。
    既読が付かなくおも。
    芋返りを求めるこずもなく、ただ時々話しかけおきた。
    それなのに自分は疑っおばかりいた。
    倉な人だったらどうしよう。
    䜕が目的なんだろう。
    そんなこずばかり考えおいた。
    もちろん譊戒心がなくなったわけではない。
    けれど、今たでのやり取りを思い返すず、䞍思議ず嘘を぀く人には思えなかった。
    そういえば䞀床だけ、申し蚳なさが募っおメッセヌゞを送ったこずがある。
    『元気をもらっおいたす。』
    たったそれだけだった。
    盞手の名前は曞かなかった。
    和真さんず呌ぶほど芪しいわけではない。
    かずいっお高瀬さんず曞くのも、どこか距離が近づいおしたう気がした。
    だから感謝だけを䌝えた。
    それが凛子にできる粟䞀杯だった。
    もしかするず、その頃にはもう、メッセヌゞが届くこずを圓たり前に感じ始めおいたのかもしれない。

    その倜。
    仕事を終えた凛子はマンションのベランダぞ出た。
    倏の倜颚が心地いい。
    遠くに芋える街の灯りが静かに瞬いおいる。
    ゞェラヌドピケのルヌムり゚アで
    冷蔵庫から取り出した炭酞氎を開けた。
    プシュッずいう音が倜の空気に溶ける。
    キンキンに冷えた炭酞氎をひず口飲む。
    喉を心地よい刺激が駆け抜けた。
    凛子は手すりにもたれながら倜空を芋䞊げる。
    そしおふず思った。
    高瀬和真。
    日本史を教える高校教垫。
    甲子園ぞ生埒を匕率する先生。
    今頃䜕をしおいるのだろう。
    そう考えおいる自分に気付き、凛子は少しだけ笑った。
    倏の倜颚が静かに吹き抜けおいった。

    それから䞉日ほど経った頃だった。
    ふず気付いたのである。
    高瀬和真が頭の䞭にいるこずに。
    仕事をしおいおも。
    車を運転しおいおも。
    ふずした瞬間に思い出す。
    日本史の教垫。
    甲子園ぞ生埒を匕率する先生。
    今頃䜕をしおいるのだろう。
    そんなこずを考えおいる自分がいた。
    もちろん、それを恋だずは思わなかった。
    思いたくもなかった。
    けれど確かに、今たでずは䜕かが違っおいた。
    そしお季節は倏から秋ぞ移っおいく。
    十月に入ったある日。
    和真から䞀通のメッセヌゞが届いた。

    第䞃章 䌚えない玄束

     た。
    画面の向こう偎にいる圌ず、本圓に䌚うのだろうか。
    凛子は返信を打った。
    『残念です。その日は沖瞄で党囜倧䌚なんです。』
    するず和真から、
    『そうでしたか。たた東京ぞ泊たりで来る機䌚があれば飲みに行けたらいいですね。』
    ず返っおきた。
    その文章を芋ながら、凛子はしばらくスマヌトフォンを眺めおいた。
    飲みに行く。
    そんな日が本圓に来るのだろうか。
    来ないかもしれない。
    このたた䌚うこずなく終わるかもしれない。
    それでも䞍思議ず寂しさはなかった。
    むしろ䌚えなかったこずが、少しだけ心に残った。
    もし䌚えおいたら、どんな人だったのだろう。
    日本史を教える高校教垫。
    甲子園ぞ生埒を匕率する先生。
    そんな和真の姿を、凛子はがんやりず思い浮かべおいた。

    沖瞄での倩気は最高だった。
    十月ずは思えないほどの日差しが降り泚いでいる。
    朮の銙りを乗せた颚が、肌を優しくなでおいく。
    女性経営者の党囜倧䌚ずあっお、䌚堎ずなった空枯近くの倧型ホテルには党囜から集たった女性経営者たちで溢れおいた。
    スヌツ姿の女性たちが行き亀い、ロビヌは熱気に包たれおいる。
    前日入りしおいた凛子は、リハヌサルを終えるずホテルを出お囜際通りぞ向かった。
    通りには土産物店が䞊び、芳光客で賑わっおいる。
    囜際通りのお土産店はどこも賑わっおいた。
    店先には色鮮やかなシヌサヌ。
    倩井からは琉球ガラスの颚鈎。
    玅いもタルト。
    ちんすこう。
    黒糖。
    沖瞄限定のお菓子や雑貚が所狭しず䞊び、芋おいるだけでも楜しい。
    䞉線の音がどこからずもなく聞こえおくる。
    店員たちの陜気な呌び蟌み。
    芳光客たちの笑い声。
    甘い黒糖の銙りず泡盛の銙りが混ざり合い、囜際通りらしい空気を䜜り出しおいた。
    凛子は䞀軒䞀軒店を芗きながら歩いた。
    沖瞄の時間だけは、い぀もよりゆっくり流れおいる気がした。
    瀟員には䜕を買っお垰ろうか。
    息子たちは喜ぶだろうか。
    そんなこずを考えながら商品を手に取る。
    どの店も同じように芋えるのに、それぞれ少しず぀違う。
    急ぐ必芁のない時間。
    ただ眺めお歩くだけでも楜しかった。
    倕暮れの囜際通りは、旅人の心を自然ず緩めおくれる堎所だった。

    少し歩くず、䞀軒の店に目が留たった。
    地䞋ぞ続く階段を䞋りる。
    そこには倧小さたざたな陶噚の壺が䞊んでいた。
    泡盛の店だった。
    薄暗い店内には熟成された叀酒の銙りが挂っおいる。
    壺の䞭にはそれぞれ異なる泡盛が眠っおいた。
    凛子は懐かしい気持ちになった。
    以前沖瞄ぞ来た時に飲んだ残波が矎味しかったのである。
    すっきりずしおいるのに銙りが良い。
    飲みやすいのに物足りなくない。
    その味が忘れられなかった。
    今回も迷わず残波を遞んだ。
    四リットルほど入る小ぶりな壺の叀酒だった。
    店員によるず炭酞で割るずフルヌティヌで飲みやすいらしい。
    凛子は思わず笑った。
    結局、自分はロックで飲むのだろう。
    家ぞ垰ったらゆっくり味わおう。
    そう思いながら賌入した。
    さらに嬉しいこずがあった。
    今幎の高校野球で沖瞄県代衚が優勝したお祝いずしお、期間限定で送料が無料になっおいたのである。
    本来なら重たい泡盛の配送にはそれなりの送料がかかる。
    思わぬサヌビスに凛子は埗をした気分になった。
    もっずも、届くのは少し先だ。
    泡盛は船䟿で運ばれるため、本州ぞ届くたでには時間がかかる。
    けれど、それも悪くない。
    忘れた頃に届く沖瞄からの莈り物。
    そんな埅ち方も悪くない。
    この時の凛子は、数日埌に届く䞀通のメッセヌゞが、この旅の思い出さえ静かに塗り替えおいくこずを、ただ知らなかった。
    店を出るず、沖瞄の倕暮れが街をオレンゞ色に染めおいた。

    レストランのスタッフたちのもおなしも印象的だった。
    長身の男性スタッフが担圓者なのだろうか。
    金色のネヌムプレヌトには「金城」ず曞かれおいた。
    䜕ず読むのだろう。
    きんじょう
    かねしろ
    䞊叞らしき女性スタッフが
    「カナグスクさんお願いしたす。」
    ず声を掛けおいた。
    沖瞄らしい名前だなず凛子は思った。
    垭ぞの案内も実にスムヌズだった。
    さりげなく怅子を匕き、自然な笑顔で蚀葉を添える。
    料理が運ばれおくるたびに、䞀品䞀品䞁寧に説明しおくれる。
    どこの食材を䜿っおいるのか。
    どんな調理法なのか。
    質問をしおも嫌な顔ひず぀しない。
    そしお䜕より驚いたのは、その絶劙なタむミングだった。
    グラスの泡盛が少なくなれば、たるで芋蚈らったように声を掛けおくれる。
    料理を食べ終える頃には、絶劙な間合いで次の䞀皿が運ばれおくる。
    けれど決しお急かされおいる感じはしない。
    近すぎず、遠すぎず。
    必芁な時にだけ、そっず寄り添っおくれる。
    そんな心地よい距離感だった。
    これっお誰かの距離感に䌌おいるな。
    ふず、そんなこずを思う。
    そういえば和真もこんな感じだった。
    必芁以䞊に螏み蟌たない。
    けれど気付けばそこにいる。
    返信を求めるわけでもなく、抌し぀けるわけでもない。
    ただ自然に蚀葉を届けおくる。
    凛子は思わずクスッず笑った。
    党囜倧䌚を前に少し匵り詰めおいた気持ちも、い぀の間にかほどけおいく。
    もしかしたら䞀流のサヌビスずは、目立たないこずなのかもしれない。
    凛子はそう思いながら、ホテルオリゞナルの泡盛をゆっくりず口ぞ運んだ。
    透明な泡盛をひず口含む。
    喉を通ったあず、独特の銙りが錻ぞ抜ける。
    この䜙韻が奜きだった。
    もずくの倩ぷらの銙ばしさ。
    泡盛の䜙韻。
    吹き抜けの広い空間。
    心地よい音楜。
    沖瞄の倜は静かに曎けおいった。

    郚屋ぞ戻った凛子はベッドぞ腰を䞋ろした。
    スマヌトフォンを芋るず、メッセヌゞの通知が入っおいた。
    和真だった。
    気が付けば、和真からメッセヌゞが届くこずがすっかり日垞になっおいた。
    最初の頃は通知が鳎るたびに少し身構えおいた。
    䜕者かも分からない人だった。
    それなのに今では通知が届いおいおも䜕の違和感もない。
    その倉化に凛子自身はただ気付いおいなかった。
    メッセヌゞを開く。
    そこには今日の仕事が終わったこずや、出匵先で食べた海鮮䞌の話が曞かれおいた。
    どうやらSNSにも投皿したらしい。
    盞倉わらず文章は長い。
    そしお䞁寧だった。
    絵文字も倚い。
    その埌には凛子のストヌリヌを芋た感想も続いおいた。
    『今日の凛子さん、玠敵ですね。』
    少しテンションの高い文章だった。
    どうやら和真は凛子の顔が奜みらしい。
    以前から時々そんなこずを蚀っおくる。
    凛子は思わず笑った。
    そしお和真から質問が届く。
    『今日は䜕を食べたんですか』
    凛子は先ほどレストランで撮った料理の写真を送った。
    するずすぐに返信が来る。
    『矎味しそうじゃないですか。
    僕もそちらぞ行きたいです。』
    沖瞄ず北海道。
    今は遠く離れた堎所にいる二人だった。
    凛子は少しだけ悪戯心が湧いた。
    スマヌトフォンを手に取り、短い文章を打぀。
    『今からホテルで埅っおたす。』
    もちろん冗談だった。
    自分でも驚くほど軜い冗談だった。
    送信したあず、凛子はクスリず笑う。
    以前ならこんなこずは蚀わなかった。
    そんな自分の倉化に気付きながら、沖瞄の倜は静かに曎けおいった。

    翌朝。
    ホテルの遮光カヌテンの隙間から眩しい日差しが差し蟌んでいた。
    凛子はゆっくりず目を開ける。
    沖瞄の朝は今日も晎倩だった。
    枕元のスマヌトフォンを芋る。
    和真からメッセヌゞが届いおいた。
    盞倉わらず朝六時十二分だった。
    『おはようございたす。
    昚日は最終䟿で札幌ぞ到着したした。
    凛子さん、今日が本番なんですね。
    頑匵っおください。
    北海道は朝晩かなり寒くなっおきたした。
    䜓調を厩さないように気を付けおくださいね。
    私もこれから出勀です。
    行っおきたす。』
    凛子は思わず笑みをこがした。
    盞倉わらず長い文章だった。
    けれどその長さが少しだけ嬉しかった。
    今日も倉わらず気にかけおくれる人がいる。
    そう思うだけで、䞍思議ず肩の力が抜けた。
    スマヌトフォンを手に取り返信を打った。
    『おはようございたす。
    今日は党囜倧䌚の本番です。
    頑匵っおきたす。
    私もこれから朝食ぞ行っおきたす。』
    送信ボタンを抌す。
    それだけの返信だった。
    それでも、胞の䞭には小さな安心が灯っおいた。
    身支床を敎え、凛子はレストランぞ向かう。
    吹き抜けの広い空間には朝の柔らかな光が降り泚いでいた。
    垭ぞ案内されるず、焌きたおのトヌストが運ばれおくる。
    凛子ぱシレバタヌをたっぷりず塗った。
    ふわりず広がる銙りに、小さく笑みがこがれる。
    今日なら、きっずうたくいく。
    そんな気持ちで䞀口かじった。
    銙ばしい銙りずバタヌの豊かな颚味が口いっぱいに広がった。
    凛子は思わず頬を緩めた。
    やっぱり矎味しい。
    そういえば最近、䞞の内ぞクッキヌを買いに行けおいないな。
    ふずそんなこずを思った。
    コヌヒヌをひず口飲む。
    少し苊めだった。
    コナコヌヒヌだろうか。バニラの銙りがする。
    詳しいこずは分からない。
    けれど、銙りが今朝の気分によく合っおいた。
    今日は党囜倧䌚本番。
    凛子はゆっくりずコヌヒヌカップを眮いた。
    よし。
    頑匵ろう。
    そう小さく呟いた。

    党囜倧䌚は無事に幕を閉じた。
    懇芪䌚も終わり、倚くの経営者たちず名刺を亀換し、刺激を受けた数日間だった。
    沖瞄の青い空。
    囜際通りの賑わい。
    泡盛の銙り。
    それらは少しず぀思い出になり始めおいた。
    垰りの飛行機から芋えた雲海を最埌に、凛子は東京ぞ戻った。
    矜田空枯から電車を乗り継ぐ。
    芋慣れた景色が窓の倖を流れおいく。
    沖瞄の匷い日差しずは違う、少し萜ち着いた秋の空気だった。
    沖瞄は終わった。けれど和真ずのやり取りだけは、倉わらず日垞の䞭に残っおいた。
    小岩のマンションぞ垰り着くず、郚屋の静けさにホッずする。
    スヌツケヌスを開ける。
    土産物を仕分ける。
    瀟員甚のお菓子。
    息子たちぞの土産。
    そしお沖瞄から送った泡盛。
    ただ届いおはいない。
    きっず忘れた頃に、沖瞄からの莈り物はやっお来る。
    翌朝にはい぀も通り工堎ぞ向かった。
    シャッタヌを開ける。
    機械の音が聞こえる。
    瀟員たちの挚拶が飛び亀う。
    請求曞の確認。
    電話察応。
    取匕先ずの打ち合わせ。
    特別なこずは䜕もない。
    けれど、それが凛子の日垞だった。
    党囜倧䌚で拍手をもらっおも。
    沖瞄の海を芋おも。
    垰っおくるのはやっぱりここだった。
    経営者ずしお評䟡されおも。
    凛子にずっお倧切なのは、こうしお今日も䌚瀟が動いおいるこずだった。
    気が付けばスマヌトフォンが震える。
    和真からのメッセヌゞだった。
    沖瞄から垰っおも。
    東京の日垞ぞ戻っおも。
    和真だけは、倉わらずそこにいた。

    十䞀月も半ばに差しかかっおいた。
    盞倉わらず和真からのメッセヌゞは続いおいる。
    残業になったこず。
    昌食におにぎりを食べたこず。
    出匵先で芋぀けた颚景。
    時折、自撮りの写真たで送られおくる。
    凛子はその写真を芋ながら思う。
    正盎に蚀えば、最初は恋愛察象ずしお芋おいたわけではなかった。
    特別栌奜いいわけでもない。
    芞胜人のような華やかさもない。
    けれど䞍思議だった。
    どんな声なのだろう。
    どんな話し方をするのだろう。
    どんな䜓枩なのだろう。
    そんなこずを考えおいる自分がいた。
    気付けば二人は玄束をしおいた。
    来幎の連䌑にスカむツリヌぞ行こうず。
    ただずいぶん先の話だった。
    それでも、その玄束だけは本圓に叶うような気がしおいた。
    そしおその頃からだった。
    和真が少しず぀自分の気持ちを䌝えおくるようになった。
    気付けば二人の距離は確かに近づいおいた。
    もちろん匷匕ではない。
    和真らしく遠慮がちで、䞍噚甚で、それでも真っ盎ぐだった。
    ある日、凛子は詊すように蚀った。
    「私はあなたよりずいぶん幎䞊なのよ。」
    するず和真はすぐに返した。
    「党然気になりたせん。」
    あたりにも迷いのない返事だった。
    たたある日には、
    「凛子さんに䌚っお、ぎゅヌっおしたいです。」
    そんなこずたで蚀い出した。
    凛子は思わず吹き出した。
    䜕を蚀っおいるの、この人は。
    普通なら照れおしたうような蚀葉なのに、和真が蚀うず少しも嫌らしく聞こえない。
    だから凛子も自然ず笑っおしたうのだった。
    それは、蚀葉より先に人柄が䌝わっおいたからかもしれない。
    それが䞍思議だった。
    むしろ胞の奥が少しだけ枩かくなった。
    和真は䞍思議な人だった。
    奜きだずか、愛しおいるずか。
    そんな蚀葉はほずんど蚀わない。
    けれど毎日そこにいた。
    朝になればメッセヌゞが届く。
    仕事が終われば報告が届く。
    䜓調を厩せば心配しおくれる。
    旅ぞ出れば芋送っおくれる。
    そしお垰れば、おかえりず蚀っおくれる。
    たるで呌吞をするように自然だった。
    凛子は時々思う。
    どうしおここたでしおくれるのだろう。
    どうしおこんなにも倉わらないのだろう。
    䌚ったこずもないのに。
    ただ手を繋いだこずもないのに。
    それでも和真は求めおきた。
    匷匕ではなく。
    急かすこずもなく。
    ただ真っ盎ぐに。
    凛子は昔からよくモテた。
    経営者の集たりぞ行けば声を掛けられる。
    食事に誘われる。
    離婚したこずを知れば距離を瞮めようずする男性もいた。
    けれど、そういう男性たちず和真は違っおいた。
    螏み蟌んでこない。
    急がない。
    けれど諊めない。
    その距離感が心地良かった。
    凛子は迷っおいた。
    和真を奜きになっおいる自分。
    䌚っおもいないのに奜きになっおいいのかず問いかける自分。
    その二人が心の䞭で䜕床も行ったり来たりしおいた。
    そしお䌚う玄束の日が近づくたびに、自分ぞ問いかける。
    私は和真さんのこずを愛せるのだろうか。
    䌚った瞬間に違うず思うかもしれない。
    逆に、もっず奜きになるかもしれない。
    答えはただ分からない。
    けれど、その問いを繰り返しおいる時点で、もう答えは出おいたのかもしれなかった。
    気付けば、和真ず凛子は心の䞭で、誰にも代われない居堎所を䜜っおいた。
    特別な蚀葉はいらなかった。
    その圓たり前の毎日こそが、凛子にずっお䜕より倧切になっおいた。

    第八章 東京物語

    䞀月の連䌑に䌚う玄束をしおいた。
    スカむツリヌぞ行こう。
    そんな話を二人でしおいたのである。
    けれどある日、和真から長いメッセヌゞが届いた。
    孊校行事が入り、どうしおも䌑めなくなったずいう。
    䜕床も申し蚳ありたせんず曞かれおいた。
    凛子さんずの玄束だったのに。
    本圓にすみたせん。
    文字の向こうで、和真が頭を䞋げおいる姿が浮かぶようだった。
    凛子は読み終えるず小さく笑った。
    仕方ないな。
    凛子は、苊笑いを浮かべた。
    教垫ずいう仕事なら、きっずそういうものなのだろう。
    仕事なのだから、仕方がない。
    凛子は短く返信した。
    『気にしないで。』
    それだけだった。
    送信したあずも気持ちは倉わらない。
    怒りもない。
    寂しさもない。
    䌚える時に䌚えればいい。
    仕事が入れば仕方ないず、どこかで思っおいたから。
    ずころが数日埌だった。
    和真から再びメッセヌゞが届く。
    『十二月なら行けそうです。』
    凛子はスマヌトフォンを芋぀めた。
    思わず読み返す。
    本圓に来るのだろうか。
    胞が少しだけ高鳎った。
    どうやら幎末の䌑みを䜿っお東京ぞ来る぀もりらしい。
    『本圓に来るの』
    凛子は冗談亀じりに送った。
    するずすぐに返信が来る。
    『行きたす。』
    短い文章だった。
    けれど迷いは感じられなかった。
    その瞬間だった。
    その時になっお初めお、それが珟実になるのだず感じた。
    䌚う。
    本圓に䌚うのだ。
    䞀幎近くメッセヌゞを続けおきた盞手。
    毎日やり取りしおいるのに、䞀床も䌚ったこずはない。
    声も知らない。
    歩き方も知らない。
    本圓はどんな衚情で笑うのかも知らない。
    それなのに、和真はもう日垞の䞀郚になっおいた。
    今たで画面の向こう偎にいた人が珟実になる。
    凛子はスマヌトフォンを閉じた。
    窓の倖には東京の倜景が広がっおいる。
    䞍思議だった。
    胞の奥が静かに萜ち着かない。
    䜕がこんなに心を揺らしおいるのか、自分でもわからない。
    ただ䞀぀だけわかるこずがあった。
    䌚いたい。
    そう思っおいる自分がいた。
    その気持ちは、ただ胞の奥にしたっおおきたかった。
    そしおその気持ちを、和真には知られたくなかった。
    凛子はSNSに投皿した自分の写真を芋返しおみた。
    和真が蚀うほど良い写真などなかった。
    むしろ、どこに惚れたずいうのだろう。
    和真はい぀も綺麗だず蚀っおくれる。
    䌚っおもいないのに。
    写真を芋るたびに。
    だからこそ申し蚳なさが残った。
    和真が思い描いおいる女性ず違ったらどうしよう。
    実際に䌚っおがっかりされたらどうしよう。
    そんな䞍安ばかりが膚らんでいく。
    それに和真は、少なからず凛子ずの未来を思い描いおいる。
    そんなこずはメッセヌゞの端々から䌝わっおきた。
    女性ずしお。
    恋人ずしお。
    その気持ちも䌝わっおいた。
    けれど私はどうなのだろう。
    圌を受け入れられるのだろうか。
    私は圌を愛せるのだろうか。
    答えは、ただ出なかった。
    圌だけが、この恋に期埅しおいるのではないだろうか。
    そんなこずたで考えおしたう。
    気付けば垫走に入っおいた。
    そんなある日、コンサルタントの宮氞䜑月ず食事ぞ行くこずになった。
    堎所は赀坂の韓囜料理店だった。
    店に入るずテヌブルの䞊には倧きな壺が眮かれおいる。
    䞭を芋るずキムチが山盛りに入っおいた。
    しかも暪には倧きなはさみたで眮かれおいる。
    どうやら奜きなだけ取り分けお食べるらしい。
    凛子ははさみでキムチを食べやすい倧きさに切り、小皿ぞ移した。
    それだけでも十分な量だった。
    ずころが次々ず料理が運ばれおくる。
    ナムル。
    サラダ。
    チャプチェ。
    名前も分からない小鉢料理が次々ず䞊ぶ。
    頌んだ芚えがない。
    「これ泚文したしたっけ」
    思わず䜑月ぞ尋ねる。
    するず店員が笑いながら答えた。
    「党郚セットに入っおいたす。」
    凛子ず䜑月は顔を芋合わせお笑った。
    ただメむンのサムギョプサルすら来おいない。
    それなのにテヌブルはすでに料理で埋め尜くされおいた。
    女子二人では到底食べきれそうにない。
    煙を立おながら焌かれおいくお肉を芋぀めながら、凛子はふず思う。
    数週間埌には和真に䌚う。
    そう思うだけで、胞の奥が静かに波立った。
    凛子もさすがにお腹がいっぱいになっおいた。
    目の前にはただ料理が䞊んでいる。
    サムギョプサルも矎味しかった。
    チャプチェも矎味しかった。
    けれど、もう䞀口も入らない。
    凛子は運ばれおきたたたごスヌプをスプヌンでくるくるずかき回しおいた。
    無意識だった。
    黄色い卵がゆっくりず枊を描く。
    その様子を芋おいた䜑月が口を開いた。
    「䜕か悩み事でもあるの」
    凛子は䞀瞬だけ手を止めた。
    そしお苊笑いを浮かべる。
    「なんで」
    「だっおさっきからずっず䞊の空じゃない。」
    図星だった。
    凛子は小さくため息を぀いた。
    そしお堰を切ったように話し始めた。
    蚀葉は、䞀床こがれ始めるず止たらなかった。
    北海道に䜏む高校教垫のこず。
    毎朝六時十二分に届くメッセヌゞのこず。
    䞀幎近く続いおいるこず。
    䌚ったこずもないのに毎日やり取りしおいるこず。
    今月䌚う玄束をしおいるこず。
    そしお自分が戞惑っおいるこず。
    気付けばかなりの時間話しおいた。
    䜑月は途䞭で口を挟むこずもなく聞いおいる。
    話し終える頃にはたたごスヌプもすっかり冷めおいた。
    「で」
    䜑月がようやく口を開く。
    「䜕が䞍安なの」
    凛子は少し考えた。
    そしお正盎に答える。
    「䌚ったこずもない人を奜きになっおいいのかなっお。」
    「それず」
    「和真さんが思っおるような人じゃなかったら申し蚳ないなっお。」
    「それだけ」
    凛子は黙った。
    本圓はもう䞀぀あった。
    もし䌚っお奜きになっおしたったら。
    その方が怖かった。
    そのこずだけは口にできなかった。
    䜑月はそんな凛子を芋お笑った。
    「もう奜きなんじゃない」
    凛子は思わず顔を䞊げた。
    その蚀葉を聞きたくなかったのか。
    それずも誰かに蚀っおほしかったのか。
    自分でもよく分からなかった。
    ふず凛子は思った。
    男性は、こんな颚に怖くなるこずはないのだろうか。
    䌚ったこずもない盞手を、どうしおそこたで真っすぐ奜きになれるのだろう。
    どうしおそんなに真っ盎ぐに䌚いたいず蚀えるのだろう。
    凛子には分からなかった。
    和真は決しお匷匕ではない。
    返事を催促するこずもない。
    気持ちを抌し付けるこずもない。
    それなのに䞍思議だった。
    和真の愛情は、たるで高速道路の工事珟堎で芋る車線芏制の矢印に䌌おいた。
    「こちらぞどうぞ。」ただそれだけ。
    急がされるこずもない。
    抌し付けられるこずもない。
    それでも、気づけば私はその方向ぞ歩いおいた。
    誰かに導かれたずいうより、自分で遞んで歩いおいた。
    毎朝届くメッセヌゞ。
    䜕気ない気遣い。
    䜓調を心配する蚀葉。
    旅先からの写真。
    そしお䌚いたいずいう想い。
    䞀幎近く積み重なったその党おが、少しず぀凛子の心を動かしおいた。
    行かなければいけない。
    そんな気持ちになるのだ。
    いや、本圓は違う。
    䌚いに行きたいのだ。
    その本音を認めおしたえば、もうあず戻りできない。
    だから凛子は、ただ気付かないふりをしおいた。

    和真は、䞀幎近く、倉わらず凛子ぞメッセヌゞを送り続けおいた。
    最初の頃、凛子はほずんど返信をしおいなかった。
    それでも和真は倉わらなかった。
    朝になればメッセヌゞを送る。
    仕事が終われば報告を送る。
    旅ぞ出れば写真を送る。
    たるで返事など必芁ないかのように。
    そしお秋になっお、ようやく二人は毎日やり取りをするようになった。
    䌚ったこずはない。
    声も知らない。
    それなのに䞍思議だった。
    い぀の間にか、朝は和真のメッセヌゞを探し、倜は返信を考えるのが圓たり前になっおいた。
    ただ二か月ほどしか経っおいないのに、もっず長い時間を共有しおきたような気がしおいた。いや、和真自身は幎近く続いおいるが。
    今たで画面の向こう偎にいた人が珟実になる。
    凛子はベッドぞ暪になりながら倩井を芋䞊げた。
    嬉しいのか。
    䞍安なのか。
    緊匵しおいるのか。
    自分でもよく分からない。
    ただ䞀぀だけ分かるこずがあった。
    和真ずいう人が、自分にずっおどんな存圚なのか。
    その答えは、もうすぐそこにあった。

    そしお迎えた、玄束の日。
    凛子はい぀もより早く目が芚めた。
    目芚たし時蚈が鳎る前だった。
    カヌテンを開ける。
    冬の柔らかな日差しが郚屋ぞ差し蟌んだ。
    空はよく晎れおいる。
    今日は和真ず䌚う日だった。
    顔を掗いながら鏡を芋る。
    い぀もず倉わらない自分が映っおいた。
    䜕床芋おも特別綺麗なわけではない。
    和真は凛子のどこを奜きになったのだろう。
    そんなこずを思いながら軜く化粧をする。
    服も䜕床か着替えた。
    掟手すぎおも嫌だ。
    頑匵りすぎおいるず思われるのも嫌だ。
    結局、い぀もの自分に近い服装を遞んだ。
    グレヌのトレヌナヌに、癜いワむドパンツだ。
    歩きやすい癜のスニヌカヌを遞んだ。
    凛子らしいね。
    そう蚀われそうな服だった。
    家を出るず、冬の冷たい空気が頬に觊れた。その冷たさで、ようやく自分が緊匵しおいるこずに気づいた。
    総歊線ぞ乗り蟌む。
    芋慣れた車窓が流れおいく。
    新小岩。
    錊糞町。
    そしお東京駅。
    䜕床も利甚しおいる駅なのに今日は景色が違っお芋えた。
    䞞の内䞭倮改札ぞ向かう。
    人の波を避けながら歩く。
    スマヌトフォンを芋る。
    十時二十分。
    少し早く着いおしたった。
    埅ち合わせ堎所の柱にもたれながら呚囲を芋枡す。
    旅行客。
    ビゞネスマン。
    家族連れ。
    誰もが足早に行き亀っおいる。
    スヌツ姿の男性が芖界に入るたび、思わず目で远っおしたう。
    その䞭に和真がいるのだろうか。
    凛子の胞は少しず぀高鳎っおいく。
    十時二十䞃分。
    玄束の時間たであず䞉分。
    スマヌトフォンが震えた。
    『今着きたした。』
    和真からだった。
    凛子は顔を䞊げた。
    その瞬間だった。
    人混みの向こうから、芋芚えのある顔がこちらぞ向かっお歩いおきたのは、
    写真で䜕床も芋た顔だった。
    長身ですらりずしおいる。
    少し息を切らしながら歩いおくる姿は、どこか慌おおいるようにも芋えた。
    和真だ。
    凛子の前たで来るず、和真は少し照れたように笑った。
    少し照れたように笑ったあず、凛子に䞀歩近づき、耳元でそっず囁いた。
    「凛子さん、可愛いです。」
    あたりにも自然だった。
    和真が少しだけ芋぀める。
    「やっず䌚えた。」
    「え」
    驚いた凛子の顔を再び芋぀めお
    「ずっず䌚いたかったです。」
    ず真顔で蚀った。

    ちょっずしおから
    凛子は思わず笑っおしたう。
    照れもない。
    気負いもない。
    たるでずっず前から䌚っおいた人のようだった。
    その声を聞いた瞬間、凛子の緊匵は半分ほど消えおいた。
    優しくお穏やかな声。
    どこかで聞いたこずがあるような安心感。
    掟手な人ではない。
    けれど䞀緒にいお萜ち着く人だった。
    胞の䞭に匵り詰めおいたものが、静かにほどけおいった。
    凛子は心の䞭で呟く。
    たずは最初の関門を突砎した。
    二人はそのたたスカむツリヌぞ向かった。
    東京駅の地䞋深くにある総歊線ホヌムぞ向かう途䞭だった。
    和真が自然に凛子の手を取った。
    指を絡めるようにしお握る。
    あたりにも自然だった。
    たるで最初からそうするこずが決たっおいたかのように。
    凛子は驚きながらも手を離さなかった。
    背の高い和真を芋䞊げる。
    その暪顔は思っおいたよりずっず優しかった。
    電車ぞ乗り蟌むず、和真は背負っおいたリュックをすっず前ぞ抱え盎した。
    呚囲の人ぞぶ぀からないように。
    凛子ぞ圓たらないように。
    そんな小さな気遣いが自然にできる人だった。
    凛子は思わず笑う。
    ちょっず惚れ盎したかもしれない。
    顔は奜みずは少し違う。
    それでも、䞍思議なくらい惹かれおいた。

    スカむツリヌぞ到着するず、二人は展望台ぞ向かった。
    チケットを賌入し、倩望回廊たで䞊がるこずにする。
    平日にもかかわらず、倖囜人芳光客で賑わっおいた。
    ロヌプで区切られた順路をゆっくりず進む。
    四基ある゚レベヌタヌは、それぞれ春倏秋冬を衚珟しおいるらしい。
    二人が案内されたのは倏の゚レベヌタヌだった。
    壁には矎しい江戞切子の装食が茝いおいる。
    扉が閉たる。
    静かに䞊昇が始たる。わずか秒ほどだ。
    その間も二人の手はしっかりず繋がれたたただった。

    凛子はふず思う。
    䌚う前は、あれほど悩んでいたのに。
    生理的に受け入れられなかったらどうしよう。
    奜きになれなかったらどうしよう。
    そんな䞍安は、い぀の間にかどこかぞ消えおいた。
    和真の手は枩かかった。
    ゚レベヌタヌの扉が開く。
    目の前には東京の街䞊みが広がっおいた。
    冬の柄んだ空気のおかげだろうか。
    遠くたでよく芋える。
    高局ビル矀。
    緩やかに流れる隅田川。
    小さく走る電車。
    人も車もたるで暡型のようだった。
    「すごいですね。」
    和真が嬉しそうに蚀う。
    凛子も頷いた。
    けれど本圓は景色よりも気になっおいるこずがあった。
    隣にいる和真の存圚だった。
    䌚う前は、あれほど悩んでいたのに。
    初めお䌚ったずは思えない。
    その穏やかな空気が、凛子の心を少しず぀ほどいおいた。
    だからこそ怖い。
    もし今日、和真の枩もりを知っおしたったら。
    きっず今たでの関係には戻れない。
    ただのSNSの友達だった頃には。
    和真は景色を芋ながら䜕か楜しそうに話しおいる。
    その暪顔を芋぀めながら、凛子は思った。
    私は思っおいたよりずっず、この人を奜きになっおいるのかもしれない。

    スカむツリヌを満喫した二人は、近くのレストランで昌食を取るこずにした。
    凛子はチキンずバゞルのオヌプンサンド。
    和真はシヌフヌドサンドだった。
    サヌモンのタルタルがたっぷりず挟たれおいる。
    オヌプンサンドは思った以䞊に高さがあった。
    凛子は食べようずするたびに具材を萜ずしそうになる。
    レタスがはみ出る。
    トマトがずれる。
    思うように食べられない。
    「難しいですね。」
    そう蚀うず、和真は声を出しお笑った。
    「凛子さんらしいです。」
    䜕がらしいのか分からない。
    けれど和真はずっず楜しそうだった。
    二人はたわいもない話をした。
    仕事の話。
    家族の話。
    最近芋たテレビの話。
    䌚う前から知っおいるこずばかりのはずなのに、話は尜きなかった。
    食事を終える頃には緊匵もすっかり消えおいた。
    和真がコヌヒヌカップを眮く。
    そしお䜕でもないこずのように聞いおきた。
    「これからどうしたしょうか。」
    凛子が少し考えおいるず、和真は続けた。
    「凛子さん、少し䌑憩したせんか。」
    その蚀葉に凛子は顔を䞊げる。
    和真は真顔だった。
    照れおいる様子もない。
    ただ心からそう思っおいるのだろう。
    「どこかホテルないですか」
    そしお続けた。
    「僕、凛子さんず䞀緒に䌑みたいです。」
    凛子の胞が小さく鳎る。
    䞍思議だった。
    嫌ではない。
    むしろその蚀葉が自然に聞こえた。
    凛子は窓の倖を眺めた。
    そしおゆっくり答える。
    「じゃあ、錊糞町ぞ戻ろうか。」
    和真が少しだけ嬉しそうに笑った。
    二人はスカむツリヌを埌にする。
    半蔵門線で錊糞町ぞ戻る。
    駅を出るず、凛子は自然に海偎ぞ足を向けた。
    高速道路のむンタヌ近く。
    以前から䜕床も車で通ったこずがある堎所だった。
    倧きな看板が䞊び、その先にはホテル街が広がっおいる。
    平日の昌間ずいうこずもあり、人通りは少なかった。
    昔ながらのホテルは少なくなり、今はバリ颚やリゟヌト颚の建物が目立぀。
    その䞭の䞀軒から、心地よい音楜が流れおいた。
    二人は顔を芋合わせる。
    そしおどちらからずもなく歩き出した。
    たるで最初から決たっおいたかのように。
    二人はハワむアンの音楜が流れるホテルの入口ぞ、静かに吞い蟌たれおいった。

    フロントのタッチパネルで郚屋を遞び、案内された郚屋ぞ向かった。
    写真で芋るよりも広く、ずっず玠敵な郚屋だった。
    ずころどころにデンファレの花が食られおいる。
    南囜のリゟヌトホテルのような空間だった。
    和真は郚屋をひず通り芋回すず、そっず凛子を抱きしめた。
    冬の冷えた身䜓が、その腕の䞭でゆっくりず枩たっおいく。
    䞍思議だった。
    初めお䌚ったはずなのに、どこか懐かしい枩もりだった。
    「お颚呂入ろうか。」
    凛子がそう蚀うず、和真は济宀ぞ向かい、お湯を匵り始めた。
    その間、二人は掗面台で歯を磚いた。
    アメニティを眺めたり、郚屋の蚭備を確認したり。
    萜ち着こうずしおいるのに、心は萜ち着かない。
    鏡に映る自分ぞ小さく笑った。
    お湯が溜たる音だけが静かに響いおいる。
    やがお二人は顔を芋合わせた。
    蚀葉はほずんどなかった。
    必芁なかったのかもしれない。
    䞀幎近く積み重ねおきた時間があった。
    䌚えなかった日々。
    毎朝のメッセヌゞ。
    亀わした蚀葉たち。
    その党おが二人の間に流れおいた。
    凛子はふず思う。
    䌚う前は、あれほど䞍安だったのに。
    今は䞍思議なくらい安心しおいる。
    和真もたた䜕も蚀わない。
    ただ優しい県差しで凛子を芋぀めおいた。
    窓の倖では冬の東京が広がっおいる。
    けれど二人のいる郚屋だけは、別の時間が流れおいるようだった。
    凛子は静かに目を閉じる。
    そしお、自分がようやく和真を信じ始めおいるこずに気付いた。
    やがお二人は顔を芋合わせた。
    蚀葉はなかった。
    必芁なかったのかもしれない。
    和真がそっず凛子の頬ぞ手を添える。
    その手のひらは枩かかった。
    優しい県差しに、凛子は自然ず目を閉じた。
    唇が重なる。
    最初は觊れるだけだった。
    確かめるように。
    愛おしむように。
    けれど次第に、その距離は近づいおいく。
    䞀幎近く画面越しに積み重ねおきた時間が、静かに溶け合っおいくようだった。
    和真の吐息が頬を撫でる。
    胞の奥が熱くなる。
    䜕床も口づけを亀わすたびに、䌚えなかった時間が埋たっおいくようだった。
    凛子は和真の胞元ぞそっず手を添えた。
    錓動が䌝わる。
    自分ず同じように少し速くなっおいる気がした。
    それが嬉しかった。
    和真は急がない。
    ただ倧切なものに觊れるように、凛子を抱き寄せる。
    その腕の䞭は驚くほど心地良かった。
    凛子は目を閉じる。
    もう倧䞈倫だ。
    そんな気持ちが胞の奥に広がっおいった。
    䌚う前に抱いおいた䞍安は、い぀の間にか消えおいた。
    今はただ、この枩もりを感じおいたい。

    バスタブの湯気の向こうで芋぀める和真の瞳は優しかった。
    凛子はふず思う。
    この人は本圓に私が奜きなんだな、ず。
    䞀幎近く届き続けたメッセヌゞ。
    䌚いたいずいう蚀葉。
    その党おが嘘ではなかったのだず、その時初めお実感した。
    济宀を出る頃には、二人の間にあった最埌の緊匵も消えおいた。
    和真は凛子の髪をタオルで優しく拭いおくれた。
    その仕草があたりにも自然で、凛子は思わず笑った。
    「䜕ですか」
    「なんでもない。」
    そう答えながらも胞の奥は枩かかった。
    ベッドぞ腰を䞋ろす。
    郚屋には静かな音楜だけが流れおいる。
    和真は凛子の隣ぞ座るず、そっず肩を抱き寄せた。
    凛子はその胞ぞ身を預ける。
    安心しおいた。
    驚くほど自然に。
    たるで長い旅を終えお垰っおきた堎所のように。
    和真は䜕も急がなかった。
    ただ凛子を抱きしめる。
    䜕床も髪を撫でる。
    頬ぞ口づける。
    その優しさが嬉しかった。
    䌚う前にあれほど怖かったのに。
    今は違う。
    凛子は静かに目を閉じた。
    そしお思う。
    私はずっずこの人に䌚いたかったのかもしれない。
    䞀幎近く続いた蚀葉のやり取り。
    䌚えなかった時間。
    積み重ねた想い。
    それらがようやく䞀぀の圢になろうずしおいた。
    窓の倖では冬の陜射しがゆっくりず傟いおいる。
    二人は互いの枩もりを確かめるように寄り添った。
    それは凛子にずっお、恋が静かに珟実ぞ倉わった瞬間だった。

    ホテルを出るず、冬の空気が二人を包んだ。
    数時間前ず同じ街䞊みなのに、どこか違っお芋える。
    錊糞町の駅ぞ向かいながら、二人は手を繋いで歩いた。
    䞍思議なくらい自然だった。
    もう、初めお䌚った二人ではなかった。
    総歊線快速で東京駅ぞ戻る。
    気付けば倕方になっおいた。
    「お腹空きたしたね。」
    和真が笑う。
    「そうだね。」
    二人は東京ラヌメンストリヌトぞ向かった。
    湯気の立぀ラヌメンを前にするず、さっきたでの甘い空気は日垞の枩床ぞず溶けおいった。
    和真は矎味しそうに麺をすすっおいる。
    凛子はその姿を芋お思わず笑った。
    「䜕ですか」
    「いや、普通だなず思っお。」
    「普通ですよ。」
    そう蚀っお和真も笑う。
    そのやり取りが嬉しかった。
    特別な時間を過ごしたあずでも、こうしお普通に笑い合える。
    それが凛子には心地良かった。
    ラヌメンを食べ終える頃には、垰りの飛行機の時間が近づいおいた。
    浜束町たで行くホヌムで凛子は和真を芋送った。
    和真は䜕床も手を振った。
    名残惜しいのは自分だけではないのだず思えた。
    「気を付けお垰っおください。」
    「うん。」
    短い返事しかできなかった。
    本圓はもっず䞀緒にいたかった。
    けれど蚀えなかった。
    和真は最埌にもう䞀床笑った。
    電車のドアが閉たるず
    凛子はその電車が芋えなくなるたで立っおいた。
    スマヌトフォンが震える。
    和真からだった。
    『今日は本圓に楜しかった。ありがずう。』
    電車に乗ったばかりなのに、もうメッセヌゞが届いおいる。
    凛子は思わず笑った。
    離れたはずなのに。
    たたい぀もの二人に戻っおいる。
    けれど䞀぀だけ違うこずがあった。
    和真はもう画面の向こうの人ではない。
    䌚いたいず思えば顔が浮かぶ。
    手の枩もりも思い出せる。
    凛子はスマヌトフォンを握りしめながら、冬の東京駅を埌にした。
    そしお二人は、それぞれの日垞ぞ戻っおいった。
    凛子は小岩のマンションぞ。
    和真は北海道ぞ。
    距離は倉わらない。千キロ以䞊離れおいる。
    それでも、もう遠いずは思わなかった。
    心なしか、凛子は機嫌が良かった。
    仕事でトラブルがあっおも腹が立たない。
    朝起きるのも苊ではない。
    工堎のシャッタヌを開けながら錻歌たで出そうになる。
    自分でも単玔だなず思った。
    それでも嬉しかったのだから仕方がない。
    盞倉わらず和真からのメッセヌゞは続いおいた。
    おはようございたす。
    今日は雪です。
    今から授業ぞ行っおきたす。
    お昌はおにぎりでした。
    垰りたす。
    そんな䜕気ない報告ばかりだった。
    けれど凛子にはそれが嬉しかった。
    今たでは想像するしかなかった。
    和真の声も。
    歩く姿も。
    笑った顔も。
    今は違う。
    メッセヌゞが届くたび、和真の顔が浮かぶ。
    あの優しい声が聞こえる。
    あの枩もりたで蘇る。
    背の高い姿たで思い出せる。
    そしお時々思い出す。
    東京駅で初めお䌚った瞬間を。
    耳元で囁かれた蚀葉を。
    「凛子さん、可愛いです。」
    思い出すたびに少し照れた。
    五十を過ぎおも、恋をすれば歳になる。
    幎䞋でも、奜きな人には守られたかった。
    奜きな人から求められる女性の喜びを再び思い出しおいた。
    そんな圓たり前のこずを、凛子は久しぶりに思い出しおいた。
    そしお気付く。
    䌚う前よりも。
    䌚った埌の方が。
    ずっず和真のこずを考えおいる自分がいるこずに。
    幎末幎始も盞倉わらずだった。
    和真からのメッセヌゞは途切れない。
    朝になればおはようございたす。
    倜になればおやすみなさい。
    仕事の話。
    授業の話。
    食べたものの話。
    そんな䜕気ないやり取りが続いおいた。
    次に䌚える日を思うだけで、凛子は自然ず笑顔になっおいた。

    第九章 冬の京郜

    倧晊日の倜。
    凛子は玅癜歌合戊を芋ながら和真ずメッセヌゞをしおいた。
    どの歌手が奜きだずか。
    今幎も終わるねずか。
    そんな他愛もない話ばかりだった。
    そしお玅癜が終わるず今床は「ゆく幎くる幎」が始たる。
    陀倜の鐘の音が流れる。
    テレビの向こうでは党囜の寺瀟が映し出されおいた。
    『あけたしおおめでずうございたす。』
    零時を少し過ぎた頃、和真からメッセヌゞが届く。
    凛子も笑いながら返信した。
    『おめでずうございたす。』
    新しい幎が始たった。毎幎圓たり前の様に集たっおいた幎越しは、今幎はかなわなかった。
    桃子も倏矎も颚邪を匕いおしたったからだ。
    オンラむンで話をした時、お互い若くないから気を付けないずねず倧笑いした。
    䌚えなくおも、顔を芋お笑いあえる。それだけで十分だった。
    正月には息子たちず神田明神ぞ初詣にも出かけた。
    商売繁盛である。
    境内は盞倉わらず倚くの参拝客で賑わっおいる。
    お正月の倉わらない颚景だった。
    けれど今幎は少し違った。
    ふずした瞬間に和真のこずを思い出しおしたう。
    今頃䜕をしおいるのだろう。
    北海道は雪だろうか。
    そんなこずを考えおいる自分がいた。
    そしおあっけなく幎は明けた。
    䞀月も半ばを過ぎた頃だった。
    和真からい぀ものメッセヌゞが届く。
    でも内容が違った。
    『凛子さん、二月に旅行ぞ行きたせんか。』
    凛子は思わずメッセヌゞを読み返した。
    旅行。
    しかも䞀泊。
    和真は続ける。
    『京郜ぞ行きたいです。』
    その瞬間、凛子は胞の奥がゆっくりず枩かくなっおいった。
    東京で䌚った時ずは少し違っおいた。
    今床はお泊りの旅になる。
    京郜。
    歎史奜きの和真が䜕床も話しおいた街。
    そしお凛子も奜きな街だった。
    スマヌトフォンを握りしめながら、凛子はしばらく返信できなかった。
    嬉しい。
    けれど少し怖い。
    たた䞀歩、二人の距離が近づいおいた。

    二人は䜕床もメッセヌゞを重ねながら旅の予定を決めおいった。
    「䞀日目は南犅寺に行きたいです。」
    「哲孊の道も歩きたいですね。」
    「東山にいい宿を芋぀けたんですよ。」
    そんなふうに京郜の予定を䞀぀ひず぀決めおいく時間さえ、二人にはかけがえのない幞せだった。

    和真は幎床末に向けお、䞀幎で䞀番忙しい時期だず蚀っおいた。
    だから、メッセヌゞの返信が少し遅くなっおも、「忙しいんだろうな。」ず凛子は自分に蚀い聞かせおいた。
    それでも、い぀の間にか和真から届くメッセヌゞを埅぀こずが、凛子の日垞になっおいた。
    その日の朝も、和真からメッセヌゞが届いた。
    「今日は職堎の仲間ず飲み䌚です。」
    凛子は「いっおらっしゃい。」ず返信した。
    倜になり、䜕気なくSNSを開くず、和真は同僚たちず楜しそうに笑っおいた。
    投皿にはたくさんのコメントが寄せられ、和真は䞀぀ひず぀䞁寧に返信しおいる。
    その様子を芋おいるうちに、胞の奥が、理由もなくざわ぀いた。
    以前なら、飲み䌚の日でも、
    「今垰りたす。」
    「ただいた。」
    そんな䜕気ないメッセヌゞを送っおくれおいた。
    その日は、それがなかった。
    終電で垰れるこずも分かっおいる。
    飲み䌚を楜しんでいるだけだずいうこずも分かっおいる。
    それでも、そういうこずではなかった。
    ただ䞀蚀。
    「ただいた。」
    その䞀蚀が欲しかった。
    䜕床もスマヌトフォンを開いおは閉じる。
    通知は増えない。
    SNSでは楜しそうにコメントを返しおいるのに、私には䜕も届かない。
    「どうしお私には  。」
    その蚀葉を飲み蟌みながら、凛子は䜕床も画面を芋぀めた。
    その時、凛子は気づいおしたった。
    和真の䞀蚀で笑い、和真の䞀蚀で泣くほど、自分の心が和真に預けられおしたっおいるこずに。
    和真は、決しお自分のタむプではなかった。
    幎䞋で、歎史奜きで、芋た目だっお決しお理想のタむプではなかった。
    それなのに、気づけば和真から届く䞀通のメッセヌゞで笑い、䞀通届かないだけで胞が苊しくなる。
    このたたでは、和真のいない人生を生きおいけなくなっおしたう。
    もっず冷静になれ。
    もっず自分をしっかり持ちなさい。
    凛子は心の䞭で、自分に蚀い聞かせた。
    それでも、スマヌトフォンを手攟すこずはできなかった。
    恋ずは、人を幞せにするだけではなかった。
    苊しくお、切なくお、䞍安で、胞が締め぀けられるこずもある。
    そんな気持ちを、凛子は久しぶりに思い出しおいた。
    その時だった。
    スマヌトフォンが震えた。
    心臓が倧きく脈打った。
    和真さん  。
    急いで画面を開く。
    しかし衚瀺されたのは、経営者の䌚のグルヌプメッセヌゞだった。
    仕事の連絡だった。
    い぀もならすぐに目を通す内容なのに、その日は䞀文字もたったく頭に入っおこなかった。
    画面を閉じる。
    その倜、凛子の心を苊しめおいたのは、やきもちだけではなかった。
    圌にずっお私は、本圓に特別な存圚なのだろうか。
    そんな小さな䞍安が、静かに心を占め始めた。
    以前なら、飲み䌚の日でも「今垰りたす。」「ただいた。」ず䜕気ないメッセヌゞを送っおくれおいた。沢山の写真も送っおくれた。
    その小さな気遣いがなくなったこずで、凛子は、自分が倧切にされなくなっおしたったのではないかず思った。
    それでも心は理屈では動いおくれなかった。
    もちろん、そんなはずはない。
    仕事が忙しいこずも分かっおいる。
    それでも、たった䞀通のメッセヌゞで心がこんなにも揺れおしたう。
    その時、凛子ははっずした。
    凛子は、自分でも気づかないうちに、圌に心を預けすぎおいたこずに気づいた。
    圌の䞀蚀で笑い、たった䞀蚀が届かないだけで胞が苊しくなっおいた。そんな自分に、凛子は戞惑っおいた。
    い぀の間にか、凛子の心は和真の蚀葉䞀぀で巊右されるようになっおいた。
    圌のいない人生を生きられなくなっおしたう。
    それだけは、いけない。
    「もっず冷静になれ、凛子」
    心の䞭で䜕床もそう蚀い聞かせた。
    それでも、スマヌトフォンから目を離すこずはできなかった。

    翌朝。
    い぀ものように、和真から「おはようございたす。」ずいうメッセヌゞが届いた。
    その䞀文を芋た瞬間、凛子は胞をなで䞋ろした。
    昚倜は眠れないほど心配しおいたのに、その䞀蚀を芋ただけで胞をなで䞋ろしおる自分がいた。
    それでも、心のどこかではただ少し拗ねおいる自分もいた。
    きっず和真も、昚倜の凛子のメッセヌゞがい぀もず違うこずに気づいおいたのだろう。
    「䜕かありたしたか」
    そんな䞀蚀が添えられおいた。
    凛子は少し迷った。
    い぀もの自分なら、「䜕でもないよ。」ず笑っおごたかしおいたかもしれない。
    でも、この人ずはちゃんず向き合いたかった。
    自分の気持ちをごたかしたたたでは、この人ずは本圓の信頌関係は築けないず思った。
    凛子は勇気を出しお、正盎な気持ちを䌝えた。
    昚倜、メッセヌゞが来なかったこず。
    SNSでは楜しそうに同僚ず飲んでいる投皿やコメントぞの返信を芋お、寂しくなっおしたったこず。
    その倜、凛子を苊しめおいたのは、嫉劬だけではなかった。
    「私は倧切に思われおいるのだろうか。」
    そんな䞍安も、胞の奥で膚らんでいた。
    送信ボタンを抌した瞬間、胞が少しだけ締め付けられた。
    こんなこずを蚀っお、重い女だず思われたらどうしよう。
    そんな䞍安もあった。
    しばらくしお届いた和真からの返信には、こう曞かれおいた。
    「ごめんなさい。
    そんなに寂しい思いをさせおいたなんお、気づいおいたせんでした。
    終電で垰れるから倧䞈倫、そんなふうに思っおいたした。
    でも、凛子さんが欲しかったのは『ただいた。』の䞀蚀だったんですね。
    ちゃんず話しおくれお、ありがずうございたす。
    これからは気を付けたす。」
    その蚀葉を読んだ瞬間、匵り詰めおいた糞が切れたように、凛子の目から静かに涙がこがれた。
    責めたかったわけじゃない。
    ただ、自分の気持ちを分かっおほしかっただけだった。
    その日から二人は、嬉しいこずだけではなく、䞍安や寂しさも玠盎に䌝え合えるようになった。
    それは、恋が少しず぀信頌ぞず倉わり始めた瞬間だった。

    京郜旅行の日が近づくに぀れ、和真の仕事はたすたす忙しくなっおいった。
    「幎床末は䞀幎で䞀番忙しいんです。」
    そう蚀っおいた通り、返信が遅くなる日も増えおいった。
    それでも、京郜旅行のために有絊䌑暇を取っおくれおいるこずは知っおいる。
    だから倧䞈倫。
    そう自分に蚀い聞かせる。
    けれど、䞍安はだけは静かに、胞の奥に残っおいた。
    「急に仕事が入っお行けなくなりたした。」
    そんなメッセヌゞが届くのではないか。
    䜕床もそんなこずを考えおしたう。
    和真は真面目な人だ。
    仕事を優先する人だずいうこずも分かっおいる。
    だからこそ、孊校で䜕かあれば、旅行より仕事を遞ぶだろう。
    そのこずが分かっおいるからこそ、京郜旅行の日が近づくほど胞は萜ち着かなかった。
    「私のこず、面倒だず思われおいないかな。」
    「本圓は旅行なんお負担だったんじゃないかな。」
    考えなくおもいいこずばかりが頭をよぎる。
    旅行前日になっおも、䞍安は消えなかった。
    和真の姿をこの目で芋るたでは、どこか信じ切れなかった。
    凛子の心は、䞍安ず期埅の間で静かに揺れ続けおいた。

    京郜駅䞭倮口。
    迎えた圓日の朝も、どこか珟実ではない倢の䞭にいるようだった。
    埅ち合わせの時間より少し早く着いた凛子は、人の流れを䜕床も芋぀めおいた。
    京郜ぞ向かう新幹線の䞭でも、凛子の胞のざわ぀きは収たらなかった。
    幎床末で仕事が忙しい和真。
    本圓に来おくれるのだろうか。
    急に孊校から連絡が入り、「行けなくなりたした。」ずいうメッセヌゞが届くのではないか。
    そんなこずばかり考えおいた。
    䜕か月も䌚っおいない。
    毎日メッセヌゞを亀わしおいおも、蚘憶の䞭の和真の顔は少しず぀がやけ始めおいた。
    その時だった。
    人混みの向こうに、䞀人の男性が倧きく手を振っおいる。
    歩き方。
    照れくさそうに笑う衚情。
    その姿を芋た瞬間、蚘憶の䞭にあった和真が、䞀気によみがえった。
    「あっ  和真さん。」
    思わず笑みがこがれる。
    和真はい぀もの優しい笑顔で凛子のもずぞ歩いおきた。
    その姿を芋た瞬間、
    「来おくれた  。」
    思わず挏れたその䞀蚀葉に、和真は少し䞍思議そうに笑った。
    「もちろんです。」
    その笑顔を芋た瞬間、それたで胞を締め付けいた䞍安は、音もなく溶けおいた。
    䞍安だったのは、自分だけだった。
    和真は、ずっくにこの玄束を信じお京郜ぞ来おいたのだから。
    「やっず䌚えたしたね。」
    優しく包み蟌むような和真の声を聞いた瞬間、凛子の胞を締め぀けおいた䞍安は、春の雪のように静かに溶けおいった。
    やっぱり来おくれた。
    その安心感に、思わず笑みがこがれる。
    和真がそっず手を差し出す。
    凛子はその手を握り返し、指をそっず絡めた。
    指先から䌝わるぬくもりが、「もう倧䞈倫だよ」ず語りかけおくれおいるようだった。
    二人は顔を芋合わせ、照れくさそうに笑う。
    䜕気ないその時間こそ、二人がずっず埅ち続けおいた幞せだった。
    南犅寺、氎路閣、
    冬の柄んだ空気の䞭、二人はゆっくりず哲孊の道を歩いた。
    萜葉を螏みしめる音だけが静かに響く。
    時折立ち止たっお景色を眺め、たわいもない話をしながら歩く時間は、遠く離れおいた䜕かを少しず぀埋めおくれるようだった。
    哲孊の道を歩き終えるず、二人は近くの小さな蕎麊屋ぞ入った。
    湯気の立぀蕎麊を前にするず、和真が嬉しそうに笑う。
    「やっぱり京郜のお蕎麊はいいですね。」
    凛子も埮笑みながら頷いた。
    「うん。䞀緒に食べるず、䞍思議ずもっず矎味しいね。」


    二人はそのたた哲孊の道を北ぞ歩き、倕暮れの銀閣寺ぞ向かった。
    気づけば空は茜色に染たり、旅通ぞ着くころには蟺りはすっかり暗くなっおいた。
    倕食は庭園を眺めるこずのできる萜ち着いた食事凊だった。
    柔らかな灯りに照らされた空間は静かで、倧人の時間が流れおいる。
    垭ぞ案内されるず、料理が䞀品ず぀䞁寧に運ばれおきた。
    京郜らしい色ずりどりの野菜たちが、小さな噚の䞭に矎しく盛り付けられおいた。
    䞀口運ぶたび、玠材の優しい甘みず料理人の心遣いが䌝わっおくる。
    「本圓においしいですね。」
    和真が嬉しそうに笑う。
    凛子も思わずうなずいた。
    特に甘鯛の酒盗挬けは絶品だった。
    䞊品な旚味が口いっぱいに広がる。
    「これは初めおのおいしさです。」
    和真は目を现め、穏やかに笑った。
    その笑顔を芋おいるだけで、凛子たで幞せな気持ちになった。
    胡麻豆腐も印象的だった。
    もっちりずした食感の䞭に胡麻の銙りがふわりず広がる。
    東京で食べる胡麻豆腐ずはたるで別物だった。
    そしお締めは䞹波産コシヒカリのご飯。
    艶やかに炊き䞊がった癜米は、それだけでも十分にご銳走だった。
    凛子は思わずおかわりをしたくなる。
    「凛子さん、本圓に矎味しそうに食べたすね。」
    向かいの和真が笑う。
    「だっお矎味しいんだもん。」
    そう答えるず、和真は嬉しそうに頷いた。
    奜きな人ず食べる食事は、それだけで矎味しい。
    凛子はふずそんなこずを思った。

    倕食を終えお郚屋ぞ戻るず、窓の倖には静かな京郜の倜が広がっおいた。
    庭園の灯りが氎面に映り蟌み、ゆらゆらず揺れおいる。
    昌間の賑やかさが嘘のようだった。
    凛子は窓蟺に立ち、しばらくその景色を眺めおいた。
    するず埌ろから和真がそっず肩を抱く。
    枩かかった。
    振り返るず、優しい瞳がそこにある。
    二人は自然に唇を重ねた。
    蚀葉はいらなかった。
    䌚えなかった時間。
    積み重ねおきたメッセヌゞ。
    東京で過ごした䞀日。
    京郜で歩いた道。
    そのすべおを確かめるように、二人は静かに寄り添った。
    和真の腕の䞭は䞍思議ず安心できた。
    恋に萜ちる時の激しい高揚感ずは少し違う。
    胞が苊しくなるような恋ではなく、心がほどけおいくような愛だった。
    凛子は思った。
    和真はドキドキよりも安心をくれる人なのだず。
    時折ふざけお和真の腕の䞭から逃げようずするず、和真は笑いながら䞡手で抱き寄せる。
    たるで倧切なものを逃がさないように。
    その優しさに凛子は䜕床も笑い、䜕床も幞せを感じた。
    京郜の倜は静かに曎けおいく。
    窓の倖では冬の颚が朚々を揺らしおいた。
    けれど二人のいる郚屋だけは枩かかった。
    和真ず過ごす時間は、䞍思議なくらい穏やかだった。
    䜕かを求められるわけでもない。
    無理に蚀葉を探す必芁もない。
    ただ隣にいるだけで、心がほどけおいく。
    凛子は、そっず目を閉じた。
    こんな枩もりを感じるのは、い぀以来だろう。
    その枩もりに觊れた瞬間だった。
    心の奥にしたい蟌んでいた蚘憶が、静かによみがえった。

    ――あれは、八幎前のこずだった。
    結婚生掻は、い぀からか静かに圢を倉えおいた。
    倫は穏やかで優しい人だった。
    生掻に困るこずはなかった。
    二人の息子にも恵たれた。
    誰が芋おも、幞せな家庭だった。
    凛子にずっお、倫婊が身䜓を重ねるこずは欲望ではなかった。
    「愛しおいる。」
    その気持ちを確かめ合う、倧切な時間だった。
    しかし倫は違った。
    自分から求めおくるこずはほずんどない。
    誘うのは、い぀も凛子だった。
    断られるたびに、自分ずいう女性が少しず぀吊定されおいくような気がした。
    曜日を決めお倫婊生掻を続けようずしたこずもあった。
    それでも䜕も倉わらなかった。
    心の距離は、埋たらなかった。
    ある日、倫は静かに蚀った。
    「公認はしない。でも黙認はする。」
    その蚀葉は、倫なりの優しさだったのかもしれない。
    けれど凛子には、自分が劻ではなく、䞀人の女性ずしおも必芁ずされおいないように聞こえた。
    そんな凛子の前に、䞀人の男性が珟れた。
    コピヌ機のリヌス䌚瀟を経営する織田だった。
    䌚瀟経営ずいう共通の悩みを語り合い、家庭で抱える孀独を打ち明け合ううちに、二人の距離は自然ず近づいおいった。
    二人だけの静かな時間を過ごしたあず、織田はベッドから静かに起き䞊がった。
    窓を少しだけ開ける。
    織田は煙草に火を぀けた。
    玫煙がゆっくりず倜の空気ぞ溶けおいった。
    「セックスだけじゃなくおもいいんだ。」
    織田は煙草を指にはさんだたた、振り返らずに蚀った。
    「今床は昌間に䌚おう。」
    「ご飯を食べお、街を歩いお  普通の恋人みたいに過ごしたい。」
    凛子は䜕も蚀えなかった。
    凛子の求めおいた愛は、それだった。
    その蚀葉は、胞の奥ぞ静かに染み蟌んでいった。
    抱きしめられた時、凛子は忘れおいた枩もりを思い出した。
    求められるこずが、こんなにも嬉しいものだず知った。
    ――それは和真ず出䌚う前のこずだった。

    けれど、その恋は未来ぞ続くものではなかった。
    劻がいる。
    子どもがいる。
    垰る堎所がある。
    玄束をしおも䌚えなくなる日がある。
    埅぀のは、い぀も凛子だった。
    私は誰かの䞀番にはなれない。
    その珟実が、少しず぀心を蝕んでいった。
    もう終わりにしよう。
    このたたでは、自分が壊れおしたう。
    そう思ったのは、自分自身だった。
    あの恋は、愛を教えおくれた恋ではなかった。
    愛を求めるこずの切なさ。
    誰かの幞せの䞊に自分の幞せは築けないずいう珟実。
    それを教えおくれた恋だった。
    だから、もう二床ず同じ恋はしない。
    そう心に誓った。

    凛子は和真の胞に頬を寄せた。
    和真の腕の䞭は、䞍思議なくらい安心できた。
    抱きしめられおいるだけで、心の奥に匵り぀めおいた糞が少しず぀ほどけおいった。
    こんなにも穏やかな時間があるのだろうか。
    凛子はそっず和真の胞に頬を寄せた。
    芏則正しく響く錓動を聞きながら、ゆっくりず目を閉じる。
    あの頃、自分が本圓に求めおいたものは䜕だったのだろう。
    求められるこずでも、刺激でもなかった。
    激しい恋ではなかった。
    誰かに求められるこずだけでもなかった。
    ただ、安心しお寄り添える堎所が欲しかった。
    そう思った時、䞍意に母の蚀葉を思い出した。

    ただ結婚する前のこず。
    母ず昔話をしおいた時のこずだった。
    「実はね、お父さん以倖にも私のこずを奜きだった人がいたのよ。」
    母は照れくさそうに笑っおいた。
    「でも、お父さんずは小さい頃からの付き合いだったし、その人は䜕も蚀えなかったみたい。」
    「青春の思い出よ。」
    そう蚀っお笑う母を芋お、凛子も䞀緒に笑った。
    その時は、それ以䞊深く考えるこずもなかった。
    きっず誰にでもある若い頃の思い出なのだろうず思っおいた。
    今になっお思う。
    「人ず人ずの瞁ずは、本圓に䞍思議なものだ。」
    凛子は和真の胞にそっず手を添えた。
    この枩もりが、ずっず続けばいい。
    そんな願いが、静かに胞の奥で芜生えおいた。
    窓の倖には、冬の京郜の倜が静かに広がっおいる。
    この時の凛子は、ただ知らなかった。
    母が昔、笑いながら話しおくれた思い出が、この出䌚いに぀ながっおいたこずを。

    翌朝。
    障子越しに差し蟌む柔らかな朝日で、凛子は目を芚たした。
    隣では和真が静かな寝息を立おおいる。
    穏やかな寝顔だった。
    毎日届く「おはよう」の向こうで、和真もこうしお眠り、朝を迎えおいたのだ。
    凛子はそっずベッドを抜け出した。
    郚屋付きの露倩颚呂ぞ向かう。
    朝の冷たい空気が心地良い。
    湯ぞ身䜓を沈めるず、思わずため息が挏れた。
    東山の空は薄い青色に染たり始めおいる。
    鳥の声が聞こえる。
    京郜の朝は静かだった。
    どれくらい湯に浞かっおいただろう。
    ふず振り返るず、和真が济衣姿でこちらを芋おいた。
    寝癖の぀いた髪のたた立っおいる。
    その姿が少し可笑しくお、凛子は笑った。
    「䜕ですか」
    「寝癖。」
    そう蚀うず和真も照れくさそうに笑う。
    和真も湯船ぞ入り、二人は䞊んで朝の湯を楜しんだ。
    朝の柔らかな光が湯気を照らす。
    その向こうには、冬の京郜の空。
    時間がゆっくりず流れおいた。
    旅の終わりが近づいおいるこずを知りながら、二人ずも䜕も蚀わなかった。
    ただ隣にいるこずが心地良かった。
    郚屋ぞ戻るず、和真は埌ろからそっず凛子を抱きしめた。
    枩かい腕だった。
    凛子はその腕に身䜓を預ける。
    蚀葉はいらなかった。
    静かな朝の光に包たれながら、二人はもう少しだけ、その枩もりを確かめ合った。
    穏やかな時間だった。
    朝食は湯豆腐や焌き魚、炊き立おのご飯が䞊ぶ和朝食だった。
    京郜らしい優しい味付けで、どれも矎味しい。
    和真はご飯をおかわりしおいた。
    「おいしいですね。」
    和真はそう蚀っお嬉しそうにご飯を頬匵った。
    凛子はそんな和真を芋おいるだけで幞せだった。

    第十章 明かされた真実

    すっかり身支床を敎え、チェックアりトを枈たせるず二人は二日目の京郜を楜しむこずにした。
    凛子はスヌツケヌスを自宅ぞ送っおしたったので、荷物は小さなリュックだけだった。
    身軜だった。
    旅慣れた凛子らしい遞択だった。
    和真はい぀ものビゞネスリュックを背負っおいた。
    北海道からそのたた来たのだからそれも圓然だった。
    ロビヌを出るず冬の京郜の空気が頬を撫でた。
    昚日よりも少しだけ寒い。
    和真は䜕も蚀わず凛子の手を取る。
    指を絡めるようにしお握るその手は盞倉わらず枩かかった。
    凛子も自然に握り返す。
    もう人目を気にするこずはなかった。
    京郜の街には同じように旅を楜しむ人たちが沢山いる。
    二人もその䞭の䞀組に過ぎない。
    そう思うず少し気が楜だった。
    「次は二条城ですね。」
    和真が嬉しそうに蚀う。
    歎史奜きの少幎のような顔だった。
    凛子は思わず笑う。
    「そんなに楜しみなの」
    「楜しみです。」
    即答だった。
    その玠盎さが可愛かった。

    二人は手を繋いだたた次の目的地ぞ向かった。
    旅はただ終わらない。
    けれど終わりが近づいおいるこずも、二人ずも少しだけ感じおいた。
    二条城ぞ到着するず、和真の目は少幎のように茝いた。
    たるで憧れの堎所ぞ来た子䟛のようだった。
    「ここが二の䞞埡殿です。」
    ガむドでもないのに説明が始たる。
    凛子は思わず笑った。
    和真はそんなこずには気付かず楜しそうに話を続ける。
    埳川家康のこず。
    倧政奉還のこず。
    鎬匵りの廊䞋の仕組み。
    和真の話は止たらなかった。
    凛子には半分も分からなかったが、和真が楜しそうなのでそれで良かった。
    二人は靎を脱いで二の䞞埡殿を芋孊した。
    磚き蟌たれた廊䞋。
    豪華な襖絵。
    䜕癟幎も前の空気がそのたた残っおいるようだった。
    「凛子さん。」
    和真が小声で呌ぶ。
    「ん」
    「ここで歎史が動いたんですよ。」
    目を茝かせながら話す和真を芋おいるだけで凛子たで嬉しくなった。
    凛子はそんな和真の暪顔を芋぀める。
    「人っお䌚うべき人には必ず䌚えるず思うんです。」
    凛子は和真の目を芋぀め、くすりず笑った。
    「ロマンチストなのね。」
    「そうかもしれたせん。」
    ず和真はいたずらっぜく笑った。
    お城の話をしおいる時の和真は少幎みたいだった。
    授業で生埒たちにもこんな顔を芋せるのだろうか。
    奜きなこずを話しおいる和真は本圓に楜しそうだった。
    凛子はそんな暪顔を芋ながら思う。
    この人は本圓に歎史が奜きなんだな、ず。
    そしお、その笑顔を芋るこずができただけでも京郜ぞ来お良かったず思えた。
    二条城を埌にするず、二人は錊垂堎ぞ向かった。
    垂堎ぞ入った瞬間、だしの銙りが挂っおくる。
    芳光客で賑わう通りを、二人は手を繋いだたた歩いた。
    たず目に入ったのは焌きたおのだし巻き卵だった。
    ふわふわず湯気が立ち䞊っおいる。
    「食べる」
    和真が聞く。
    「食べる。」
    凛子は即答した。
    優しい出汁の旚味が口いっぱいに広がる。
    次は湯葉。
    そしお揚げたおのコロッケ。
    気付けば二人ずも食べ歩きに倢䞭になっおいた。
    「昌ご飯いらないかもね。」
    凛子が笑う。
    「確かに。」
    和真も笑った。
    そんな䜕気ない時間こそ、二人にずっお宝物だった。
    特別な芳光地よりも。
    高玚な旅通よりも。
    こうしお䞊んで歩く時間の方が倧切なのかもしれない。
    凛子はそう思いながら、和真の隣を歩いおいた。

    そしお午埌。
    二人は京郜駅近くのカフェでゆっくりずコヌヒヌを飲んでいた。
    窓際の垭からは行き亀う人々が芋える。
    旅行客。
    孊生。
    倖囜人芳光客。
    誰もがそれぞれの時間を過ごしおいた。
    和真はバッグの䞭から、倧切そうに䞀冊の叀いアルバムを取り出した。
    「父の遺品です。」
    そう蚀っお、倧切そうに凛子ぞ差し出した。
    䞀枚の写真を開く。
    「これです。」
    凛子は写真を芋た瞬間、息をのんだ。
    若い頃の父ず母。
    その隣には芋芚えのない若い倫婊。
    そしお、八歳くらいの自分ず、䞀歳ほどの赀ちゃんが写っおいた。
    「  私。」
    「はい。そしお、この赀ちゃんが僕です。」
    凛子は写真を芋぀めたたた動けなかった。
    胞の奥にしたい蟌んでいた蚘憶が、少しず぀よみがえっおくる。
    北海道の広い牧堎。
    牛の鳎き声。
    父たちの笑い声。
    「そうだ  。」
    凛子は写真から目を話せないたた、小さく぀ぶやいた。
    「私、北海道ぞ行った。」
    そしお、もう䞀぀思い出した。
    「このアルバム  父の曞斎にもあった。
    父が倧切にしたっおいたのを芚えおいる。」
    凛子は写真を芋぀めたたた、小さく埮笑んだ。
    和真は静かにうなずいた。
    「父も同じでした。」
    「父から䜕床も『氎城粟機』ずいう䌚瀟の話を聞いおいたした。
    だから気になっお、氎城粟機を怜玢したんです。
    ホヌムペヌゞを芋たら、代衚者のお名前が『氎城凛子』になっおいたした。
    もしかしたら、あの写真の女の子かもしれないず思っお  。
    それでSNSでも探したした。
    だから最初に送った『人ずのご瞁っお、䞍思議ですね。』ずいう蚀葉は、本心だったんです。」
    「このアルバム  。」
    凛子は写真を芋぀めたたた、小さく埮笑んだ。
    父はずっず、この思い出を倧切にしたっおいたのだ。
    和真は驚いたように顔を䞊げる。
    「小さい頃、父の曞斎の本棚に倧切にしたっおあったんです。䜕床か私にも
    芋せおくれたした。」
    凛子は写真を芋぀めおいるうちに、遠い日の蚘憶が少しず぀よみがえっおきた。
    「そうだ  。
    父が話しおくれたこずがある。」
    凛子は懐かしそうに埮笑んだ。
    「氎城粟機が䞀番苊しかった頃、北海道にいる幌なじみが䜕床も東京たで来お助けおくれたっお。
    取匕先を玹介しおくれたり、䞀緒に頭を䞋げお回っおくれたり  。
    父は、『あい぀がいなかったら䌚瀟は続けられなかった』っお、䜕床も話しおた。
    だから、お瀌を蚀いに家族みんなで北海道ぞ行ったんだ。」
    和真は静かに頷いた。
    「父も同じ話をしおいたした。
    『芪友が困っおいたんだから助けるのは圓たり前だ』っお。
    父は、そのこずを誇らしそうに話したこずは䞀床もありたせんでした。
    でも、このアルバムだけは、ずっず倧切にしたっおあったんです。」
    しばらく沈黙が流れた。
    和真はアルバムを閉じる。
    「父の遺品を敎理しおいた時、この写真を芋぀けたした。
    あの日を思い出しお、もう䞀床あなたを探したんです。」
    和真は照れくさそうに笑った。
    「プロフィヌル写真を芋た瞬間、驚きたした。
    めちゃくちゃ矎人で  。
    正盎、僕のタむプそのたただったんです。」
    凛子は思わず吹き出した。
    「そんなこず思っおたの」
    「はい。」
    和真は少し恥ずかしそうに笑う。
    「父のこずも、アルバムのこずも、その瞬間に党郚吹き飛んでしたいたした。
    この人ず話しおみたい。
    もっず知りたい。
    ただ、それだけでした。
    だから、思い切っお友達申請を送ったんです。」
    凛子は写真ず和真の顔を亀互に芋぀めた。
    四十幎以䞊前に父芪同士が結んだ友情が、時を越えお二人を巡り合わせおくれた。
    そんな䞍思議なご瞁に、胞がじんわりず枩かくなった。
    二人はしばらく黙ったたた、コヌヒヌを口に運んだ。
    静かな時間が、ゆっくりず流れおいく。
    やがお和真は腕時蚈に目を萜ずし、小さく息を぀いた。
    「  そろそろ時間ですね。」
    その䞀蚀で、二人は珟実ぞ匕き戻された。
    もう少しだけこの時間が続けばいい。
    二人ずも、そう思っおいた。

    カフェを出た二人は、京郜駅ぞ向かっおゆっくり歩いた。
    倕暮れの京郜駅は、倚くの旅行客で賑わっおいる。
    スヌツケヌスを匕く人。
    家族連れ。
    倖囜人芳光客。
    そんな人混みの䞭でも、二人は自然ず手を぀ないで歩いおいた。
    楜しかった二日間も、もう終わる。
    どちらからずもなく口数が少なくなっおいた。
    京郜駅八条口の空枯リムゞンバス乗り堎が芋えおくる。
    北海道ぞ垰る和真は、ここから䌊䞹空枯ぞ向かう。
    凛子は東京行きの新幹線。
    ここで別々の道になる。
    和真が足を止めた。
    「凛子さん。」
    「うん」
    和真は少しだけ照れたように笑った。
    「もう䞀぀だけ、話しおおきたいこずがありたす。」
    和真はしばらく黙ったたた、行き亀う人波を芋぀めおいた。
    やがお小さく息を吞い、静かに話し始めた。
    「実は僕  二十八歳の時に婚玄者を亡くしおいたす。」
    和真は静かに芖線を萜ずした。
    「結婚匏たで、あず半幎でした。」
    少し間を眮いお、ゆっくりず続ける。
    「その日は、結婚匏の打ち合わせの日だったんです。
    い぀もなら僕が車で迎えに行っおいたんです。
    でも、その日に限っお、僕は『駅で埅ち合わせにしよう』っお蚀っおしたったんです。」
    和真は蚀葉を切り、小さく息を吐いた。
    「圌女は僕ずの埅ち合わせ堎所ぞ向かう途䞭、亀差点でトラックにはねられたした。」
    沈黙が流れる。
    「今でも考えるんです。
    もし、あの日、僕が迎えに行っおいたら  。
    い぀ものように車で迎えに行っおいたら  。
    圌女は今も生きおいたんじゃないかっお。」
    和真は苊しそうに埮笑んだ。
    「だから、もう誰かを奜きになる資栌なんおないず思っおいたした。
    たた倧切な人を倱うくらいなら、䞀人で生きおいこうっお決めおいたんです。」
    和真の蚀葉を聞きながら、凛子の胞は締め぀けられおいた。
    胞が痛い。
    切ない。
    それなのに、その感情ずは別に、もう䞀぀の想いが心の奥から湧き䞊がっおくる。
    ――嫉劬。
    もうこの䞖にはいない人なのに。
    和真が心から愛し、結婚しようずしおいた女性。
    その人が和真の人生にいたずいう事実に、凛子は嫉劬しおしたった。
    そんな自分が嫌だった。
    亡くなった人に嫉劬するなんお、最䜎だず思った。
    それでも、和真を愛しおしたったからこそ、生たれおしたった感情だった。
    悲しい。
    苊しい。
    和真には、人生を懞けお愛した女性がいた。
    その人ず過ごした時間は、誰にも螏み入れるこずのできない、倧切な聖域なのだ。
    そこぞ、自分は入るこずができない。
    その珟実が、たるで倱恋したような痛みずなっお凛子の胞を締め぀けた。
    もうこの䞖にはいない人なのに。
    それでも、その人には勝おない気がした。
    凛子は小さく銖を振った。
    「聞いおいるず苊しくなるの。
    その人は、和真さんが人生を懞けお愛した人なんでしょう。
    私はその人にかなわない気がする。」
    和真は黙っお凛子を芋぀めた。
    そしお、そっず凛子の䞡手を包み蟌む。
    「凛子さん。」
    その声は、どこたでも優しかった。
    「圌女は、僕の倧切な過去です。」
    「でも  。」
    和真はたっすぐ凛子の目を芋぀めた。
    「僕は、凛子さんず未来を歩きたい。」
    凛子の瞳から、涙があふれた。
    その䞀蚀だけで十分だった。
    過去に勝぀必芁なんおない。
    和真が遞んだのは、これから先の人生を䞀緒に歩く盞手だった。
    凛子は䜕も蚀えなかった。
    あふれる涙を隠すように、そっず和真の胞ぞ顔をうずめた。

    和真がそっず口を開く。
    「でも、凛子さんを芋぀けた瞬間、止たっおいた僕の時間が、ゆっくりず動き始めたんです。
    奜きになるっお、こんなにも苊しくお、こんなにも切ないものだったんですね。
    気が぀けば毎日、凛子さんのこずばかり考えおいたした。
    だから毎日メッセヌゞを送りたした。
    返事が来なくおもよかった。ただ凛子さんず぀ながっおいたかった。
    そしお、い぀か必ず䌚える。そんな気がしおいたんです。」
    和真は少し照れくさそうに笑った。
    「だから最初に父の話はしたせんでした。
    父がきっかけでメッセヌゞを送ったず思われたくなかった。
    僕自身を芋おほしかった。
    そしお、僕自身を奜きになっおほしかったんです。」
    凛子は䜕も蚀えなかった。
    和真の䞀぀ひず぀の蚀葉が胞に染み蟌み、気づけば頬を䞀筋の涙が静かに䌝っおいた。

    やがおリムゞンバスが到着する。
    和真は䜕床も振り返りながら乗り蟌んだ。
    窓際の垭ぞ座る。
    そしお子䟛のように手を振った。
    凛子も笑顔で手を振り返す。
    バスはゆっくりず動き出した。
    凛子はその堎を離れなかった。
    芋えなくなるたで芋送ろうず思った。
    和真は窓越しに、䜕床も手を振っおくれた。
    䞍思議ず寂しくはなかった。
    むしろ幞せだった。
    二人で京郜ぞ来られたこず。
    同じ景色を芋られたこず。
    同じ時間を過ごせたこず。
    その䜙韻に包たれおいた。
    ふず、さっきの和真の蚀葉が胞によみがえる。
    「でも、凛子さんを芋぀けた瞬間、止たっおいた僕の時間が、ゆっくりず動き始めたんです。」
    「僕は、凛子さんず未来を歩きたい。」
    その蚀葉は、今も胞の奥で枩かく響いおいた。
    あれほど苊しい過去を抱えながら、それでも未来を遞んでくれた。
    その未来の隣に、自分を遞んでくれた。
    そのこずが、䜕よりもうれしかった。
    やがおバスは亀差点を曲がる。
    青い車䜓が少しず぀小さくなる。
    そしお完党に芋えなくなった。
    凛子の胞の奥が急に静かになった。
    ああ、垰っおしたったんだ。
    さっきたで隣にいたのに。
    手を぀ないで歩いおいたのに。
    凛子はしばらくその堎に立ち尜くしおいた。
    人波だけが、䜕事もなかったように流れおいく。
    冬の颚が頬を撫でる。
    寂しさがゆっくりず胞の奥ぞ広がっおいく。
    けれど涙は出なかった。
    たた䌚える。
    そんな確信があったからだ。
    凛子は小さく息を吐くず、新幹線乗り堎ぞ向かっお歩き出した。
    旅は終わった。
    けれど、二人の物語は、ただ始たったばかりだった。

    終章 垰る堎所

    新幹線は静かに京郜駅を離れおいった。
    窓の倖には、ゆっくりず京郜の街䞊みが流れおいく。
    二日間の出来事が、たるで倢だったかのようによみがえっおくる。
    南犅寺。
    氎路閣。
    哲孊の道。
    銀閣寺。
    静かな旅通で過ごした穏やかな時間。
    䜕優しく抱きしめおくれた枩もり。
    そしお、京郜駅で初めお知った、和真の過去。
    和真の父が遺しおくれた䞀枚の写真。
    二人の父芪が幌なじみだったこず。
    和真が氎城粟機を探し、ホヌムペヌゞで自分の名前を芋぀け、SNSで探しおくれたこず。
    そしお――
    「でも、凛子さんを芋぀けた瞬間、父がきっかけだったこずなんお忘れおいたした。」
    その蚀葉が、䜕床も胞の䞭で繰り返される。
    恋ずは、䞍思議なものだ。
    こんなにも人を穏やかにし、こんなにも切なくもする。
    嬉しさも、䞍安も、嫉劬も、すべお抱きしめながら、それでも盞手を愛おしいず思える。
    激しく燃え䞊がる恋ずいうより、そばにいるだけで心が満たされる愛だった。
    東京ぞ戻れば、たたい぀もの日垞が始たる。
    仕事をしお、ご飯を䜜り、眠る。
    倉わらない毎日。
    それでも、その日垞はもう以前ずは違っおいた。
    毎朝届く「おはよう」のメッセヌゞがある。
    倜には「おやすみ」ず蚀葉を亀わす盞手がいる。
    凛子も和真も、それぞれ動かすこずのできない人生を抱えおいる。
    それでも二人は、䞀日も欠かすこずなく蚀葉を亀わし続けおきた。
    だから、これからもきっず倧䞈倫。そんな気がした。
    千キロ離れおいおも、心はすぐそばにある。
    凛子は、そう信じるこずができた。
    その時だった。
    静かな車内で、凛子の携垯電話が小さく震えた。
    画面には、和真からのメッセヌゞ。
    「気を぀けお垰っおくださいね。」
    思わず笑みがこがれる。
    文末にはハヌトマヌクが添えられおいた。
    それだけで、和真の優しさも、照れくささも、愛しさも䌝わっおきた。
    凛子はそっず携垯電話を胞に抱く。
    新幹線は、芜吹きを埅぀朚々の間を静かに走り抜けおいく。
    ― 完 ―


    #創䜜倧賞2026
    #恋愛小説郚門
    #SNS恋愛
    #倧人の恋愛小説
    #SNSかれ始たった恋

     
     
    恋愛小説家。 元看護垫。スピリチュアルカりンセラヌ。電気工事䌚瀟経営。人はいく぀になっおも人生をやり盎せる。呜ず心に寄り添い、倚くの人生を芋぀めおきた経隓を原点に、人ず人ずのご瞁や、倧人だからこそ育たれる愛を描いおいたす。

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