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紡がれる、音⑨――和音が重なる場所へ/刑事ドラマ・エンタメ原作部門

    第九話:時計の針

    真冬の空はどこまでも青い。
    ナイフのような風は容赦なく顔に吹き付け、口を開くのさえ億劫だ。
    桜の季節はまだ遠く、冷たい空気は心までも凍らせる。

    俺はイシダを連れ、繁華街から外れた路地に立つ
    雑居ビルの裏口のドアを、じっと見つめていた。

    「……全然動きませんね」
    「ああ、ここにいる、とは思うんだけどな」

    今、追ってるのはかつて〈パーティ〉の外にいた、
    竜岡組の若いヤツだ。情報から、拉致の実行犯の可能性が高い。
    出てきたら、職質かけて任意で引っ張るつもりだ。

    「コンドウさん」
    「何だ」
    「こんな無茶して、もしバレたら」
    「何とでもなる。お前に迷惑はかけない」
    「……そうじゃなくて」
    「ん?」

    俺はイシダの俯いた顔を見て、思わず鼻で笑った。

    「何だ、俺の心配してんのか」
    「はい」
    「十年早い……放っとけ」
    「……そんな」

    俺はイシダに笑いかけ、視線を戻す。
    そのまましばらく張ったが、ドアが開くことは無かった。

    進展なし。
    俺はモニター画面を睨んだまま、奥歯を噛み締めた。
    線をギリギリ越えない所まで踏み込んで、必死にエナミを追うが、
    どれも決定打に欠ける。もう……時間がない。

    「コンドウ、ちょっと」
    「はい」

    低い声で呼ばれ、パソコンから視線を上げる。
    係長が受話器を置き、手招きしていた。
    立ち上がり、デスクに向かう。
    前に立つと、係長が小さく息をついた。

    「監察から注意だ。やり方が荒い」
    「……え」
    「お前の焦りは分かる。だが線は越えるな」
    「でも」
    「これ以上は処分だ。サカイも、な」
    「……承知しました」

    デスクに戻り、少し首を振って、またモニターを睨む。
    平気な顔をして、キーボードを叩き続けた。
    報告書を仕上げ、喫煙所に向かう。
    指先から昇る煙が天井近くに溜り、行き先を失っている。
    ……まるで、今の俺みたいだ。

    夜になると、胸の奥に鈍い疲労が沈む。
    自宅のベッドの上で、何度も寝返りを打った。
    刑事であることに、少しだけうんざりしていた。


    数日後、いこいの暖簾をくぐると、焼き台の前にはミチコが立っていた。
    カワハラが、珍しくカウンターにいる。

    「ああ、いらっしゃい」
    「どうした、珍しいな」

    となりに座ると、カワハラは少し寂しそうな笑顔を見せた。

    「……ちょっとな」

    カワハラは湯呑を傾け、一口すすり、視線を落とした。
    ヤヨイからグラスを受け取り、言葉を待つ。

    「胃だ……悪いもん見つかっちまった」
    「……え?」
    「手術する」
    「……そうか」

    言葉を継げず呆然と、ただグラスを傾ける。
    ぼそっと言葉が、漏れた。

    「……店、どうすんだ」

    カワハラは俺を見て、少し寂しそうに微笑んだ。

    「コンドウさん、店、アンタにやるよ」
    「何言ってんだ、冗談だろ」
    「冗談じゃねえ。アンタなら任せられる」

    笑っているが、目は本気だった。
    それを見ないようにして、笑う。

    「やめてくれ、戻って来るんだろ」
    「まあ、そのつもりだが」
    「じゃ、いい」
    「つもり、は、どう転ぶかわからねえ」
    「……え」

    俺はカワハラを見据えた。

    「最後まで、見届けてくれるんだろ?」
    「……そんなに悪いのか」
    「良くはない。ま、時間はかかるな」

    いこいが無くなる。
    そう考えただけで、胸の中を冷たい風が吹き抜けた。


    その翌日、正式に通達が来た。
    エナミのヤヨイに対する接近禁止命令は期限を迎え、
    予想通り、延長はなかった。

    「危険性は認められない」

    課長はそう言った。机上の理屈だ。
    何も言わない。言っても変わらない。
    制度の限界だ。いや……俺の限界、か。

    ヤヨイはアパートを引き払った。保証人を引き受け、手続きを済ませる。
    良く晴れた少し暖かい日の午後、ミチコと一緒に引っ越しを手伝った。
    段ボールを運ぶヤヨイは、穏やかに笑う。

    「大丈夫です。ミチコさんも、カワハラさんも近くにいるし」
    「……ああ」

    引っ越しがすんで少し経った頃、カワハラは入院し、いこいは休業した。

    桜の開花が発表され、少しだけ街の空気が優しくなる。
    日常は、静かに落ち着きを取り戻していく。

    数日後の夕方、ヤヨイからラインが来た。
    俺はパソコンから顔を上げ、スマホを取り出す。

    “住民票の閲覧申請が来たんですが、何かご存じですか”

    見た瞬間息を呑み、デスクを思い切り叩いた。
    イシダが驚いた顔を向ける。
    無意識に、舌打ちが漏れた。

    退勤後、いこいの暖簾を割る。
    俺の顔を見た途端、ヤヨイが駆け寄ってきてスマホを差し出した。

    「コンドウさん……これ」
    「どうした」

    一件のメール画面だ。
    差出人の名前はない。フリーアドレス。
    新居のベランダで、洗濯物を干しているヤヨイの写真と、
    ただ、一言。“待っていたよ”
    ヤヨイの手が震えている。
    俺は画面を睨み、息を呑んだ。

    帰り道、ヤヨイのスマホが震えた。
    非通知の着信。ヤヨイが通話ボタンを押し、耳に当てる。

    「……はい、もしもし」
    『待ってたよ……すぐに迎えに行くからね』

    ヤヨイが目を見張り震え出したのを見て、
    俺は慌ててスマホを取り上げた。

    「……エナミか」
    『こんばんわ。お仕事、ご苦労様です』
    「ふざけるな、どこだ」
    『そばにいますよ。僕がヤヨイから、離れるわけがない』
    「……俺がいる」
    『じゃ、また。刑事さん』
    「おい、待て」

    プツッと微かな音がして通話が切れる。
    周りをぐるりと見渡した。

    「……あーっ!」

    俺は叫び、そばの電柱を叩く。
    時間をかけ過ぎたことを、今更ながら後悔した。

    その翌日の夜、一杯やろう、とサカイを誘う。
    居酒屋のカウンターに並び、グラスを合わせた。
    話したいことがあったはずなのに、言葉が出てこない。

    「お前、刑事辞める気か」

    唐突に言われ、グラスを止めた。

    「……いや、ただ」
    「ただ、ってことは考えてるな」

    サカイは目を細め、グラスを傾ける。俺はタバコに火を点けた。

    「異動は?」
    「制度は同じだ」
    「限界、感じてんのか」
    「……え」

    沈黙が、ふたりの間に落ちる。

    「ここにいなきゃ、出来ないことがある」
    「ここにいても、守れない」
    「……何」
    「刑事でいる意味、あるのか?」
    「俺は……反対だ」

    胸の奥が、ギリッ、と、嫌な音を立てる。
    サカイの顔を睨み、黙り込んだ。

    「辞めるのは、ただの甘えだ」
    「……甘え、か」
    「諦めるな」

    顔を背けて、煙をふーっと吐き出した。
    ヤヨイの震える指先が、脳裏に浮かぶ。
    握りしめた手が、微かに音を立てた。

    「……そのつもりは、ない」

    サカイは顔を上げ、長く息をついた。

    「後悔するかもしれないぞ」
    「しないように、考える」
    「分かった……もう止めやしない。
     お前が逃げる奴なら、もうとっくに逃げ出してるだろ」

    タバコを灰皿に押し付ける。
    消え残った煙が、未練たらしく立ち上った。

    翌日、署に連絡し有休をとった。
    疲れた。もう、何も考えたくない。
    横になってじっと天井を眺めた。
    いろんな想いが、頭の中で掻き混ざる。
    体を起こし、首を振った。タバコに火を点けると、
    煙が胸の内を見透かしたように、ゆらゆらと彷徨う。
    それを打ち消すようにふうーっと煙を吐くと、
    灰皿に押し付け、部屋を出た。

    カワハラが窓際のベッドから顔を向ける。思いのほか顔色はいい。
    傍らでは、ヤヨイが洗濯物を畳んでいた。
    軽く手を上げて近づくと、ベッドを覗く。

    「元気そうじゃないか。手術、どうだった」
    「無事に済んださ」
    「良かった」

    ヤヨイが、笑顔を向けた。

    「術後も、順調です」
    「ああ、そうか」

    カワハラが少し眉をひそめた。

    「アンタは、元気なさそうだな」

    面食らい、苦笑した。
    そばにある椅子に腰を下ろす。

    「……分からないんだ」
    「何が」
    「自分が、どうしたいのか」
    「……え?」
    「気持ちは分かるんだ。ただ、このままでいいのか、
     逃げてるのか、甘えてるのか、そう思ってる」

    ヤヨイが、微かにうつ向く。
    カワハラが、ははっ、と息を漏らした。

    「何やっても、同じことだ」
    「え?」
    「アンタは、アンタだろ」

    カワハラはそう言うと、小さく頷いて、笑った。

    「それが、逃げとは思わん。
     俺は、アンタが逃げずに向き合う奴だって、知ってるからな」

    俺は少し眉を上げてカワハラを見ると、曖昧に笑い返した。

    病院からの帰り道を、ヤヨイと並んで歩く。
    空は夕焼けに染まっていた。

    「……あのさ」
    「はい」
    「申し訳ない」
    「え?」
    「結局、俺は守れなかった……今だって、何も出来ねえ」
    「そんなこと、無いです」
    「……え」
    「あなたがいたから、今、ここにいるんです」

    思わず立ち止まる。

    「もう少しだけ、そばにいて下さい」
    「……え」
    「もしあなたが刑事さんじゃなくても、信じています」

    言葉が、ストン、と落ちる。
    ヤヨイが、穏やかに笑った。

    ヤヨイをミチコの家に送り届け、遠回りして駅へ向かう。
    ゆっくり歩きながら、街を眺めた。

    ――刑事を途中で、投げ出すのか?

    声が聞こえた気がして、足が止まる。
    街灯の下で、しばらく立ち尽くした。

    守りたい、見届けたい。でも、ここにいる限り、俺は刑事だ。
    追う側だ。守る側に、立てない。
    立とうとして足搔いても、制度が邪魔をする。
    なら、立ち位置を変えるだけだ。
    後ろから追う、のではなく、前に立って守る。

    目を開ける。大きく息をつき、空を仰いだ。

    翌日、出勤すると係長に昨日の休みの礼を伝える。
    そのまま、話し出した。

    「辞職を、考えています」
    「……え」
    「ここにいたら、守れない」
    「……ああ」
    「もう、後悔したくないんです」

    係長は一瞬目を閉じ、俺の顔をじっと見て、小さく頷く。

    「そうか……惜しいが、お前の人生だ。受け止める」

    俺はポケットの中の手帳を、強く握った。

    翌朝、出勤するとロッカーを開け、制服に着替える。
    帽子の角度を鏡を見ながら直すと、深呼吸した。
    課長室の前に立ち、窓の外の見慣れた街の景色を、チラッと見る。
    ノックをして、名乗った。

    「入れ」

    一礼して、ドアを開け、足を踏み込む。
    デスクの前に立ち、敬礼する。封筒を差し出した。
    封筒の表面には「辞職願」の文字。
    課長は視線を落とし、じっと見つめていた。

    「理由は」
    「守りたいものが、あります」
    「刑事のままじゃ、守れないのか」
    「俺は……器用ではないので」

    課長は俺をじっと見つめ、深く息をついた。

    「……惜しいことだ」

    静かな部屋に、時計の音だけが響く。
    やがて課長は封筒を受け取った。

    「……了解した。存分にやれ。戻ることがあれば、言え」
    「お世話に、なりました」

    最敬礼する。踵を返して、部屋を出た。

    窓の外で小さくサイレンが聞こえ、
    パトカーが、繁華街に向かって出て行った。

    時計の針は、止まらずに時を刻み続ける。
    新しい景色を見せるために。
    俺はその中で笑えるように、今、前を向く。

                             つづく


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    元・飲食店正社員歴20年。現在無職。 今度は書くことで人の笑顔を支えます。 日常に、あかりをともすことを目指して。 経験と、未来を大事に。 少しでも、ワタシとあなたが笑えるように。 そんな言葉を、届けたいと思います。 どうぞ、よろしくお願いします。

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