
湯気の向こうにみえるもの
たくさんの野菜を切り終えて、
大きな鍋に入れて、
火にかける。
しばらくすると、
台所が、しんと静かになる時間がある。
煮立つまでの、あの30分。
私は、その時間が好きだ。
このスープを煮込むようになったのは、
夫の癌が見つかった日からだった。
何ができるかわからなかった私は、
ただ、本屋に駆け込んだ。
そこで出会ったのが、
抗酸化作用の高い野菜を、
数種類以上、コトコト煮込むスープの本だった。
まずは、なんでもやってみよう。
翌日には、大きな鍋を買って、
火にかけ始めていた。
最初は、必死だった。
「夫を、なんとかしなきゃ」
その一心だった。
でも、不思議なことが起きた。
野菜を切っているうちに、
私の心のほうが、しずかになっていったのだ。
玉ねぎの皮をむく音。
にんじんを切る、規則正しいリズム。
カボチャの重み。
小松菜の、青い爽やかな香り。
野菜と向き合っていると、
頭の中の不安が、
ゆっくりと、すーっと薄まり、
柔らかい気持ちになる。
「野菜は、生きものなんだ」
と、ある日、ふと思った。
私は、野菜という生きものに触れているから、
こんなに癒されているんだ、と。
それからしばらくして、
自分でも野菜を育ててみたくなった。
自然のやり方で、土を耕し、
種をまいて、見守る、自然栽培。
気がつけば、その家庭菜園も、
5年目に入った。
自分の手で育てた野菜を、
自分の手で切って、
大きな鍋に入れる。
土から、まな板へ。
まな板から、鍋へ。
鍋から、食卓へ。
この一連の時間ぜんぶが、
私たち夫婦の暮らしを支えている。
夫のほうも、
少しずつ、変わっていった。
肌のつやが戻り、
体の動きが軽くなり、
私より、ずっと年上のはずなのに、
「ずいぶん若く見えますね」
と言われることが増えた。
私は、内心ちょっと笑ってしまう。
「このスープのおかげですよ」
と、誰かに言いたくなる。
時々、夫が台所をのぞきに来る。
「いつもスープありがとう。」
「もう少しでできるよ。今日は畑でとれたビーツ入りで、甘くておいしいよ。」
「おー。いいね。とってもいい匂い。」
それくらいの会話。
特別な言葉なんて、ひとつもない。
でも、こういう時間が、
いちばん人を支えているのだと、
今は思う。
煮込んでいる間、
ふと、誰かの顔が浮かぶことがある。
東京で一緒に働いていた、同僚。
今でも、子育てと仕事の両立で頑張っているのかな。
なかなか会えない兄弟や友人たち
家族のために忙しい毎日だと思うけど、
ちゃんと、お野菜もとっているのかな。
その人たちに、
このスープをひとくち、飲ませてあげたい。
野菜を切る、あの静かな時間を、
ほんの少しだけ、分けてあげたい。
私はずっと、人の話を聞く仕事をしてきた。
たくさんの人と向き合って、
気づいたことがある。
人は、答えがほしいわけじゃない。
ただ、誰かと一緒に、
こうやって湯気の前に座っていたいだけなのかもしれない。
整える、というのは、
特別なことじゃない。
土に触れて、
野菜を切って、
火にかけて、
湯気を眺める。
それだけのことだ。
でも、その「それだけ」が、
東京で走り続けていた頃の私には、
どうしてもできなかった。
もしいつか。
この台所の時間を、
誰かと分かち合えたら。
沖縄の風の入る部屋で、
自然のやり方で育てた野菜の湯気を眺めながら、
ぽつり、ぽつりと、
お話を聞かせてもらえたら。
野菜の力を、
誰かの暮らしに、
そっと届けられたら。
そんなことを、
今、静かに、考えています。
今日もまた、
鍋を火にかける。
——
野菜スープ、コトコト。