こんな雨の日はやだなんて
こんにちは、おはようございます。
さてさて、こんばんは。
こいつの日本語は腹が立つ。
その通りかもしれませんが、そのうちクセになるかもしれないです。
打って変わって、今日もまた雨なわけで、雨が何週連続と続くみたいです。居住地がなんとなく分かってしまいますね。とか言いつつも、こちらは雨など降っていないものです。
傘を最小限のぶつかりで歩くように、上下に高さを変えつつ歩いてる人たちを遠目に見てしまう。こんな少しの配慮を能動的にではなく、自動的にやる国民性こそ日本だなと感じる。そんな綺麗なことばかりではないのは百も承知ですが。
そうそう、いるんです。いつものように。
屋根の下へ入ると、皆が通るのを理解しながら止まって傘をバサバサとして雫を落とす輩が。
なぜだろうか。思考がショートしたのだろう。己が通ったこれまでの道に、後ろからも人が押し寄せ、己の元へ歩いてきているのを忘れたのだろうか。
それとも、己の視界は傘と足元のみで、駅特有のポーンという音とピッというタッチしたICカードの音のみで聴覚を占有され、雨の中じっとりとした気持ち悪さで嗅覚が襲われる。
味覚はきっと毒を吐いたからきっと苦いのだろうか。毒を吐いたかどうかは、今俺が【こういう人】と決めたからだけど。
人は二つの行動を同時に処理できないこともある。
歩いてスマホを取り出しつつ、傘の滴を優しく落としながら、改札を通り、小さく畳んだ傘を持ちながら電光掲示板を見て、流れに沿うようにホームへと向かう。
これは当たり前のようで当たり前ではないのかもしれない。
けど、傘を畳むという作業はその場所でやらなければいけないのか。
その特定のゾーンには、雨の滴が綺麗に落ち傘が乾くエリアなのか。はたまた、あなたにとってここで傘を畳むことが今日のラッキーを招く行動なのだろうか。
人は不思議で、側から見れば邪魔だと思われる行動ですら、自分がしていると何食わぬ顔で周囲の目に気付かずしていることもある。きっと俺もそうだ。ほら、その【こういう人】かなと思った人を見続けてしまい、二つの改札を跨ぎ、どっちにいくんだこいつは。と後ろの人から思われた。
すみません。
そう心の中で囁きながら右に逸れて、すっと改札を通れば後ろの人はもうスマホの中の世界で、俺が改札二つ使う怪獣であることを忘れている。
だが、俺はまだ改札前傘畳じいやを忘れない。
じいやと言ったが、ただのお父さんだ。お母さんでもいいかもしれない。
もしかしたら、あそこで傘を畳むと発生する改札前渋滞を見たいのかな、なんて思う。
それはないか。
いや、人の気持ちや欲は、自分の想像を超えるモノであり、誰にも理解しきれない。だって、俺がこんな小さな日常で1000文字以上、ここに文字を書いているのだから。
これが紙であれば本当に無駄な資源だと思う。ごめん、SDGs
雨の日は情報が多い。なぜだろう。
人の行動がよく目につき、体で感じる情報もまた増える。匂いも雨特有の香りへ変化して、耳はクルマの音や駅の音に紛れて、雨音と水溜りへ踏み入れた足が音を奏でる。
これだけの情報に加え、電車の遅延やら傘の云々やら、水たまりを避けるやら、きっともうじいやの頭はパンクして、改札の前だろうがなんだろうが、傘を畳むことで情報がいっぱいいっぱいだったのかもしれない。
そのじいやの体を左へスライドさせられるほどの能力があれば、じいやはまた体が勝手に動いたと情報が増え、傘すら畳まなくなってしまうのかもしれない。
いろんなことを言ったけど、これらの言葉はなんの意味も持たず、ただ見て感じたことを考えただけだ。
この思考が全く同じ人はいないと思う。
断言できる。
ニュアンスは少し違うことは許されない。
ニュアンスは違うけど、言ってることは分かるよ。
そんな言葉を投げかける人は、その人の心の底の思いまで汲み取った気分で、あたかもその人を代弁するように共感という暴力でその人のアイデンティティすらなくすかもしれないのに。
そんな雨の日の傘畳じいやだけで?
と思うかもしれないが、ことの大小が変われば己の言動や考えが全て変わってくれるのだろうか。
きっと、そんな簡単じゃないはず。
根底にある自分の倫理観や価値観、考え方はそんな簡単なことで変わるはずないのだから。
そう、それではみなさん一緒に。
「みんな違ってみんないい」
お後がよろしいようで。
p.s. 千葉県にある印旛沼が手賀沼を超えて琵琶湖にならないことを祈ります。
