
50歳、私を取り戻すまで ― 子どもたちとパグがくれた、やさしい現在地 ―
私の暮らしの現在地
50歳。シングルマザー歴6年。
25歳社会人息子と、20歳大学生娘、そして15歳黒パグと暮らす。
コールセンター正社員2年目。
人生最高体重目前にしてダイエットを始めて3か月目(-4.5キロ達成、7月の健康診断まで継続予定)。
最近のお気に入りは、50歳の誕生日に息子がくれたマーガレットハウエルの財布と、娘がくれたパグの絵つき名前入りのネイビーのマグカップ。
離婚して、20年ぶりにフルタイム勤務になって6年。
銀行コールセンター(派遣)、超大手メーカー社内ヘルプデスク(派遣)を経て、
転職コンサルに依頼して家事代行の正社員になり給与が大幅アップするも、仕事も人間関係も徹底的に合わず、4か月で退職。
そこから適職を見直し、銀行以来避けてきたコールセンター業務で、医療法人の正社員となり、
最近では長年培った接遇力がかわれて、社内で研修講師という新しい仕事をしたり、資料を作ったりしている。
昨年の夏、お給料がもらえるお盆休み2回目を堪能しようと思った矢先、愛犬のパグが謎の痛みに襲われ、泣いて、大好きなごはんを食べなくなった。
かかりつけでは原因がわからず、2次診療病院にて、脊髄付近の髄膜炎と思われるとの診断を受ける。
電車とタクシーを乗り継いで通院する日々が2か月続いて少し落ち着いたかと思ったころ、腸のリンパ腫というあらたな病まで併発し(確定診断はしていないものの、おそらく間違いないといわれた)、桜が見れたらいいかな、と余命宣告をうける。
内視鏡による確定診断と、抗がん剤の治療は望まなかったので、近所のかかりつけ医に戻ってステロイド治療を始めて早7か月。
思いのほか長生きしてくれているパグが、ステロイドの副作用で糖尿病を発症し、インスリン生活になって、1か月。
私の毎日は、
・パグの介護が最優先
・最低限の家事
・仕事
・ダイエット
で、埋め尽くされている。
実際昨年の11月から、法事などよっぽどの用事以外は、プライベートではまったく外出していない。
趣味とか遊びは入る余地なし。
まあそもそも、どうしてもなくてはならない趣味とか、推しとか、そういうのも今はないけれど。仕事の昼休みにkindleで読書したり、時折こうしてnoteに投稿するくらい。
これが、私の現在地。
44歳のとき、元夫の浮気をきっかけに、20年の結婚生活が終了した。
ただ、単純に浮気が原因、というわけではない。
元夫のもともとの性格と、彼が長年患っていた過呼吸などの精神疾患も相まって、振り返ればなかなかにきついことが多い日々だった。
私はもう何年も前から、機嫌がいいときは優しいし買い物は好きだからほしいといったものはたいてい買ってくれるし(まあ私はあんまりリクエストしたことないけど)、子どもたちが小さい頃はとてもかわいがって、遊びに行ったり物を買ったりしてたけど、それ以上にとんでもなく高額な時計をローンで買って、売って、またローンを組んで買い替えて、などを、病気なのに家族のために仕事を頑張るため、という理由で繰り返すことや、それを言われると止められない自分にも嫌気がさしていたし、
なんでも思い通りにならないとすぐにすねたり、帰ってすぐにお風呂に入れなかったり、食事の時間が遅くなったり、いつものルーティンが乱れるだけで機嫌を損ねたり、何より対等な話し合いが出来ない。
息子が高校に行けなくなったときもまったく力になってくれないどころか、自分にかまってもらえなくなったことがいやだったのかむしろ邪魔しかしない。
こいつは家族が大好きなのだとそれだけは信じていたのに、実は自分のことしか考えられない人間だと、気づいてしまってから、
精神的に本当に、本当にきつい日々を送っていたから。
今でも思い出すと、ちょっとぞっとする。
それでも、浮気相手と結婚したいから離婚してほしいといわれたときは、自分でもびっくりするほど、泣いて泣いて、1か月で7キロ痩せた。
病気だから、病気なのにがんばってくれてるからこんなふうな態度をとるだけで、家族への、私への愛情だけは本物だと、思っていたのに。
それだけを拠り所に、がんばってきたのに。
「子どもたちと会えなくなってもいいの?」と聞いた私に、それでも彼女と結婚したいと答えたことだけは、心の底から許せなかった。
病気であっても、絶対に許せないことは、ある。
はい、景気の悪い話はこのくらい。
そこからはもう迷う余地もなく、私は、めちゃめちゃに泣きながら、げそげそに痩せながら、でも、「こんな奴にこの先の人生を搾取されてたまるか」と、秒速で離婚を決断し、動いた。
決めるとめちゃめちゃ動ける。それが私だ。
そしてありがたいことに、姉が友人の弁護士さんを紹介してくれたりなんかもして、それから2か月後に別居、さらに2か月後に離婚が成立した。
そこから、私の第二の人生が、文字どおり、幕を開けた。
結婚していた頃は、自分が二の次なのが当たり前で、誰よりも自分で自分をないがしろにしていた。
自分を見失っていることにすら気づいていなかった私が、図らずも踏み出した新たな世界。
私の視界を曇らせる、「調整という呪縛」から解放されて見えた世界ではじめに目にしたものは、
私を心から大切に思ってくれる、家族と友達。何より子どもたちの愛だった。
裏切りとか絶望とか、そういうものを一掃するくらいの愛が、余白のない心では見えなかっただけで、私とともに、ずっとずっと、そこにあったのだ。
その大きすぎる気づきを相棒に、私は新しい世界を、誰に縛られることもなく、自分の足で、歩き始めた。
真っ暗な雨模様の空に、少しずつ、でも確実に光が差して、やがて、
胸がすくような清々しい青空が広がっていくように、
私の世界は、開かれていった。
第一章 私は何者?
何ができるの?何が好きなの?
離婚することが決まってしばらくの間は、各種手続きに追われてあっという間に過ぎた。
離婚が決まったのが2020年の年明け。
和菓子屋を退職したのが2月。
元夫が家を出たのが3月。
そして正式に離婚したのが5月のことだった。
離婚が決まって、1月中旬くらいから、なんとなく正社員の求人に応募したり、派遣会社にいくつも登録したりしたけれど、正社員はことごとく受からず、ようやく派遣の仕事が決まったのが5月のことだった。
就活をしながら、ずっと思っていた。
そもそも、私って、何ができるわけ?と。
当時の和菓子屋の仕事も好きだったけど、では正社員として丸一日、週5日働けるほど好きでやりたいかと言われると、なんだか違和感があった。
仕事の能力だけの話ではない。
私って、何が好きなの?
何をしてるときが楽しいの?
パートではなくフルで働くなら、そもそもどんな仕事がしたいの?
これから、どんなふうに生きたいの?
なにも、わからなかった。自分でも驚くほどに。
私は結婚生活の中で、元夫の機嫌を損ねないように、家族の生活を調整して生きるのがあたりまえになっていた。
そのタスクはかなり高難度で、自分のやりたいことや好きなことなんて、入れる余地はなかったのだ。
そんな日々を20年。
けれど本当に恐ろしいのは、その事実よりもむしろ、その事実に気づいていないことだった。
自分でも気づかないうちに、私の「好き」はどこか遠いところに追いやられ、もはや自分ですら見つけることができなくなっていたのだ。
元夫が私の生活からいなくなり、好きなことをして好きなように生きたらいいと、いいように解釈してみても、私は私の好きなことがわからない。
就活でもそうだ。
何がしたいのかがわからない。
なんとなくできそうなこと、条件、それでしか仕事を探せない。
それでもどうにか、銀行コールセンターの仕事にありつけたのはラッキーだった。
ちょうどコロナ禍で、学校が休みになり家にいた娘と、当時まだ就労支援に通っていた息子に支えられ、私は20年ぶりにフルタイムの仕事についた。
社会の中の私
2020年5月。
20年ぶりに、フルタイム労働者として社会に出た私。
初めのうちはほんの少し恐れのようなものがあったけれど、私は意外に、社会に適応できた。
思っていたよりも仕事に関しても評価していただけたり、「あなたなら大丈夫」と言っていただくことが多かった。
けれども、
どれだけ評価されても、私はどこか自信を持てず、逆にできないところばかりが目に付く。「私なんてそんなにできないのに評価とかしてもらうと失敗したときにどうしよう」とガチガチになったりしていた。
今にして思えば、自分の中で勝手に、「社会に出ること(フルタイムで企業に勤めること)」へのハードルを上げてしまっていたのかもしれない。
派遣社員として銀行コールセンター→超大手メーカー社内ヘルプデスク
正社員として家事代行のフランチャイズ→医療法人コールセンター(今ここ)と、「社会」の一員としてフルで働くようになって6年。
一番の発見は、
社会って、いい意味で意外と適当に回っているかも。
ということだったかもしれない。(いやいやそうじゃない企業さんや世界線ももちろんあるでしょうけれども)
例えばメーカーの技術部門勤務の社員さんは、自分のところの製品についてすべて完璧に覚えていて、質問したらなんでも答えてくれると思っていたけれど、「なんだっけ?」と言いながら普通に検索をかけるし、別の部署の人に聞いたりもするのだ。
リーダーになる人は、すごく素晴らしい資質を持っているとともに、どの仕事も完璧にこなせる人がなるのだと思っていたけれど、仕事能力的にも、人格的にも、全然そうじゃない人がなっていたりもする。
完璧な人なんていなくて、みんな試行錯誤しながら、正解なんかわからなくても選択して、決断して、失敗の中から学んだり学ばなかったりして、とにかく日々、自分の目の前の仕事をしているのだということが、わかった。
6年前の私は、どんなに評価されても、どこか自分に自信が持てなかった。
この程度は誰にでもできることで、むしろ評価されることがこわかった。
私は、自分の中で「社会人」のハードルを上げるとともに、「自分みたいなもんはまだまだ仕事できてない」と、必要以上に自分を下げていたのかもしれないと、今、ようやく思えるようになっている。
知らないうちにずいぶん、自信を失っていたものである。
ただ自分の目の前の仕事を、ひとつひとつ誠実にやる。
これなら私にもできるから。
どの職場でも、先輩や上司に助けてもらって試行錯誤して、時々失敗もして学んでを繰り返しながら日々、誠実に仕事に向き合うことを繰り返して、6年。
私は今、接遇力を生かして、コールセンターのオペレーター業務やメール返信業務をこなしつつ、社内研修の接遇講師という新しい役割にも、挑戦したりしている。
派遣のコールセンターから始まった私の社会人人生。
失敗も挫折も繰り返しながら、ようやく少しずつ、自分が得意なことがわかってきた。
電話越しの接遇が得意。好きと言ってもいいかも。
単純作業も嫌いじゃない。
掃除とか雑用とかも含めて、毎日同じ仕事を積み重ねていくことも得意だ。
社会の中の私は今自分を、けっこうがんばってるじゃん、と、思えるようになっている。
第二章 家族と私
子どもたちのこと
子どもというのは恐ろしいものである。
私と元夫は、表面的にはかなり仲良しな夫婦であった。
毎晩二人でお茶する時間を取っていたり、元夫が有休をとってデートしたり。
子どもたちとも、お出かけしたり、楽しいこともたくさんあったし、家族それぞれの誕生日や父の日母の日、クリスマスなどのイベントもしっかり楽しむ家だった。
だから、離婚したとき、「仲の良かった両親が離婚する」ことに、子どもたちは大きな衝撃を受けるだろうと思っていた。
のだけれど…
「うちは、もともとそんないい家庭じゃなかったよ」
離婚後、何かの話の折に子どもたちは、とっても冷静な声で、そう言った。
「だって、父ちゃんは母ちゃんに対してずっと、ひどい態度とってたでしょ」
子どもたちはずっと前から、私の想像以上に、本質的なところを見抜いていたのだ。
子どもたちから言われたことは、これだけではない。
正しくは離婚する何年も前から、思い返せば何度も何度も、子どもたちに言われていたことがあった。
「母ちゃんの好きなようにすればいいのに」
「もっと楽して、自分のやりたいようにやればいいのに」
結婚していた頃は正直、「何を言ってるんだろう」と思っていた。
別に、好きなことなんて制限してないよ。それに実際いろいろと調整しないと生活が回らなくて、父ちゃんが機嫌悪くなって、家の空気が悪くなるじゃない。やりたいようにやるってなに?
と、思っていた。
けれども、離婚して少し生活が落ち着いたころ、
私は自分がいかに余裕なく、毎日毎日タスクに追われて、好きなこともやりたいことも考えられなくなっていたかということに気づいた。
子どもたちにとっては、私がひいひい言いながら必死に調整した生活よりも、多少ごはんの時間が遅くなっても、普段のルーティンと変わっても、
私が楽しそうに生活していることのほうが、何万倍も価値のあることだったのだ。
それは、一言で言うと、愛に他ならない。
子どもたちは、ずっとずっと前から調整に走り回る私を心配し、もっと楽に生きてほしいと、心から思ってくれていたのだった。
愛は、相手の自由を尊重することだと、子どもたちに教えられた。
私は今、子どもたちの愛情に支えられている。
支えられていることを実感しながら、生きている。
タスクだらけだった家庭には今、タスクが存在しない。
私は自分が心地よく生活するために、やりたいように生活を整え、やりたくないときは何もせず、
心の底から自由に、生きている。
家に帰ることが、喜びになっている。
私が今こうして、家という安全地帯を基地にしながら、自分らしく生きていられるのはただただ、子どもたちのおかげである。
パグのこと
我が家には黒いパグがいる。
15歳と半年。
親ばかではなく若見えで(だって年齢を言うと100%驚かれてたんだもん!)、元気で、ツンデレで、基本的にケージ飼い。
もちろんめちゃくちゃかわいいし、一緒にいる時間はとんでもなく幸せだけれど、正直自分たちの生活が中心で、パグはその中にいる、という感じだった気がする。
昨年の夏から、その状況は一変した。
パグが病に倒れ、通院や投薬が必要になり。
おむつが必要になり、後ろ足の自由が利かなくなり。
余命を宣告されて、見守りが必要になり、私たちは家族でカレンダーアプリをシェアし、必ず誰かが家にいられるようにシフトを組んで生活している。
ツンデレで、おなかを見せてゴロンとしたことは今まで一度もないし、人の布団で寝るのは嫌いで、ケージの自分のクッションの上が一番落ち着く、みたいな顔をしていたパグは、今毎日、私と娘と同じ布団で寝ている。
まるで、ずっと前からそうだったみたいに。
おなかが空いたり、目が覚めてそばに誰もいないと大きな声で鳴くパグ。
毎日2回の投薬と、インスリン注射、排泄のお世話や夜中の見守り。
正直かなり大変だし、少なくとも家族がそれぞれ気まぐれに出かける自由はなくなった。
慢性的に寝不足だし、パグと一緒にいる日も寝てくれなければ何もできなくて、地味にストレスがたまる。
けれども私たちは、以前にもまして、パグのことがかわいくてしょうがなくなっている。
あたたかくて、何とも言えないにおいがして、そばにいると、大変なこともすべて忘れてなんともいえないふわふわとした気持ちになる。
パグは私たちの世界の中心に、とてつもなく大きな存在感をはなって鎮座している。
私たちはパグのお世話をしながら、パグへの愛に満ちて、きっとそこまで残りが多くはない大切な時間を、過ごしている。
第三章 私の現在地と、これから
私の現在地
新しい世界に踏み出してから早6年。
振りかえれば、思った以上にけっこういろんなことがあった。
でもそのたびに、謎のラッキーにも恵まれて、ここまでやってきた。
自分の好きがわからなかった私には今、とてもお気に入りの小物がある。
プロローグにも書いた、お財布とマグカップだ。
それと、離婚したときにお守り代わりに買ったアクアマリンのシルバーリングと、50歳の誕生日に買った、ブラウンダイヤとパヴェダイヤのリング。
心からお気に入りだと思えるものを日常的に使うことが、どれほど心を豊かにするかを実感しながら暮らしている。
今の私には、とても好きな時間や、好きなものがある。
毎朝FM802を聴きながら、朝ごはんを食べる時間が好きだ。
足元にパグを置いて、自分が食事する合間にパグに犬用チーズをあげるのだ。
休みの日はPCでAIとおしゃべりしながらゆっくり食べるのもお気に入り。
家族3人で晩ごはんを食べる時間が好きだ。
私の仕事が20時までで遅いことや、娘がバイトに行ったりするので、3人でごはんを食べられる時間はすっかりレアになってしまった。
最近ではワインやウイスキーを嗜むようになった息子と、20歳になってお酒が飲めるようになった娘が2人でお酒を飲む姿を、3%の缶チューハイすら飲みきれない私が眺める時間や、
美味しいものを食べながら、なんだかんだいろいろおしゃべりをして笑いあう時間や、食事の合間になんとなくみんなでパグの寝姿を眺める時間が、とても好きだ。
パグをカートに乗せてお散歩をする時間が好きだ。
カートで移動するパグの表情を眺めながら、娘と一緒にパグのことばかり話して歩く時間はさらに格別である。
家で食べるごはんが好きだ。
作り始めるまでは面倒だけど、重い腰を上げて包丁を持ってしまえば、料理もそんなに嫌いではない。
コーヒーが好きだ。味の違いは正直よくわからないけど、毎回ドリップする程度には好きだし、街でコーヒーの香りがしてくると、ホッとする。
最近はルイボスティーが大好きだ。
自分についての新たな発見も、ある。
自分にどんな服が似合うのか、どんな髪型が似合うのか、研究の途中だ。
髪の毛についてはたぶん鎖骨くらいまでは長さがあるほうが逆に扱いやすいことが、試行錯誤の結果わかってきた。
仕事はけっこうしっかりやれるタイプのようだ。
私の武器は接遇力。コミュニケーション能力。それと、家庭の中では呪縛だと感じた調整力が、仕事では案外いろんな側面で役に立つということは、嬉しい誤算だった。
私はものすごく未熟な人間だった。
人として、母として、恥ずかしくて振り返りたくもないくらい、きっと気づかないうちに周りの人に迷惑をかけたり、傷つけたりしてきたのだろうと思う。
でも、どうにかこうにかじたばたしながら進んで。
子どもたちの愛や、いろんな人の思いに助けられながら歩き続けて、今、ここにいる。
今でも私は未熟だけれど、以前よりも、自分の頑張りを認められるようになった。
失ったものを思うのではなく、今あるもの、今いてくれる人に心から感謝して、私らしさを探して軽やかに歩くことができるようになっている。
人生に無駄はないのだ。いいことも、悪いことも。
嬉しいことも、苦しいことも、ときには想定外のハプニングも、
丸ごと全部、私の大切な暮らしで、唯一無二の人生だ。
ある日突然、積み重ねたことが思わぬところで花開いたりすることもある。
人生はおもしろい。
私の小さな世界には、やさしいものや美しいものが、さりげなくそこにある。
ラジオから流れてくる音楽だったり、道端に咲いている花だったり。
頬を撫でるやさしい風だったり。
なんとなく見ていたドラマが素晴らしかったり、ふと耳に入ったエピソードがやさしかったり。
つらくてくじけそうになったり、立ち止まりそうになるときに、
そういうものがふっと目の前に現れて、私を助けてくれたりするのだ。
小さな奇跡や幸せを大切に拾い集めて、たまに落ち込むことや、もうだめだ~って思うことがあっても、自分の力で前を向いて歩きたい。
人生はやさしく、美しい。
そう思い続けていられるような生き方をしたい。
私は、前を見て、エレガンスに生きたいのだと、思う。
これが、私の現在地。
これからの私
これからの私について、今のところ特に大きな夢や野望はない。
ないというか、正確に言うと今それを考えるだけの心の余白がない。
今は、パグの人生に最後までとことん寄り添うことが人生の最優先事項であり、それだけでけっこう必死だからだ。
きっと、そのミッションを無事に終えたあとで、これからを考えるときがくるのかもしれないと思う。
離婚してからようやく生活の基盤を整えるところまではきたけれど、正直まだまだ収入は足りないし、自分の中にある可能性も、まだまだ見出し切れていない気がする。
でもきっと、今の私はこの先、自分の心に蓋をして、何かを選択することはないだろう。
子どもたちがもう成人したということは大きいけれど、それ以上に、
自分を後回しにしても、私の大切な人たちは誰も幸せにならないことを、知ったから。
誰かを大切にするためには、まず自分を大切にしなければいけない。
よく言われるこの言葉の意味が、よくわかったから。
きっとこれからも、予測ができないことや、どうしたらいいかわからないことに見舞われることはあるだろう。
そのたびに、きっとじたばたして、立ち止まったり騒いだりするかもしれないけれど、
たぶん、なんとかなるだろう。
私はもう、ひとりでがんばらない。
というか、本当はもともとひとりじゃなかったのに、私は勝手にひとりでじたばたしていたのだ。
今私のそばには、私の幸せを願ってくれる子どもたちがいて、家族や友達がいて、私のがんばりを搾取する人は誰もいないのだ。
私は、やりたいようにやればいい。
間違ってもやり直せばいいし、助けが必要なら助けてもらえばいい。
いろんなことを乗り越えて、今。
私は、子どもたちとパグのいるこの家で、子どもたちとパグの愛に包まれて、安心して、暮らしている。
それはとんでもなく幸せなことだ。
だからきっと、未来も明るい。
私が自分の足で進もうとするかぎり、道は拓けるから。
お疲れ様、今までの私。たしかに未熟だったがきみはなかなかよくがんばった。
そしてこれからの私。
まだ見ぬ未来が楽しみだ。
肩の力を抜いて、進んでいこう。軽やかに、エレガンスに。
50歳。
私は今、人生を、楽しんでいる。
