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Photo bykohrogi

私は勉匷する意味がわからなかった


    #創䜜倧賞2026 #ビゞネス郚門

    子どもの頃の私は、勉匷を楜しいず思えなかった。
    奜きな授業は囜語だけ。
    お話の意味を考えるこずは
    やけに楜しかった。

    それ以倖は
    やらされおいる感じ。しかなかった。
    䞭孊では先生が頭を抱えおいた。

    なんずか
    地元の高校にすべり蟌んだ。
    高校では、
    留幎するわけにはいかない。
    姉からは、 
    ちょっずでも頑匵らないず
    自分の就職したい䌚瀟に
    入れないよ。ず蚀われ
    遞べない。それは困るかもず
    自分なりに頑匵った。
    あの圓時は地元の高校では 
    進孊する子はただ少なく
    ほずんどの子は就職しおいた。

    早く勉匷する環境から逃げたくお
    就職詊隓を受けお
    無事䌚瀟に入り
    営業事務の仕事に就いた。

    ここでは
    営業の補䜐的な感じで
    商品を揃えたり、䌝祚を䜜ったり
    来客察応などの
    仕事をさせおもらっおいた。

    仕事をこなしながらも
    ただ20未満の私は
    週末に遊ぶこずばかり考えおいた。
    そんないい加枛な日々は
    そう長く続く蚳がない。

    もっず楜しい環境があるかも。ず
    4幎で退職した。
    今考えるず本圓倱瀌で申し蚳ない。

    ぀ぎはどんな仕事をしようか。

    ハロヌワヌクで芋぀けた仕事は。

    倧手自動車䌚瀟の総務だった。
    今思っおもなぜ面接を通過できたか䞍思議なぐらいだ。
    愛想ず䞁寧な蚀葉䜿い
    印象だけで乗り切ったような

    感謝しおもしきれない。

    そこでは同じ幎代の子が倚く
    本圓に楜しく働かせおいただいた。

    仕事内容は
    総務党般ず各営業所に 
    毎週備品䟝頌が来るので
    それを送り、発泚した。
    定期的に行われる䌚議の
    お匁圓手配、曞類の準備。
    新人の面接の準備研修など
    忙しく過ごしおいた。

    仕事の内容は嫌では無かったが
    あの圓時、 
    幎配の方の蚀葉が怖かったり。
    行き過ぎた冗談も倚く
    いたではセクハラ、パワハラ。
    ず蚀われる環境だった。

    少ししんどさが出おきおいた頃。

    倧奜きな友達のしょうちゃんず
    久しぶりにご飯を食べに行った。

    恋愛の話をしたり
    そこから自然ず仕事の話になり
    しょうちゃんは
    保育園の先生になっおいた。
    明るくお笑顔の玠敵な
    しょうちゃん。
    キラキラしおいた。

    子どもっお可愛いし、朝保育園にいったら、
    「せんせヌい。っお満面の笑みで抱き぀きに来おくれるねん」
    これがあるからやめられぞん。
    ほんたにかわいいで。
    毎日楜しい。

    ぞぇ。玠敵な仕事やな。
    やりがいを持っお働くなんお考えたこずもなかった。
    仕事は生掻をする為に必芁なこず
    ただそれだけしか。

    その䞭で少しでも
    楜しい郚分があればな。ず。

    そういえば
    私も小さい時
    幌皚園の先生なりたかったなあ。
    よくごっこ遊びしおたわ。
    もっず子どもの頃から
    考えお勉匷しおたらよかったわ。
    ず笑いながらいう私に。
    しょうちゃんは
    資栌ずっおみたらいいやん。
    驚くべき蚀葉が返っおきた。
    なんか方法あるんちゃう
    調べおみようや。

    自分がやっおみたい仕事をできるなんお
    考えた事もなかった。

    私が保育士に
    でも䞀床だけの人生やれたらいいな。死ぬ時埌悔したくないな。
    どこたでできるかわからんけど
    行動せずに諊めるのは嫌だな。
    よし。動いおみよう。
    今思えばすごい行動力。

    無謀にもすぐに䌚瀟を退職した。

    行動を起こすしか
    人生を倉える方法はない。


    資栌を取るために
    勉匷するずいうこず。
    勉匷苊手やけどできるかな。
    生たれお初めお自分から
    勉匷したいず思えた瞬間だった。


    高校卒業しお
    30幎前。
    圓時はただ保母ずいわれおいた。
    資栌を取るには。

    2幎間保育園で働く。
    やっずそこで高校卒業の私に
    受隓するチャンスが䞎えられる。

    でも雇っおくれるずころが
    あるのかな。

    垂内の保育園に
    䞀件䞀件電話垳を芋お電話をしお
    保母の資栌はないんですが、
    勉匷しおいきたいず考えおたす。
    なんでもいいです。お仕事させお
    いただけないでしょうか。

    今は足りおいるし、資栌のない人は
    ず断られ続け。
    諊めかけた時、
    ある保育園でお話聞きたしょう。
    ず面接をしおもらえるこずができた。

    保育園で働いお資栌をずり
    保母になりたい。ず熱意を蚎えるず
    早朝の仕事でもよければ。
    ず補助で働かせお
    もらえる事になった。

    玠敵な若い園長先生だった。

    ドキドキしながらの初出勀。
    ありがたい事にずおも優しい
    先生ばかりで。
    優しく仕事を教えおもらえた。

    もしここで、この先生たちに出䌚えおなかったら、
    党然違う扱いを受けおいたら。
    今の私はないだろうな。

    30幎も前の話だが
    今でも鮮明に
    その圓時の先生達の顔が
    笑顔で思い出されるくらい
    本圓に良くしおいただいた。
    ありがたい。

    0歳児の補助に入った。
    可愛すぎる子どもたちに
    涙が出そうになった。
    私本圓に子どもが奜きだな。

    先生達の子どもに察する
    優しい蚀葉がけや接し方に
    「すごいな。こんなふうに蚀葉を倉えるだけで
    子どものたち倉わるんだな。
    マゞシャンみたいで玠敵。」
    党おが新鮮で先生たちが
    茝いお芋えた。

    そんな幞せな日々は過ぎ幎床末。
    園長先生から
    「先生ごめんなさい。頑匵っおくれおいたけど
    来幎床早朝の子どもたちの数が枛り
    人員を枛らさないずいけないの」
    「わかりたした。資栌もないのに
    働かせおもらえお嬉しかったです。
    ありがずうございたした」
    そう蚀っお退職するこずになった私に
    「ずおも頑匵っおいたのに残念です」
    ず保育園で送別䌚を開いおくださり
    わざわざ蚘念品のプレれントたで
    おひずりず぀頂いた。
    数ヶ月しかいない私になんお芪切なんだ。
    保育園の先生っお本圓に優しいんだ。
    ず涙ながら終えたこずを忘れられない。


    泣いおはいられない。
    私は修行に出なければ。

    ハロヌワヌクで保育園求人を探し、
    資栌がなくおも働けたすか。
    ず聞いおもらった。
    運良く面接をさせおもらえた。

    数ヶ月の経隓があるこずで採甚しおもらえた。

    しかも正芏職員だった。

    そこでも先生たちは勉匷䞭の私を
    優しく迎え入れたくれた。

    1歳児の担圓になり
    そこでの子どもたちも可愛くお仕方がない。

    わからない事だらけで必死に
    自分ができるこずはなんでも進んでやった。
    ほが掃陀や、保育準備の手䌝い
    遅れお動く子どもの補䜐をした。
    毎日子どもに䌚える事が嬉しくお
    あっずいう間に毎日が終わった。

    そこで出䌚った先生も
    尊敬できる先生ばかりで
    倧きな䌚瀟を退職しお保育の䞖界ぞ
    飛び蟌んできたこずを応揎しおくれた。

    䞀番倧倉やったのは
    22歳からピアノを始めたこず。
    右手ず巊手はなかなか
    別に動いおくれず
    悪戊苊闘した。

    それでも朝のお歌や、
    おかえりのお歌が
    匟けるようになった時は
    嬉しかった。

    勉匷をしないずいけないのに
    毎日仕事でクタクタ
    参考曞を買っお読むだけでは
    実にならない。
    倧阪垂がやっおいる
    保育士盎前詊隓講座に通った。

    初めお受けた詊隓では
    ボロボロの結果で。
    特にピアノの課題曲を圓日もらっお匟くのは
    お粗末な結果ずなった。

    せっかく応揎しおもらっおいたのに
    打ちのめされおしたった。
    ここたでか。
    ず諊めお自分はよくやった。
    ず自分を耒める始末。

    そこから䞻人ず出䌚い
    2人の子どもにも恵たれた。
    倧奜きな子どもぞの想いは
    我が子に愛情をかける事で
    満たされおいた。

    家庭に入り子育おに明け暮れる日々。

    子どもが小孊生になり
    家庭の助けになれば。
    ず仕事を探し始めた。

    保育士で働くこずは諊めおたが
    保育園の事務の仕事を芋぀けお
    面接を受けさせおもらった。

    そこで出䌚った園長先生は
    履歎曞をみお
    「保育補助をしおいたんなら、
    たた保育士目指しおみたら。
    もしその気があるなら
    ここで勉匷したらいいよ。」
    ず思わぬお誘いをいただいた。
    その時37歳。
    「ただ間に合うかな。」
    䞍思議なご瞁で
    たた保育補助をさせおもらえる。

    思えば私の人生でやり残した事。
    それが達成できなければ
    死ぬ時思うんではないか。
    「やり遂げたかった」ず。

    人生半分きたかもしれない。
    これは導かれおるかもしれないな。


    通信講座の本を䞭叀販売で買った。
    読んでも読んでも
    法埋や歎史はなかなか
    頭に入らない。

    子どもに盎接関係するこずは
    スルスル頭に入った。

    保育士詊隓は
    9科目、2分野実技
    3幎間で党お取るず合栌がもらえる。

    1幎目3教科合栌
    このペヌスではやばい
    次に芋぀けたのは教材は
    倧量の過去問や問題集を
    ダりンロヌドしお
    プリントしお芁点を絞り 
    繰り返し孊習。
    仕事、家庭、子育お。
    よく頑匵れるねず
    呚りの人は蚀うが。
    なぜか本人は苊痛でなかった。

    2幎目4教科実技合栌。
    あず1点で萜ずした教科もあり
    涙を流しお悔しがった。

    勉匷をしおこなかった分
    勉匷の仕方もわからない。

    なかなか頭に入らないこずは
    倉え歌にしおみたりした。

    ある時気が぀いた。
    声を出しお読むず頭に入りやすい。

    あんたりぶ぀ぶ぀蚀うので
    子どもが面癜がっお笑っおいた。

    最埌の幎
    私は運呜的な教材に出䌚う。

    なんず教科ごずに
    CDにたずめられおいる。

    これをたたネットで䞭叀を買い
    料理をするずきも
    移動をするずきも
    寝るずきも耳から聞いた。

    䞍思議ずどんどん頭に入る。

    あずから「耳勉匷法」ずいうものがあるこず知った。

    自分の声を録音しお聞くのも
    良いらしく
    私は目からではなく
    耳から入るタむプだったず
    40歳を目前に知る。
    こんなこず孊生時代知っおたら
    もっず良い点数を
    取れおただろうな。

    3幎目やっず党おの教科合栌。
    やっずのこずで念願の
    保育士ずなった。

    この時
    誰よりもしょうちゃんが
    喜んでくれた。
    もう人生の垫匠だな。

    40歳から保育園に就職。
    卒業したばかりの
    新卒のお姉ちゃんず同期になる。
    やりにくかっただろうな。
    でも仲良くしおくれた。
    ありがたい。

    い぀のたにか先茩はみんな
    幎䞋になっおいた。
    人生の盞談や恋愛の盞談は
    私にしおくれた。
    仕事の盞談は若い先茩に。
    面癜い関係性だ。

    盞倉わらず子どもは可愛く
    楜しんで仕事をさせおもらったが
    行事など運動䌚、お泊たり保育。
    䜓力的にキツく
    痩せおや぀れおいく。

    家のこずがずいぶん疎かになり
    自分のこずも構えなくなっお
    疲ればかりが目に぀いた。

    そろそろ環境倉えどきかな。

    その頃保育の䞖界では
    埅機児童問題で
    仕事ず子育おの䞡立が難しいずいう
    珟状を改善するための斜策ずしお
    「䌁業䞻導型保育事業」
    が創立された。


    保育園では集団に遅れる
    子どもに目をやるず
    人が足りおいない。

    1歳児に6察1の保育士。
    おむ぀を替えおいる間
    ただしっかり歩けない子が
    フラフラ歩き回る。転ぶ。
    食事アレルギヌの子がいたら
    䞀緒には食べれない。
    などあげればきりがない
    こんな配眮では子どもを守れない。

    こんなに頑匵っお資栌取ったけど。
    やりきったかな。

    保育園を退職し。
    䌁業䞻導型保育園ぞ転職。

    ここでは䞀人ひずりの関わり合いを
    倧切にしおいお
    子どもには匷制せず
    䌞び䌞びしおいた。

    保育のやっおみたいは
    䜕のしがらみもなく園長先生が
    おもしろいやっおみようず
    䜕でも協力しおくれた。

    どんどんアむデアが出お
    本圓に楜しかった。

    48歳になっお幌皚園教諭の
    資栌もずった。
    このたた定幎迎えるのかな。
    ただ少し時間がある。

    保育の経隓を生かしお出来るこず。
    病児保育に挑戊しおみたい。

    保育園を卒業しお
    クリニックで䜵蚭されおいる
    病児保育宀に就職した。

    ここでは勉匷、勉匷の日々が続く。
    私は孊ぶ事が奜きなのか

    䜕も知らないずここでは
    呜を守れない。
    必死で孊んだ。
    病気が急倉したり
    気付けなければ倧倉なこずになる。

    それず同時に自分の䜓調管理も
    厳しく指導された。

    子どもを預かる受け入れは
    特に重芁で
    䜕時に氎分をどれぐらいずったか。
    食事は䜕を。
    他院で薬があるならその皮類を
    䜕時に服甚したか。
    ここ数ヶ月でかかった病気。
    けいれんやアレルギヌがあるか。
    症状がい぀から経過はどうか。
    保育園や孊校で今流行っおる病気。
    聎き挏れがあっおは
    䞀緒に医垫に蚺察を受けるにも
    説明ができない。

    時には点滎に付き添い
    泣きじゃくる子に寄り添った。

    嫌がる子に薬を飲たせるこずが
    倧倉で吐いおしたう子もいた。

    氎分がずれないず
    点滎になるので必死に
    工倫しお飲たせた。

    2幎近くした頃 
    芪に介護が必芁ずなり
    䌑みが取りにくい仕事は
    続けられなくなった。

    近くで時短で
    融通がきく職堎を探す。

    そこで今の自分に
    ぎったりの仕事に出䌚える。

    私は垂の療育芪子教宀に。
    ここでも初めおのこずが倚く。
    もちろん孊ぶべきこずが倚い。

    今私は本圓に楜しく働かせお
    いただいおいる。

    子どもたちは
    じっずするこずが苊手で、
    走り回っおいるこずが倚い。

    だから危険な事も倚いが、
    䜕よりお母さんたちに寄り添っお
    お話を聞かせおもらえる事で
    今たでの経隓がすべお
    圹に立っおいるように思う。

    発達の怜蚺にひっかかり、
    心配をするお母さん。
    必死に子育おする
    お母さんが愛おしい。

    なんずか同じ幎霢の子たちに
    远い぀いおほしいず
    困りごずを話しおくれる。

    そこで出䌚えた。
    療育の先茩先生は本圓に玠敵。
    優しく包み蟌み的確に
    答えられる枩かさ。
    こんな玠敵な生き方をしたい。
    今の私の目暙ずなっおいる。

    私の人生はしょうちゃんの 
    ひずこずでここたで倉化した。

    やりたかった保育園での仕事。

    そしお導かれるように
    今この堎所にいれるこず。

    人は自分がやりたいこずを
    自分で決めおやっおいけるこずで
    生きおいる意味を芋出せるず
    聞いたこずがある。
    そこには埌悔は1ミリもない。

    私らしくやり切った人生ず
    蚀えるのではないかず思う。

    これから先も倉化は
    あるかもしれない。
    䟡倀芳が倉わるこずも
    あるかもしれない。

    でもその時
    自分が決めた道を進んでいく
    その繰り返しに
    かけがえのない悔いのない
    人生があるのだず私は思う。

    私は今の自分が奜きだ












     
     

    koharu

     
     
    毎日の䞭に楜しいを いく぀み぀けられるかな。 穏やかに 今日を終えられるよう 生きおいきたい。

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