
『戦国保険営業部』第一話
◆あらすじ
地方出身の新人営業・佐藤秀一は、生命保険会社「天下一生命」の初出社の日、なぜか戦国時代の戦場に立っていた。
泥と血の匂いが漂う戦場で出会ったのは、
同じスーツ姿の先輩社員・前田。
彼が所属するのは、天下一生命「戦国営業部」――死と隣り合わせの時代で、人々の残された生活を守るために保険を売る部署だった。
「今日は売るな。聞け。誰が死んだら、何が困るか――それだけ持ってこい」
家族、田畑、商売。
命が軽い時代だからこそ浮かび上がる、生活を守るという仕事の本質。
戦場を駆ける新人営業の、異世界お仕事小説。
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土の匂いがする。
最初にそう思った。
田舎のばあちゃんの畑を手伝った日のことが、不意によみがえったせいだ。
夏の昼、土だらけになっただけで褒められて、
麦茶を出してもらえた、あの匂い。
でも、これは違う。
泥だ。汗だ。馬だ。
それに、火薬みたいな焦げた臭いが混じっている。
遠くで誰かが怒鳴り、別の誰かが叫び、
何かが裂けるような音がした。
背中を汗がつうっと落ちた。
なんで俺がこんな場所にいる。
今日は初出社だったんだぞ。
天下一生命保険。
ようやく掴んだ内定だった。
母さんは近所に電話してたし、ばあちゃんは泣いてた。俺だって浮かれてた。
三十までに年収一千万。実家の建て替え資金を貯める、その第一歩が今日のはずだった。
新人研修は十一階。
だから俺はたしかに、エレベーターで十一階の
ボタンを押したはずだった。
なのに今、俺の足元にはぬかるんだ土がある。
見下ろせば、しわひとつなかったはずのスーツの裾は泥まみれで、気に入って買った革靴も半分沈んでいた。
初出社に合わせて何着も試着して決めた一張羅だ。値札を見たとき、一瞬だけやめようかと思ったくらい高かった。
遠くで、オフィスの電話みたいな音が鳴った。
いや、違う。
あれは矢が空を裂く音だ。
「うわっ!」
甲冑姿の男たちが横を駆け抜け、その一人の肩が俺の背中をかすめた。次の瞬間、俺は顔から泥に突っ込んでいた。
終わった。
スーツもバッグも終わった。四万八千円が泥になった。
呆然とした視界の端に、泥だらけのビジネスシューズが割り込んできた。
見上げる。
そこにいたのは、俺と同じようにスーツを着た男だった。
ただし俺と違って、その顔には一片の迷いもない。胸元には、俺と同じ金色の社章が光っている。
『天下一生命保険』
「佐藤、てめぇ! いつまで寝てんだ!」
男は怒鳴った。手にしたビジネスバッグは、戦場だというのに妙にきれいだった。
「商談に間に合わねぇだろうが!」
「……しょう、だん?」
「そうだ! 十二時半、織田信長様だ!」
男は舌打ちし、俺の腕を乱暴につかんだ。
「立て。売るのはまだお前の仕事じゃねえ。
今日は聞け。
誰が死んだら、何が困るか――
それだけ持ってこい」
そう言って、前田先輩は戦場の奥へ走り出した。