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人は考える葦たらねばならない

きょう公共の時間が自習だった
高校生にとってこれは大変喜ばしいことだが

教室がにわかに騒ぎ始めた

AIについて教科書を読んでレポートで提出する
なんていう課題が出たんだそうだ

その文字数、400字以内…

少ないな?

私の感覚はすでにnoteに犯されているに違いなかったが
それには目を背けつつ…

とにかく私にとって他愛ない課題だったので
とっとと済ませこれを今日のnote投稿とすることにした

提出前の文字数を整える前そのままの
素材の味をお楽しみいただこう…

(投稿のネタがなく慌てて準備したものであることは言うまでもない)

それでは、ゆっくりしてくれたまえ


コレを読んでレポートを書けという課題だった

この問題に対して
AIはあくまで道具であるというプライドにも似た尊厳が大切だと思う

というかAIは道具でしかない

差別的なものを学んだAIのせいで
差別的な表現が増えたとして
それはかならずしもAIの責任ではなく
それを問題にするのは使う人間に過ぎない

AIが差別を助長するのではなく
AIの出した結果をどう解釈し
どう利用するかという
人間の姿勢にこそ責任があるということだ

少なくとも
今AIが意思を持って誰かを貶めるよう動くこともないし
もしそのようなことが起こっても
結局、手を下しているのは人間である

AIはたしかに判断を誤ることもあるかもしれない
しかしそれで問題をおこしているのは
結局のところ人間だし

何が問題なのかを決めるのもまた人間なのだ

この言い方をするとハルシネーションを
軽視しているように思うかもしれない

確かにAIが判断を誤ってしまうのは問題だが
AIは自分の近くに人を持ってきただけであり
これを殴るのは人間の問題である

間違えたり
失敗したことをAIのせいにするというのは
つまり
殴りやすい位置にたまたまいるだけの人を殴るのと何ら変わらないわけだが
これは果たしてAIのせいだろうか?

間違いなくなぐった人間のせいだろう

人権のないAIというサンドバックに責任転嫁しているにすぎないのだ

どこまでいってもAIは人間の創造物だ。
それに従うも従わないのも人間の判断にすぎない

それだけの話だ

正直な話これからAIというジャンルはどんどん発展していくと思う
そして多くの仕事を効率化したくさんの仕事を奪うだろう。

しかしだ

私が思うに効率だけで生きていけるほど人間はうまくできていない

ご飯に美味しさがいるのか?と言われるとそれは
ご飯を食べるように
あらかじめプログラムされている脳の反応であり

べつに生きるために必須の感情ではない
しかし、人はチーズやバターを過剰に愛するのだ

これが、
例えばカプセルだけの食事にするというと
今の時代の場合一定以上の反対があるだろう

ひとは、自分の本能に従う

効率や理性で語れる獣ではない

我々は所詮考える葦にすぎない
生物であり人の枠からはみ出すことはできない

だからこそ
AIというものを正しく使うというのは
せめて与えられたこの思考の限りを尽くしてやることだと私は思う



後書き

以上が課題で書いた文章の修正版である
大変筆が乗って最近だと一番楽しかった

効率の悪いこと無駄なことというのは
案外簡単に切り捨てることができる
しかし、
人はその矛盾した感情に折り合いをつけながら
時には喧嘩し
時には仲良くやってきたのだ

昔の時代
我々のご先祖さまは
今ここにないものに思いはせる
侘び寂びを見つけた

現代の喧騒
無駄なものが増えすぎた世の中で
今ここにあるものの中から
自分が本当に欲しているものを手に入れるのも
また
侘び寂びなのかもしれない

無駄だと切り捨てるのはいささか早計に思える

この記事だって
aiに書かせれば一瞬だ

でも私はコレを書いている

コレからaiの発展に伴い
我々はますます

aiのせい
aiのおかげ

こんなことを思う日が多くなるだろう

しかし、
それを使うのも使われるのもあくまで人間で
安易に従わず自分の感情と、自分の判断に
自信を持てるものがこの世界で人間たり得る葦なのかもしれない

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