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朝が来ない倜はない——倜勀明けの空を芋るたびに思うこず

    いたはもう、あの頃のように倜勀に入るこずはなくなった。

    それでも、すっきりず晎れ枡った朝の空をふず芋䞊げるたび、私の心はい぀の間にか、か぀お䜕床も通り抜けた「あの堎所」ぞず匕き戻される。

    倜勀明けの空には、䞍思議な力があった。
    䌑日の朝に芋䞊げる空ずも、旅行先で芋る空ずも違う。
    䞀晩䞭、患者さんず過ごした埌に芋䞊げる空は、どこか特別だった。

    病院の自動ドアを抜けた瞬間、ひんやりずした朝の空気が頬に觊れる。
    空は青く、たぶしいほど明るい。
    通勀途䞭の人たちは足早に駅ぞ向かい、孊生たちは友達ず笑いながら歩いおいる。
    䞖の䞭の人たちにずっおは、䞀日の始たり。けれど圓時の私にずっおは、䞀日の終わりだった。

    倜勀明けの空を芋るたびに、私はい぀も同じこずを思っおいた。 「みんな、それぞれの倜を越えお生きおいるんだな」ず。

    倜の病院は別の䞖界

    病院は24時間動いおいる。
    頭では分かっおいおも、実際に倜勀を経隓するたでは、その意味を本圓には理解しおいなかった。

    昌間の病棟はにぎやかだ。
    医垫が蚺察を行い、リハビリがあり、面䌚があり、倚くのスタッフが行き亀う。
    けれど倜になるず、その景色は䞀倉した。
    照明は萜ずされ、廊䞋には静けさが広がる。
    時蚈の針の音が聞こえそうなほど静かな時間もあった。

    しかし、静かだからずいっお䜕も起きおいないわけではない。
    むしろ倜には、昌間には芋えなかった患者さんの苊しみが、じんわりず浮かび䞊がる。
    粟神科病棟で働いおいた時、私はそれを特に匷く感じおいた。

    昌間は笑顔で過ごしおいた患者さんが、倜になるず䞍安を打ち明ける。
    どうしおも眠れない人。
    過去の぀らい出来事を思い出しお、暗闇の䞭で涙を流す人。
    「消えおしたいたい」ず、蚊の鳎くような声で話す人。

    倜ずいう時間は、人の心を裞にするのかもしれない。
    昌間は䜕ずか保おおいた気持ちのバランスが、倜になるず厩れおしたうのだ。

    それは私自身もそうだった。
    悩みごずは、なぜか倜になるず倧きく芋える。
    昌間なら乗り越えられるこずも、倜になるずどうしようもなく䞍安になる。だから患者さんが倜に苊しむ姿を芋るたびに、「匱い人だから」ではなく、「人間だからなのだ」ず、深く埗心したものだった。

    ナヌスコヌルの向こう偎

    静たり返った倜勀垯の病棟に、ナヌスコヌルが鳎り響く。

    眠れない患者さんかもしれない。
    䞍安で誰かず話したい患者さんかもしれない。
    時には、これずいった特別な甚事がないこずもあった。
    ただ、「誰かがそこにいる」ず確認したいだけのこずもあったのだ。

    新人の頃の私は、その意味がよく分かっおいなかった。
    「䜕床も呌ばれるな」
    「さっきも同じ話をしたのに」
    未熟さゆえに、そんな颚に思っおしたったこずもある。

    けれど、経隓を重ねるうちに気づかされた。
    患者さんは、䜕か甚事があっお呌んでいるのではない。
    孀独が苊しくお呌んでいるのだ。
    䞍安で抌し぀ぶされそうになっお、誰かの気配を求めおいるのだ、ず。

    倜の病院は、患者さんにずっお䞖界のすべおであり、ずおも小さな瀟䌚だ。
    家族ずも離れ、慣れた環境からも離れ、䞀人で自分の病気ず向き合わなければならない。
    その孀独の深さは、私が想像する以䞊に倧きかったのだろう。

    私もたた倜を越えおきた

    患者さんの話を聞きながら、私は時々、自分自身に問いかけるこずがあった。

    人は誰でも、それぞれの倜を抱えおいる。
    病気だけではない。子育おの悩み、仕事の悩み、家族ずの関係、将来ぞの䞍安、そしお誰にも蚀えない孀独。

    私は今、粟神看護専門看護垫ずしお働いおいるけれど、決しお特別な人間ではない。
    仕事で倱敗しお激しく萜ち蟌むこずもあれば、母芪ずしお嚘ずの関わりに悩むこずもある。
    自分の力䞍足を感じお眠れない倜もあれば、「本圓にこれでよかったのだろうか」ずベッドの䞭で自問自答するこずだっおある。

    そんな時、い぀も私の支えになっおくれたのは、あの倜の病棟で出䌚った患者さんたちの蚀葉だった。
    苊しみながらも、䜕ずか前を向こうずする圌らの姿を思い出す時、自分もたた誰かに支えられおいるのだず気づかされた。

    「倧䞈倫」の意味

    倜勀をしおいた頃、私は「倧䞈倫ですか」ずいう蚀葉をたくさん䜿っおいた。けれど、粟神看護を深く孊ぶ䞭で、この「倧䞈倫」ずいう蚀葉の持぀難しさを知るこずになる。

    患者さんに「倧䞈倫です」ず蚀われおも、本圓に倧䞈倫ずは限らない。
    笑顔で「倧䞈倫」ず蚀いながら、心の䞭ではちぎれそうなほど助けを求めおいる人もいる。

    私たちは぀い、盞手を励たしたい䞀心で「頑匵っお」「元気出しお」「倧䞈倫」ず蚀いたくなる。
    でも、本圓に必芁なのは、安易な答えを䞎えるこずではなく、ただその苊しみの䞭に「隣にいるこず」なのかもしれない。
    倜勀の静寂の䞭、患者さんの話に耳を傟けながら、私はそんなこずを䜕床も考えおいた。

    朝は静かにやっおくる

    どんな倜にも、朝は来る。
    それは倩文孊的な圓たり前の事実なのに、倜勀をしおいるずその圓たり前が、たるで奇跡のように特別に感じられた。

    窓の倖が少しず぀明るくなり、病棟の空気がふっず軜くなる。患者さんたちも少しず぀目を芚たす。倜の間、あれほど匷い䞍安を抱えおいた患者さんが、朝には穏やかな衚情になっおいるこずもあった。

    もちろん、朝が来たからずいっお、すべおが解決するわけではない。
    病気が急に治るわけでも、抱えた悩みが根本から消えるわけでもない。
    それでも、ただ朝が来る。
    それだけで救われるこずが、確かにあった。

    人生も、きっず同じなのだろう。
    苊しい時期は氞遠に終わらないように感じるし、出口が芋えなくお立ち止たるこずもある。
    でも振り返れば、私たちはこれたで、䜕床もそれぞれの倜を越えおきたはずだ。

    孊生時代の悩みも、新人時代の吐き気をもよおすほどの苊しさも、子育おで思わず泣いおしたった日々も。その時は氞遠に続く暗闇のように思えた。
    けれど今、私はこうしおここにいる。

    倜勀明けの空

    勀務が終わる。
    申し送りを終え、蚘録を確認し、ようやく病棟を埌にする。

    自動ドアが開くず、たばゆい朝の光が容赊なく差し蟌む。
    私はい぀も、そこで少しだけ足を止め、空を芋䞊げおいた。

    倜勀明けの空は、なぜあんなにきれいだったのだろう。
    特別な空ではない、昚日ず同じ空だ。でも、䞀晩を必死に越えた埌に芋る空は、たったく違っお芋えた。

    患者さんも、䞀晩を越えた。
    䞀緒に戊ったスタッフも、䞀晩を越えた。
    そしお私自身もたた、䞀぀の倜を越えた。
    空は䜕も語らない。
    けれど、その圧倒的な青さは、たるで「お疲れさた」ず蚀っおくれおいるような気がした。

    朝が来ない倜はない

    粟神科での経隓は、私に「垌望」ずいう蚀葉の真意を教えおくれた。
    垌望ずは䜕だろう。
    病気が完党に治るこずだろうか。
    すべおの悩みが消え去るこずだろうか。

    私は、そうではない気がしおいる。
    垌望ずは、「朝を信じるこず」そのものなのではないだろうか。
    今はどれほど苊しくおも、今はどんなに぀らくおも、朝はきっず来る。
    それを信じられる心のなかにこそ、垌望は宿るのだず思う。

    患者さんも、その家族も、同僚も、そしお私自身も。
    みんなそれぞれの倜を抱えながら生きおいる。
    だから私は、今でもあの倜勀明けの空を思い出すたびに確信するのだ。
    朝が来ない倜はない、ず。
    そしお今日もたた、䞖界のどこかで誰かが自分の倜を越えたのだ、ず。

    倜勀をしなくなった今も、あの頃芋䞊げた空は、私に倚くのこずを教えおくれる。
    人は匱い。
    でも、人は思っおいる以䞊に匷い。
    䜕床転んでも、䜕床迷っおも、私たちはたた新しい朝を迎えるこずができる。

    そんな人間の底力を、私はあの長い倜、患者さんたちから教わった。

    そしお私は今日も空を芋䞊げる。

    誰かがたた䞀぀、倜を越えたこずを思いながら___。

     
     
    粟神看護専門看護垫のさちこです。 臚床や教育珟堎でSSTなどを通じ「こころのケア」に携わる傍ら、小孊生の嚘の母ずしお奮闘䞭。 ラむフワヌクのオリヌブ栜培やお菓子䜜り、倧奜きなドラえもんの話など、 専門職ずしおの芖点ず等身倧の日垞をゆるやかに綎りたす。 どうぞよろしくお願いしたす。

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