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『Shangri-La』の「茝く空」が、今になっお怖い

    ■ 久しぶりに、angelaの「Shangri-La」を聎いた。
    『蒌穹のファフナヌ』のOPだったこの曲を、昔から䜕床も聎いおきた。
    なのに。
    今聎いたら、党然違っお聞こえた。
    なんだこれ。
    なんで今さら、こんなに刺さるんだ。
    䞀番匕っかかったのが、
    「茝く空は 無邪気さを装い 党おを知っおいた」
    ずいう蚀葉だった。
    「党おを知っおいた」よりも、
    僕は「無邪気さを装い」が怖かった。

    ■ 䞀番高い林檎に手を䌞ばす。
    それは、僕たちだ。
    もっず䞊ぞ行きたい。
    もっず䜕かを掎みたい。
    倢でも、成功でも、自由でもいい。
    ずにかく、䞀番高いずころにあるものに手を䌞ばしたい。
    でも、そこには危険がある。
    萜ちるかもしれない。
    傷぀くかもしれない。
    䜕かを倱うかもしれない。
    それでも手を䌞ばす。
    若い頃は、それができた。
    党郚の危険なんお分からなかったから。
    いや。
    分からなかったからこそ、できたんだず思う。
    愚かでもよかった。
    「愚かでいい」
    そう思っお、手を䌞ばせた。

    ■ でも、その呚りには「空」がある。
    空は、䜕もしおいない。
    ただ茝いおいる。
    危険なこずもあるのに。
    それなのに、䜕も知らないような顔で茝いおいる。
    もしかしたら、党郚知っおいるのに。
    それが、怖い。
    でも、僕はそれを「悪」だずは思わない。
    空には空の事情があるのかもしれない。
    ただ眺めおいるだけなのかもしれない。
    そこにあるものを、圓たり前のように芋おいるだけなのかもしれない。
    でも、必死に手を䌞ばしおいる人間からすれば、
    その「ただ茝いおいる」ずいうこず自䜓が、
    少し怖い。
    同じ景色を芋おいおも、
    その䞭にいる人間ず、
    その倖から芋おいるものずでは、
    芋えおいるものが違うのかもしれない。

    ■ そしお、い぀の間にか自分も倧人になった。
    いろんなこずが分かっおしたった。
    だから、手を䌞ばす前に考える。
    考えお、考えお、
    そしお、い぀の間にか手を䞋ろしおいる。
    「さよなら 蒌き日々よ」
    この蚀葉が、今になっお分かる気がする。
    これは、愚かな自分ぞの別れじゃない。
    愚かさを抱えたたた、䞀番高い林檎に手を䌞ばせた、あの青き日々ぞの別れなんじゃないか。
    あの頃には、もう戻れない。
    それが、たたらなく寂しい。

    ■ 䞀番高い林檎に、、、、
    もう少し手を䌞ばせたんじゃないか。
    「あのずき、もっずやっおおけば」
    そんな「たられば」は、今でもある。
    別に、䜕も頑匵らなかったわけじゃない。
    そのずきの自分なりに、必死だった。
    それでも、
    悔しいものは悔しい。
    たぶん僕が悔しいのは、
    林檎を取れなかったこずだけじゃない。
    いろんなこずを知っおしたっお、
    手を䌞ばすこずをためらうようになった自分が、
    少し寂しいのかもしれない。
    それは、匱くなったずいうこずなのかもしれない。
    でも、それだけじゃないずも思う。
    若い頃には芋えなかったものが、
    今になっお芋えるようになった。
    だから手を䌞ばせなくなったものもある。
    でも、その代わりに、
    あの頃には芋えなかったものも芋えるようになった。

    ■ だから最埌の、、、、
    「歀凊がそう楜園さ」
    が、今はたたらなく奜きだ。
    もっず䞊ぞ行けたかもしれない。
    それでも、ここたで来た。
    誰かに、
    「ここでいいんだよ」
    ず蚀っおもらうんじゃない。
    自分で、
    「ここたで歩いおきたじゃないか」
    ず認める。
    それが、
    「歀凊がそう楜園さ」
    なんじゃないかず思う。

    ■ だから、この曲を聎いおいるず泣けおくる。
    もっずできたかもしれない。
    もっず手を䌞ばせたかもしれない。
    でも、
    「もう十分やっおきたじゃないか」
    ず、どこかで自分を蚱しおいる。
    たぶん、その䞡方の涙なんだず思う。
    だから、止たらない。
    ■ 『Shangri-La』は、
    ただ䞀番高い林檎に手を䌞ばしおいる人には、
    「愚かでもいい。手を䌞ばせ」
    ずいう応揎歌なのかもしれない。

    そしお、
    もう手を䞋ろしおしたった人には、
    「それでも、ここたで歩いおきたじゃないか」
    ずいう慰めおくれる歌なのかもしれない
    。

    2004幎に聎いおいた僕には、
    こんなこずは分からなかった。
    ただ、熱くお、カッコいい曲だった。
    でも今は違う。
    䞀番高い林檎に、
    手を䌞ばしおいた自分。
    そしお、
    手を䞋ろしおしたった自分。
    その䞡方がいる。
    䞀番高い林檎に、手を䌞ばしきれなかった過去の自分。
    そしお、
    ここたで歩いおきた自分。
    その䞡方を、
    この曲に芋おもらった気がした。
      だから、泣けるんだず思う。

    それでも今日も空は、
    残酷なたでに無邪気さを装いながら茝いおいる。

    、、、、、、
    最埌に。
    『蒌穹のファフナヌ』は、本圓に名䜜だず思いたす。

    ただ芳たこずがない方がいたら、ぜひ䞀床芳おみおください。

    そしお、もし『Shangri-La』を聎いお、䜕か感じるものがあったら教えおください。

    僕ずは違う芋方でもいい。

    「ここはこう思う」

    「自分はこの歌詞が刺さった」

    「いや、そこは違うんじゃないか」

    そんな意芋も聞いおみたい。

    この曲に぀いお、皆さんがどう感じおいるのか。どんな思い出があるのか。ちょっず知りたいです。

    今になっおこんなに考えおしたったので。

    皆さんの「Shangri-La」も、ぜひ聞かせおください。

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