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苺ひず぀の赀さが、杉本昌隆さんの蚀葉を照らした朝

    6月の始たりの朝は、い぀もより静かで、 どこか“区切り”の匂いがした。

    ただ薄暗い台所で、私は鉄瓶に氎を匵り、
    火にかけた。ふ぀ふ぀ず音が立ち始めるころ、プランタヌから摘んだばかりの
    ロヌズマリヌをマグカップにそっず萜ずす。
    銙りがふわりず立ち䞊がり、
    家の空気がゆっくりず目を芚たしおいく。

    い぀もの朝なら、この癜湯を飲んだあず、
    母も私ももう䞀床寝床に戻る。
    それが、私たちの“朝のリズム”だった。

    けれど今日は違った。癜湯を飲み終えるず、母は静かに立ち䞊がり、「そろそろ支床しないずね」ず蚀った。
    その蚀葉に、この日が特別な朝であるこずを改めお感じた。

    今日は、母ず“高霢者コヌデ”で出かける日だった。最新䜜の垃団生地で぀くった色違いのテヌパヌドパンツに、同じ柄のオレンゞ色のカット゜ヌ。
    高霢者の䞭で迷子にならないように、そしお少しでも、明るく、若く芋えるように
    ず遞んだ色だった。

    倖に出るず、颚がただ冷たかった。
    鳥の声が、空気の奥のほうからゆっくりず立ち䞊がっおくる。朝の道では誰ずもすれ違わなかった。静かな空気の䞭を、母ずふたりで歩いた。

    本堂に着くず、すでに怅子はすべお䜿われおいた。
    300人ほどだろうか。ギリギリに来たひず
    やら、入りきれない人たちは畳に盎接座り、通路にも静かに腰を䞋ろしおいた。

    講挔が始たる前、
    母がトむレに行きたいず蚀った。
    そこで、たたたた居合わせた女性たちに
    「たあ、お揃いなのね。玠敵ね」ず声をかけられた。
    母は埮笑んで、その蚀葉を嬉しそうに
    受け取っおいた。

    母はどうしおも床には座れない。
    そのこずを係の方に䌝えるず、埌ろから䞉列目に、たった䞀぀だけ空いおいた垭を芋぀けおくださった。
    母にはそこに座っおもらった。

    私はその少し埌ろ、入り口近くの柱にそっず寄りかかり、立ったたた話を聞くこずにした。わずかな距離なのに、母の背䞭がい぀もより愛おしく芋えた。

    やがお講挔者の玹介が始たり、
    藀井聡倪の垫匠・杉本昌隆さんの名が呌ばれた。

    玹介が終わり、杉本さんが䞀瀌したその盎埌だった。
    マむクはすでに入っおいるはずなのに、
    最初の数秒、声ず音響がどうしおも調和せず、静かな雰囲気の空気の䞭で空気を振るわせるようなハりリングが響き枡った。
    ほどけおいくように聞こえた。

    耳の遠い母には、その時間はほずんど“無音”に近かったようだった。
    母は前のめりになり、䞀生懞呜に口の動きを远っおいたが、意味ずしおは䜕も届いおいないように芋えた。

    私は柱に寄りかかったたた、その背䞭をただ芋守るしかなかった。

    やがお音響が萜ち着き、杉本さんの声が本堂に銎染み始めた。

    杉本さんの話は、掟手さずは無瞁だった。
    藀井がただ幌いころ、その才胜を芋抜きながらも、決しお急がせず、その子が持぀自然な速床を倧切にしたこず。

    プロになっおからも、「匟子が匷いのは、
    匟子が努力したからです」ず䞀歩匕いお語り続けたこず。

    その姿勢は、朚を無理に䌞ばさず、
    必芁なずきだけ、枝を優しく敎える熟緎庭垫のようだった。

    うす暗い本堂で、癜い文字を远いながら、
    私は“光の裏偎にある圱”の枩床を思った。倩才の物語は光ばかりが語られるけれど、
    その光がたっすぐ䌞びるためには、静かで揺るがない圱が必芁になる。
    9割の人が倩才ではなく、圱歊者的な人たちの人生のほうは、興味があるのではないかずふず思う。

    そしおふず、その“圱”のあり方が、
    母ず私の関係にも重なっお芋えた。

    講挔を終え、本堂を出るず、6月の朝の光が境内に広がっおいた。今日は1日。

    本来なら䞀床家に戻っおから参拝するずころだが、朝4時半起きの身䜓には、垰宅埌に再び倖ぞ出る気力はほずんど残らない。
    この暑さもあっお、なおさらだった。

    だからこそ、「぀いでに寄っおいこうか」ず、母ずふたりで氏神さたぞ向かった。
    寺の垰りに神瀟ぞ向かうずいう、少し䞍思議な流れだったが、母は「こういう日もいいね」ず笑った。

    境内はただ静かで、手氎の氎は冷たく、空気は柄んでいた。
    母はゆっくりず手を合わせ、長い時間、目を閉じおいた。その暪顔を芋ながら、この朝が“始たりの朝”であるこずをあらためお感じた。

    家に戻るず、途䞭で止めおいた朝食が
    そのたた残っおいた。
    枩め盎したお皲荷さんの暪に、
    小さな苺がひず぀だけのこっおいた。

    母はそれを指さしお、「苺も、1粒でも残さず食べないずね」ず笑った。

    その赀さは、講挔で聞いた“光の話”ずは違う皮類の、生掻の䞭の小さな灯りだった。

    赀いものがひず぀あるだけで、母の衚情がたたふっず明るくなる。そんな小さな倉化を芋぀けられる朝が、どれほど貎重かを思う。

    6月の始たりに、母ず歩いたこの朝は、
    静かなご耒矎のようだった。

    そしおその静けさは、時間が経぀ほどに、胞の奥でゆっくりず灯り続けおいる。

    1930

     
     

    madamebasara

     
     
    祖母の偎で3歳にしおかぎ針デビュヌ、ブラザヌ線機に出䌚う。心身纏う衣類は、自分で創る人生目指しお10代で独孊掋裁デビュヌ 倩然玠材志向で出来る範囲の衣食䜏手䜜り。 玄米は炊飯噚卒業し、 魚焌きグリルでフォカッチャも焌くテキトヌ手料理。糞も垃も生掻のすべおが玠材。2026/5/13

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