
私事003:8月におもうこと
振り返ると、小さな頃からずっと、この想いを持ち続けていたんだよね。
ここ2週間ほど考えていることがあります。
それは
争い事が嫌い
ということ。
先に言っておくと、競い事は嫌いじゃないです。
要はスポーツや格闘技などの、技や鍛錬をしのぎあうのを見るのはむしろ好きです。私自身、格闘技やバスケは少し経験もあるし、体を動かすことも好きです。
自分自身のためや、楽しさから、日々練習・鍛錬をして身に付けたものを披露するのは素晴らしいと思う。
そこには憎しみはないから。
そう、争いごとは、憎しみや妬み、利己的な思惑ばかり、相手への尊重がないんです。
そもそも尊重する心があれば、争うことはないからね…
小さなころから、人の悲しむ顔を見ると心が苦しくなります。
それが親や兄弟、家族じゃなくても、友達や彼女、パートナーという身近な人じゃなくも、街を行きかう人でも、悲しい顔を見ると心が苦しくなります。
さらに言えば、ドラマや漫画でもそうです。
漫画で嗚咽するほど泣いてしまうこともしばしば…
そういう性質もあってか、勝ち負けの世界で生きることは避けてきたのかもしれません。
だからなのか、部活も少し苦手で、バスケ部は長く続かず、社会人チームに参加して、わいわい楽しむ方が性に合っていました。
さて、なぜこんなことを書き始めたかというと、お仕事で戦後80年のことに触れることが多かったからなのです。
先日、広島平和記念日・長崎原爆の日を迎えました。
小学生低学年の頃はあまり意味を分かっていませんでしたが、高学年になり戦争・核爆弾の怖さを知りました。
中学1年生になり、夏休みの宿題で戦争経験者の話を聞くことに。
物心つく前に生まれ故郷から引越しをしていた私は、祖父母の記憶はあまりないのですが、戦争経験を教えてくれないかと手紙を書きました。
父方・母方の祖父から手紙を受け、その戦争経験の悲惨さをひしひしと感じたのを、今でもよく覚えています。
また、小学校(関西)・高校(関東)の修学旅行はどちらも広島で、原爆経験者の講演を聞いていたこともあり、人よりも戦争・原爆経験者の声を聞いていると思います。
核、いいかえると放射性物質は、長く自然界に滞在してしまいます。
しかも、その土地、その土地に暮らす人や同植物たちへの影響は計り知れず、生態系への影響は多大なものになります。
その核爆弾が使われる可能性のある戦争。
考えるだけで目を覆いたくなります。
憎しみは憎しみしか生みません。
私はキリスト教ではありませんが、この言葉が好きです。
汝、隣人を愛せよ
本来の意味は、隣人は単に隣に住んでいる人や家族、友人ではありません。
目の前にいる全ての人たちも含まれていると思います。
その全てとは思わないけど、家族や友人、会社の同僚のことを、心から思いやれる社会になるとどうでしょうか。
今、隣で働いている同僚にも家族や友人がいます。
その家族や友人にも、さらに家族や友人がいます。
そのつながりは国や人種を簡単に越えていくと思います。
こんな簡単なことで、世界中が笑顔であふれると思いませんか?
そんなことは理想でしかない。
はい、理想です。
でも、その理想がないと、実現なんてしないんです。
人はこの世界に、地球に、多大な影響を与えてしまいました。
今、この瞬間も不安や不満、考え方の違いから争いが生まれ、人と人のレベルから、国と国のレベルまで、様々な争いが生まれてしまっています。
宗教含めて様々な考え方はありますが、その根底にあるのは人です。
人の笑顔はもっと単純なことだと思っています。
日々生きていること、家族がいること、友人がいること。
それで十分に幸せで、笑顔になれると思います。
いつか、世界中の人々が同じタイミングで笑顔になれる瞬間ができたら、どれだけ素晴らしいことか。。。
そんなことを、この2週間、ずっと考えていました。
私がなにかできることがあれば、行動したい。
そんな思いも、50代を前にして思っています。
まずは、私自身が笑顔でいること、パートナーや家族、友人が笑顔になれるような行いをしようと思います。
今回は、完全なる思考の垂れ流しでした(笑)
でも、なぜか書かなきゃいけない、そう思って書いてしまいました。
この記事が誰かの心に、ほんのちょっとでも届いて、少し平和について考えてもらえれば、本当にうれしいです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
心から感謝します。
これからも、何かのきっかけになるような記事をかけるように精進していきます♪