
感動の火がつかなくなった旅人を、スイスの山が救った
アンコールワットを歩きながら、思った。
「思っていたほど、心が動いていない」
もちろん、遺跡はすごかった。
石の回廊。
壁面の彫刻。
長い時間を超えて残った建物。
かつての王朝や信仰の大きさ。
目の前にあるものが、つまらないわけではなかった。むしろ、世界遺産としての重みも、歴史的な価値も、頭では分かっていた。
でも、自分の心が踊らなかった。
そのことに、いちばん驚いた。
旅先でがっかりすることはある。
天気が悪い。
食事が合わない。
思ったより混んでいる。
写真で見たほどではない。
そういうがっかりなら、まだ分かる。でもこのときのがっかりは、少し違った。がっかりした対象は、アンコールワットではなかった。
自分だった。
自分は、旅が好きなはずだった。
遠くまで行けば、何かに驚けると思っていた。
有名なものを見れば、心が動くと思っていた。
世界遺産に行けば、ちゃんと感動できると思っていた。
でも、そうではなかった。
目の前にすごいものがあるのに、心のほうがうまく反応しない。
その事実が、怖かった。
この先、どの世界遺産を見ても、もう感動できないのではないか。
そう思うと、不安で、少し悲しくなった。
行きたい場所はまだたくさんある。見たいものも、まだいくらでもある。それなのに、自分の中の受け取る場所だけが先に鈍ってしまったのだとしたら。旅が好きなまま、旅で心が動かなくなっていくのだとしたら。
それは、自分にとってかなり寂しいことだった。
昔は、旅先で心が動くと、見たものは自分の中でただの記憶として終わらなかった。素晴らしい絵や建物に触れると、なぜか自分でも何かを作りたくなった。
絵をきちんと学んだわけでもない。
うまく描けるわけでもない。
それでも、何かを表現したい。
絵にしてみたい。
そういう衝動が、旅の途中でふいに湧くことがあった。
感動とは、見たものに驚くことだけではなく、自分の中にも何かを作りたいという火が移ることだったのかもしれない。
その火は、少しずつつかなくなっていった。
旅の記録は、思い出より先に表になっていった
自分の海外渡航履歴を見返すと、日付と国名と行き先が並んでいる。
日付。
出国した国。
入国した国。
空港。
短いメモ。
いま、その表は百行を超えている。
旅をするたびに、行が増える。増えた分だけ、自分は世界を見てきたような気がする。表にすると、旅はとても扱いやすくなる。
いつ、どこへ行ったのかがすぐ分かる。
何カ国行ったのかも数えられる。
でも、表には表情がない。
ピラミッドを見た日も、アンコールワットを歩いた日も、スイスの山の前で動けなくなった日も、同じ高さの行に収まっている。
それが便利で、少し怖い。
フランス。イタリア。エジプト。南米。東南アジア。インド。北米。中南米。オセアニア。中国。
もちろん、実際の履歴にはもっと細かく日付や経由地が並んでいる。ひとつひとつに記憶はある。でも数が増えるほど、旅は少しずつ、思い出というより履歴のようにも見えてくる。
写真を開く前に、まず一覧で思い出す。
どこへ行ったか。
いつ行ったか。
誰と行ったか。
何を見たか。
旅の記録は、少しずつ、感情より先に表で出てくるようになっていった。
もちろん、旅は好きだった。今も好きだ。ただ、旅を重ねるほど、感動が増えていくわけではなかった。むしろ、ある時期から、すごいものを見ても以前ほど心が動かなくなっていった。
旅先から帰ってきて、誰かに「どうだった?」と聞かれる。
「すごかった」と答える。
たしかに嘘ではない。でも、その一言のあとに、うまく言葉が続かないことが増えていった。
すごかった。
便利な言葉だ。でも、便利すぎる。その中に何でも入れられるから、自分の中で何が起きていたのかが見えなくなる。
最初は、スゴいものを見たかった
海外旅行が好きになった最初のころ、自分が見たかったのは、分かりやすくすごいものだった。
エジプトのピラミッド。
カンボジアのアンコールワット。
インドのタージ・マハル。
フランスのヴェルサイユ宮殿。
巨大で、緻密で、豪華で、長い時間を超えて残っているもの。
人間はここまで作れるのか。人間はここまで残そうとするのか。
そう思わせてくれるもの。
そういう場所に行きたかった。
実際、最初にヨーロッパを歩いたときは、本当に心が踊った。
石畳の道。
古い城。
尖った屋根。
広場に面した建物。
子どものころに絵本で読んだような世界が、本当に存在しているのだと思った。
ピラミッドを前にしたときも、身体ごと押されるような感覚があった。
王の力。
宗教の力。
国家の力。
職人の技術。
名前も残っていない無数の人の手。
そういうものが、石になり、柱になり、壁になり、装飾になって、今も目の前に残っている。
ひとりでは絶対に作れないものを、人間は作る。一代では終わらないものを、人間は作る。そして、それを何百年、何千年も後の誰かに渡すように残す。巨大な建造物の前では、人間の集団的な力が物として見える。
だから圧倒される。
旅を始めたころの自分は、その圧倒感を求めていたのだと思う。

作品は、誰かの感情を残している
ただ、人が作ったものに惹かれた理由は、巨大さだけではなかった。
巨大な建造物は、人間の集団的な力を見せてくる。
一方で、旅先の美術館や宮殿、教会、博物館で出会う作品には、もう少し別の力がある。
スペインでピカソの《ゲルニカ》を見たとき、強く思った。
作品には、作者の想いが残る。
《ゲルニカ》は、美しいとか、癒やされるとかいう絵ではなかった。むしろ、こちらを落ち着かなくさせる。怒りや悲しみや叫びのようなものが、画面に残っている感じがした。
作者本人はそこにいない。
でも、想いだけが物に乗って、こちらへ届いてくる。
壁画も、彫刻も、祭壇画も、宮殿の天井画も、陶芸や工芸も、たぶん同じだ。
人は、直接言葉で伝えるだけでは足りないものを、別の対象に載せようとする。
色に載せる。
形に載せる。
線に載せる。
素材に載せる。
そう考えると、旅先で芸術品を見ることは、ただ作品を見ることではない。誰かが何かを感じ、それをこの世界に残そうとした痕跡を受け取ることなのだと思う。
昔の自分は、たぶんその痕跡に触発されていた。作品に込められたものに触れると、こちら側の何かまで起き上がる。見たものを持ち帰るだけでは足りなくなり、自分でも何かを表現したくなる。
それが、自分にとっての「揺さぶられる」だった。
巨大な建造物が「人間はここまで作れる」と迫ってくるものだとしたら、芸術品は「誰かはここまで感じた」とこちらに触れてくる。
それもまた、人が作ったものに触れて心が動く理由の一つだった。

すごいものにも、慣れてしまう
けれど、何度かヨーロッパを歩くうちに、少しずつ見え方が変わっていった。
最初は、絵本の世界が現実に広がっているように見えた。でも、しばらくすると、別の言葉が自分の中に浮かぶようになった。
「どこへ行っても、だいたい石畳と城だな」
ひどい感想だと思う。それでも、そう感じてしまった。
もちろん、石畳が悪いわけではない。城がつまらないわけでもない。
自分の側に、型ができてしまったのだ。
これは権力の建築だ。
これは信仰の建築だ。
これは富と技術の結晶だ。
これは長い時間を超えて残ったものだ。
そう読めるようになるほど、最初の衝撃は少しずつ薄れていく。
「すごい」と感じる前に、「これはこういう種類のすごさだ」と分かってしまう。
前に見たあれに近いな。
前に見たものより大きいな。
前に見たものより古いな。
前に見たものより装飾が細かいな。
そんなふうに、目の前のものを受け取る前に、過去の旅で作った分類に入れてしまう。
アンコールワットで心が踊らなかったのも、たぶん同じだった。タージ・マハルを見たときにも、似た感覚があった。
美しいことは分かる。すごいことも分かる。
でも、心の奥から返ってきた反応は、かなり「ふーん」に近かった。
お金と時間を使って、わざわざ遠くまで来ている。それなのに、自分の中に何も起きない。
そのことに、がっくりした。
遺跡が悪いのではない。自分の驚き方が、先に用意されてしまっていた。感動がなくなったのではなく、感動の入る箱が先にできてしまう。
それは少し寂しかった。そして怖かった。
旅が好きなのに、旅先で心が動かなくなっていく。
その怖さは、好きなものを失いかける怖さに近かった。
遠くまで行っても、心のほうがもう遠くへ行けないのだろうか。
そんな時期に、自分をもう一度旅へ戻してくれたのが、スイスの大自然だった。
スイスで、ただそこにいた
スイスでは、同じ景色を翌朝も見に行った。
前日に見たのだから、もう十分なはずだった。
でも、そうならなかった。
マッターホルンも、アレッチ氷河も、写真を撮って終わりにできるものではなかった。
撮った写真を確認して、次へ移動する。いつもの旅なら、それで一区切りがつく。でもあのときは、写真を撮ったあとも、その場を離れる理由が見つからなかった。
何かを考えていたわけではない。
山の名前を調べていたわけでもない。
次の予定を相談していたわけでもない。
ただ、見ていた。
山は何も言わない。
氷河も何も言わない。
こちらを励ますわけでも、慰めるわけでもない。
でも、その何もしてこない感じがよかった。
自分が何かを感じなければいけない。
感動しなければいけない。
旅を成功させなければいけない。
そういう力が、少しずつ抜けていった。
ただそこにあるものの前で、自分もただそこにいる。それだけで、久しぶりに旅が戻ってきた感じがした。
近くに宿を取っていたので、翌朝も早く起きて、また見に行った。
マッターホルンを見るために泊まったツェルマットの日の出は、6時過ぎだった。外へ出たのは5時台で、日の出までまだ30分ほどあった。あたりには夜の暗さが残っていて、空気はひんやり冷たい。頭も身体も完全には起きていないのに、宿を出るとマッターホルンだけはもうそこに見えていた。
少し歩いて、橋の上まで行く。
そこから見る形が、いちばんきれいだと思った。
最初は人も少なかった。けれど、橋の上で立っているうちに、少しずつ人が集まってくる。誰かが大きな声で案内するわけでもない。それでもみんな、同じ方角を向いていた。
しばらくすると、山頂の一部だけが赤く染まり始めた。
空全体が急に明るくなるのではない。山の上のほうに、ゆっくり色が差していく。赤くなったのは、山全体ではなかった。
ほんの一部だけだった。
だから余計に、目が離せなかった。

写真は撮った。
でも、写真を撮るためにそこにいたわけではなかった。
撮り終えても、まだ立ったまま見ていた。
2、3時間くらい、何もしないでずっと見ていた。
山の形そのものも美しかったのだと思う。
周りの山に邪魔されず、空に向かって一つの輪郭が立っている。
その輪郭が、何度見ても崩れない。
そのときの写真は、今でもスマホの待受画像にしている。
昨日も見たはずなのに、また見てしまう。
昨日と何が違うのかは、うまく言えない。
でも、違わなくてもよかった。
同じものが、同じようにそこにある。
それだけでよかった。
アレッチ氷河の前でも、同じように動けなくなった。
氷河は、景色というより、時間そのもののように見えた。人間の予定とは違う速度で、ずっとそこにあるもの。自分が急いでいても、悩んでいても、何かを達成したいと思っていても、氷河には関係がない。
その関係なさが、なぜかありがたかった。
自分の悩みが消えたわけではない。でも、自分の悩みを置いている場所の縮尺が変わった。
世界は、自分を中心に回っていない。
そう感じたとき、少し楽になった。
巨大な建造物では、「人間はここまでできるのか」と思った。
大自然では、「人間は世界の中心ではないのか」と気づいた。
この違いは、自分にとって大きかった。旅先で感動できなくなったと思っていた自分は、感動できなくなったのではなかった。
ただ、人間の力に圧倒される以外の心の動き方を、まだ知らなかったのだと思う。

何園で、さりげなさに反応した
最近、中国・揚州で、何園という庭園を歩いた。清時代の何氏ゆかりの私家園林だ。そこで、もう一つ別の心の動きに気づいた。
スイスの大自然のように、自分が小さくなるわけではない。
ピラミッドやヴェルサイユ宮殿のように、人間の力に圧倒されるわけでもない。
《ゲルニカ》のように、強い感情をぶつけられるわけでもない。
でも、確かに心の速度が緩やかになっていく。
ただ、庭園なら何でもそうなるわけではなかった。
同じ揚州で、個園も見た。個園は、竹や石を使って四季を表すことで知られる庭園だ。
春夏秋冬を石や植物で表す発想は面白いし、よくできた庭園だとも思った。
でも、自分の心はあまり休まらなかった。たぶん、工夫が少し前に出ていた。「よくできている」と理解する庭ではあったけれど、そこに身を預けたいとは思わなかった。
一方で、何園の片石山房では、入った瞬間に近いところで足が止まった。
水と石と建物が見える場所に腰を下ろした。大きな庭ではない。派手なものが目に飛び込んでくるわけでもない。
でも、建物と水と石の置かれ方のバランスが、なぜか気持ちよかった。
何かが強く主張しているのではなく、全部がちょうどよく離れて、ちょうどよく向き合っている感じがした。
最初から、水に月の形が映ることに気づいていたわけではない。鏡に花が映ることにも気づいていなかった。近くのツアーガイドの説明が漏れ聞こえてきて、あとから見直して、なるほどと思った。
仕掛けを知って感動したというより、先に心が落ち着いて、そのあとで設計の細かさに気づいた。
人は多かった。写真を撮る人もいたし、説明を聞く団体も通っていった。それでも、そこを離れたいとは思わなかった。
そのまま閉園近くまで佇んでいると、少しずつ人がいなくなった。
最後に、短いけれど静かな時間が残った。そのとき思ったのは、すごい、というより、心がとても安らかに、清らかにになり、落ち着くな、ということだった。
庭園で心が整うというのは、作り込みがないということではない。作り込まれているのに、それを見せつけないということなのかもしれない。
庭園は、人間が作っている。
石を置く。
水を通す。
竹を植える。
視線を閉じたり、開いたりする。
歩く順番を作る。
そこには明らかに、人の意図がある。でも、その意図は、こちらを圧倒するためのものではない。
何かを達成しろとも言ってこない。
何かを理解しろとも急かしてこない。
歩いてもいい。
立ち止まってもいい。
水を見てもいい。
石を見てもいい。
ただ、ぼーっとしていてもいい。
庭園は、何かをしなければならない感じが薄い。景色の中に身体ごと入って、歩く速度で受け取っていく。
それが心地よかった。
旅を始めたころの自分なら、庭園を見ても「きれいだった」で終わっていたかもしれない。けれど今は、そこにある静けさや余白に、かなり心を動かされる。
庭園が大自然よりすごいという話ではない。
ピラミッドより深いという話でもない。
ただ、自分の側に、静かなものを受け取る回路が増えた。
そこが、自分には面白かった。

「すごかった」の中身を拾い直す
アンコールワットで心が動かなかったとき、自分は旅の感動が終わりかけているのかもしれないと思った。
でも、そうではなかった。終わったのではなく、雑に扱えなくなったのだと思う。
以前の自分は、旅先で起きた心の動きを、全部まとめて「すごかった」と呼んでいた。それで十分だと思っていた。
けれど、本当はその言葉の中で、心はいろいろな動き方をしていた。
ピラミッドでは、人間の集団的な力に圧倒されていた。
ゲルニカでは、誰かの想いを受け取って揺さぶられていた。
スイスでは、人間中心の尺度を外されて小さくなっていた。
何園では、人が作った余白の中に招かれて心が整っていた。
同じ「すごかった」でも、中身はかなり違った。
最初のころ、自分は「すごいもの」を見たかった。遠くへ行けば、自動的に感動できると思っていた。でも旅を続けるうちに、ただすごいものを集めるだけでは、感動が続かなくなった。
そこでスイスの大自然に救われた。
人間の力を見る旅から、人間の外側に触れる旅へ。
そして最近、揚州の庭園を歩いていて、また別の回路があることに気づいた。
人間の力で圧倒するのでもない。
人間の外側へ放り出すのでもない。
人間が作った余白によって、人間を休ませる。
それもまた、旅先で心が動く理由の一つだった。
これは、旅だけの話ではないのかもしれない。
何かを好きでい続けることの話でもある。
好きだったものに慣れてしまうことがある。音楽でも、映画でも、本でも、仕事でも、人との関係でも。最初はあんなに心が動いたのに、いつの間にか「知っている感じ」になってしまう。
そのとき、自分の感受性が鈍ったように思える。
でも、もしかすると、鈍ったのではなく、粗い言葉では拾えなくなっただけなのかもしれない。
「すごかった」
「よかった」
「きれいだった」
そういう言葉の中にまとめていたものを、もう少し細かく見分けられるようになっただけなのかもしれない。
圧倒されたのか。
揺さぶられたのか。
小さくなったのか。
ととのったのか。
どれがいちばん上等な感動か、という話ではない。
好きだった旅と、もう一度関係を結び直すには、自分の反応を雑に「すごかった」で片づけないことが必要だった。
アンコールワットで心が動かなかったことも、今なら旅の失敗ではなく、感受性が変わる途中の記録だったと思える。
火がつかなかった旅も、失敗ではなかった。
それは、感動が消えた証拠ではなく、火のつき方が変わる途中だったのかもしれない。
これからも、旅の記録には国名や行き先が増えていくのだと思う。
表の行も、たぶん増えていく。
でも、もう行き先を増やすためだけに旅をしたいわけではない。
次の場所で、自分の中のどこに火がつくのか。
つかないなら、なぜつかないのか。
その静けさも含めて、もう少し丁寧に見てみたい。
旅は、世界を見ることだと思っていた。
でも今は、自分の中で何が燃え、何が燃えなくなったのかを知ることでもあるのだと思う。