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芋出し画像

ホコリにたみれた叫び声の正䜓

    お茶碗が、ショッキングピンクだった。

    もう25幎以䞊も前。ボランティアで同じチヌムだったオヌストラリア人のベックず、初めお䌚った日のこずだ。

    正確に蚀うず、ベックの目の前のお茶碗に、ショッキングなピンクの䜕かが溢れそうなくらいに盛られおいた。それをスプヌンですくい、口に運ぶベック。僕の目線に気づきながら、にんたりしおお茶碗ず口の行ったり来たりを繰り返した。

    「え、ごめん、それ䜕」

    するず予想だにしない返事が返っおきた。

    「ご飯に砂糖ず牛乳をかけたした。けど、癜だけだず぀たらないので、これ入れたした」

    手の䞭の茶色い小瓶には、「着色料」ず曞いおあった。

    「倉な倖人ですよね」

    そう蚀っお笑いながら、ベックは埀埩運動を続けた。「倉だよ」なんお蚀えなかったから、笑っおその堎を䞞く収めた。


    でも、ちょっずだけ倉な人だった。
    ちょっず倉で、カチコチで。

    あるずき、ボランティア先から倧量の菓子パンを頂いた。日本の菓子パンのクオリティに取り憑かれおいたベックの目は、銀瞁のメガネの奥でい぀も以䞊に茝いおいた。

    「そんなに奜きなら党郚食べおね」ず䌝えたけれど、ベックは倧袈裟に遠慮した。かず思うず、おもむろにキッチンから包䞁を持ち出しお、党おの菓子パンを半分に切っおいった。定芏で枬ったかのように、䞁寧に、倧切そうに。「いや、やりすぎでしょ」っお少しむラッずしたけれど、黙っお圌の半分こを受け入れた。ベックは食べ足りなそうで、だけど満足げだった。

    カチコチなのに倉に頭が柔らかったベックは、䞀日に䜕床も巧劙なダゞャレを思い぀いた。毎回ドダ顔で僕にそれをぶ぀けおくるものだから、ベックを傷぀けずに気づかせるためのギリギリのリアクション探しに、い぀も苊劎した。

    ちょっず倉で、カチコチで、
    必芁以䞊に人に気を遣っお。

    数ヶ月にわたる共同生掻でベックは、たびたび䜓調を厩しおは数日間寝蟌んだ。䜕か特別な理由がありそうだったけれど、僕にはそれを打ち明けおくれなかったから、僕も気づかないふりをした。

    䟡倀芳や生掻スタむルの違いから、僕の䞭に蚀いたいこずが日々積もっおいたけれど、腹を割っお話す勇気もなかったからそのたた飲み蟌んだ。ベックも、同じだったず思う。思えばベックが寝蟌んだのは、僕ぞのストレスも䞀぀の原因だったのかもしれない。

    けれどある日、぀いに僕は吐き出しおしたった。もう、パンパンだったから。匷めの蚀葉を、ろくにオブラヌトにも包たずにベックに投げ぀けた。

    静かに話を聎くベック。

    僕がひずしきり話し終えおのを芋蚈らっお、今床はベックが話し始めた。蚀い返すでも謝るでもなく、自分自身のこずを語り出した。決しお声を荒げるこずなく、ゆっくりず、䞁寧な日本語で。

    自分を悩たせ続けおいる䜓調のこず、それにた぀わる深いコンプレックス、人生に察する䞍安、毎日をどんな思いで生きおきたのか、生きおいるのかを。「僕のこずなんお」。ベックはその蚀葉を䜕回も䜿った。20幎かそこらの人生で、自分を痛め続けおきたのだろう。


    「だから、぀らい日は、䜓を匷く掗っおしたうんです」


    ベックのシャワヌの時間は、ずきどき長かった。湯船に぀かるわけでもないのに、長いずきには䞀時間以䞊そこにこもったから、「さすがに長すぎでしょ」っお僕はずっず思っおいた。凍りそうなアパヌトの四角いシャワヌ宀で自分の痛みをかき消そうずもがいおいたなんお、想像もしなかった。

    ちょっず倉なベックが、泣いおいた。

    冷たいアパヌトで、二人で泣いた。

    い぀泣き終えたのかは、芚えおいない。

    その日を境に、僕らの関係が劇的に倉わったわけではない。匕き続き僕らはいろんなこずを飲み蟌んだ。ただ、お互いに苛立぀こずは少しだけ枛ったように思う。

    あのショッキングピンクのご飯も、寒い郚屋をさらに凍らせたダゞャレも、半分に切られた菓子パンも、少しだけ可笑しく思えるようになった。䜕だか党郚、ベックの痛みず぀ながっおいる気がした。

    ◇ ◇ ◇


    「倖人は垰れヌ 倖人は出おいけヌ」


    突き刺すように冷たい午埌の䜏宅街に、ドスのきいた叫び声がこだたした。絵の具の氎入れのように濁った空には、ホコリみたいな粉雪が舞っおいた。

    その日はベックず二人で自転車に乗り、友人のアパヌトを蚪ねおいた。

    最初は気にも留めなかったけれど、その声は次第に倧きくなっおいく。

    声の䞻は、癜髪の老人だった。

    面識などなかったが、どうやら友人ず同じアパヌトに䜏んでいるらしい。芚悟を決めたかのように、こちらに䞀盎線に近づいおくる。

    僕ずベックは咄嗟に顔を芋合わせ、かけたばかりの自転車の鍵を震えながらガチャガチャず開け、逃げるように来た道を匕き返した。容赊無く叫び続ける老人の声を背䞭に受けながら。


    無蚀でペダルを回す、ベック。
    無蚀でその背䞭を远う、僕。


    老人の顔を思い出すほどに胃袋がたぎり、ひん曲がるほどにハンドルを匷く握った。そしおずうずう僕はベックを呌び止めお、煮えたぎったそれを吐き出した。


    「ベック、戻ろう。あの人、ゆるせない。酷すぎる。蚀い返しおやりたい」


    ベックが䞍憫でならなかったから。遠く日本にやっおきお、日本ず日本人を愛しおいたベック。それなのにあんな蚀葉を济びせるなんおゆるせなかった。目の前で間違いを認めさせたかった。謝らせたかった。

    いや。

    本圓はあの無瀌すぎる老人に、僕自身の怒りをぶ぀けおやりたかった。無瀌な日本人を、同じ日本人の僕が断眪しなければいけないず思った。ベックを守るずいう蚀い蚳を最匷の歊噚にしお。

    ベックは駄々っ子をなだめる芪のように僕を芋぀め、
    少しの沈黙をはさんで、蚀った。


    「もしかしたら、圌は戊争で嫌な思いをしたのかもしれない」


    聞き間違いかず思った。
    にわかには、その蚀葉を理解できなかった。

    ぀いさっき激しく攻撃されたはずのベックが口にしたのは、どんなに頑匵っおも僕からは䞀滎も絞り出せない蚀葉だった。僕が心の䞭で老人に叫び返しおいたその瞬間に、ベックは党く違う姿をあの老人に芋おいたのだ。

    少しの沈黙の埌、僕らは黙っお自転車にたたがり、老人の家ずは逆の方向にペダルをこいだ。粉雪の䞭を、ゆっくりこいだ。

    先をいくベックの背䞭が、なぜか倧きく芋えた。
    ベックの前を行くなんお、ずおもできなかった。


    䜕でベックには、そんな蚀葉が蚀えたのか。

    もしかするず、ベック自身が抱えおきた痛みのせいだったのかもしれない。痛みが怒りに倉わり、怒りが叫びに倉わる「あちら偎」の気持ちを、ベックは知っおいたのかもしれない。

    今さら確かめるこずなんおできないのだけど。

    あの日から25幎、僕はたびたびベックず老人の姿を思い返しおきた。

    僕も人䞊みに挫折を経隓し、痛みを抱えおきた。ずきどき、「あちら偎」に行っおしたったこずがある。運転しながら、ひずり叫んだこずは数知れず。あず、片手で数えるほどだけど、誰かに向けお叫んだこずだっお。

    だから今は、少し愛しく思えおいる。
    ベックも、老人も。

    ◇ ◇ ◇

    ぀かんだず思ったら、溶けおなくなる。
    僕の想像力なんお、そんな粉雪みたいな感じだ。

    先日、吉祥寺の矎容宀に寄った垰り道のこず。僕はマルむ前の暪断歩道で、赀信号が倉わるのをがんやり埅っおいた。道路の向こう偎は、駅から抌し寄せた倧勢の人であふれおいる。

    するず、にわかには信じられない光景が目に飛び蟌んできた。

    「ホコリ」だった。

    真っ癜なホコリが粉雪みたいに、逃げ堎のない歩行者たちに降り泚いでいたのだ。

    䞀瞬でホコリ譊察ず化した僕は、すぐに犯人を芋぀け出した。閉店した角のパン屋さんで工事する解䜓業者が、癜昌堂々、粉塵を撒き散らしおいた。遠くお顔が芋えなかったが、䜕ずなく「倖囜人かも」っお思った。「やっぱりね」っお思った。

    電車や街䞭で芋かけるたび、圌らの埗䜓が知れなかった。どこの囜から、䜕のために日本にやっおきたのか。わからないからこそ、怖かった。

    するず信号が青に倉わり、ホコリを垯びた男女が堰を切ったようにこちら岞に避難しおくる。僕はい぀もよりも慎重なスピヌドで向こう岞に枡りながら、自分がホコリを回避する方法をぐるぐる考えた。

    するず、目の前にドラッグストアが芋えた。お店は现長くお、どうやら䞀番奥にもドアがありそうだ。咄嗟にお店に駆け蟌み、现長い店内を出口たで早足で通り抜けた。

    完党に、僕の勝ちだった。
    敎えた頭に、䞀粒のホコリも济びさせなかった。

    そのたた駅に向かっおもよかったけれど、最埌に振り向くこずにした。工事珟堎の圌らを睚み぀けお、いくらかの眪悪感を負わせるために。


    するず、信じがたい光景が目に飛び蟌んできた。

    僕が芋おいたものは、ホコリではなかった。

    それは、パン屋の隣の焌き鳥屋の窓から噎き出す、ケムリだった。

    僕は駅に向き盎し、早足で改札に向かった。


    䞭倮線に逃げ蟌んでも、圌らに負わせたかった眪悪感は僕の䞭にずどたっお、䜕床も僕を突き刺した。

    にわかに、25幎前の老人の叫び声が蘇った。


    「倖人は垰れヌ 倖人は出おいけヌ」


    ああ、あの老人の正䜓は、僕自身だった。


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