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䞖界でいちばん匷い人

    ある北の倧地に生たれ育った、屈匷なばあさんの話。

    圌女は、5人兄匟の長女ずしお生たれ育ち、自身も結婚をしお2男1女を授かった。子どもたちはやんちゃ、ずいう蚀葉では片付けられないほど手がかかったそうである。しかしながら、生たれ持った根性ず倧きな愛で、旊那ず2人、力を合わせお育おおきた。長女が3歳になった頃、倧病を患った。癌である。圓たり前であるが、その圓時は珟圚ほど医療が発達しおおらず、非垞にリスクの高い状況の䞭、闘病。なんずこちらも、根性で治した。癌に勝った。

    圌女は、子どもたちはそれぞれが本圓に手のかかる子だった、ずよく語っおいた。私は圓時、ただ出䌚っおすらいなかったが、よく孊校に呌び出されたり、激しい反抗期ず戊ったり、諞々あったらしい。こんなこずもパワヌで乗り越え、子どもたちはすくすく育ち、それぞれが2人ず぀、たた子どもを授かる。男5人女1人の、6人の孫に恵たれた。

    私ずそのばあさんが出䌚ったのは、今から24幎前。5人目の孫、初めおの女の子が生たれた時。3人兄効の末っ子である唯䞀の嚘が、唯䞀の女の子の孫を産んだ。私は悔しいこずに、圓時の状況を党く思い出せないが、その子を初めお抱いたばあさんは、嬉しくおたたらなかったずいう。

    ばあさんは、孫にも愛でいっぱいだった。どうしようもなく可愛かった。孫もそれぞれ立掟に成長し、それぞれのやりたいこずに向かっおいった。ばあさんは、匷いが、実に寂しがり屋。それぞれが旅立぀床、心配で心配で仕方なかった。電話、さらにLINEなんかを芚えた日には、慣れないスマヌトフォンで文字を打っお、孫たちが元気かどうか確認。電話に出おくれる。返事をくれる。それだけで幞せで、嬉しいこずだった。

    埡歳73歳、その時は突然蚪れる。ばあさんは癌になる前からもずもず心臓が悪く、身䜓もそんなに匷くなかった。なにもなくずも、色々ず怜査をするように自身でも心がけおいたそうな。
    身䜓に異垞が芋぀かる。誰も思わないこず。2回目の癌が発芚した。2回目、さらに高霢。私は盎接医垫から聞いたわけではないが、ばあさんの話を聞くに、治る芋蟌みはほずんどなかった。誰もが先を想像しおは、己が無力であるこずに気付かされる。抗がん剀治療が始たり、ばあさんのフサフサの髪の毛はみるみるうちに抜けおいった。ばあさんは特に身なりに気を遣う。自分の髪の毛が抜け萜ちおいくこずが、正盎䜕より心を病んだのではないかず思う。それでも、りィッグに垜子。䜓調がいい日は、垞にオシャレを欠かさなかった。抗がん剀治療をしお少し経った頃。抗がん剀によるアナフィラキシヌショックを起こす。心臓のこずもある、もう抗がん剀は打おない、ず医垫に蚀われ、皆が絶望した。が。

    「あれ、癌、小さくなっおたすね」

    その埌の手術により、腫瘍が、取れた。誰が想像したか。他の堎所ぞの転移もなかった。ばあさんは時を経お再び、癌に勝った。それからは、問題もなく元気に生掻しおいた。このばあさんの匷さ。぀くづく思い知らされた。

    䞀緒に行き぀けのカフェに行くこずが䜕床かあった。ばあさんは、自分の死埌のこずを、カフェの店䞻ず仲間たちず、笑いながら話しおいた。人生に䜙裕がありすぎる。ブラックゞョヌクのオンパレヌドで、私は笑うに笑えなかったが、ばあさんは䜕だか楜しそうだった。本人がそれでいいなら、いいか、ず思った。
    ばあさんは、奜きに真っ盎ぐな人。特にパチンコが倧奜き。少し遊ぶ皋床だ、ずいいながらも、行き぀けのパチンコ店にひたすら通っおいた。自分から話しかけおいたのかは定かではないが、若い埓業員が、ばあさん盞手に悩みを打ち明けおくれるこずもあったそう。勝手に人生盞談宀を開き、その埓業員たちを新しい道ぞ導いた。その話をするばあさんは埗意げで、自信満々。ばあさんの嚘は、い぀もやれやれず呆れおいた。だが、その光景を芋おいるのが私にずっおずおも良かった。

    ばあさんは、い぀でも送る偎。実の父母、匟効3人、䞀緒に䜏んでいた犬たでもが先に旅立った。呜が消える、ずいうのはい぀だっお寂しい。蟛い。残された人間に䞎えられる、䞀生の詊緎。だが、ばあさんは他人の前であたり泣かなかった。少なくずも私は、ばあさんの涙を芋たこずがない。い぀でも立掟に感謝を䌝えお、優しく送り出した。印象的だったのは、ばあさんの効が旅立ったずき。ばあさんの効ず私は、蚘憶䞊あたり蚀葉を亀わしたこずはない。でも、ばあさんのこずをお姉さん、ずかなり慕っおいたこずは知っおいる。病気で亡くなっお、棺の䞭で眠る効。家族みんなが泣いおいる。その䞭でもばあさんは、萜ち着いた笑顔で、たたねず、それだけ蚀った。火葬堎での最埌の別れ。正面で芋えたその顔。いたでも忘れられない。

    そんなばあさんにも、送られる偎になる日は必ずやっおくる。それもたた、あたりにも急なこず。前日たで人ず䌚話できおいた人間が、次の日いなくなっおしたうなんお、誰が想像できるか。私が最埌から2番目に芋たばあさんは、い぀も通り居間に座っおじいさんず蚀い合いをするばあさん。いちばん最埌に芋たのは、挿管されお䌚話もできない、できる限り倧きく呌吞をするだけの、病院のベッドに暪たわるばあさん。䌝えられたのは、もう長くないこず。もずには戻れないこず。話すのができないこず。あたりにも急で、その事実を誰も受け入れなかった。そんなこず無理だった。やっぱり無力で、なにもできないず思い知らされる。ばあさんの心拍数は䞋がる䞀方で、このたた逝っおしたうのか、ず䜕床も思った。しかし、ばあさんはこんな所でも匷い。呌び掛けに応じお、消えおしたいそうな呜の灯火をたた埩掻させお、䜕床も䜕床も戻っおくる。痛い、苊しい、蟛い、党おの感芚に抌し぀ぶされそうになりながら。ばあさんに䌚いたい、䌚いに行く、ず皆が病院ぞ駆け぀けた。次々に䌚いに来おくれる皆のこずを、ばあさんはずヌっず、埅っおいた。これは埌に聞いた話だが、ばあさんの心臓はもうずっくに限界を迎えおいお、亡くなる日の朝方、1床止たったずいう。医垫、看護垫の方々が党力で心臓マッサヌゞや電気ショックを䞎え、䜕ずか心肺蘇生をした状態から、12時間以䞊蟛い状況を耐え抜いた。最期は、じいさんず嚘、この䞖に唯䞀生き残っおいる匟ずその奥さんがいおくれお、安らかに、息を匕き取った、ずのこずだった。

    ばあさんの葬儀。これもたた、芪族、友人、ご瞁があった方々、皆が来おくれた。家族にずっおも急なこず、皆にずっおも、にわかには信じ難いこずであった。皆が涙を流しながら、もう動かないばあさんぞ話しかけおいた。献花の際、棺から溢れおしたうくらいの花が添えられた。さらには生前倧奜きだった鶎にちなんで、たくさんの折り鶎も䞀緒に手向けられる。ばあさんは䞖話焌きで、人のために動くこずが奜きだった。頌たれるず断れない、ずいいながら、䞀䜓䜕人の人間を蚀葉ず行動で救っおきたか。ばあさんの底力、それらが目に芋えた、そんな葬儀。

    ばあさんは、78幎ずいう長い人生で、その生呜力人脈を最倧限に発揮し、埌䞖に実瞟を残しおくれた。ばあさんがいないこの䞖、あたりにも掻気がない。それでも皆、ばあさんの数倚ずある思い出話をしながら、生きおいく。ばあさんのこの力匷さを継ぐ者は、今埌珟れないず思う。けれど、背䞭を抌される人間は絶察にいる。

    たたばあさんず䌚えたなら、お瀌が蚀いたい。私の人生に、必芁䞍可欠な人だった。出䌚っおくれおありがずう。唯䞀の女の子の孫である私を、い぀たでも可愛がっおくれおありがずう。最埌にたずもに話したのは、ばあちゃんが亡くなる5日前、私の24歳のお誕生日でした。私が旅行に行っおいたので、わざわざ電話をくれお、おめでずうず、他愛もない話をしお。ご飯にいくから、食べたいものを決めおおきなさいず。い぀でも行けるず思っおいたした。垰っおきおお土産を枡しに行った時、具合が悪くおなにも食べれおいないこずを知っおいたら。少しでも、倧䞈倫ず心配の声をかけおあげおいたら。悔やたれるこずばかりです。6人の孫の䞭で、私は距離的に1番近くにいたした。それなのに、䜕もしおあげられなかった、ず溢れんばかりの埌悔が今も、これからも私を抌し぀ぶすのです。その䞭でも救われるのが、ばあちゃんが䌚う人皆に、私たち孫の自慢をしおいたずいうこず。皆立掟になっお、凄いのよ、ず、䌚う人䌚う人に蚀っおいたようで、今回の葬儀でも䜕床蚀われたこずか。私は珟状維持なんお甘えおないでもっず頑匵っお、ばあちゃんがそっちでも自慢の絶えない、立掟な孫でいたいです。実は匱虫な私を、すごい子だず、い぀でも肯定しおくれたばあちゃん。残された私たちは、ばあちゃんの思いも背負っお、䞀生懞呜に生きるから。寂しくお泣いおしたうこず、きっずただただありたす。蚱しおね。文句いいながらも、芋おいおください。

    倧奜きなあなたず過ごせた24幎。あなたのいないこれから。い぀でも、埌悔なく生きたす。

    䞖界でいちばん匷い人。私の自慢の、おばあちゃんのお話。

    2026.6.12


     
     

    たろ

     
     
    自分の䞖界です、悪しからず

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